紅剣物語第34話「ハツノテキ」
武器屋アン・ナイーニンの店に戻ると、店内のランプが柔らかく揺れていた。
昼間の陽気さとは違い、夜の影が木造の梁に溶け込むように広がっている。
ソラは扉を押し開け、軽く頭を下げた。
「ゴブリン討伐、終わりました。村外れにいた群れは、もう……」
ヒロトが槍を肩に担ぎながら続ける。
「ボスっぽいやつも倒してきた。これでしばらくは安全だろう」
アンは作業台の上の研ぎ石から手を離し、二人を見やった。
その眼差しは、安堵の色と……どこか測るような冷静さが混ざっている。
「そうですか。では、本当にありがとうございました。
あなた方“遊戯者”が来ると、村の者はいつも助かるんです」
その言葉に、ソラは微妙に眉を寄せた。
「……やっぱり、俺たち以外にも来てたんですか」
アンはわずかに視線を落とす。
答えを探すというより、余計な言葉を削り取っているようだった。
「えぇ、確かあなた方は37人目にこの村に来たはずです。
遊戯者の方々は、だいたい北方の魔法都市《エンフェルム》を目指します。
情報も魔法も集まりますから……生き残りたい方は、皆そちらへ」
ヒロトが腕を組んだ。
「北の都市……そんな話、ルールブックにあったか?」
「地図には載ってるはずだ。ほら、ここ」
ソラは胸のバッジを押し、ルールブックの地図を展開させる。
小さな光の粒が宙で地形を描き、北側に青い円で囲まれた街が浮かび上がった。
《魔法都市エンフェルム》
プレイヤー支援施設あり
魔法カードの売買可
周囲にダンジョンあり
「……確かに、ここに向かった方が良さそうだな」
ヒロトは地図を覗き込みながら、ぽつりと言う。
アンが二人に近づき、小さな袋を差し出した。
中から乾いたパンの香りがふわっと広がる。
「討伐の礼です。“数日分の携帯食”と“銀貨五枚”。
この村にとっては大きな出費ですが……まあ、あなた方なら無駄にはしないでしょう」
ヒロトが袋を受け取ると、少し肩をすくめて笑った。
「いいのかよ。ずいぶん太っ腹じゃねえか」
「ええ。遊戯者の方々には、生きていただかないと困りますので」
その言い方が、また妙に引っかかった。
まるで“死ぬと困る理由が別にある”みたいだ。
アンは続ける。
「……ただひとつ忠告します。
北へ行く道は昼よりも夜のほうが安全です。
大体の魔物は太陽の光を嫌いますからね。
出発するなら、日が完全に沈んでからがいいでしょう」
ソラはヒロトと顔を見合わせ、静かに頷いた。
「分かりました。今日はもう準備を整えて……
夜になったら出発します」
アンは微笑んだ。
その笑みは昼間よりもずっと静かで、少しだけ寂しそうに見えた。
「どうか、ご無事で。
遊戯者の方は……もうこの村には戻ってきませんから」
その言葉を聞いて、店内の空気がほんの一瞬だけ止まった。
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空気は冷え、草原の匂いが深く感じられる。
ルナール村の家々の明かりが背後で小さく揺れ、
その向こうで犬が遠く吠えた。
ソラは背負い袋の紐を締め直し、息を整える。
「よし……行くか。北へ」
「魔法都市《エンフェルム》だな。
魔法カードも集まるってんなら、悪い選択じゃない」
ヒロトは肩の槍を持ち直し、空を見上げる。
星がやけに近く、乾いた風が頬を掠めていく。
ソラが歩き出しかけたとき、ふと村を振り返った。
アンの店の灯りが、まだ小さく灯っている。
まるで――見送っているようだった。
ヒロトが言う。
「もう来ることもない村を見て、
なんでそんな顔してんだよ」
ソラは小さく息を吐き、笑ってみせた。
「いや……なんとなくさ。
ここは“ちゃんとした村”だったなって」
「変な感想だな。まあ、分からなくもねえけど」
ヒロトは片手でソラの背中を軽く叩き、前を向いた。
「行こうぜ。俺らで出来ることをやるだけだ」
「……ああ」
二人は夜の草原へ足を踏み入れる。
月明かりに照らされ、道は細い線のように北へと伸びていた。
その背中を、村の誰も追いかけはしない。
ただ静かに――
風だけが、二人の旅立ちを押すように吹いていた。
ーーーー
夜の草原道はひどく静かだった。
星明かりが道を薄く染め、ヒロトの槍の穂先だけが冷たい光を返している。
「……なぁソラ、匂わねぇか?」
ヒロトが立ち止まり、鼻をひくつかせた。
焦げた草の匂い。鉄の味。血の気配。
ソラも数歩進んだあと、目を細めて息を呑んだ。
道の真ん中に――
直径十メートルほどの、焼け焦げた大穴がぽっかりと開いていた。
周囲の草は黒く反り返り、まだ煙が細く揺れている。
「……これ、ゴブリンの群れが丸ごと……」
地面に散らばっているのは、溶けた棍棒、焼けた牙、灰になった肉片。
どれも一撃で一掃された痕跡だった。
ヒロトが眉をしかめる。彼は胸のバッジを押してルールブックを開き、該当するアークスクリプトを探す。
「おいおい、《火焔弾》の威力こんなにデカかったか?
