The scroll of sophiaの個人的scaling
パラ・ブラフマン:
ノウアスフィアやアガルタと並ぶ絶対者。宇宙の本質たる申請達の更に背後に存在する神聖たちの集合体無意識で減刑。全ての神話で語られるすべての神話的な存在は全て済んだ光の一部であり、真理から人間にもたらされた答え。現実における真のマナスである。
>>17
反論
作者は絶対の意味を理解してないのだろう
「並ぶ」時点で絶対ではない
故にパラ・ブラフマンも、ノウアスフィアも、アガルタも、絶対では無くなってしまった
それを抜きにしても、よくある汎神論的なものに過ぎない
それも原始的なタイプの
>>64
絶対者の文脈は人類からしての絶対者という意味合いだと思うので別におかしくないと思います。無限でもℵ0やℵ1.ℵ2やらいっぱいあるのと同じだと思います
>>79
無限と絶対は全く別だからその理屈は成り立たない
そもそも絶対は階層化も許さないもの
繰り返すけど「並ぶ」時点でそれは絶対者とは言えない
法則の世界:
法則の世界は無限の数式と情報と概念のみの空間であり、無限の数式と情報を現実に落とし込んでいる構造。現実はノウアスフィアに情報の影を落としこんでいる。
>>18
最初の設定と矛盾している
法則は数学よりも上であるのに、なぜ法則の世界は数式で構成されるのか
「数学を超えている」という"それっぽさ"を簡単に出せる表現をひたすら連発しているだけにすぎないのでは
>>78
なるほど
あとノウアスフィアについても理解した
集合的無意識の一種、人間の知性はその内部における活動に過ぎないため知性を用いてその全容を客観視することはできないとすれば、人間の知性領域の設定と矛盾しない
車輪の塔:
車輪の塔は天体と次元そのもので、車輪が何個か重なってる構図だと思われるので車輪より上の評価(有識者教えてぇ&これって論理の環としてカウントできますか?)
>>20
天体と次元そのものとは?
天体と次元は全く異なるもののはず
その文章だけだと文字通り意味のない文章になると思われるが
原子宇宙:
大宇宙の中で一番最初に生み出された宇宙。光の人間の件で出ていたものだと思われる(有識者教えて)
虚空:
あんまりわからない。けど原子宇宙を超えた先にあるっぽい構造だからここ(有識者教えてくれい)
三大元素:
エーテル、マナス、アストラルの三つの架空の粒子で、宇宙ないし大宇宙の神髄にふさわしい新理論の概念である。何故かいつまでたっても新理論において同格の神髄に当たる物質が言及されないため、どのような結論にたどり着こうともこれらの三大元素が明確に宇宙、ひいては大宇宙にとって重要な神髄であると考えられている。奇妙なことに思考の山を超越した中の領域でもこれら三つの要素によって機能しており、時間を掛けたら必ずここに帰還する。現在存在する中で最も洗練されたモデルでは、アストラルは万物の原動力であるがアストラル単体は力しかなく、マナスはアストラルから譲渡された力を変化させることができるがマナス単体は変換機でしかなく、エーテルはマナスによって返還された地下rが利用されるがエーテル単体では力が無い。これはじゃんけんのような関係を考えるとわかりやすいかもしれない
>>24
一気にスケールが落ちた
つまり、思考に囚われた知性と、思考を超越した知性が結局は同じものにたどり着くということ
三大元素は人間の思考によって到達可能なものに過ぎず、思考を超越しても実際には何も「かしこく」なっていないということ
あるいは、「その程度のもの」が実際に世界の真髄であるのか
いずれにせよ、三大元素は絶対的なものではない
ただ世界を駆動する原動力と、歯車、アクチュエイターにすぎない
>>68
三大元素自体が人間の思考方法を超えたTSOS全体を三つに分ける概念なので人間の思考方法は超えているんじゃないですか?
>>74
設定と描写が矛盾している
十分Anti-Featとしてカウントできるものだと思う
まあそもそも主人公を据えた物語で否定神学的なものを描写できるわけがないんだけど
monad:
宇宙同士の移動に必要なはずの形而超学の超理論的な一連の流れを完全にししたその門は、モナドが真に天体を構成しているシステムを超越している事を示していた。ステラたちは本質t系に太陽系における物理学を超越しており、人の形を保っていたり物質に干渉できるのは、彼女たちが自分を人間(物理法則の支配下)と考えてしまっているせいで、実際は物理法則を超えているため、宇宙に送るための中継地点としてモナドは門をこの神の玉座へとつないだ。哲学的に言うならここは善のイデアが存在する真のイデアで、究極のプレローマの玉座が存在する。
>>25
おそらくこのmonadは言葉を借用したもので、その本質は無関係である
真のモナドであるなら、ステラが接触することも、門をつなげることもしなかったはずである
モナドは作用することができないから
また、善のイデアをここに置くことも、イデアそのものに対する理解不足の表れと思われる
善のイデアはこのような中継地に存在するものではない
このような上下階層の中にそれを置くということは、パルメニデスの議論とは別の、善以上のイデアを考えることになるから
ロジカルスケールと反ロジカルスケールについて
アイデアは無限の抽象化によりシンプルかつ洗練されていく。ただ、逆にふくざつになっていく構造も存在する。例えばカバラのセフィロトは人間のモデルでは二十二個の小径と十個の球体によって構成される。でもより高いセフィロトでは無限の球体とそれを超える量の小径で構成される。これを反ロジカルスケールと呼ぶ。ロジカルスケールと反ロジカルスケールを合わせたものを拡張ロジカルスケールとする。拡張ロジカルスケールは形而超学で表せるので人間の論理の中に圧縮されます。無限に圧縮できる拡張ロジカルスケールの層の一つです。(アガルタは描写的にロジカルスケールを完全に超越している)ちなみに反ロジカルスケールでは上から下に劣化していくという考え方がとられていて人間論理内にある拡張ロジカルスケールも人間論理より高位の階層と比較して圧倒的に劣化している。
>>26
大層な名前がつけられているが実際のところ帰納と演繹を示すだけでは?
