The scroll of sophiaの個人的scaling
天体:
天体は論理を超越しており、地球を星々に含むなら最大開削だと星々は数学の理論と数式によって成り立っている。後述するように異なる法則を天体ごとに持っている。
>>53
自分も今見たら反吐が出そうでした。天体は論理を超越していて、地球は数式と理論で成り立っているというもので最大解釈で天体の超越性を組み込めるわけがありませんでした。すみMさえん
太陽系:
太陽系は論理全体を超越している。太陽系にも同じように超強力なフラクタル構造が存在する。太陽系の様な惑星の集合体には天体の異なる法則+太陽系の法則となる。太陽系には渦の形をした無限の宇宙階層が存在する。それは内側ではなく外側に拡張されている(ちなみにステラは太陽系に絶対的な全能性を持っている)
法則:
法則はあらゆるアイデアや理論を内包していて、人類が理解できるものなどは全て法則から投影されたもの。プラトニズムは形而上学と哲学側面の一分野なので法則はプラトン的だがプラトニズムを超越している。矛盾する理論はレイヤーが異なるちうことで解決することができる。法則は無限に存在し、数学や哲学は無限に異なるバージョンが存在する。法則一つ一つはその異なるバージョンを保有している。TSOSの無限は哲学や数学に登録されているあらゆる概念より上の概念。そしてその無限の法則は一つのブレーンとなる。バルクには無限のブレーンが素Zないし、それはR>Fの様な九蔵を持ち無限階層。そしてバルクはより大きなバルクである
メタ・バルクの一つのブレーンにしか過ぎない。メタ・バルクもパタ・バルクの一つのブレーンでしかない。これが永遠に続いてき、これが渦の様に見えることからぼるって薬論とも呼ばれている。これが形而超学
>>5
反論
絶対性と相対性を履き違えている
その描写ではTSoSの無限が超越できるのはあくまで相対的な無限に限られる
すべての無限を超越するというのは、借用した用語を完全に誤って使用し、その用語が持つ響きだけを盗んだ詐欺に近い
>>90
対というか、相対的であるなら決して絶対的にはなれない
絶対という名を冠するだけでその実態は絶対でもなんでもなく相対的だなということ
>>107
TSoSの無限は全ての数学や哲学の無限より上とかなかった?
数学は別にいいけど哲学の方で問題が起こる
>>114
それが成り立たない
「一つ上」
「一つ下」
「同列」こう言う表現がなされている時点で、それは相対的関係を持つものであり、絶対では決してない
ある無限が他より一つ上の階層にある場合、その無限が持っているのは相対的な優位にすぎず、あくまで相対的に大きな無限でしかない
絶対ってのは、階層的な上下関係から離れて、どんな比較や階層化も適用できないってこと
「一つ上」であるなら「さらに一つ上」とか「一つ下」を考えることができるでしょ?
それは絶対じゃない
実数領域:
人間論理には不完全性が存在しており、矛盾性/不完全性を持つ理論(作中だと整数と有理数のやつ)を実数領域内で存在することが可能。実数領域は整数と有理数に加え実数全体まで拡張される。
>>6
質問
実数領域は整数と有理数に加え実数全体まで拡張されるとは、具体的にどういうことか
人間の論理が実数全体に対応するなら、有理数や整数の設定は意味を持たない
そもそも人間に把握可能な実存する法則を実数と例えているのであれば、有理数と整数の存在はナンセンス
それらを無視しても、それでは人間の知性そのものあるいは知性が到達可能な範囲以上の意味は持たないのではないか
>>87
この文章の説明もおかしい
まず第一に学問の順位づけがおかしい
おそらく「形而超学」を上に置くために恣意的に番号を振ってるだけで、妥当性が全くない
数学を2とするまではまだそういう設定として通るだろうけど、形而上学を2に置くことは明らかにおかしい
この例えを使うなら、形而上学は適切には全ての実数領域を探らんとする試みそのもの
例えば数学の本質(3)を探る試みも、4を探る試みも、100も、1000も、10000も、この数直線を考えること自体も全て形而上学
