アニメ『どろろ』はおもしろい?つまらない?
>>699
死んでないけど今回のは、なんか魔界転生っぽいオドロオドロしさがありましたね。あと原作の方の『デビルマン』とか、『寄生獣』みたいだった。新しいことやろうとして新しさがなかった。うーん・・・新しい演出よりも、心の物語が見たかった。
>>700
確かにデビルマンぽい
し無理に斬新な展開にしなくていいよね。なんかわかりにくいし無理があるよ。それなら冒険王版の設定にして、百鬼丸の奪われた体でどろろが作られた。百鬼丸はどろろを殺して体を取り戻すか魔物と一匹一匹倒すか苦悩する っつーのをアレンジのほうがよかったかも。まあ、その設定も意味不明なんだけどさ。一匹一匹倒したらどろろの体どうなるんだよってね
多宝丸の側近の話を細かく時間を割いたり、都合よく琵琶法師現れまくったり…はては寿海まで…詰め込みすぎ。何をメインにしたいのか?今作は百鬼丸がもはや脇役だね…
けちばっかりつけるのもいけないけど、時代設定にそぐわないキャラとかいろいろ突っ込みどころが多い。
むつとひょうごにしても、醍醐景光がいちいち貧しい民を救って自分の息子の遊び相手にするのもだし。女がなんで側近だよとか。ストーリーが入ってこなくていちいち、え?ってなる。シリアスにするならするで、徹底してほしい。別にむつは男で良かったんじゃない。ほんとに百鬼丸が影が薄くて…
ミドロは鬼神じゃないの?体を持ってないの?
縫の方が民衆の面倒見るのもちょっと不自然。
もううまくまとまる気がしないわ
>>691
アニメの序盤を面白く観ていて、今はつまらない派ですが、出来れば楽しみたいなとも思っている者です。コメントを読ませていただき、なるほどと思いつつ、いろいろと予想してみました。
“多宝丸の側近の話を細かく時間を割いたり”
“むつとひょうごにしても、醍醐景光がいちいち貧しい民を救って自分の息子の遊び相手にするのもだし。”
おそらく、アニメ版では百鬼丸VS多宝丸を物語のラストに据えることを最初に決めていたんでしょね。けれどそうすると、鬼神のごとき百鬼丸と渡り合うには多宝丸一人では破れるのは目に見えている。そこで多宝丸には腹心が必要であり、並の忠誠心ではなく、本当の家族のように深い絆を持つ者でなければ、この争いに身を投じることは出来ないと考えて、陸奥や兵庫の生い立ちに醍醐景光が深く関わることになったのかと。
“都合よく琵琶法師現れまくったり”
正直無理矢理感は感じましたが、本人が随所で「見届けるのも、また因果」と言ってましたんで、そういう設定なんでしょうね。なにしろ百鬼丸が赤ん坊のときから関わってますので。
鬼神がいるような世界なので琵琶丸は本当は仏様なのかも?
“はては寿海まで”
私も正直なんで?と思ったけれど、百鬼丸が鬼神化するのを防ぐ存在として登場したのかなぁと。再会したときに結局 何もしてやれなかった自分のことを後悔していたので、縫の方みたいに親として何かしてあげたくて百鬼丸の後を追ったのでしょう。
“女がなんで側近だよとか”
ストーリー上、母から充分な愛を受けることがなかったと嘆く多宝丸の悲しみを埋める存在として、男装してまで仕える陸奥という女性キャラクターが必要と考えたのでは。
私には時代考証は出来ませんが、陸奥が女性なのはごく限られた人しか知らなくて、腕が立つならば女性でも側近として召し掛かるのが醍醐家ということなのかと。
>>691
(714の続きです。)
“ほんとに百鬼丸が影が薄くて…”
確かに多宝丸に喰われ気味ですね。
多宝丸は最新話ではパワーアップして、本当に喰っちゃったみたいな展開になりましたよね。
ラストの百鬼丸の活躍に期待したいですね^^
“何をメインにしたいのか?”
