梅村 拓哉くん虐待死事件

3 2023/10/17 21:24

こんにちは!私は両親から小さい時から虐待を受けていたのがきっかけで、将来、児童虐待防止の中心的役割を果たす「児童福祉司」という仕事を目指している中学生です。虐待で辛い思いをする子、亡くなる子供が少しでも減るよう、このブログで少しでも児童虐待防止のお手伝いが出来たらなと思います。私の名前とプロフィール画面にあるオレンジリボンは児童虐待防止のシンボルマークです。

*今、児童虐待を受け、悩んでいるお子さんや、子育てに悩んでいる親の方たち、もしよかったら雑談チャットにお越しください。相談に私でよければ、乗ります!😄

他にも、児童虐待に関する質問などあったら、回答します!

今回の記事...2000年に愛知県豊田市で起きた梅村 拓哉くんが虐待により亡くなった事件を取り上げました!

事件の概要


事件で亡くなった子...梅村 拓哉(うめむら たくや10歳男児)

事件の加害者   ...「実父」(40) 「実母」(31)

発生地      ...愛知県豊田市

虐待の種類    ...身体的、ネグレクト

虐待理由     ...問題行動が多かったため

死因       ...敗血症

通告・保護    ...なし

亡くなった日   ...2000年10月16日

事件の内容


拓哉くんの実母は1989年に拓哉くんの実父と結婚、1990年に長男の拓哉くん、翌年には長女、さらに1994年には次女にも恵まれ、実父の母親との計六人で暮らしていまし

た。家も新築し、一見ごく普通の幸せな一家に見えましたが、実母には常々不満があったといいます。実父は育児を実母に任せきりで、家事にも非協力的だったといいます。また、同居する義母の性格も合わなかったようで、当初は長女や次女らの保育園へのお迎えを頼んだりしていたのが、次第に頼まなくなり、義母を避けるようにさえなっていきます。さらに、子供部屋のある二階に義母を上がらさず、完全同居のスタイルながら義母とはかかわりを持たない生活が出来上がっていました。

新築した家のローンもあって、実母は町のクリーニング店へパートに出ていた時期がありました。

しかし、このころから拓哉くんの行動に気になるものが出始めていたといいます。最初は、実母や義母の財布から金がなくなる、ということでした。その金が拓哉くんの部屋にあったことから、実母は拓哉くんが金を抜いているとしてきつく問い詰めたが、拓哉くんはなかなか認めようとしなかったといいます。

実母は、嘘をつくことを極端に嫌っていたといい、小学校にも「拓哉が嘘をつく」ということを相談していました。

また、子供たちへのしつけも相当厳しくしていたといい、宿題が済むまでは一切外出を許さなかったそうです。

それ以外にも、拓哉くんが妹たちや犬に暴力的な行動をとること、実母が目が不自由であることなども気に病んでおり、警察では、そういった実母の神経質な気性が拓哉くんへの虐待をエスカレートさせたとみられています。学校でも友達に嫌がらせをしてその母親に抗議されたこともありました。

また、拓哉くんの自室の壁には、赤のペンで「〇〇、〇〇(それぞれ妹の名前)、みんな、しね」「おまえをころす」「くるしめ」といった言葉が殴り書きされていました。

同じころ、部屋を水浸しにしたり、机の上に包丁を置いたりもしていました。そのたびに、実母はきつくきつく拓哉くんを叱っていたが、その際に拓哉くんが自分を責めるような目で見ることも、実母には耐えがたいことでした。

事件直前の10月5日には病院へと拓哉くんを連れて行き、その翌日と11日には豊田市こども発達センターへ、さらに12日にも別の病院で児童精神科医の診察を受けさせていました。その全てで実母は拓哉くんを入院させたいと懇願しています。拓哉くんが金を盗むなどの一部の問題行動を認めていたこともあり、豊田市こども発達センターの医師は拓哉くんを家庭限局性行為障害と診断、最後に受診した大学病院の助教授は解離性同一性障害と診断しました。

行為障害とは、いわゆる反社会的行動を指し、通常の、年相応の社会規範が守れない、その問題行動を繰り返すといったもので、重大犯罪を起こした少年の何人かが同じく行為障害と診断されていました。

実母はこのままでは拓哉くんも重大な犯罪を起こすのではないか、そう思うと夜も寝られなくなっていました。寝ている間に家族が殺されるのではないか、そこまで思い詰めていたため、拓哉くんを入院させてほしいと強く訴えていたのです。

2000年10月16日、愛知県藤岡町(現・豊田市)の会社員、拓哉くんの実父宅から、長男で同町飯野小学校五年の拓哉君がベランダでぐったりして息をしていないと119番通報がありました。駆け付けた豊田署員らは、そこでおぞましい光景を目にします。拓哉くんは二階ベランダで全裸で横たわっており、しかもその体はビニールひもやガムテープで縛られた状態だったのです。