別にこの作中ではそうなんだよ!を通してもいいが、その形而上学はTSoS内のみにおいて不当に矮小化されたもので、この作品外での形而上学とイコールであるとしてはいけない
形而超学的領域:
宇宙の中に存在する領域。形而超学で語られる構造を内包する領域と解釈しています(有識者教えてくれい)
>>10
反論
まず前提として、形而超学も定義上形而上学の一種に過ぎない
そして、あなたのその説明は何の意味もない
例えば極端な例を挙げると、Wikipediaサーバーもある意味で形而上学の構造を内包する領域と言える
こういったものとあなたのいう「領域」が本質的にどう異なるのかを明らかにする必要がある
>>57
法則がすでに形而上学やそれの母体の哲学を内包していているので法則も形而上学を内包する構造でしょう。その法則を形而超学で表せているので形而上学を超えているかと
>>86
形而上学に上限はない
経験や感覚の外について問うならそれは全て形而上学
認識という名の家の外は、宇宙も多元宇宙も、どれだけ遠くへ売っても全て形而上学の領域
この場合、「法則」とは何か、「法則」の根源は何かへの探究も定義上形而上学に含まれる
一応形而上学そのものを対象の一つとした学問はメタ形而上学と呼ばれることもあるけど、これも形而上学の一種だね
要するに、それっぽさを演出するために定義も無視して軽々しく形而上学という言葉を使うなってこと
ウロボロス・オフィス:
西洋で唯一登用の様な二元論を持つ構造は比較不可能な無限の永遠の尾を飲み込むドラゴンであるウロボロス・オフィスで、栄養ではドラゴンは神聖なる人間の理論と概念を矮小な物として一蹴する邪悪な存在だが、ウロボロスは邪悪と言う評価が付く前に生まれた存在で、絶対無限や道、神学などより先に生まれているため絶対無限なども無限にある鱗の一万程度しか表せない
>>11
完全に意味不明
古い、古典的な、無限は基本的に洗練されていない傾向にある
それを無視して古いほど上位とするのは、いかがなものか
その理屈で行くなら最も偉大なものは最古の宗教で崇められた岩か木になるのではないか
>>85
これも同じ
あなたじゃなくてTSoS側がおかしい
古けりゃ上位ってんなら作中で最新理論のブレーン仮説とかその辺は死ぬほど下位の概念ということになることに気づかなかったのか?
宇宙:
宇宙はバルクの中で物理学と数学の中で無限に増殖している。宇宙は量子論と数学、特に集合論の超限数に含まれる基数と順序数、基礎的な数の体系の理論と上位の論理層における形而超学的な無限に該当するアイデアによる絡み合いで量子論的な並行世界には巨大基数の階層や絶対無限のオントロジー的要素すら書き換えることができ、空白に書き換えられた無限によって原子の構造が変化し分裂数をインフレさせる。宇宙は宇宙全体が無限の渦を巻くフラクタル構造を作り上げる。これは太陽系や天体、原子や素粒子、電子にクオークも同様。宇宙の一部には形而超学的領域が含まれている。宇宙は実数空間と虚数空間を超えている。万物はグノーシス的で光と影が存在する。光の神が作り上げた光の人間が宇宙を作り上げた。光の人間は最初に大きな宇宙の法則を作り出し、宇宙はそれから天体や惑星、衛星などの法則を作り上げた。そして星々の集まりは異なる法則を持つようになった。宇宙はブレーンの中で無限に増殖している。集合論、多元宇宙論、再帰構造などによって。宇宙はあらゆる論理の時間を超え常時無限以上に増殖している。宇宙は魔法を通じて宇宙を示す定数xとその個数を示す変数yの関数で、yには魔法だと可算無限が代入できるが、宇宙は魔法よりも改変優先度が高いため、xは宇宙、yはアレフ数から絶対無限にまで代入することができる。宇宙は数学を超えて拡張をしている。
>>12
批判
無意味、もうめちゃくちゃ
「宇宙はバルクの中で物理学と数学の中で無限に増殖している。」までならまだギリギリよかった
様相実在論の一種として解釈もできた
その後からもう全てが破綻している
まず、量子論を完全に誤解している
