コインロッカーの赤子。【第二章】
仕事場。
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ...
「〇〇さんこの仕事お願いできる?」
はい、もちろんです。
上司に頼まれた仕事をこなしていく。手は手汗でびっしょりだ。ヌメヌメして気持ち悪い。
キーボードを叩く音が、ロッカーの閉まる音に聞こえる。
カタカタカタカタ...カチリカチリカチリ...
オフィスの雑音...誰かが話す声。怒鳴る声。キーボードの音。書類をめくる音。全てが重なり、赤ちゃんの泣き声に聞こえる。
そんなはずはない。そんなことがあっていいはずがない。ただの思い込み。そう、思い込みだ。
人間は美しく愚かだ。思い込みで、そこにないものが出来上がってしまうのだから。
赤ちゃんの泣き声、ロッカーの閉まる音。そんな音していないのに、思い込みでそう聞こえてしまう。赤ちゃんをロッカーへ押し込んだときと同じくらい心臓がバクバクと鳴る。...
息ができない。苦しい。喉が焼けるように痛い。ここに居てはいけない気がする。ここに居ちゃダメなんだ。私がここに居て良いはずがない。全ての音がものすごく遠くへ行ってしまったような錯覚に陥る。何も聞こえない。何も見えない。真っ白な空間...
〇〇さん?
は、はい!
部長に声をかけられ思わず跳ねる。なに?バレたの?私が赤ちゃんを捨てた最低な母親だってバレた?バレたんだ...どうしよう。自首しか無いの?捕まりたくない、生きていたい、前科なんて持ったら...
いや、なんだか疲れていそうだしね。今日は帰っていいよ。
...あ、...ありがとうございます。
...バレてなかった。危なかった。セーフだ。荷物をまとめて足早に帰宅。家に帰ると、赤ちゃんの泣き声がしない。夫のゲームの音が聞こえない。
...楽だ。そう思うと同時に、あの幸せな結婚生活はもう戻ってこないんだと思い知らされる。
荷物を放り出しソファに寝転ぶ。微かに甘い匂いがする。昔は、夫と一緒に座っていたっけ。
今日もお疲れ様。
そっちもね。
そんな軽い言葉。でもそれが私の、私だけの安全地帯だった。ただ、それだけが。
そう言えば、ここに座って赤ちゃんにミルクを上げたっけ。
うあぁ、うあぁ...
はいはい、ミルク飲みましょうね〜
...思い出したいけど思い出したくない記憶。幸せだった育児生活なんて一瞬だ。すぐに限界が来て壊れて捨てられ捨てた。産んだとき、泣いたっけ。
お疲れ様、ありがとう。
いいの、...っこちらこそ、ありがとう
...お互いにお礼を言い合って、この子のために全力を尽くそうって。...あれは嘘だったんだ。まんまと騙されて馬鹿な女だよね私って。本当に...嫌になる。
裏切ったあの人も、泣き喚く子供も、心の狭い私も何もかも嫌になる。
ふとテレビを見る。...
好きだよ。
...私もだよ。
...あれは嘘だったのかな。他の女にも言ってたりして。私だけっていうのは嘘で不倫相手が居たのかも。それに気づかない私もバカだな。本当にやっていたのか知らないけど、あの人もあの子もどうなったのか、それだけが心残りだ。
...テレビを消して、ベッドに潜り込む。...
おやすみ。
おやすみ。
...軽い挨拶を交わして、寝て、起きて、挨拶を交わして...そんな普通の日常が好きだった。当たり前だった。...当たり前って......すぐに壊れてしまう脆いものなんだ、それを今更知った。
外でパトカーのサイレンの音が聞こえる。
ウーウー...ウーウー...
私かもしれない。きっとそうだ。私だ。警察が来たんだ。怖い怖い。捕まりたくない。窓から逃げようか。ここは三階だ。物理的に不可能だ。どうしようどうしよう。
...あ。
サイレン音が小さくなり、通り過ぎていく。
私じゃ...なかった。...ホッと一息ついて眠りについた。...幸せな夢を見られますように、と祈りながら。

