屋上のブルースカイ

2 2026/05/17 17:52

僕が青葉(あおば)学園に転校してきたのは、高校二年の春だった。新しい制服に袖を通し、期待と不安を胸に教室のドアを開けた時、僕の目に飛び込んできたのは、窓際でスケッチブックに何かを描いている少女の姿だった。

彼女の名前は、桜庭(さくらば) 奏(かなで)。いつもヘッドホンをしていて、クラスでは「氷の歌姫」なんて呼ばれていた。誰とも積極的に話さず、昼休みになるといつも一人で屋上に向かう。そんな彼女のことが、転校初日から気になっていた。

僕の席は、偶然にも彼女の隣だった。

「あの…桜庭さん」

「……何?」

初めて声をかけた時、彼女はヘッドホンを少しずらし、驚くほど冷たい声で僕を見た。僕はたじろぎながらも、「えっと、このクラスの副委員長の健人(けんと)です。よろしく」と精一杯の笑顔を見せた。

奏は一瞬だけ僕の顔を見て、すぐにスケッチブックに視線を戻した。「別に」と呟いて、会話は終わった。

その日から、僕は彼女の「いつも」を観察するようになった。彼女が描いているのは風景画ではなく、いつも空想の「音」の絵だった。渦を巻くような青いメロディ、鋭い赤のロックサウンド。僕には理解できなかったけれど、そこには彼女だけの世界があった。

ある雨の日、屋上が閉鎖されていたため、奏は教室で一人、窓の外を眺めていた。僕は勇気を出して、彼女の前の席に座った。

「いつも屋上に行ってるんだってね」

「…」

「僕も、静かな場所が好きだよ」

奏は僕の方を向かないまま、ぽつりと言った。「ここは、音がうるさいから」。

その言葉に、僕はハッとした。彼女は音楽が好きなんじゃない。むしろ、世の中の「音」を遮断するためにヘッドホンをしていたのだ。

「聞こえすぎちゃうの。人の声も、街の雑踏も、全部ごちゃ混ぜになって頭に入ってきちゃう。だから、静かな場所が必要なの」

僕は初めて、彼女の孤独を知った。

次の晴れた昼休み、僕は奏を連れて、学園の裏庭にある古い温室へ向かった。そこは生徒たちもあまり使わない場所で、シンとした静寂に包まれていた。

「ここなら、静かだろ?」

奏はヘッドホンを外し、目を丸くして辺りを見回した。太陽の光がガラス越しに優しく差し込み、古い植物たちが静かに呼吸している。

「…本当に、静か」

彼女はスケッチブックを取り出し、一心不乱に絵を描き始めた。その日の絵は、今まで見たこともないほど穏やかな、淡い緑色の優しい絵だった。

「ありがとう、健人」

初めて、彼女が僕の名前を呼んだ。その声は、驚くほど透き通っていて、僕の心臓をぎゅっと掴んだ。

僕と奏は、それ以来、温室で過ごすようになった。僕は彼女の世界を知り、彼女は僕に少しずつ心を開いていった。

三年生になり、僕らは同じ大学に進むことを決めた。奏は、自分の感性を活かして美術の道へ。僕は、彼女の世界を守るために、環境音響学を学ぶことにした。

卒業式の日。屋上には、いつものように青空が広がっていた。

「僕、奏の世界を守れるような音響デザイナーになるよ」

僕がそう言うと、奏は少しだけ頬を赤らめて笑った。

「私は、健人の『音』を描き続ける」

冷たい「氷の歌姫」はもういなかった。そこには、僕だけに見せてくれる、優しい笑顔の桜庭奏がいた。

僕らの青春は、静寂の中、確かに色づき始めていた。

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その他2026/05/17 17:52:39 [通報] [非表示] フォローする
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>>1
ありがとう!


4: モブ王 @plotzuki15 2026/05/23 11:23:43通報 非表示

>>2
エモいな


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