紅剣物語第26話「共鳴」
怪物が地面を抉り、岩盤を砕きながら跳び上がった。
巨体が空中へ飛び出した瞬間、空洞全体が影に沈む。
黒い影が空を覆い、天井から落ちる光さえ奪い取る。
ヒロトは槍を構え、真正面から跳んだ。
「行くぞッ!!」
風が裂ける。
槍が回転しながら怪物の腕へ叩き込まれ、空中で衝撃が弾けた。
二つの影が空中で絡み合い、火花のような音が広がる。
怪物は衝撃を受け流すように腕をしならせた。
影のように伸びた一撃が、ヒロトを上方向へ叩き上げる。
「っぐぅ!」
ヒロトは宙で身体を翻し、
落下する前に槍の切先を地面へ向けて突き立てた。
反動が足裏に戻り、もう一度、空へ跳ぶ。
「まだだッ!!」
怪物が追う。
壁を蹴り、空中を駆けるように移動し、想像もつかない速度で迫る。
巨体が空中を切り裂くたび、空洞が唸った。
振りかざされた腕を、ヒロトは紙一重で回避。
槍の柄を滑らせるように当て、衝撃をいなす。
空中で細かな火花が散る。
だが怪物は止まらない。
体勢を捻り、その勢いのままヒロトへ渾身の一撃を叩きつけた。
「ぐっ……!」
ヒロトの身体が大きく弧を描き、地面へ落下していく。
その軌道の先――リードが剣を構えていた。
着地の衝撃が走る“より早く”、
リードの剣が閃いた。
――ヒロトが倒れた。
ーーーーーー
ソラの身体は反射で動いていた。
崩れた瓦礫を踏み越え、紅剣へ手を伸ばす。
リードはすでに次の一撃へ踏み込んでいる。
鋭い足音が近づく。
だが――
紅剣に触れた瞬間、
刃が淡い光を帯び、ソラの視界が鮮明に広がった。
(間に――合う!)
振り返りざま、紅剣を構える。
迫るリードの剣を受け流し、空気を裂くような金属音が鳴った。
刹那、ソラの斬撃が走る。
リードの身体が後退した。
胸元から腹部へ、斜めに切り裂かれた軌跡が見える。
(……やったか!?)
だがリードは倒れない。
呼吸を震わせながら、それでも剣を構え直した。
「な、んで――戦いを続けようとする!?」
「我が心は折れん……!
清影のため……生きながら焼かれた家族のため……
救えきれなかった王のためダ!!」
リードは咆哮とともに突進する。
わずか一瞬。
その差だけで――ソラの剣はリードを貫いていた。
ソラの剣が貫いた瞬間、リードの突進は止まった。
剣先が抜けると同時に、リードの身体がぐらりと揺れる。
それでも、彼は――倒れなかった。
リードはふらつく足を踏みとどめ、
ソラを見上げる。
リードの目が小さく揺れた。
その瞳には、ソラではなく、もっと過去の何かが映っているようだった。
「怒り……だけでは……進めぬ、か……」
彼の手がわずかに震えた。
剣を握る指が緩み、地面に落ちる金属音が空洞に響く。
「……清影の誇りを……護るため……
家族を焼いた炎に……報いるため……
王の……無念に……答えるため……
俺は……怒りを燃やし続けた……
それが……正しいと……思っていた……」
ソラはそっとリードの腕を支えた。
倒れる寸前の身体を、落とさないように。
リードは薄く笑った。
それは、今まで見せたどの笑みとも違った。
戦いの渇きでも、誇りの硬さでもない――
ただ、ひとりの男としての弱さと、ほんのわずかな救いの色。
「……優しいな……ソラ……
貴様のような男が……清影にいれば……
私は……もっと……違った道を……」
言葉が途切れる。
リードの視線が少しだけ遠くへ向けられた。
「……皆が……死ぬ前……
最後に……見せた顔も……そんな……顔だった……
怒りより……悔しさより……
ただ……安らぎ……を……」
ソラは、リードの身体をゆっくり地面に寝かせた。
硬い石の上であっても、痛くないように。
亡骸ではなく、生きてきた“重さ”をそっと受け止めるように。
リードの呼吸が弱まりゆく中、
彼は最後の力を振り絞って呟いた。
「ソラ……
貴様は……
貴様の怒りを……
正しく……使え……」
その言葉を残し、リードの瞼が静かに閉じた。
沈黙。
戦いの音が止み、空洞にはソラの荒い呼吸だけが残った。
ソラはしばらく動けなかった。
リードの冷えはじめた手を握りしめ、
戦ってきた男の誇りに、短く黙礼した。
「……ありがとう。
リード。
お前の想いは……俺が覚えておく」
ソラが手を離した時、
リードの表情は、どこか満足したように安らかだった。
左手の痛みが再び燃え上がる。
ソラは歯を食いしばり、右手で傷口を押さえた。
痛い。
だが――それだけではない。
