こちらブルネイ泊地の反応集〜カマキリ先輩の受難〜
熱帯の風が吹き抜けるブルネイ泊地。
今日も今日とて照りつける日差しの中、冷房の効いた大講堂では、香取型練習巡洋艦の鹿島による「泊地防衛及び近代艦隊運用における基礎戦術」の特別講習が予定されていた。
「あー……やっべ」
一番後ろの席で、けだるげに頬杖をついていた北上は、小さく呟いた。
机の上には真新しい講習用ノートが広げられているが、肝心の筆記用具がない。指定の鞄の中をいくらガサゴソと探っても、いつも使っている見慣れた筆箱の感触がなかった。
「筆箱、部屋に置いてきちゃったよー……。まいったね、これじゃメモ取れないじゃん」
「北上さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
北上の独り言からコンマ数秒。
突如として講堂のドアを蹴破るような勢いで飛び込んできたのは、重雷装巡洋艦・大井だった。
「大井っち? どうしたのさ、そんなに慌てて」
「北上さんがお困りと聞いて! 飛んできました!!」
「いや、声に出したの今さっきなんだけど……ていうか大井っち講習行かないって言ってたよね?」
周囲の艦娘たちが何事かと振り返るが、大井の視界には北上しか映っていない。彼女は北上の隣の席にスライディングするような勢いで座り込むと、ドサッ!と巨大なズタ袋を机の上に置いた。
ジャラジャラジャラッ!と、金属やプラスチックがぶつかり合う鈍い音が響く。
「な、なにこれ……?」
「シャーペンです!! 北上さんが筆箱をお忘れになったという緊急事態を察知し、急遽調達してまいりました!」
袋の口が開かれると、そこには数百本はあろうかという様々な種類のシャープペンシルが山のように詰まっていた。
「ええ……。どこからこんな大量に持ってきたのさ……」
「ご安心ください! 全てT京Hey!Say!大学のテニサー(という名の単なる飲みサー)に所属している、カマキリ先輩から強奪してきたものですから! 経費はゼロです!」
「あー……カマキリ先輩」
北上は記憶の糸をたぐり寄せた。
「その人って、この前たまたま、T京Hey!Say!大学の近くにいた加賀さんをナンパして彗星の爆撃くらって病院送りになってなかったっけ……?」
「ええ、その通りです。ですが今回は違います。道端のムカデに喧嘩を売って返り討ちに遭い、現在再び集中治療室に入っているようです。その隙に病室から全部頂いてきました!」
「ムカデに負けるテニサーの先輩のカマキリって何者なのさ……」
「さぁ? そんなことより北上さん! 北上さんのためなら、この中の何本でも、いや全部差し上げます! さぁ、お好きなものを!」
鼻息を荒くして迫る大井に、北上は苦笑いしながら手をヒラヒラと振った。
「いや、大井っち……あたし、別に腕がいっぱいあるわけじゃないし、一本借りるだけでいいんだけどねー」
「い、一本だけですか!? ああ、なんて奥ゆかしい……! でも、せっかくですから北上さんにふさわしい至高の一本を選びたいですよね!」
「じゃあ、大井っちのおすすめのヤツだけ、ちょっと教えてくれる?」
北上がそう言うと、大井の顔がパァァァッと輝いた。北上に頼られた。その事実だけで大井の脳内物質は限界突破していた。
「お任せください!! まずはこれです!」
大井がうやうやしく袋から取り出したのは、黒く細身のシャープペンシルだった。
「『ぺんてる グラフ1000 For Pro』です!」
「へー、なんかシンプルだね」
「そこがいいんです! このシャーペンは、特にすごいギミックがあるとかそういう訳じゃないんです。ですが、基本機能が異常なまでに凄まじい! 完璧に計算され尽くした重心バランス、完全プロ向けの製図性能を備えているんです!」
「製図用かー。それって普通の筆記に使っても大丈夫なやつなの?」
「もちろんです! むしろペン先の視界が極めて広いため、日常の書き込みでも信じられないほど書きやすいんですよ! そして見てください、このマットブラックのボディ……! 落ち着いた高級感を感じませんか!? まるで、北上さんが放つ美しくも冷酷な九三式酸素魚雷みたいですっ! ああっ、この黒光りするボディを見ているだけで北上さんの……!」
「わかったわかった。じゃあ、これでいいよ」
北上が受け取ろうと手を伸ばすが、大井はサッとそれを引っ込めた。
「お待ちください! まだ1本目です! 北上さんにふさわしいペンはまだまだありますから!」
「えぇ……これでいいってば……」
北上の静止も聞かず、大井は袋の奥へと手を突っ込んだ。
「これは珍しいわよ……!」
大井が勿体ぶった手つきで2本目を取り出した。
それは、細身の金属ボディに精緻な模様が刻印された、アンティークのような風格を持つシャープペンシルだった。
「『ニューマン スーパー2』です!」
「にゅーまん?」
