言い難い君へ
日高と初めて会ったのは、彼と同じクラスになった中学三年の始業式だった。同じ中学校に三年間居たというのに、彼と話したことすら無かった。校長先生の話を聞いている、学校生活で最も暇な時ですら、彼の事など気にも留めていなかった。ただ気にしていたのは、新しいクラスで上手くやっていけるか、という事だけだった。
翌日のテニス部集会の会場に行くために、急いで走っていると、同じ方向に日高が向かっていた。日高はテニス部では無かったので、どこに向かっているのか疑問に思っていると、集会の教室に着いた。まだ教室の外で喋っているラケットを持った数人をおしのけて、私は席に着いた。
「一年生、良い目してんなー」
三年部員が言う。一年生、彼らは様々な目をしていた。情熱の目、これからの部活に対しての希望だけではない。親に入れさせられたであろう、だるそうな目をしている一年生もいた。ああいうのは結局最後までやるんだ。
「てか、お前知ってる?なんか新しい三年くるらしいよ」
「珍しいね。三年が来るなんて。どうせ来てもすぐ引退するだろ?」
「それが、めっちゃ上手いんだよ。もしかしたら関東大会とか行くかもな。」
「ふーん…」
実際、三年で新しい部活にくる人はほとんど居ない。受験もあるし、何より部活を切り替えることがあまり無かった。同期とレベルを合わせるのが難しいのだ。
「誰なんだろうな」
「まだ知らないけど…誰かしら知ってんだろ」
集会開始二分前に、その人物は教室に入ってきた。
日高だった。低い背丈、さらさらの黒髪、大きい涙袋。一目で分かった。
「えっ…」
意外過ぎて声が喉に詰まった。出せるのは驚嘆の息だけだった。他の三年部員は少し驚いていたが、すぐ納得した。元々日高は地元のテニスクラブに所属していたらしい。彼は私の隣に座った。
「よろしくね、京くん」
「ああ、よろしく…」
「日高ってテニス上手いの?」
「うーん…まあテニスクラブにいたからね。ちょっとはできるよ」
日高とは、妙に話しやすかった。常に落ち着いていて、親しみやすい。今まで関わってこなかったのが残念に思えるほどいい人柄をしていた。顧問の話を終えると、そのまま下校となった。玄関で靴を履き替え、正門を後にして下校路を歩いていると、人影が目の端に写った。
「京くんもこっちなんだね」
「うん…まあ…そう」
私は日高と一緒に帰った。山の天辺に太陽が触れる時間だ。何でテニス部に来たのか、何処に住んでるのかなど、当たり障りの無い会話をした。でも、何故か楽しかった。彼が居るだけで全ての色彩が鮮やかになる感じがした。
「じゃあ、俺こっちだから。京くんばいばい!」
「ばいばい」
一人で帰っている時には、日高の事を考えていた。この頃から、私は日高のことをよく考えるようになった。自分には、日高がいないとだめな気がした。
「京、集中しろよー」
「ん、ああ、ごめん」
気づけばテニス部にいる時は、彼ばかり見ていた。休憩時間に、タオルで汗を拭きながら、ずっと日高を見ていた。だから、色々変化にも気づいた。髪を切ったらすぐに気づくし、ラケットのグリップを変えても、すぐ気づいた。でも、それを言う勇気は無かった。
「やばい、タオル忘れた…」
水を飲んでいる時、日高の声がした。
「俺、貸そうか。換え持ってきたし」
「え、京くんいいの!?ありがとー!今度返すね!」
タオルを渡す時、心臓が熱くなった。
夏休み前になって、太陽が今までよりも張り切る時期になった。教室はクーラーの冷風で一杯で、夏なのに長袖を着る女子もいた。私が休み時間、いつも話しているグループから離脱してトイレに向かっている時、日高がいた。タオルを返して貰おうと、話しかけに行こうとしたら、女子が先に話しかけてしまった。
見るだけでわかった。彼女は日高が好きだ。まあ、そうだろう。それは普通だ。日高は元々女子に人気があった。顔も良い。好きになるのは仕方なかった。でも、その時の私は、締め付けられるような痛みに襲われた。結局、私は彼を通り過ぎてしまった。
昔から、女子に対して、ハグしたいとか、付き合いとか、好きとか、そういう気持ちが湧かなかった。だから、日高と出会って、自分の本当の気持ちに気づくのは簡単だった。でも、やっぱりそれを考えると辛い時もあった。自分が人と違うのが、怖かった。でも、認めるしかなくて、自分が嫌になりそうだった。
一学期終業式の帰りも、日高と一緒だった。やっぱり日高は真面目で、落ち着きがあった。宿題の事とか、部活の事とか、そればっか話していた。急に雨が降ってきて、近くの公園の大きい木の下に二人で駆け込んだ。
「雨すごいねー」
「うん…」
少しの沈黙の後、先に口を開いたのは日高だった。
「ねえ、京くんてさ、俺のことほんと好きだよね」
「えっ…」
「違う?」
「……」
「ばればれだよ、俺のことばっか見てるの」
「…そうだよ。俺は日高のこと好きだよ。」
「やっぱりね」
「男なのにさ…日高の事好きなんだよ。おかしいよな。あんまり話した事もないのに、好きになっちゃって、ごめん…」
「俺もだよ」
「え…?」
「俺もさ、実は二年の時から、男子の方が好きなんだ。」
「日高も…?」
「だからさ、そんなに自分を虐めないでよ。俺も…好きだよ。京くん」
日高が近づいてきた。
「俺じゃ…だめかな…?」
「…言った方がいいのか?」
「いや、やっぱりいいよ。君と同じだからね。」
「ねえ…していい?」
私は答えられなかった。
一瞬触れた唇は、冷たかった。雨は止んだというのに、私達はまだ木の下に居た。
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