量子論的多元宇宙はあくまで観測による決定が世界の分岐によりあらかじめ決まっていたというだけのもの
歴史線の分岐でもなければ、無限概念の種類によって分離するものでは断じてない
宇宙がフラクタルであるという設定は問題ない
天体や素粒子のフラクタル性についても問題ない
とはいえ、宇宙が自己再帰性を持つなら必然的にその部分である天体や素粒子も自己再起的であるわけで、自明すぎて全く意味のない文章でもある
また、定義上宇宙に関する説明は実数空間に含まれる
それは人間によって思考可能なすべてであるから
しかし結局前提の「人間に思考可能なものを実数空間とする」以上の意味を持たず、無意味な文章である
宇宙の増殖については、弱い様相実在論であると言える
あくまで新しい体系の成立に応じて対応する宇宙が増えているだけであるから
また、宇宙関数も破綻している
アレフ数は個数ではなく、ましてや絶対無限は数学的な対象ですらない
宇宙は数学で測りきれないというものは、まあ構わないだろう
私たちの宇宙にも、数学を用いて解くことのできない問題が確かに存在するから、同じことと言えるかもしれない
>>59
天体や素粒子にも自己再帰性は存在します。天体や素粒子の中にも宇宙が存在し、その中にも天体や素粒子が存在しその中にも宇宙が存在し...と続きます
>>83
要するにただのフラクタル
フラクタルであるからにはある部分に全体と同じ構造が現れるはずで、TSoS宇宙では物質がその「部分」であるということ
ついでに言うと「無」に渦はないそうなのでフラクタルではあるけど厳密な自己相似フラクタルではない
>>59
「アレフ数は個数ではなく、ましてや絶対無限は数学的な対象ですらない」これはTSOS本文を持ってきただけなのでちょっとわかりません...
全ての宇宙もフラクタル的渦であり、そしてその宇宙の中の星々と粒子、その中の宇宙、その中の星々と粒子、そのすべては渦である。これは超強力なフラクタル構造です(満員電車がレベル1ならこれはℵ0)
>>13
反論
フラクタルに強力も微力もない
フラクタルはフラクタルである
そしてなぜ満員電車の比喩を使ったかわからない
満員電車はフラクタルですらない
レベル0である
>>81
要するに加算無限にぎゅうぎゅう詰めということね
でもそれはフラクタル構造なら当然のことじゃないか?
まあ間違いじゃないけど不要な描写だなって
>>60
フラクタルの中にフラクタルがある構造です。フラクタルの中にフラクタルが無限にあるから超強力なフラクタルと書きました
>>82
別にいいけど、それなら単にフラクタルでいいんじゃない?
フラクタルは常にその中に無限のフラクタルを含むよ
フラクタルとはそういうもの
宇宙意識:
形而超学的領域を操作することができ、宇宙全体を改ざんすることができる。宇宙法則を操作したりすることもできる。
アガルタ:
全ての宇宙を自然数に当て嵌めて1.2.3......と永遠に続く階のビルの時、アガルタは0でも虚数でもないビルの真下に埋まっている。宇宙全体はユークリッド空間の平面の多様体で構成されていて、アガルタはその内部に存在する。宇宙全体を含素平面の全ての数字と考えると、アガルタは虚数や0えすらない全く異なる最下層の構造。アガルタには物理法則などが存在せず、無次元で無空間で無時間である。
>>15
つまり、アガルタは宇宙ではない
宇宙とは完全に別種の、しかしれっきとした空間であることはわかる
問題はユークリッド空間の平面の多様体という説明
平面はすでに多様体である
この記述では、せいぜいアガルタは二次元平面内の世界ということにしかならない
>>61
「宇宙全体はユークリッド空間の平面の多様体で構成されていて、アガルタはその内部に存在する。」というのはアガルタの優位性についての例えです。二次元上の平面に三次元的な平面の中の空洞に存在する。ということです
>>80
なるほど
それなら話は通じる
しかし、それならアルガダと現実世界は単に高次元に浮かぶ独立の低次元構造というだけで、どっちが優位かどうかもないんじゃないか?
