【小説】晴れた空は二人に沁みて
昼下がり、緩やかなカーブを曲がったバスは、唸り声を上げて停車した。
よく晴れた青空の下、数人の乗客に続いて、一人の少女がバス停に降り立つ。団地群の側に位置するバス停付近は車通りも人も少なく、辺りには静寂が広がっていた。
一昨日の入学式、八木沢 弥佳(やぎさわ やよい)は高校生になった。今日はそんな慣れない制服に身を包んだ学校生活の片鱗を体験し、そのまま正午過ぎには終礼が終わった。
八木沢が進学したのは、県内でも有数の進学校。同じ中学校出身の生徒は少なかった。元来から友人を作らない八木沢だが、新天地で知り合いがいないとなると不安に思わざるを得ない。
ターミナル横の道路を渡って歩道へ向かうと、ガードレールを挟んだすぐ横を自転車が通り過ぎる。チェック柄のスカートに、少し青みがかったカッターシャツ。他校の生徒だ。
茶髪のポニーテールを揺らす自転車の少女は、ブレーキを踏むと不意にこちらを振り返った。
「えぇっ! 八木沢ちゃん、だよね? 久しぶり!」
少女は自転車を降りると、前方の右折路から歩道に合流する。
長谷川 くるみ。八木沢と同じ中学校出身の、絵に描いたような明るい女子。同時に、同学年のほとんどの生徒と仲良くなってしまうような、コミュニケーション能力に長けた人物でもあった。
八木沢は軽く目を細めると、静かに口を開く。
「……久しぶりね。どうして右側を走っていたの? 青空の下で青切符だなんて、ただのシャレでは済まないわよ」
「はは、見逃して!」
くしゃっとした顔で笑い、手を合わせる長谷川。
カラカラと回る車輪の音と二人の足音が、どこか心地の良い調和を生み出す。中学の頃に交流はあったものの、こうして並んで歩いたことは無かった。
「というかその制服、桜花川行ったんだ!」
「ええ、そうよ。長谷川はどこの高校なの?」
「私は、千早ヶ丘だよ! 結構知り合い多かったし、楽しそう!」
長谷川の元気な声が、団地の間に入って響く。良かったわね、と返す八木沢の声は、少しトーンが低いようにも聞こえた。
少し引っかかる長谷川をよそに、再び何の会話もない時間が過ぎていく。長谷川は落ち着かない様子で前髪をいじり、そよ風に気を紛らわす。
"八木沢との会話は難しい”――何人もの人が言った。無口で、不器用で、言葉も優しくなくて。
長谷川との関係は、"他と比べて"良かっただけ。わざわざ止まってまで声をかけてしまった自分に気づいたその時から、こうなることを長谷川は予見していた。
「……そうだ、えと、桜花川に凛――あ、塾の友達ね――も入ったんだって! 見かけた?」
めげずに話題を振る長谷川に、八木沢は前を見たまま答える。
「……まだ、クラスの人の名前をすべて覚えられたわけではないわ。それに、9つもクラスがあるし」
「そっか……あ、そういえば清田先生、今年度も中学にいるらしいよ! 良い先生だし、羨ましいなー」
「そうね」
素っ気なく返す八木沢。訪れた沈黙は、二人の足音と不器用に絡み合った。そこに馴染めないように、自転車のチェーンのカラカラという音が頼りなく漂っている。
不安になってきた長谷川は、ふと隣の八木沢を見やる。
その時、風になびいたショートヘアが、八木沢の横顔をあらわにした。彼女の目は、何の感情を示すでもなく帰路を見つめている。しかしそれが、かえって長谷川に印象を与える。早く去ってほしい、話したくないという内心が、実の声のように聞こえてくる。
「えと……」
何か気に障ることを言っただろうか? それとも機嫌が悪いのか……いや、さっきまでそんな素振りはなかった。
「あの……」