これ、レア魔法でも撃たなきゃ無理だろ」
ソラは喉を鳴らした。
誰かが先に、しかも圧倒的な強さで突破している。
「……他の参加者だ。
俺たちより――ずっと先に進んでる」
焦りにも似た感情が胸に張りついたそのとき、
視界の端に違和感が生まれた。
ソラは傍らの木に近寄り、幹に刻まれた文字を指でなぞった。
《→ 夜を走れ。
振り返ったら殺す》
ヒロトが目を丸くする。
「どういう意味だよコレ……メッセージなのか脅しなのか」
「……誘ってるようにも見える」
誰かが、あえて残したサイン。
それを辿れと言わんばかりに。
ふたりが前を見据えた瞬間だった。
――バギィンッ!!
森の奥で青白い光が弾け、木々が一斉になぎ倒された。
枝が飛び散り、草がざわめく。
ヒロトが槍を構え、ソラも紅剣の柄を握る。
「来るぞ……!」
月明かりの隙間から、黒い影が歩み出てきた。
黒マントに細身の体。
片手にルールブックを握った青年。
目は冷たく、飢えているようで――けれど感情がない。
そして、淡々と言った。
「……お前らも遅れて来たクチか。
邪魔するなよ。帰還するための《レアカード》は全部、俺が貰う」
殺意を空気のように纏っていた。
ヒロトが低く唸る。
「おいおい……オマエ、他の参加者か?」
青年は肩をすくめただけで答えない。
代わりにルールブックを、パッと宙に放った。
光が弾け、アークスクリプトが開放される。青年の周囲に魔力が立ち上がる。
《重化鎧》
《火焔弾》
ソラとヒロトが反応するより早く、影が迫った。
ヒロト
「っ……! はやっ――!!」
炎の閃光がヒロトの前を横切り、木の幹が弾け飛ぶ。
火玉が三方から撃ち込まれ、地面がえぐれた。
ソラは息を飲む。
(この速度……さっきのゴブリンどころじゃない……!
本気で殺しにかかってきてる――!)
「死にたくなきゃ退け」
青年の声は氷のように乾いていた。
さらに一歩、影が動く。
地面に残像が伸び、次の瞬間にはヒロトの眼前にいた。
ヒロトが呟く。
「クソッ――!」
槍を前へ出すが、青年は手の甲で軽くいなす。
まるで棒切れを払うみたいな、余裕のある動き。
ソラの背筋に寒気が走る。
(ダメだ……このままじゃ、ヒロトが……!)
頭が勝手に先に動いた。
「ヒロトッ! 距離取れッ!! 後ろに跳べ!!」
「はぁ!? なん――」
青年の火矢の軌道がソラには“見えた”。
近距離用の散弾――最も危険な瞬間。
ヒロトは反射的に後ろへ跳ぶ。
直後、火矢の散弾が空を貫き、ヒロトの前の地面を砕いた。
「……危な……! ソラ、お前……よくやった!」
青年はわずかに目を細めた。
「……へぇ。
思考能力のあるタイプか。
面倒だな」
指先に再び火が灯る。
ソラは剣を握り直した。
「ヒロト……あいつの《重化鎧》は物理を弾く。
でも……魔力の防御なら、俺の“破魔の剣”が通る!」
「……魔物扱いってコトか!?」
「賭けだけど、やってみる!」
ヒロトは笑った。
恐怖と狂気の入り混じった、戦士の笑み。
「いいねぇソラ……乗った!!」
ソラは胸のバッジを押す。ルールブックがソラの前面に開かれる。
「破魔の剣。発動!」
破魔の剣が現れ、ソラは剣の柄を握る。
二人は同時に地面を蹴った。
破魔の剣と槍が軌跡を描いて突撃する。
青年は初めて、顔を歪めた。
ソラの紅剣が――
相手の《重化鎧》を“削り取った”のだ。
「……マジかよ」
青年は舌打ちする。
自分の防御が剥がされたことに、明確な驚きを見せた。
その瞬間――青年はカードをもう一枚取り出す。
《瞬動》
完全に逃げの態勢に入り、彼の姿は一瞬で霧散した。
「今日は引いてやるよ」
声だけが、風に混じって残る。
「俺の名はカナタだ。次に会うときは、殺す」
すべてが消えた。
森に残ったのは、折れた木々と焦げた匂いだけ。
ヒロトは大きく息を吐き、槍を地面についた。
「……くそっ、逃げられたか。
けどソラ……今の判断、マジで助かった」
ソラは胸の奥を押さえながら、かすかに笑った。
「……怖かったよ。
でも……あいつを追い払ったのは、俺たちだ。
次は……勝てるようになろう」
ヒロトが拳を突き出す。
「北の魔法都市、行くしかねぇな。
強くなって、アークスクリプトを集めないとクリア、いや、生き残れない」
ソラも拳を合わせた。
夜風が二人の間を抜けていく。
そして――
月の下、二人は再び北へ歩き出した。
参加者294人中生存者287名

