『そういう気持ち』
この小説は、過去に何度か投票トークに投稿したことがあるものです。
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午後、突然激しい雨が降り出し、暴風も吹き出した。
クラスメイトは皆、折り畳み傘を取り出しており、大きな傘で帰る生徒は見られなかった。
無理もない、今朝の天気予報では午後から雨が降るなど予報されていなかった。
そのとき、背後から声が聞こえてきた。
「あっ、傘忘れた!」
振り返ってみると、一人の女子生徒が傘立てをひっくり返しながら嘆いているのが目に入った。
「持ってきたつもりだったのに…帰れないじゃん……」
彼女の名前は一夏(いちか)。身長は170cmとなかなか高く、女子バスケットボール部に入部している。
非常に哀れだったが、特にかける言葉も思いつかず、そのまま立ち去ろうとした瞬間だった。
「うわぁっ!?」
傘を持っていた左手が掴まれ、勢いよく引っ張られた。
振り返ると、そこには一夏が立っていた。
彼女の手の中に、左手ががっしりと握られている。
「…なんすか……」
すると、一夏はニヤッと笑いながら言った。
「入れて」
僕にはその表情が恐怖にさえ感じられた、
怖い怖い。
「嫌です」
そう言って腕を引っ張ると、案外簡単に腕を抜くことができた。
「なーんーでーよ、いーじゃん!」
「いやいやいやいや」
異性と同じ傘に入るという行為が何を意味するか知らないのだろうか。
相合傘なんて勘弁してほしい。
「ならいいよ…別に…」
彼女はそう言って顔を手に埋めた。
泣き真似かと疑って見ていると、やがてしゃくりあげる声が聞こえてきた。
___え、これガチ泣き?
辺りの人からの冷たい視線を感じる。
「あー、悪かった! 悪かったから! 入れてやるから!」
そう勢いで言ってしまったのに気付き、撤廃しようと思ったが時すでに遅し。
一夏が顔を上げた。その顔に涙は一滴もなかった。泣き真似だったのだ。
「なんちゃって」
「………」
「あー! 待って! 行かないで!」
無視して歩き出した義人を、一夏が慌てて追いかける。
「そそそんな、ちょっとした冗談だって!」
「分かった分かった」
「分かってないでしょ!? 置いてく気でしょ!? スピード落ちてないよ!?」
彼女と傘に入ること自体は嫌ではない。だが、僕が一番嫌なのは周りの目だ。
女子と相合傘しているところなんて見られたら、一生からかわれ続けるに決まっている。
それだけはごめんだったが、そんな理由で一夏を振り切れるとは到底思えなかった。
「分かってるよ。絶対、ほんとに、ガチで、ほんまに」
「関西弁混ざってるよ」
とうとう折れた義人は、直ちに敗北宣言を発した。
「分かった、入れてあげるよ。でもさ、一夏の家知らないんだけど」
義人の言葉に、一夏は少し考えるような素振りを見せた。
「うーん、でも、その必要はないよ、傘なら明日返すし」
「持って帰る前提かよ」
一夏はハハハと軽く笑って、自分の下駄箱まで向かっていった。
「もしかして義人、周りの目気にしてる?」
下足で靴を履き替えていると、一夏が言った。
急に低くなった一夏の声に驚いて顔を上げると、先ほどまでのふざけた子供のような表情ではなく、凛々しい女性の顔をした一夏がこちらを見下ろしていた。
「そりゃ、まあね」
「気にしなくていいよ。そんなの」
「え? どうして?」
一夏はその質問には答えなかった。
「いこ」
「傘持つよ」と言ってきたので、手に持っていた傘を手渡した。
大きくバサッという音がなり、傘が開いた。
その傘に入れてもらい、二人で歩き出した。
なぜ傘の主導権が変わったのか、それは誰にも分からなかった。
数秒の沈黙の後、一夏が口を開いた。
「周りの目を気にしなくていいってのは、私らに、その…『そういう気持ち』がないからってこと」
「『そういう気持ち』って何?」
「私らには、ほら、『そういう気持ち』がないし、そもそもただ入れてもらってるだけだから、相合傘しても別に気にすることないし…」
「あぁ、なるほど」
すると、一夏の口から意外な言葉が発せられた。
「でも、義人は『そういう気持ち』あったりして」
一夏はニヤニヤと笑った。
「かもなー。てかそういう一夏もありそう」
なるべくさりげなくそう返すと、一秒ほどの間の後、返答が帰ってきた。
「ざんねーん、ないよ」
「あちゃー」
そうストレートに言われてしまうとかえってショックを受けてしまう。
やがて、東西に帰り道が別れる地点に着いた。僕は東側、一夏は西側からいつも帰っている。
「どうする?」
「んー、本当はもうちょっと一緒がいいんだけど、義人の方角から帰ると遠いんだよね…」
「そ、うだ、よな…」
『本当はもうちょっと一緒にいたい』、そんな言葉を聞いて、少し胸がドキッとした。
もちろん、雨が降っているから一緒にいたいという意味に決まっている。
そう分かっていても、意識してしまった。
「それじゃ、またね」
「うん」
「入れてくれてありがとー!」
水溜りを踏んで走る一夏の足音がどんどん小さくなっていった。
一夏が言っていた言葉が脳裏に浮かんだ。
〈でも、義人は『そういう気持ち』あったりして〉
雨はすっかり上がり、空には、大きな虹が東西の二つの空を繋いでいた。
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