米子市2000年乳児虐待死事件

6 2023/10/13 18:10更新

こんにちは!私は両親から小さい時から虐待を受けていたのがきっかけで、将来、児童虐待防止の中心的役割を果たす「児童福祉司」という仕事を目指している中学生です。虐待で辛い思いをする子、亡くなる子供が少しでも減るよう、このブログで少しでも児童虐待防止のお手伝いが出来たらなと思います。私の名前とプロフィール画面にあるオレンジリボンは児童虐待防止のシンボルマークです。

*今、児童虐待を受け、悩んでいるお子さんや、子育てに悩んでいる親の方たち、もしよかったら雑談チャットにお越しください。相談に私でよければ、乗ります!😄

他にも、児童虐待に関する質問などあったら、回答します!

今回の記事...2000年に鳥取県米子市で赤ちゃんが虐待され亡くなった事件を取り上げました!

事件の概要


事件で亡くなった子...赤ちゃん(4ヶ月女児)

事件の加害者   ...実母(23)、実父(21)

発生地      ...鳥取県米子市

虐待の種類    ...身体的、ネグレクト

虐待理由     ...人間関係で孤立している時に、育児は難しかった

死因       ...不明

通告・保護    ...なし

亡くなった日   ...2000年3月9日

事件の内容


1999年11月6日、女の子の赤ちゃんが生まれました。両親は、そのままの自分を受容しにくい生育歴をもっていました。さらに転勤、結婚と親や友人、知人と離れ、慣れない環境で孤立していました。自分を大切にしにくい、周囲から自分が大切にされていると捕らえにくい環境では、子どもをかわいいと感じることが難しくなります。いつも思い通りにミルクを飲み、あやせばすぐに泣きやむという子どもはいません。それを受け入れる余裕を作れない際には、必然的に“怒鳴る、叩く”という形で力を振るうか、ネグレクト(無視)してしまうことになります。

 赤ちゃんは間もなく両親とは別室で寝かされるようになりました。夜泣きのためです。赤ちゃんを残して両親が外出してしまうことなどもあったようです。年が明けた1月中旬ごろから、赤ちゃんはたびたび殴られるようになりました。

 その後、父親の両親は息子が結婚して子どもまでできている事実を知り、米子まで訪ねてきています。そして父親の借金を払ってあげるなどしたようです。それにはホッとした父親も、親に現状を知られ「きちんとした生活」を求められるプレッシャーに追い詰められていきます。「自分の苦しさをだれも分かってくれない」という不満が高まっていたようです。そして赤ちゃんを叩く程度がエスカレートしていきました。

 2000年3月7日夜、「ミルクを飲まない」赤ちゃんを両親は交互に殴りました。父親はソファに放り投げ、腹部を殴るなどしました。その暴力がきっかけで7日深夜、病院に搬送された赤ちゃんは、そのまま3月9日早朝亡くなってしまったのです。

今回の事件後、乳幼児健診を受けようとしないケースに対する認識には変化がありました。保健婦、児童相談所などが必要な対応を検討することが始まっています。

どうすれば助けられたのか


どうすれば助けられたのか↓

・子育てに孤立している親を見つけた場合も、通告を義務付けるべきだと思った

・子育てはたくさんの人や社会が協力するべきだということを訴えるべきだと思った。

亡くなった赤ちゃんが来世ではもっと幸せに暮らせますように


亡くなった赤ちゃんのご冥福を、心からお祈りします。こんな形でしか亡くなった赤ちゃんが生きていたことを証明できませんが、こういった事件が二度と起きないよう、皆さんにお願いがあります。児童虐待の疑いがある子を見かけたら通告をお願いします!😊 通告方法は簡単です。電話で189に電話するだけです。「いちはやく」で覚えられます。通信料も要りません。匿名でも大丈夫です。秘密も守られます。あなたの通告がその子どもの希望です。

いいねを贈ろう
いいね
6
コメントしよう!
画像・吹き出し


トピックも作成してみてください!
トピックを投稿する
暮らし2023/10/13 18:10:12 [通報] [非表示] フォローする
TTツイートしよう!
TTツイートする

拡散用



児童虐待を受けたと思われる子どもを見かけたら、通告をお願いします!😊


画像・吹き出し

トピックも作成してみてください!
トピックを投稿する