紅剣物語第2話「夜逃げ父から譲り受けし賜物」
「……そういえば」
チュウニ・ビョウカンジャがふと口を開いたとき、旅の一行はすでに、ソニド村の外縁へと差し掛かっていた。谷間にわずかに広がる畑の奥、風雨にさらされた木製の看板が、かろうじて村の存在を主張している。
「ソラ、お前の持っているその剣──見覚えがある。ずいぶんと古いが……ただ者ではないな」
チュウニが顎をしゃくって示したのは、ソラの腰に吊るされた一本の剣だった。手入れの行き届いた鞘には、どこか懐かしさを帯びた装飾が施されている。
「ああ……これは父から譲り受けたものです」
ソラは短く答え、ほんの一瞬、視線を落とした。
彼が幼い頃に消えた父の、数少ない記憶──無言で手渡されたこの剣だけが、過去と現在をつなぐ唯一の証だった。両親は決して語らなかった。剣の由来も、父の失踪の理由も、闇に沈んだままだ。
「到着ですね」
サイショ・ニ・ヤラレルヨンが前へ出て、弾む声で木の看板を指さした。
そこには朽ちかけた文字で、「ようこそ 自然と農産物の都 ソニドへ」と書かれていた。
だが、その言葉とは裏腹に──村には、あらゆる生命の気配がなかった。
人の声はおろか、風に揺れる草葉のささやきすらも、どこか不自然に沈黙している。まるで、村そのものが息を潜めているかのようだった。
「やめておいたほうがいい……この静けさは、ただ事ではない」
ヒロト・フリューゲルが声を潜めたが、サイショは耳を貸さず、地図を手に足早に先を進んでいく。
ミノグチも、それに続くように軽やかに歩を進める。
──そのときだった。
ソラの背筋に、ぞわりと鋭い感覚が走った。
何かが、来る。
音もなく、だが確実に迫る殺気。
それは風のようであり、雷のようであり──人の形をした“何か”だった。
「止まれ」
鋭く、そして冷ややかな女の声が谷間に響いた。
サイショの足が、ぴたりと止まる。
漆黒の装束に身を包み、まるで影のように現れたその女は、全身から異質な気配を放っていた。
「そこにいるのは……異物の倅か」
「誰だ貴様。ソニドの民であれば、この神話級の実力を持つ外交官──サイショ・ニ・ヤラレルヨンの名を知らぬはずがないがな!」
女は一歩、静かに進み出た。
「お前には用はない。死にたくなければ、消え失せろ」
その声は、言葉というよりも、呪いのように聞こえた。だが、サイショはむしろ得意げに鼻を鳴らした。
「ふん、丁度いい。皆さんに、神話として語られ続けられるであろう私の実力をお見せする絶好の機会です!」
彼が詠唱を始めると、空気が微かに震え、足元の大地には意味不明の文様が浮かび上がっていく。
それは古の記憶に刻まれた魔法陣──伝説級魔術の証だった。
「……あれは、まさか……!」
ミノグチが息を呑む。
ヒロトは眉をひそめ、女の方へ目を向けた。
「気をつけろ。あの女……只者じゃない。力が……強そうだ」
だが、サイショの詠唱はすでに終わっていた。
彼は片腕を高く掲げ、叫ぶ。
「このサイショ・ニ・ヤラレルヨン様に、敗北という概念はない! ──消えよッ!!」
その瞬間だった。
「セレスティアル・フォール」
女の冷たい囁きが空気を裂いた。
空が、音もなくひび割れた。
雲の裂け目から降るはずのない光──紫電のような、けれど神の審判のような輝きが、サイショを貫いた。
「うあああああああああああああっ!!」
凄まじい悲鳴を上げながら、サイショの身体が吹き飛び、地面に叩きつけられる。
──静寂。
誰もが言葉を失った。
「サイショ・ニ・ヤラレルヨンッ!!」
叫んだのは、チュウニだった。
半ば本能のままに彼は半裸となったサイショへ駆け寄る──
「……だめだ。もう、息をしていない」
そう呟いた彼の表情は、かつて見せたことのないほど沈痛だった。
ソラの胸に、冷たいものが沈む。
たしかにサイショの剣の腕は疑わしかったが、それでも村の人々は彼を信じていた。
チュウニでさえ、無視できない存在として認めていたはずだ。
「お前は……何者だ。目的は……何なんだ」
震える声で問いかけたのは、ヒロトだった。
女は、口元だけで、静かに笑ったように見えた。
「名乗っておこう。私は人造特殊生命人間──人造王に仕える三名臣のひとり」
空気が、変わった。