傍らには拓哉くんの母親が座り込んでおり、救急隊員らに「息子が泣いて大声を上げ、暴れたりするので困っていた。病院にも通っていた」と泣いて訴えました。

豊田署は、ひとまず事情を聞くため実母を任意同行し、さらに一報を聞いて勤務先より帰宅した実父さんからも事情を聞きました。事情を聞くと、問題行動が多かった拓哉くんをしつけるために14日からベランダの雨どいに立たせたまま縛り付けるなどしていたこと、その間約42時間にわたって飲食をさせていなかったことが判明、現場の状況も加え、同日夜、豊田署は雄二さんと亮子を傷害致死容疑で逮捕しました。

拓哉くんには目立った外傷はなかったが、司法解剖の結果、敗血症によるショック死とされました。拓哉くんは数日前から学校を休んでおり、14日から16日の間、紐をほどかれたのはわずか2時間だけだったといいます。

16日の午前10時半ころ、拓哉くんが暑さを訴えたため、実母が「水をかけてやろうか」と聞くと「かけて」と言ったため、水をかけたといいます。

その後、実母は転寝をしてしまい、起きて様子を見に行くと拓哉くんはすでにぐったりとしています。

実父は亡くなった拓哉くんに取りすがって号泣していたといいます。拓哉くんが通う学校では、突然の拓哉くんの死、それも両親がかかわっていたことに衝撃を受けたが、10月4日以降学校を欠席していた拓哉くんのことを心配してそれまでにも両親に話を聞いたことがありました。

その際、しつけができていないためしばらく家庭で過ごさせる、といった返答があったというが、家庭訪問には実母が応じませんでした。

当時の校長は、新聞の取材に対し、

「しつけのことで困っていたようだが、家庭での拓哉くんと学校での拓哉くんの様子が食い違っていて…」

と困惑を隠せなかったといいます。

捜査の段階で、実父に対しては、虐待への関与が薄いとして処分保留で釈放となっていました。

拓哉くんが縛られてベランダにいること自体は実父も知っていたが、日ごろから子供たち、とくに拓哉くんへの関わりは実母から厳しく指示されていたことや、拓哉くんが死亡するまでの間に何度も紐をほどくよう実母に迫っていたこと、実際に拓哉くんの紐をほどいていたことなどを考慮してのことでした。

釈放された実父は、新聞の取材に対し、「話したいことはあるが今はできない。勘弁してください」と話しました。

裁判↓

しかし平成13年3月12日に開かれた初公判において、実母は起訴事実を一部否認することになります。

検察は、実父は虐待行為に積極的にかかわっていないとして、実母の単独での犯行と認定、本来は1月15日に初公判が開かれる予定でした。

事件後↓

拓哉君の葬儀でも、参列した父兄らからは、「(虐待というより)悲しい事故だったと思いたい」という声も聞かれ、拓哉君の行動障害の内容が明るみになるにつれ、苦悩する一家への同情も沸き起こった。

どうすれば助けられたのか


どうすれば助けられたのか↓

・行為障害がある子どもの入院や治療を充実させるべきだった。

・障害がある子の親への支援を充実させるべきだった。

梅村拓哉くんが来世ではもっと幸せに暮らせますように


亡くなった梅村 拓哉くんのご冥福を、心からお祈りします。こんな形でしか亡くなった梅村 拓哉くんが生きていたことを証明できませんが、こういった事件が二度と起きないよう、皆さんにお願いがあります。児童虐待の疑いがある子を見かけたら通告をお願いします!😊 通告方法は簡単です。電話で189に電話するだけです。「いちはやく」で覚えられます。通信料も要りません。匿名でも大丈夫です。秘密も守られます。あなたの通告がその子どもの希望です。

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児童虐待を受けたと思われる子どもを見かけたら、通告をお願いします!😊


2: ちよこ @cheeze12142023/10/17 21:28:38 通報 非表示

こんなことを言うのもなんやけど

虐待されてる子を見つけて報告すればその子は必ず救われるってわけじゃないからな

肉体的なことじゃなくて精神的なこと


>>2
コメントありがとうございます!確かに虐待は精神的にもかなり辛い影響を及ぼします。


4: ちよこ @cheeze12142023/10/18 15:12:43 通報 非表示

>>3
そういう意味じゃなくて


6: 6コメさん 2024/01/25 18:18:56 通報 非表示

同級生です。
亡くなる前日に地域の秋祭りで子ども神輿があり、ご自宅に向かって皆で名前を呼びました。小雨の降る肌寒い日でした。
翌朝学校へ行くと担任の先生から亡くなったと知らせを受け、全国的なニュースで同級生の死の実態を知り、大変ショックな日々が続きました。
交流のあった子たちはそれぞれお墓の場所を知っていて、私も数回お墓参りをしました。
今でも実家に帰る途中、お墓やご実家の前を通るときには彼を思い出し、手を合わせます。

個人的には普通の男の子だったと思います。皆の気を引きたい素振りをしたり、少し意地悪をしたり、素直になれなかったり。でも、お礼を言うと嬉しそうな顔をして照れながらその場を去る子でした。
そういう意味で、いつも愛情が欲しかったのではないかと大人になってから思います。

発達を疑う前に、抱きしめてあげてほしかった。

今でも私たちの大切な友人であり、命の大切さを教えてくれた存在です。

彼の冥福を祈ってくれてありがとうございます。


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