また、拡張ロジカルスケールがそれ自身を内包するからといってそれが大きくなるわけではない
フラクタルは全体が大きくなるのではなく部分が小さくなるのみで、鏡に鏡を映してもそれは鏡自体をどうこうするわけではない
もう一ついうと、スケールがアガルタよりも下というのも致命的
旧作では本編開始前のアートマンがアガルタにたどり着いているが、その頃のアートマンは人間の知性の範疇
アガルタは通常の人間の知性によって十分認識され、把握されるものに過ぎない
そもそも人間の知性がやたら狭いことも問題
少し頭のいい人間がその壁を突破できるのなら、人間の精神というのはその字面よりも狭義の概念なのだろう
>>70
帰納法と演繹法のようなわかりやすい構造が、より複雑な構造になったみたいな解釈だと思っています。フラクタルに関しては四章目で「渦は内側ではなく外側に向かって広がっている。」という描写があるのでそう解釈しました。
>>73
これはフラクタルの意味によって変わってくる
「ある構造がそれ自体を含む」という意味ならそれはフラクタルというよりは自己再帰と呼ばれるべきで、閉じたループになる
「ある構造が”それとは異なる”より大きな構造に含まれ、それが無限に続く」のであればそれは確かにフラクタルで、開いたループになる
作中描写的に、「自分自身を含む」という意味っぽいから前者になると思うんだけど、それだとあくまで閉じたループ
閉じたループだから、ループ進行でそれ自体が大きくなるわけじゃない
人間に理解可能な全てを考えた時、それ自体を一つの概念とみなしてより上位も概念を考えることができる
それは結局人間の概念であるため、上位概念も含めた人間に理解可能な全てを考えることができ…というループでしょ?
これは閉じたループで、最初のスタート地点である人間の知性領域から動けていない
そして人間の知性領域自体は「考えうる全て」のままで、それが拡張されているわけじゃない
あともう一つ
ロジカルスケールそのものが無意味かもしれないということ
カバラの例えははっきり言ってマジで無意味で、KeterとMalkuthというスタート/ゴールはそのままにチェックポイントを増やしているだけ
それはより上位のセフィロトでもないし、劣化したセフィロトでもない
何がしたいのか分からない無意味な操作でしかない
同じように、洗練された概念や複雑化された概念はどう元の概念と関係するのかを詳しく考える必要がある
もしこれがより一般化された概念という意味から良かったんだけど、セフィロトの例えを見る限り文字通りの複雑化と単純化が為されているだけに見える
10(Da’atを入れるなら11)のセフィラと、無限個のセフィラ、どっちが上位かと言われてもそれは比べるものでもないし、そもそもセフィロトはセフィラの数で優劣が決まるものでもない
作者が有限セフィラは下なんだというならはぁそうですかとしか言えないけど、そういう節々から理解せずに適当なこと言ってるだけじゃねーの感が溢れてくる
魔法:
魔法を使う上で大事な思考方法は世界を物理的にみず単なる情報としてみる。情報/概念は主に三つの要素で構成される。一つ目は原型、その情報の起源となる事象或いは概念自体であり、例えばヒンドゥー教におけるトリニティ、三位一体の概念は真の無限であるブラフマンは原型となっている。二つ目は意味で、作中では瓶の中に何も入っていなければ便として存在できない。三つめは概念、アニカ氏らの起源によって集合した意味全体を統括するのがそれであり、概念化しなければただ意味もなく高エントロピーの領域を取り出すことになるのだ。
魔法とは極端に言うと数式の一種で、世界を構成する情報を操作することで世界を書き換える方法である。
魔法は3次元の支店では不完全で、より広辞苑の視点から見ないと認識する事は出来ない。魔法を3次元でうまく使うには、より高次元えも認識できなければならない。
忘れてた。真の次元性:
知性体の数学や哲学、物理学の次元はこのシンの次元性から投影された側面に過ぎない。無限の宇宙を含んでいる
魔法は3次元の視点では不完全で、より高次元の視点から見ないと認識する事は出来ない。魔法を3次元でうまく使うには、より高次元も認識できなればならない。
学問には無限のフラクタル構造が存在し、絶対無限を除き最も大きい基数が存在する。二元論が体現されている
構造はこんな感じ。ステラとかはここで書くより物語を読んだ方が楽かもしれない。
ステラの片方の目は物理的領域を映していて普通の目。もう片方は形而上学的な目であり、何をどう認識するか自由に変えることができる。作中だと自分が存在する任意を超限数階の部屋を視認していた。アンジェリカによると問題なく実数領域全体を視認していて、学問を学習するにつれて虚数空間も視認することができるようになるらしい
そこには無限の宇宙が無限次元的に泡のような形態を取って存在していた。それは位相がずれていることが原因だったので、宇宙は本当にその構造を持っている。
魔法は3次元の視点では不完全で、より高次元の視点から見ないと認識することはできない。魔法を3次元でうまく使うには、より高次元でも認識できなければならない。
例えば2次元と比べて3次元は無限に大きく存在する可能性がある。
電脳空間は2次元であり、魔術が4次元から3次元を改変するようにコンピューターは3次元から2次元を改変しているのかもしれない。
https://tohyotalk.com/question/780368トピ主はこのトピの71コメさんかな?ちなこのトピは俺が作った。tsosは困った時は論外って言えばいいのでスケーリングする必要無い説