視界の先で、ヒロトが血を流して倒れていた。
「おい、ヒロト……しっかりしろよ」
幼いころから共に過ごした親友。
村が焼かれ、家を失っても、
いつだって隣に立ってくれた男。
ヒロトは、弱っていながらも指を震わせた。
「おい……ソラ。あれ……見ろよ……」
フリダケイの震える声が背後から飛ぶ。
怪物――
まだ生きていた。
フリダケイへ腕が振りかざされる。
「ぎゃーーーーーー!!」
空洞が震えるほどの質量。
落ちれば、一瞬で押し潰される。
その瞬間――
紅剣が激しく脈動した。
赤い光が呼吸のように点滅し、ソラの手を強く引いた。
足にまだ踏ん張りは残っていた。
ソラは限界の力で跳ぶ。
巨大な影の腕の間を裂くようにして前へ飛び出した。
怪物の顔部と正面から対峙する。
“眼”のような溝が収束し、
影の槍が形成される――
紅剣が、閃光を放った。
視界が赤く染まる。
身体が勝手に動くような感覚。
ソラは叫びとともに怪物へ飛び込む。
「うおおおおおッ!!」
振り抜かない。
ただ――ひとつの直線。
突き。
紅剣の光が槍のように伸び、
怪物の顔面の中心へ吸い込まれるように突き刺さった。
刹那。
空洞全体が跳ね、震えた。
怪物の巨体が硬直し、
時間ごと止められたように沈黙する。
次の瞬間――
突き抜けた光が、内部を駆け抜ける稲妻のように広がった。
ドンッ……!!
重い衝撃音。
怪物の顔面から赤い光が溢れ、
それが裂け目となって全身を走る。
巨体が、大気を震わせるほど揺れた。
怪物は完全に動きを止め、
巨大な影を残して後方へ倒れこむ。
砂が舞い、風が渦巻き、
光はゆっくりと薄れ――
怪物の影は静かに溶けるように消えた。
「な、なぜだ……!?」
怪物の死体を見下ろすオーデッツの声が震えていた。
その背後で倒れているヒロトに視線を落とすと、ソラの胸が締め付けられる。
(ヒロト……絶対死なせない。ここで終わらせるわけにはいかない)
「フリダケイ、ヒロトを頼む」
痛みで震える声を押し殺しながら指示を出す。
左手は灼けるように痛み、指先さえ動かせない。
だが右手には、父から託された紅剣がある。
これだけは、離すわけにはいかない。
オーデッツへ一歩踏み出すたびに、胸の奥で焦りと怒りと恐怖が渦巻く。
ヒロトの血の匂いが鼻を刺し、ソラの中にある「誰も失いたくない」という感情が暴れ始めていた。
「オーデッツ司教──一撃で沈めてやるよ」
痛みを無理やり押し殺し、剣を構える。
「それは……紅の剣か!?」
「そうだ。父より譲り受けた宝剣だ」
その瞬間、オーデッツが吐き捨てるように笑った。
「父だと? 出鱈目を言うなよ!」
(父を侮辱するな……!)
怒りが胸の奥で弾ける。
喉の奥に熱いものがこみあげ、拳が震えた。
「かつて火星軍に紅剣を扱える強者がいたようだが、数百年前の話だ。今も生きているわけが──」
そこでオーデッツの言葉が刺さる。
「それともなんだ?お前の父は人造人間か?不老不死の怪物かァ!」
胸の中で、何かが“ギリ”と音を立てた。
(父を……怪物呼ばわりか?
ふざけるな。父さんは……)
幼い日の記憶。
大きな手で頭を撫でてくれた感触。
穏やかな横顔。
ソラはその記憶に縋るように息を吸い、叫んだ。
「俺の父は、不老不死でもなんでもねぇ。ただの人間なんだよーーッ!!」
言葉を放った瞬間、胸にたまっていた重い塊が破裂するように消えた。
父を侮辱される恐怖も、怒りも、悲しみも一つにまとまり、力へと変わる。
紅剣がかすかに震え、応えるように赤い光を帯びる。
(行く……!)
そして――斬りかかった。
何度斬り込んでも、オーデッツの身体はすり抜ける。
そのたびに、焦りが喉を締めつける。
(効かない……どうしてだ。
このままじゃ……また誰か死ぬ……!)
オーデッツは狂ったように笑い、ソラの背後を取るたびに、胸の奥で恐怖がひっそりと膨らんでいく。
(落ち着け……落ち着け。負けるわけには……いかない)
だが、限界はすぐに来た。
次の瞬間、オーデッツの身体が炎に包まれる。
ソラはその光景を直視しながら、胸がドッと冷えていく。
(……何が起きてるんだ?
どうして、俺は何もできない?)
ヒロトの血、父の影、紅剣の謎、敵の不気味さ。
全てが混ざり合って、胸の中で不安が荒れ狂った。
ソラが再び踏み込んだ瞬間──
オーデッツの身体が、突然燃え上がった。
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