「ええ! 今はもう存在しない伝説の筆記具メーカー『ニューマン』が作った、まさに最高傑作と呼ぶにふさわしい一品よ! 今から60年ぐらい前に発売されたものなのに、その精密な作りは現在の最新商品をも凌駕しているの!」
大井は講習前であることも忘れ、熱弁を振るう。前方の鹿島がチラチラとこちらを見ているが、大井の眼力に気圧されて注意できないでいた。
「このペンの何がすごいって、芯の太さが0.2ミリなの! 0.2ミリよ!? 細すぎない!?」
「うわー、本当だ。すぐ折れちゃいそう」
「そこがニューマンの技術力! この極細の芯をパイプスライドという、ペン先が芯の減りに合わせて動く特殊なシステムで完璧に守っているのよ! しかも見て、この軸に刻まれた美しい格子模様! コスト削減ばかり考えている今の腑抜けたメーカーじゃ、到底作れない芸術品よ! ああっ、でも……」
大井はうっとりとした目で北上を見つめた。
「どれだけ美しくても、北上さんの美しさには敵わないわ……❤️」
「あー、うん。ありがとね」
「ただ、これを使いこなすのは少し難しいかもしれないわ。筆圧のコントロールとか、ペンの角度とか……」
「じゃあいいよ、さっきの黒いやつで……」
「大丈夫!! 北上さんなら絶対できる!! むしろ北上さんに使われるためにこのペンは60年の時を超えてきたのよ!!」
「話聞いてないなーこの子……」
北上がため息をついたその時だった。
「わぁー!! カッコいいシャーペンでち! ゴーヤも触ってみたいでち!!」
唐突に、二人の間に小柄な影が割り込んできた。
スク水にセーラー服、そして見慣れた潜水艦の艤装。伊号第五十八潜水艦……通称ゴーヤ、のような姿をした「何か」だった。
「何です!? 北上さんとの神聖な時間を邪魔しないで……」
大井が般若のような顔でキレかかった瞬間、北上がスッと大井の肩を掴んだ。
「大井っち……ちょっと待って。こいつ、伊58じゃないよ」
「え……?」
北上の言葉に、大井も改めてその乱入者を観察する。
たしかにゴーヤの姿はしているが、よく見ると目が焦点の合っていない虚無の瞳をしており、言葉の端々に得体の知れない不気味なノイズが混じっていた。
何かに気づいた大井の目が、スッと冷酷なものに変わる。
「……なるほど。どこから入り込んだか知らないけど、北上さんに馴れ馴れしく近づく害虫は……駆除するのみよ」
大井の四肢に、重雷装巡洋艦の誇る多数の魚雷発射管が展開された。
教室内にアラームが鳴り響く。
「俺の五連装酸素魚雷が火を吹くぜ!!」
「えっ、大井っち、ここで撃つn――」
ドッッッッゴォォォォォォォォォォォン!!!
大井の放った至近距離からの酸素魚雷が、伊58の姿をした謎の生物に直撃した。
大講堂の窓ガラスが粉々に吹き飛び、爆風で黒板がひしゃげる。
「ガリ偽は神! ガリ偽は神でちぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!」
伊58ではない何かは、意味不明な断末魔の叫びを残し、爆炎と共に講堂の窓から遥か彼方の空へと星になって吹き飛んでいった。
「……ふぅ。邪魔者は去ったわね」
煙が立ち込める教室の中で、大井は何事もなかったかのようにパチンと手を払った。周囲の艦娘たちは悲鳴を上げて避難を始めている。
「大井っち……講堂半壊してるよ……」
「さぁ北上さん、次は3本目よ!」
北上のツッコミを華麗にスルーし、大井はとっておきとばかりに次のペンを取り出した。
「『ぺんてる ケリー』よ!」
それは、シャープペンシルでありながら、万年筆のようなキャップが付いた独特のフォルムをしていた。
「このシャーペンはすごいのよ! どことなく魚雷に似ている流線型のデザイン……そして、万年筆みたいにキャップを外して後ろにつける風流なシステム! 私たち艦娘のためのシャーペンと言っても過言ではないわ! しかも……」
大井はキャップを外し、カチリと後部にはめ込んだ。
「この、本体とキャップがカチッと一つに繋がる感じ……まるで私と北上さんの関係を体現しているかのよう……グヘ、グヘヘへへへ……❤️」
「怖いよ大井っち……顔、顔ヤバいから」
よだれを垂らさんばかりの笑顔で迫る大井に、北上がジリジリと後ずさりしたその時。
「あ、北上さん! なになに、わーすごい量のシャーペンでs――グベェ!?」
今度は軽巡洋艦の阿武隈が、呑気に声をかけながら近づいてきた。
しかし、阿武隈の言葉が最後まで紡がれることはなかった。
大井の右ストレートが、阿武隈の鳩尾に完璧な角度で突き刺さっていたからだ。
「…………」
白目を剥いてその場に崩れ落ちる阿武隈。
「…………ちょっと大井っち?」
北上の目が、絶対零度のジト目へと変わる。
「あ、いや、ごめんなさい北上さん! あの、つい、北上さんとの空間に不純物が混ざったので、手が滑っちゃって……!」
大井は滝のような冷や汗を流しながら、慌てて弁解した。
(まずい! このパターン、前に阿武隈を蹴り飛ばした時と同じ……! あの時は北上さんに2日ぐらい口聞いてもらえなかった……今回は耐えなきゃ!)
