紅剣物語第25話「怪物」

6 2025/11/20 16:47

大地が崩れ落ちた瞬間、全員が飲み込まれた。

ソラは咄嗟に腕で顔を覆い、肺に砂が入るのも構わず、転がる瓦礫に必死で身を合わせ続けた。

ほとばしる恐怖に心臓が跳ねる。

紅剣が手から滑り落ち、遠くで乾いた金属音を響かせる。

「ぐっ……!」

瓦礫が止まったとき、ソラは自分が無事であることに一瞬だけ安堵した。

だが胸に広がるのは、安堵よりも“間の悪い幸運”への戸惑いだった。

紅剣の加護ではない。ただの運――それが逆に不気味だ。

粉塵が晴れ、崩落した巨大空洞が姿を現す。

――ぽつり。

音とともに、オーデッツが瓦礫を踏みしめて立ち上がった。

表情には不快の欠片もなく、むしろ“退屈が紛れた”かのような微笑すらある。

彼の周囲だけ、瓦礫の落下跡が巻き戻ったように整っている。

「予測できる攻撃など、私には届かない。見てみよ――あの強欲の怪物は私が召喚した!」

狂気の悦びに染まる声。

その顔は、壊れた玩具を眺める子どものようで、血も煤もまるで付いていない。

次の瞬間、呻き声が響く。

「……っは、はぁ……」

リードが瓦礫をどかしながら立ち上がる。

その顔には深い痛みが刻まれ、眉間に皺を寄せ、歯を食いしばっている。

肩の裂傷は大きく、脚も折れかけている。それでも、その眼だけは――獣のように鋭く、生にしがみついていた。

(この状態で立つ……? 嘘だろ……!)

よろめきながら剣を拾ったリードは、血に濡れた唇を吊り上げる。

笑っているのか、怒っているのか、判別できない。

「まだ……終わっていない……! 清影は折れん……決してな!」

その執念めいた声に、ソラの背筋が冷えた。

紅剣へ手を伸ばす――だが。

(はや……!)

リードの踏み込みが、ソラの焦りより速かった。

剣速が瓦礫の砂を巻き上げる。

傷だらけの男とは思えない軌道。

リードの眼は血走り、狂気と誇りが入り混じって燃えている。

「くっ──!」

ソラは横へ転がり、頬を掠める刃を辛うじてかわす。

熱い線が走り、汗と血が混ざって頬を伝う。

(剣がなきゃ勝負にならない……だが――)

考える間もなく、再び突き。

「我が清影の意地を見よ!」

本能で紅剣の柄に触れる――が、ソラはそのまま手を離した。

(……使わない!)

迫る刃を腕で払う。

皮膚が裂ける痛みに顔が歪む。それでも踏み込んだ。

リードが目を見開く。

「剣を……捨てた……!? 愚か者がッ!」

「愚かで上等だよ!」

ソラは瓦礫を蹴り上げ、リードの視界に叩き込む。

その一瞬の隙。剣腕を外へ弾き、膝を――

「——ッ!」

ソラの表情が凍った。

左手に焼けつくような痛み。

視界が白く弾け、膝が崩れ落ちる。

リードが剣を引き戻しながら、薄く笑った。

その笑みは、痛みを堪える苦笑なのか、勝利の嘲笑なのかわからない。

「痛みを覚悟で懐に入り込んだのはいい。問題は速さだ、な。

普通なら激痛で気絶するんだが……俺の斬り方が良かったのか」

ソラは荒い呼吸のまま、紅剣へ這っていく。

顔は青ざめ、汗が頬を伝い、震える右手は思うように前へ出ない。

しかしリードは容赦なく歩み寄り、冷たい眼で見下ろした。

(あぁ……ここで終わるのか。俺……)

剣が振り下ろされようとしたその瞬間――

「動くな」

背後から凍りつくような声。

リードの肩がわずかに揺れた。

フリダケイが魔法陣を構築していた。

表情は強張り、唇は乾き、呼吸は荒い。

だが視線だけは必死に強く、リードへ向けられている。

「私の魔法の餌食になりたくなければ、剣を捨て跪け」

その言葉には震えが混じっていたが、それでも立っていた。

地鳴りが空洞を震わせる。

瓦礫を突き破り、強欲の怪物が姿を現す。

四方に伸びる黒い腕が、壁を抉りながら蠢く。

見上げる全員の顔が、恐怖に固まった。

ヒロトが槍を抱え、息を切らして駆け寄る。

「おお……また来たのかよ……怪物ラッシュじゃねぇか……って、ソラ⁉︎ おい待て、死ぬだろそれ!」

いつもの軽口は消え、眉を吊り上げた焦りが顔に現れている。

「騒ぐな! 来たぞ……全てを飲み込む強欲の怪物が」

リードが顔を上げ、恐怖とも歓喜ともつかない表情で怪物を見上げた。

怪物は弱者を踏み潰すように、冷たい眼でこちらを見下ろしている。

ソラは紅剣へ手を伸ばしながら、呼吸を乱し、唇を噛んだ。

(止血……しないと……!)

