紅剣物語第4話「邂逅」
セレナ・フォールヴァルトは、静かに項垂れていた。
タン・サイボー──彼女の唯一にして最も信頼していた部下の失態により、絶好の好機を逃してしまったのだ。加えて、あのチュウニと名乗る炎使いには、五度も焼かれながらまともな反撃すらできなかった。
異物の倅は、おそらく逃げ延びたことだろう。だが、セレナはすぐに思考を切り替える。──構わない。どうせ彼は、自らの村へ戻るはずだ。
すでに、そこには軍事的な手を打ってある。
ふと、セレナは足元に倒れている男に目を留めた。ソラのパーティーの一員だった者だろうが、死んだと思われたのか、仲間たちに見捨てられたようだった。
「……おい、タン。旧地球園・東部地区にいた火星信教の役人の名は?」
「たしか……オーデッツ司教とか言ってたような」
タン・サイボーは、ふらつきながらも立ち上がる。
「なら、あいつに仕事を与えてやれ。久しぶりに“洗脳”の出番だ」
タンの口元に浮かんだ歪な笑みを見て、セレナは満足げに頷いた。
一方その頃──
ソラはただ、走り続けていた。もともと同年代の中でも足は遅く、下手をすれば女子にも劣るほどだったが、不思議と今は止まる気がしなかった。
恐怖──それだけが、彼の中を循環していた。
しかし、意外なことに一番先に足を止めたのはチュウニだった。その表情には、疲労と焦燥がはっきりと表れていた。
「……大丈夫だ。追撃の気配はない」
そう言って、チュウニは息を整えながら歩き始める。ヒロトもそれに続いた。
ソラがようやく立ち止まったその瞬間、鼻をつくような焦げた匂いが風に乗って漂ってきた。
「なんか……焦げ臭くないか? 何年か前に、隣の家が燃えた時と同じような……」
匂いの元は、数分も歩けばたどり着くであろう──彼らの村の方角だった。
「本当だ……火事かもしれない」
ヒロトが神妙な声でつぶやく。
だが──その予想を否定する声が、どこからともなく飛んできた。
「火事なんかじゃない」
ソラは一瞬きょとんとする。チュウニの声ではなかった。
振り返ると、道の正面に少年が二人立っていた。
「皆殺しだ」
そのうちの一人が静かにそう言い放つ。黒い剣を腰に下げ、その瞳は何かに呪われているようだった。
「彼の言っていることは事実です。ちなみに、私の名前はナニ・イッテンダと申します。私の発言は常に根拠に基づいており、“なに言ってんだ?”などと突っ込まれるような無責任なことは一切申しません」
もう一人──やや小柄な少年が、真顔でそう自己紹介した。
「俺はアキト。よろしく」
黒剣の少年が手を差し出してくる。それをチュウニが躊躇なく握る。
「教えてくれ……“皆殺し”とは、一体どういうことだ?」
アキトは小さく頷くと、説明を始めた。
それは、正午を過ぎた頃のことだったという。
突如として、ヨーロッパ連合国の旗を掲げた空中艦隊がテイシン村上空に現れたのだ。
指揮をとっていたのは、“ダキア総督”を名乗る女司令官だった。
彼女は兵士を率いて村長宅を襲撃し、村長を殺害。さらに村人たちを一カ所に集めて、こう尋ねたという。
「“チラシの男”を知っているか」
「──あぁ、チラシってこれのことね」
アキトはポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出し、チュウニに渡す。
ソラも覗き込み、そして言葉を失った。
そこに描かれていたのは、紛れもなく──自分の父親の似顔絵だった。
「そんな……」
動揺するソラをよそに、アキトは続けた。
「誰も知らないって答えたんだ。でも、“シッテマスヨ”っていう人が急に『あの人なら昔いたよ。失踪したけど、みんな知ってるはず』って言い出した」
すると、女司令官はこう断じた。
「火星に嘘をついた──これは異端だ」
そうして、村の大人全員がその場で処刑されたのだという。
そして次は子供たちに刃が向けられた。アキトとナニは、命懸けで逃げ延びたのだった。
「……母さん……」
アキトは、ぽつりとそう呟くと、堪えきれずに泣き出した。
「すぐに追っ手が来るはずです。村に戻ったとしても殺されるだけ。ここで立ち止まっている余裕はありません」
ナニ・イッテンダが冷静に告げる。だが、行き先など見当もつかず、チュウニは肩を落とす。
「……どこへ逃げればいいんだ」
「ご安心ください。旧東部地球園は敵の捜索の手が伸びているでしょうが、あなた方がお金を支払ってくだされば、私がメソポタミア地区まで案内いたします。私は旅行で行ったことがありますので」
そう言うナニに対し、チュウニはすぐさま金貨を二枚、ポケットから取り出して手渡した。
それを受け取ったナニは、小さくうなずく。
「……おい、本当に信用していいのか?」
ヒロトが訝しむように言ったが、チュウニはそれを無視して前を向いた。
ソラもナニを信用してはいなかった。そもそもなぜメソポタミア地区なのだと思う。ここからでは1000キロは軽く超える距離で、徒歩でたどり着くのは3週間後だ。
だがソラは前からメソポタミアに行ってみたいとは思っていた。火星信教が「劣悪文明」と軽蔑した古代文明の遺跡が、そこには眠っている。
「どうせ村に戻っても殺される命。なら気ままに使おう」
旅はまだまだ続く。
──そして、その旅の中心には、間違いなく「父」がいる。