おまけにその時点でどう足掻いてもアガルタは絶対たり得ない
ノウアスフィア:
法則の世界から届くそれぞれの概念などが自身の一部を現実に投影された現実からノウアスフィアへ情報が落とされ、ノウアスフィアから形而超学的領域に情報の影を落とされる。それが宇宙を構成する。投影されたアイデアや知性体の思考に存在するあらゆる情報が純粋な形態で存在し、その領域から全てのアイデアや理論が宇宙に投影されている。
>>16
ちょっと日本語が怪しいが、おそらく問題はない
要するにプラトンの思想と同じ
プラトンの思想は抽象概念も含み、正しさや真理、イデア論自体、哲学それ自体のイデアも含むから、文字通り同等と言えるかもしれない
下部の「現実」の規模は異なるが、このような存在の根源における絶対性や超越性は存在の多少に関係ないため問題はない
パラ・ブラフマン:
ノウアスフィアやアガルタと並ぶ絶対者。宇宙の本質たる申請達の更に背後に存在する神聖たちの集合体無意識で減刑。全ての神話で語られるすべての神話的な存在は全て済んだ光の一部であり、真理から人間にもたらされた答え。現実における真のマナスである。
>>17
反論
作者は絶対の意味を理解してないのだろう
「並ぶ」時点で絶対ではない
故にパラ・ブラフマンも、ノウアスフィアも、アガルタも、絶対では無くなってしまった
それを抜きにしても、よくある汎神論的なものに過ぎない
それも原始的なタイプの
>>64
絶対者の文脈は人類からしての絶対者という意味合いだと思うので別におかしくないと思います。無限でもℵ0やℵ1.ℵ2やらいっぱいあるのと同じだと思います
>>79
無限と絶対は全く別だからその理屈は成り立たない
そもそも絶対は階層化も許さないもの
繰り返すけど「並ぶ」時点でそれは絶対者とは言えない
法則の世界:
法則の世界は無限の数式と情報と概念のみの空間であり、無限の数式と情報を現実に落とし込んでいる構造。現実はノウアスフィアに情報の影を落としこんでいる。
>>18
最初の設定と矛盾している
法則は数学よりも上であるのに、なぜ法則の世界は数式で構成されるのか
「数学を超えている」という"それっぽさ"を簡単に出せる表現をひたすら連発しているだけにすぎないのでは
>>78
なるほど
あとノウアスフィアについても理解した
集合的無意識の一種、人間の知性はその内部における活動に過ぎないため知性を用いてその全容を客観視することはできないとすれば、人間の知性領域の設定と矛盾しない
車輪の塔:
車輪の塔は天体と次元そのもので、車輪が何個か重なってる構図だと思われるので車輪より上の評価(有識者教えてぇ&これって論理の環としてカウントできますか?)
>>20
天体と次元そのものとは?
天体と次元は全く異なるもののはず
その文章だけだと文字通り意味のない文章になると思われるが
原子宇宙:
大宇宙の中で一番最初に生み出された宇宙。光の人間の件で出ていたものだと思われる(有識者教えて)
虚空:
あんまりわからない。けど原子宇宙を超えた先にあるっぽい構造だからここ(有識者教えてくれい)
三大元素:
エーテル、マナス、アストラルの三つの架空の粒子で、宇宙ないし大宇宙の神髄にふさわしい新理論の概念である。何故かいつまでたっても新理論において同格の神髄に当たる物質が言及されないため、どのような結論にたどり着こうともこれらの三大元素が明確に宇宙、ひいては大宇宙にとって重要な神髄であると考えられている。奇妙なことに思考の山を超越した中の領域でもこれら三つの要素によって機能しており、時間を掛けたら必ずここに帰還する。現在存在する中で最も洗練されたモデルでは、アストラルは万物の原動力であるがアストラル単体は力しかなく、マナスはアストラルから譲渡された力を変化させることができるがマナス単体は変換機でしかなく、エーテルはマナスによって返還された地下rが利用されるがエーテル単体では力が無い。これはじゃんけんのような関係を考えるとわかりやすいかもしれない
>>24
一気にスケールが落ちた
つまり、思考に囚われた知性と、思考を超越した知性が結局は同じものにたどり着くということ
三大元素は人間の思考によって到達可能なものに過ぎず、思考を超越しても実際には何も「かしこく」なっていないということ
あるいは、「その程度のもの」が実際に世界の真髄であるのか
いずれにせよ、三大元素は絶対的なものではない
ただ世界を駆動する原動力と、歯車、アクチュエイターにすぎない
>>68
三大元素自体が人間の思考方法を超えたTSOS全体を三つに分ける概念なので人間の思考方法は超えているんじゃないですか?