振り返ると、血の量はまだ致死には達していない。

それが唯一の救い。

震える指で紅剣を掴み、傷口を剣に押し当てる。

(お願いだ……前みたいに……俺と共鳴してくれ……!)

青ざめた顔で祈るように目を閉じた。

ニンが駆け寄り青刃を構える。

その表情は不安を押し殺すように固く、唇は僅かに震えている。

「フリダケイ、下がれ」

「ま、待て……! 俺、戦力にならんぞ……!」

「知ってるよ。だから下がれって言ってんだ」

フリダケイは息を呑み、喉を鳴らす。

焦り、怯え、罪悪感――すべてを必死に隠す顔。

(バレて……ない……よな……?)

怪物が雄叫びを上げ、地面すれすれに急降下。

皆の顔が歪む。

第一撃を紙一重で避けたものの、怪物は空へ舞い上がり、再び迫ってくる。

「まずい……このままじゃ埒が明かないぞ……!」

遠くで、オーデッツ司教が笑っていた。

その表情は恍惚。

弱者を見下ろす獣のような残酷な微笑。

「美しいなぁ! 弱者が強者に踏み躙られる様は!」

本来の目的は司教を討つこと。

だがリードにも勝てず、怪物にも飲まれかけている。

ソラは血に濡れた紅剣を握りしめ、悔しさで歯を食いしばった。

(このままじゃ……俺たちはただの敗者だ……!)

ーーーーーーー

「みんな……反撃するぞ!」

声が震えていた。

それでもヒロトは怪物へ飛び込んだ。

顔には恐怖も痛みもある――それでも前を向くため、必死に押し殺していた。

接近する怪物の動きを読み切り、どこを突くべきかを凝視する。

仲間を守るための、たった一つの賭け。

「三槍奥義――穿星ッ!!」

ヒロトの咆哮とともに、槍がまっすぐ怪物へ突き刺さった。

そして砕ける音。

怪物の顔が割れ、黒い飛沫が散る。

「ウ……ウォォォォォォ!!」

空洞を震わせる咆哮。

怪物は狂ったように暴れ回り、空中で軌道をねじ曲げて振り返った。

その瞬間だった。

怪物の腕から、黒い影の槍のようなものが飛び出した。

音もなく、ただ、世界を裂くように。

それが地上へ走り――轟音。

「え……?」

フリダケイの目に映ったのは、胸を貫かれたニンが、ゆっくりと、倒れ込む姿だった。

その瞬間、胸の奥が冷たくなる。呼吸が止まった。

「ニン……! おい、ニン!!」

転ぶようにして駆け寄り、フリダケイはニンの体を抱きかかえる。

ニンの顔は青ざめ、血の匂いが濃く漂う。

それでも、彼は笑おうとしていた。

「お前……嘘が……得意なんだろ……?」

掠れた声。

唇が震え、言葉の端が途切れていく。

「みんなに……バレないように……がんばれよ……

がっかり……させないように……な……」

その言葉にフリダケイの胸が締めつけられる。

まるで、自分の弱さも、臆病さも、全部見抜いて、それでも励ましてくれているようで。

「やめろよ……そんなの……いいから……!」

叫びは震え、涙がニンの胸元に落ちた。

だが――その声は、もう返ってこない。

ニンのまぶたが静かに閉じ、腕が地面へ落ちる。

温度が、少しずつ離れていく。

「……嘘、だろ……?」

フリダケイは必死に呼びかけた。

震える手でニンの頬を叩く。

それでも彼は動かない。

ヒロトも駆け寄り、息を呑んだ。

「そんな……ニンが……死ぬなんて……」

言葉が途中で潰れ、肩が震えた。

ヒロトが、今は声も出せず、ただニンの名を噛みしめている。

沈黙が満ちる。

怪物の咆哮さえ遠く感じるほど、世界が急に静まり返った。

だが、ヒロトは顔を上げた。

涙で滲んだ眼で怪物を睨みつける。

悔しさと悲しみがない交ぜになり、表情が歪む。

「……ふざけんなよ……」

握る槍が震える。

「仲間を……こんな……!」

胸の奥から、張り裂けるような声が溢れた。

「クソッ!! このまま終わってたまるか!!!」

涙で濡れた頬のまま、ヒロトは槍を構えた。

その眼には――友を失った怒りと、必ず報いるという決意が宿っていた。

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