紅剣物語第22話「中編」

6 2025/11/15 07:33

ソラは暗闇の中、なるべく音を立てないように静かに廊下を歩いていた。

ここは迷路のようで、いくつものドアが並んでいる。開けば別の部屋へと繋がる構造だ。

ソラはすでに五つのドアを開け、敵がいないことを確かめていた。

視界の奥に、また一つドアが見える。六つ目のドアだ。

手をかける指先が震える。

敵が潜んでいるかもしれない。その恐怖と、未知への高揚が心の中でせめぎ合った。

ゆっくりと扉を押し開く。

……敵はいない。暗闇でよく見えないが、気配は感じられなかった。

ソラは安堵の息を吐く。

「良かった……」

ドアを閉めようとした瞬間、手がぴたりと止まった。

暗がりの天井付近に――鎖。

うっすらとだが、確かに揺れている。

ソラが鎖の上を注意深く見上げた、そのとき。

闇が、動いた。

鉄の玉を繋いだ鎖が、唸りを上げて飛んできた。

ソラは咄嗟に身をひねり避ける。

鉄玉には釘が打ち込まれており、頬をかすめて火花が散った。

壁に衝突した鉄玉は豪快な音を立て、石壁を粉砕した。

鎖が軋み、操られるように反転する。

ソラは剣を抜いた。

意識を集中させる。

飛び込んでくる鉄玉を、紅剣の防御結界が弾き返した。

跳ね返った鉄玉は、持ち主のもとへ吸い込まれるように戻る。

「へぇ、少しはやるじゃない。なんだかイライラしてくるわねぇ」

暗闇から現れた女は、白金の髪を三つ編みにし、右顔を黒紗のヴェールで隠していた。

妖艶な目線が、ソラをねっとりとなぞる。

「私はリュシア・エイン。一応、“嫉妬の翼”と呼ばれているわ」

指を唇に当て、軽く笑う。

「私の《嫉妬鎖(エンヴィ・リンク)》に触れたら、もう戻れないわ」

ヴェールの奥で艶やかに動く唇。

その声は静寂を震わせる。

「この鎖は奪うの。想いも、希望も、光さえも。……そう、あの子のように」

彼女の足元から、いく筋もの鎖が立ち上がる。

蛇のように、いや怨霊のように。

嫉妬の緑の光を吐きながら、うねりを上げた。

「なんで……こんな、か弱い女の人と戦わなくちゃならないんですか?

 どうして、みんなして邪魔をしてくるんです!?」

ソラの声が震え、剣先がわずかに下がる。

その一瞬を、リュシアは逃さない。

「かよわい?」

唇が歪む。

「違うわ。私は――奪われた側よ」

鎖が奔る。

紅い火花が散り、ソラは咄嗟に紅の防壁を張った。

激しい衝突音。鎖は弾かれて壁に叩きつけられたが、すぐに別の鎖が襲いかかる。

「“聖女”は笑っていたの。私の知らない笑顔で。

 祈りを捧げ、選ばれて、英雄に微笑んで……。

 どうして、どうして私じゃなかったの……!」

叫びとともに鎖が爆ぜ、床が砕ける。

紅剣の光と衝突し、火花が舞う。

ソラは押し返しながら必死に叫ぶ。

「俺は……あんたと戦いたくなんてない!」

紅光が爆ぜ、鎖を焼き払う。

リュシアは眉をひそめ、紅の輝きに顔を背けた。

その一瞬、彼女の脳裏に“聖女”の幻影がよぎる。

あの日の微笑み――あの、光。

「やめて……その光、いや……違う、私は……!」

リュシアは自らの足元へ鎖を叩きつけた。

鎖が床を割り、影が溢れ出す。

緑色の紋様が広間全体に奔った。

「《嫉妬牢(エンヴィ・ケージ)》――解放」

爆音。

闇が反転し、眩い閃光が吹き上がる。

ソラは腕で目を覆う。

光がおさまったとき、リュシアの姿はすでになかった。

沈黙。

ソラはしばらく立ち尽くした。

紅剣の光が静かに消えていく。

闇の奥には、まだ廊下が続いていた。

息を整え、前を向く。

「……なんだったんだ、あいつは」

独り言は闇に吸い込まれる。

「本当だよな。滑稽な女だった」

急に低い男の声。

ソラは反射的に身構えた。

「構えても無駄だ。大人しく、斬られろ」

胸から腹にかけて、鈍い衝撃。

熱い痛み。

血飛沫が舞う。

ソラは崩れ落ちた。

暗闇に響くのは、自分を斬った男の足音だけだった。

ーーーーーーー

「フュー……ハッ、ハックシュン!」

フリダケイは得意の口笛を吹こうとしたが、寒さに負けてくしゃみをした。

「おーい、ソラ。どこ行っちまったんだよ……」

濃霧が立ちこめ、人の気配はほとんど探れない。

そもそもフリダケイは戦闘能力がなく、索敵などできるはずもなかった。

足元に何かがぶつかった。

見ると、誰かに開けられたらしい鉄の蓋。

「ソラか? それともヒロトか?」

フリダケイは十数秒ほど考える。

ここで立ち止まっていても仲間に合流できる保証はない。

敵に見つかる可能性もある。

だがこの鉄の蓋は、おそらく敵のアジトへの入口。

仲間がすでに侵入しているかもしれないし、何より地下なら寒さをしのげる。

「よし、腹を決めるか」

フリダケイは気合を入れた。

「3、2、1で行こう。3……2……1……よし、もう一回カウントダウンだ」

屈みこみ、蓋を開けようとするが、なぜか足がすくむ。

「おい、誰だお前は!?」

背後から、敵兵の怒声。

驚いたフリダケイは反射的に蓋を開け、そのまま跳ねるように振り返る。

「な、なんだよ脅かすなよ!」

そこにはアラフォーの敵兵が槍を突きつけていた。

「貴様、侵入者だな!」

「いきなり攻撃してくるのかよ!」

槍を避けようとした瞬間、バランスを崩し――

フリダケイは蓋の向こうへ落ちた。

「いてぇ……!」

その直後、敵兵も落下し、強く打ちつけられて動かなくなった。

「驚かせやがって……」

痛みに歯を食いしばりながら立ち上がる。

広大な地下空間が広がっていた。

足音を忍ばせて進む。

敵の気配がするたびにルートを変えていくうち、

フリダケイは完全に方向感覚を失っていた。

無機質な壁が続き、どこにいるのか見当もつかない。

そのとき。

「私のこと、見つめてくださらないのですね。残念ですわ」

高い女の声が響いた。

フリダケイが振り向くと、肩までの茶髪、美しいドレスの女が静かに立っていた。

興味深そうに、こちらを見ている。

「誰ですか、貴女は」

丁寧に返すが、心では敵と確信していた。

「あら、ご挨拶が遅れました。メルヴィナ・クロエ。元ヨーロッパ連合国貴族ですわ」

優雅に礼をするクロエ。

フリダケイは応じず、注意深く距離を測る。

「何のつもりです? どこからつけてきたんです?」

クロエは軽く首を振り、微笑む。

「つけてきたのではありませんわ。興味があったのです。

 ――無能力者が、なぜ戦場にいるのか」

明るかった声は、次第に低く冷たくなっていった。

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