>>74
設定と描写が矛盾している
十分Anti-Featとしてカウントできるものだと思う
まあそもそも主人公を据えた物語で否定神学的なものを描写できるわけがないんだけど
monad:
宇宙同士の移動に必要なはずの形而超学の超理論的な一連の流れを完全にししたその門は、モナドが真に天体を構成しているシステムを超越している事を示していた。ステラたちは本質t系に太陽系における物理学を超越しており、人の形を保っていたり物質に干渉できるのは、彼女たちが自分を人間(物理法則の支配下)と考えてしまっているせいで、実際は物理法則を超えているため、宇宙に送るための中継地点としてモナドは門をこの神の玉座へとつないだ。哲学的に言うならここは善のイデアが存在する真のイデアで、究極のプレローマの玉座が存在する。
>>25
おそらくこのmonadは言葉を借用したもので、その本質は無関係である
真のモナドであるなら、ステラが接触することも、門をつなげることもしなかったはずである
モナドは作用することができないから
また、善のイデアをここに置くことも、イデアそのものに対する理解不足の表れと思われる
善のイデアはこのような中継地に存在するものではない
このような上下階層の中にそれを置くということは、パルメニデスの議論とは別の、善以上のイデアを考えることになるから
ロジカルスケールと反ロジカルスケールについて
アイデアは無限の抽象化によりシンプルかつ洗練されていく。ただ、逆にふくざつになっていく構造も存在する。例えばカバラのセフィロトは人間のモデルでは二十二個の小径と十個の球体によって構成される。でもより高いセフィロトでは無限の球体とそれを超える量の小径で構成される。これを反ロジカルスケールと呼ぶ。ロジカルスケールと反ロジカルスケールを合わせたものを拡張ロジカルスケールとする。拡張ロジカルスケールは形而超学で表せるので人間の論理の中に圧縮されます。無限に圧縮できる拡張ロジカルスケールの層の一つです。(アガルタは描写的にロジカルスケールを完全に超越している)ちなみに反ロジカルスケールでは上から下に劣化していくという考え方がとられていて人間論理内にある拡張ロジカルスケールも人間論理より高位の階層と比較して圧倒的に劣化している。
>>26
大層な名前がつけられているが実際のところ帰納と演繹を示すだけでは?
また、拡張ロジカルスケールがそれ自身を内包するからといってそれが大きくなるわけではない
フラクタルは全体が大きくなるのではなく部分が小さくなるのみで、鏡に鏡を映してもそれは鏡自体をどうこうするわけではない
もう一ついうと、スケールがアガルタよりも下というのも致命的
旧作では本編開始前のアートマンがアガルタにたどり着いているが、その頃のアートマンは人間の知性の範疇
アガルタは通常の人間の知性によって十分認識され、把握されるものに過ぎない
そもそも人間の知性がやたら狭いことも問題
少し頭のいい人間がその壁を突破できるのなら、人間の精神というのはその字面よりも狭義の概念なのだろう
>>70
帰納法と演繹法のようなわかりやすい構造が、より複雑な構造になったみたいな解釈だと思っています。フラクタルに関しては四章目で「渦は内側ではなく外側に向かって広がっている。」という描写があるのでそう解釈しました。
>>73
これはフラクタルの意味によって変わってくる
「ある構造がそれ自体を含む」という意味ならそれはフラクタルというよりは自己再帰と呼ばれるべきで、閉じたループになる
「ある構造が”それとは異なる”より大きな構造に含まれ、それが無限に続く」のであればそれは確かにフラクタルで、開いたループになる
作中描写的に、「自分自身を含む」という意味っぽいから前者になると思うんだけど、それだとあくまで閉じたループ
閉じたループだから、ループ進行でそれ自体が大きくなるわけじゃない
人間に理解可能な全てを考えた時、それ自体を一つの概念とみなしてより上位も概念を考えることができる
それは結局人間の概念であるため、上位概念も含めた人間に理解可能な全てを考えることができ…というループでしょ?