大井の頭脳が、絶体絶命の危機を回避するための言い訳をフルスピードで演算し始めていた。
書ききれなかったので続きはコメ欄
「さ、さぁ4本目! 4本目よ北上さん!」
北上のジト目を逸らすかのように、大井は裏返った声で次のペンを袋から引っ張り出した。
「またぺんてるになっちゃうけど、『P205』よ!」
大井の手には、シンプルな形状ながらも鮮やかな水色をしたシャープペンシルが握られていた。
「あ、色かわいいね」
北上がポツリとこぼした。
(……よかった!! なんとかご機嫌を損ねずに済んだみたい! 今回は耐えたわ!)
大井は心の中でガッツポーズを決めながら、饒舌に解説を再開する。
「さすが北上さん、お目が高い! このシャーペンは世界で一番有名なのよ! 世界中で数億本も売れている超絶ベストセラーなの! 北上さんもきっとこのぐらい世界中に名を知られる有名に……いや、ダメね。北上さんは私だけの北上さんであってほしいわ❤️ 他の有象無象に北上さんの魅力が知れ渡るなんて我慢できない……!」
「あー、はいはい。で、これ貸してくれるの?」
「ええ! もちろんよ! 色々カラバリがあるモデルなんだけど、今回は水色を選んでみたわ。なぜなら……北上さんが一昨日穿いていたパンツも、水色だったからよ❤️」
「…………」
再び、北上の目が絶対零度のジト目へと変わった。
「なんであたしのパンツの色知ってるのさ……大井っち、まさかまたあたしの部屋の洗濯カゴ漁った?」
「い、いやだなぁ北上さん! たまたま! たまたま風のイタズラで見えちゃっただけで!」
大井がしどろもどろになっていると、北上はふと根本的な疑問に気づいた。
「そういえばさ」
「は、はい! なんでしょう!」
「なんで大井っち、そんなにシャーペン詳しいの? 昔からそんな趣味あったっけ?」
「え、それは……」
大井の言葉が詰まる。その時だった。
「大井ー! お前の部屋、すっごい散らかってて汚かったから、球磨ちゃんが掃除してやったクマ! 感謝しろクマー!」
半壊した講堂の入り口から、バケツと雑巾を持った球磨が元気よく入ってきた。
「ちょっと球磨姉様! 今いいところなんだから空気読みなさいよ!」
大井が怒鳴りつけるが、球磨は全く気にする様子もなく、北上に向かってトコトコと歩いてきた。
「あ、そうそう。大井の部屋のベッドの下に、北上の筆箱が落ちてたクマ。はい、これ」
球磨が差し出したのは、まさしく北上がずっと探していた、使い慣れた筆箱だった。
「…………え?」
その瞬間、大井の顔面から全ての血の気が引き、真っ白になった。
講堂内に、冷たい静寂が降り下りる。
風の音だけが虚しく響き渡っていた。
北上は球磨から自分の筆箱を受け取ると、ゆっくりと大井の方へ向き直った。
「…………ちょっと、大井っち?」
「ひっ」
「あたしの筆箱が、なんで大井っちの部屋のベッドの下にあったのかなー。どういうことか、説明してくれる?」
北上の声は低く、そして静かだった。それが逆に、怒りの深さを物語っていた。
「あ、あの、これはですね……その……」
「嘘ついたら、どうなるかわかってるよね? 正直に全部言いなよ」
観念した大井は、ガクガクと震えながら真実を白状し始めた。
「……はい。実は、北上さんに私が用意したシャーペンを使ってほしくて、そしてあわよくば『大井っちのおかげで助かったよ、ありがとう』と微笑んでほしくて……昨晩のうちに、北上さんの部屋に忍び込んで筆箱を隠しました」
「……うん。で?」
「そして、珍しいシャーペンを大量に集めるために、文房具マニアとして有名なカマキリ先輩から強奪しようと考えました。でも普通に奪うのは手間だったので……」
「だったので?」
「闇サイトでプロのムカデを金で雇い、カマキリ先輩を闇討ちさせて病院送りにしました……。そして、病室が空になった隙に、このシャーペンの山を奪ってきました……」
全てを聞き終えた北上は、深く、深くため息をついた。
「大井っち……ドン引きだよ」
「ご、ごめんなさい北上さん! 全ては北上さんへの愛ゆえに……!」
「もう知らない。カマキリ先輩に謝ってきなよ。あと阿武隈にも」
北上は冷たく言い放つと、自分の筆箱だけを持って、半壊した講堂から歩き去っていった。
「き、北上さぁぁぁん! 待ってくださいぃぃぃ! 嫌いにならないでぇぇぇぇ!!」
大井の悲痛な叫び声が、ブルネイ泊地の青空に虚しく響き渡った。
その後、大井は約一週間ほど北上に完全に口を利いてもらえず、鎮守府の隅で体育座りをして干からびる寸前まで追い詰められたという。
めでたしめでたし。

