紅剣物語第16話「それぞれの思惑」
オーデッツ司教の私室は、バグダート西部――火星教会の地下深くにあった。
赤い光が石壁を照らし、沈黙が空間を支配している。
その中でオーデッツは、傷の痛みに耐えながら祈りを終えた。
「……あの炎使いめ。次に相まみえた時こそ、地に這わせてやる」
声は低く、怒りは消えていなかった。
その時、重い扉が勢いよく開く。
アヴィーデが血を滴らせながら、床に崩れ落ちた。
「司教……すぐに兵を集めてくれ。倅(せがれ)が西へ向かっている。
放っておけば、“異物”と接触するかもしれない!」
息を荒げるアヴィーデ。
だがオーデッツの表情は冷ややかだった。
「人間よりも強い存在を自称する“人造生命”が、その程度で狼狽えるか」
見下ろす声は、氷のように冷たい。
「……人間のくせに偉そうだな、司教さんよ」
アヴィーデは唇を歪める。
「“異物”が力を得れば、火星教会も無事じゃ済まねぇぞ」
「異物の居場所も知らぬくせに、妄言を吐くな」
オーデッツは一歩、近づいた。
「貴様の任は終わりだ。消えろ。
この件は――私が処理する」
冷たく言い放ち、オーデッツは踵を返した。
地上へ向かう階段の先で、彼はふと立ち止まる。
(倅が西へ向かうというなら……関所を封鎖すればよい。
仮に突破されても、居場所はすぐ掴める)
「イン、ニン」
呼び声に応じて、二つの影が静かに姿を現す。
「兵を動かせ。関所を閉ざし、倅を探せ。……見つけたら、始末しろ」
二人の暗殺者は、音もなく命令を受け入れ、闇に消えた。
ーーーーーー
ヒロトは宿に戻っていた。
ソラの行方はつかめず、仲間のチュウニも去っていた。
それでも――足を止める気はなかった。
宿の前で、三人の男が騒ぎを起こしていた。
暴力の矛先は、泣き叫ぶ少年・アキトに向けられている。
(……奴隷商か。最低だな)
アキトが蹴り飛ばされる。
ヒロトは無言で槍を構え、その場に踏み込んだ。
「その子から離れろ」
一人の男の肩を掴む。
男たちが振り返り、嘲るように笑った。
「ガキが何の真似だ? 痛い目みねぇとわかんねぇか?」
「……なら、教えてやるよ」
ヒロトは構えを取ると、静かに息を整える。
次の瞬間、低く呟いた。
「三槍奥義――鎮環(ちんかん)」
槍が唸り、空気を裂いた。
一人の男が弾き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
残る二人が拳を振り上げたが、ヒロトの槍が素早く閃いた。
金属が鳴り、二人はその場に崩れ落ちる。
沈黙が戻った。
「アキト、大丈夫か?」
ヒロトが手を差し出す。アキトは震える手でそれを掴む。
だがヒロトは、すぐにその手を離した。
「……立て。もう守ってやれない。これからは、自分で生きるんだ」
「……一人で?」
アキトが涙交じりに問うた瞬間――
「人殺しだっ!」
誰かが叫んだ。
宿の外から人々が集まってくる。
ヒロトは目を伏せ、小さく呟いた。
「……そうか。なら、俺はもうここにはいられないな」
振り向くことなく、その場を去る。
夜の風が頬を撫でた。
西門を抜けると、砂の匂いが濃くなった。
(またやってしまった……)
怒りに任せて戦うたび、理性が遠のく。
そのせいで――槍を取り上げられた過去を思い出す。
だが今、手にしたこの槍だけが、自分の存在を確かにしてくれる。
風が止み、代わりに低い声が響いた。
「……あの少年の行き先を知りたいかね?」
老人の声だった。
ヒロトは身構える。殺気が一瞬走る。
「誰だ!」
「反火星連盟の者だ。名はロダリウス・ソレヴァン。
ソラの動向を監視している。……お前も、彼を追っているのだろう?」
「……!」
ヒロトが息を呑んだ瞬間、風が再び吹いた。
次に顔を上げたとき、老人の姿はもうなかった。
「……なんだったんだ、今のは」
胸の奥がざわつく。
だが、そのざわめきが次の一歩を導いた。
ヒロトは西を見据え、槍を背に歩き出す。
(――行こう。たとえ誰が敵でも、俺はもう止まらない)
夜風が吹き抜け、砂が舞い上がった。
その向こうに、見えない星が瞬いている。