これは閉じたループで、最初のスタート地点である人間の知性領域から動けていない
そして人間の知性領域自体は「考えうる全て」のままで、それが拡張されているわけじゃない
あともう一つ
ロジカルスケールそのものが無意味かもしれないということ
カバラの例えははっきり言ってマジで無意味で、KeterとMalkuthというスタート/ゴールはそのままにチェックポイントを増やしているだけ
それはより上位のセフィロトでもないし、劣化したセフィロトでもない
何がしたいのか分からない無意味な操作でしかない
同じように、洗練された概念や複雑化された概念はどう元の概念と関係するのかを詳しく考える必要がある
もしこれがより一般化された概念という意味から良かったんだけど、セフィロトの例えを見る限り文字通りの複雑化と単純化が為されているだけに見える
10(Da’atを入れるなら11)のセフィラと、無限個のセフィラ、どっちが上位かと言われてもそれは比べるものでもないし、そもそもセフィロトはセフィラの数で優劣が決まるものでもない
作者が有限セフィラは下なんだというならはぁそうですかとしか言えないけど、そういう節々から理解せずに適当なこと言ってるだけじゃねーの感が溢れてくる
魔法:
魔法を使う上で大事な思考方法は世界を物理的にみず単なる情報としてみる。情報/概念は主に三つの要素で構成される。一つ目は原型、その情報の起源となる事象或いは概念自体であり、例えばヒンドゥー教におけるトリニティ、三位一体の概念は真の無限であるブラフマンは原型となっている。二つ目は意味で、作中では瓶の中に何も入っていなければ便として存在できない。三つめは概念、アニカ氏らの起源によって集合した意味全体を統括するのがそれであり、概念化しなければただ意味もなく高エントロピーの領域を取り出すことになるのだ。
魔法とは極端に言うと数式の一種で、世界を構成する情報を操作することで世界を書き換える方法である。
魔法は3次元の支店では不完全で、より広辞苑の視点から見ないと認識する事は出来ない。魔法を3次元でうまく使うには、より高次元えも認識できなければならない。
忘れてた。真の次元性:
知性体の数学や哲学、物理学の次元はこのシンの次元性から投影された側面に過ぎない。無限の宇宙を含んでいる
魔法は3次元の視点では不完全で、より高次元の視点から見ないと認識する事は出来ない。魔法を3次元でうまく使うには、より高次元も認識できなればならない。
学問には無限のフラクタル構造が存在し、絶対無限を除き最も大きい基数が存在する。二元論が体現されている
構造はこんな感じ。ステラとかはここで書くより物語を読んだ方が楽かもしれない。
ステラの片方の目は物理的領域を映していて普通の目。もう片方は形而上学的な目であり、何をどう認識するか自由に変えることができる。作中だと自分が存在する任意を超限数階の部屋を視認していた。アンジェリカによると問題なく実数領域全体を視認していて、学問を学習するにつれて虚数空間も視認することができるようになるらしい
そこには無限の宇宙が無限次元的に泡のような形態を取って存在していた。それは位相がずれていることが原因だったので、宇宙は本当にその構造を持っている。
魔法は3次元の視点では不完全で、より高次元の視点から見ないと認識することはできない。魔法を3次元でうまく使うには、より高次元でも認識できなければならない。
例えば2次元と比べて3次元は無限に大きく存在する可能性がある。
電脳空間は2次元であり、魔術が4次元から3次元を改変するようにコンピューターは3次元から2次元を改変しているのかもしれない。
https://tohyotalk.com/question/780368トピ主はこのトピの71コメさんかな?ちなこのトピは俺が作った。tsosは困った時は論外って言えばいいのでスケーリングする必要無い説