「骨肉の争いを通して、家族愛とは?心の絆とは?」ということを描きたかったのかなと。
寿海と縫の方をここで登場させたのは、一度は百鬼丸を拒絶した二人が百鬼丸の鬼神化を防ぐ大きな役割を担うことになるのではと推測しています。
二人とも百鬼丸から「おっかちゃん」と呼ばれた存在なので、物語のテーマの一つに「母の愛は我が子を救うことが出来るのか」というのもあると思います。
“ミドロは鬼神じゃないの?体を持ってないの?”
最新話のラストまで視聴を終えられたなら分かっていらっしゃると思いますので、これは改変された理由が分からないということですよね。
蛇足かと思いましたが、こういうことかと。
前回、絶命したミドロと引き合うようにして亡者となった兵士の死霊が集まりミドロが復活しました。復活したミドロが百鬼丸と共闘しているということは、死霊もミドロも敵は醍醐と考えていて、ミドロは鬼神ではなくとも相当に強力な妖馬で、百鬼丸の体も持ってはいないということでは。
“縫の方が民衆の面倒見るのもちょっと不自然。”
それ、私も思いました。どこから見ても深窓の令嬢にしか見えない女性でしたので、不自然に思えたのですが、縫の方は自らを「醍醐の国の母」と言っていたので、本当にしたかったことの一つを今回初めて成し遂げたのかなと。…被災地を訪問された美智子様みたいでしたね。
百鬼丸を目の前にして「そなたを救えませぬ!」と冷たく言い放ち、菩薩の加護ばかりを望んでいた頃の縫の方よりも、この縫の方の方がずっと素敵です。
縫の方、以前は嫌いだったけど、今は みおよりも好きです!
“もううまくまとまる気がしないわ”
ここまで頑張っている縫の方には多宝丸と百鬼丸を是非とも、まっとうな人に戻し、救ってあげて欲しいと思います。
寿海と縫の方のダブルおっかちゃんの活躍に期待! あと、影が薄くなってきている どろろにも期待! 長文失礼いたしました。
>>691
縫の方始め、醍醐勢がスタッフの都合かもしれないけど、民のためとか言いつつ、百鬼丸に対して無慈悲すぎ。
疫病になった民は仕方なかったとか言って焼き払うし。(感染防止は分かるが)
いい君主はそんなことしないと思うし、そもそも自分の身内の犠牲の上で成り立ってる国なのに。
縫の方が今さら困ってる人達の手伝いしてるの見て寒気したよ。
白々しいにも程があるでしょ。
よっぽど原作、旧アニメの縫の方が性格いいよ。
>>732
縫の方の件ですが、私もうっかり騙されそうになりました。
困っている人を助ける縫の方の行動自体は間違っていないと思うけれど、あの狂言自殺みたいなシーンは絶対入れてはいけなかったと思いますね。
せめて、地獄堂で自殺未遂に留めてくれれば・・・。
今作の一番拙かったところは、キャラクターの性格を歪めてしまったことですね。
百鬼丸の周囲の人たちの頭がおかし過ぎましたね。
ラストに向けてこれから大人になって行くということなんだろうけれど、実年齢を考えると、寿海も縫の方も、醍醐も中身が幼すぎる。
両親が幼いから、百鬼丸と多宝丸が不幸になっていますね。
>>732
私は旧アニメの縫の方がいいな。漫画だと自分が捨てたにも関わらず、会いたい会いたいと自分の気持ちばかりだし。謝罪もなくいきなり 坊やって言われりゃ拒絶するよね。拒絶されて初めて謝罪だし。そして自分は辛かっただもんね。百鬼丸のほうが辛かったのに。
旧アニメの縫の方は、思慮深く 自分の立場や相手の気持ちを尊重してるように見えた。
だから百鬼丸も理解し、母だと認めたのかなと思う。最後にお母さんて呼んであげて欲しかったけどね…
>>747
6/7~6/21まで期間限定配信でようつべで旧アニメ「どろろ」1~4話まで観られるよ。みんなで観よう!(公式動画です)