あるいは、元から好まれていなかったのかもしれない。長谷川は口を閉じ、来るはずのない八木沢の言葉を待った。
それ以上長谷川の言葉が続かないと悟った八木沢は、隣を歩く彼女を見つめる。
「……どうして?」
顔を上げた長谷川の視線が八木沢と交わる。過去と現在を同時に見通しているような目に、長谷川は一瞬気圧される。
「え、どうしてって……何のこと?」
八木沢はそれに答えず、口を開く。
「確かにあなたは、中学の頃から明るい性格だったわ」
ゆっくりと話すのは、言葉を選んでいるからではなく、丁寧に伝えたいからだろう。
「でも、今は違うわね。仮面でも被っているみたいよ」
八木沢を見つめる長谷川の目が微かに震えた――図星だ。長谷川は目をそらすが、八木沢は依然として長谷川を見つめ続ける。
「むしろ騒がしいくらい。……長谷川、どうしてそんな無理をしているの?」
あぁ、やっぱり。傍から見れば、それも知り合い――いや八木沢なら、バレバレか。
長谷川は観念したように視線を前へ移す。
自分自身でも、友達は多い方だと思っていた。学校でもほとんどの人と話すし、塾でもたくさんの人と仲良くなれた。
でも進学先が同じな人は、ほとんどいなくて。
いくら仲良くなれるといっても、異性ではスタートラインがいろいろと違ってくるし、知り合いと同じクラスになれるとは限らないし。
友人ゼロから関係を構築することに慣れていなかった私は、つい自分を偽った。
「……私、友達とクラス離れちゃってさ」
「……そう」
返ってくるのは、なんら変わらない簡素な相槌。それでも、どこか温かみを感じるのは気の所為ではない。
「私もよ。まぁ、元々あなたほど友人がいたわけじゃないけど、一人なのは変わらないわ」
「――え? 八木沢ちゃんって、そういうの気にするんだ……! なんというか、孤高の存在って感じだったから」
驚いた様子の長谷川に、八木沢は謙遜するように目を細め、少し和らいだ顔になる。
「私もちょっとくらい気にするわよ。一人で生きていける人間なんていないもの」
「あー、たしかに……でも、ちょっとで済むのは羨ましいなぁ」
「あなたの心配も、ちょっとで済むはずよ。私と初めて会った日を忘れたの?」
「初めて――なんかあったっけ……?」
八木沢はやれやれとでも言いたげにため息をついた。
「あの入園式の日よ。あなたは友人0人だった……でも、ここまで増やして来れたわ。その感覚でやればいいだけ」
長谷川は大きく頷いて、視線をアスファルトの亀裂に移した。それから前髪を払うふりをして、親指の腹で目尻を拭う。
「そうだね――まぁ、幼稚園と高校生はまた違うと思うけど……今までやってこれたんだもん。なんだかんだ仲良くなれるよね」
自転車を押す少女の顔が、まっすぐ前を向いた。春の日光を受け、凛々しく、どこか穢れを祓ったような表情。
八木沢は横目でそれを確認すると、満足そうに前に向き直る。
「そうだ、八木沢ちゃん。桜花川って再来月くらいに文化祭あるんでしょ? 絶対行くね!」
本来の輝きを取り戻した太陽に対して、八木沢は自信の無さそうな顔を返す。
「そうね……忘れていなかったら、声をかけるわ」
余計な一言を言ったりするし、彼女をと話を続けるのは苦戦する。それでも他人のことはよく見ている、そんな女子。
「あはは、頼んだよ」
そして、唯一の幼馴染である八木沢 弥佳は、曲がり角で長谷川と別れた。
自転車に跨がった長谷川は、ふと後ろを振り返る。前方に見える八木沢は、こちらを振り返らず足を進めていく。
問題ない。適度なドライさも友情には必要だ。
長谷川は足に力を込めると、緩やかに自転車を漕ぎ始めた。