>>747
今の「どろろ」では縫の方は生まれたての百鬼丸見て、わずかに微笑むシーンがあるんだよね。私は、旧作アニメの縫の方の反応の方が残酷だけど自然で納得できたし説得力もあったと思う。
>>756
普通の親なら絶対笑わない。気絶するレベルだよ。そーゆーとこがずれてるんだと思う。感情移入しにくい。原作の縫の方はビックリしたけど、捨てるのは反対した。そのほうが自然。体が奪われてて笑える神経が怖いわ
>>756
関係ないかもしれないけど、縫の方の ワタクシ~がいちいち いらっとくる。あと 冒頭のタイトル読んでるおっさんも
>>696
みんなして、百鬼丸をおもちゃにして。
あの度重なる“玩具発言”は、こういう発想があったからだったのね。本当に酷い脚本。
今のところ、アニメの寿海には、いろいろ行動や言動に気になるところがあっても嫌いにはなれないキャラなんだけど、こう何度も出てくると、もうお腹いっぱいって感じ。
第三話でカナメが出て来たのは、百鬼丸の足手まといになるからと側についていてやれないと言っていた寿海に代わって、不測の事態が起きたときに百鬼丸の義手や義足を直してやるキャラとして、偶然百鬼丸と出会うのかな、そのことで寿海との確執を埋めることになって行くのかな、などと思っていたんだけど・・・。
今更ですが、カナメって、寿海の過去の心の傷という存在で、唯の使い捨てキャラだったんですね。
個人的には暑苦しい陸奥や兵庫よりもカナメを出して欲しかったな。
>>693
寿海は最後に体を取り戻した時とかに再会させるくらいで調度良かったんじゃないかと思う。何回も出てくると、またかよ!と思っちゃう。話を広げすぎなイメージ
>>703
鬼神は「百鬼丸の体を持ってきたら取引に応じてやろう。でもワシはいまだ動けぬのでおまえたちが百鬼丸の体を持ってくるのだ」とか、「首を切り落としてこい」とでも言ったのでは。(多分、テレパシーで!)
・・・で、「ワシが奪った百鬼丸の体をそなたたちにやろう。さすれば、そなたたちは充分に戦えるはずじゃ」って感じなのではなかろうかと。
で、仮に多宝丸たちが百鬼丸を倒しても、鬼神は多宝丸たちに与えた百鬼丸の体を再び奪うんだと思いますね。
ほんと、めちゃくちゃしてくれちゃって!!(怒!)
百鬼丸の体は、福笑いやパズルじゃねえんだぞー!!!
どろろ22話 あ~面白かった
OPとEDの曲は飛ばした
みんな大丈夫?どろろ面白いんだけど?
アニメは面白いけど
OPとDEの曲だけは前期の曲よりもかなり悪い
まともに評価してる俺だけだね
>>707
中身のない書き込みで、自分だけまともだと主張するのはガキっぽいし、まともとは言えんな。
原作がー原作がーて長文で騒ぐ老害さんたちもまぁいるし
心臓えぐられる内容についてけなくて拒否反応しちゃうお子ちゃまも多いなって印象。今、手塚絵で原作を忠実に再現して何の意味があるの?私はこの「どろろ」に会えてほんとに良かったと思う
>>708
私は原作の大ファンなので、この作品は全体的に好きじゃない部分が多い。当然面白いという人がいるのはいいことだと思うし別に構わないけど。
人のことを老害とかお子ちゃまとか批判するのはどうかと思うよ。批判するのはあくまで作品や内容にしな。意見を否定するのは構わないけど、言葉を選ばないと自分が一番お子ちゃまになっちゃうよ
>>708
長文が嫌なのは分からなくもないけれど、「原作がと騒ぐ老害」という言葉にいつも引っ掛かるんだよね。
たまたま原作が発表されたのが昔というだけで、原作を読んだ時期は人それぞれ違うでしょう。なのに何故、“老害”の一言で済まそうとするのかな?
若い人で先に原作を読んでいる人だって、原作のこの部分を生かして欲しかったとか、このエピソードをアニメでも観たかったって人は絶対にいると思うよ。
差別や人権をテーマにした物語、どろろのスレッドで差別発言するのはどうかと思うよ。
>>708
手塚絵で原作を忠実に再現して何になるのについて。
最近?だとるろ剣の実写がヒットしたけど、あれって原作を忠実に再現したからヒットしたからと思うんだ。あれが、剣心がムキムキマッチョ 薫は萌え系 蒼紫は明るい好青年 斉藤一は激弱… 話は映画オリジナルとかだったら?
ファンは何だこれ!!こんなのるろ剣じゃねー!!ふざけんな‼ってなると思う。
実写るろ剣はキャラを忠実に再現しておさえるとこはおさえつつオリジナルを加えた。だから原作のファンもそうじゃない人も楽しめた。うちの母も面白かったと言ってる。
じゃあどろろはって言うと、年齢層も時代も違うし アレンジは必要でしょうけど。原作のファンもそうじゃない人も楽しめる作品にして欲しかったなあと思っちゃうんだ。
まあ、忠実に再現したとこで夜遅いので、リアルタイムで見てた人達(うちの父母)見ないかもな 寝てるから。
>>708
この程度で抉られているお子ちゃまの、これから先の人生に幸多からんことを祈る。
手塚絵を再現は、俺も要らんと思ってるけど。
あのさ、「つまらない」派のコメ読んでみたけど、旧作の思い出に囚われ過ぎだし、しがみつき過ぎだよ。コリッコリに固まっちゃってる感じ。ちょっと引く。
おお、こう来たかぁ!って純粋に楽しんだモン勝ちだと思うよ。
>>713
自分は、むしろ旧作との違いを楽しもうとして観始めたんだが。最初の頃は、けっこう情に訴えてくる回もあって楽しんでた。
だが、前クールの終わりごろから、情よりも、今度のアニメ化でやろうとしている、新解釈による物語全体の構成という骨組みばかりが感じられる、ゴツゴツした作品になり果てたのが不満なんだな。
「こう来たかぁ!」の部分がすべて、理屈で固められている。各キャラクターの、おのずと湧き上がるエモーションで物語が動いている感じがしない。
>>713
引くコメントを書いているのは特定小数であろう。否定派の意見でなるほどなるほど、と、原作を読みたくなることを書いている人は結構おるであろう。
その少数のために、ここはやたらに荒れているようにみえるけれど、実際は多くの「つまらない派の原作ファン」の意見がわかりやすく「大人」なので、末期的なスレにはなってない。
多宝丸がオッドアイになったのは、一か月前の411コメントの予想通りだったが、三つ目までいくとはね。そこまで突き抜けると、逆にちょっと面白い、かも。バケモノ化したのがビジュアルとして分かりやすいし、百鬼丸が奪われた両眼を、彼に向けて見開くというエグさもなかなか。百鬼丸に片目を奪われた多宝丸が、その百鬼丸から受けた傷跡から両眼。二人の逆転した関係は徹底されている。
陸奥と兵庫も、多宝丸の右腕左腕としてお仕えするとか言った直後に百鬼丸に斬り落とされた片腕を、その百鬼丸から奪い取って登場。
対抗する百鬼丸がコンビ組んでるミドロは、子から引き離された「おっかちゃん」なので、縫の方と重なる。多宝丸は、ネズミの妖怪を親子もろとも焼き殺していたけど。
このアニメで鬼神は、人、のみならず馬の恨みや願いを具現化する存在なんだろう。鬼神を善悪の彼岸の者として描いてるんじゃないかな。だから、百鬼丸も醍醐も、正義と悪というのではないし、人も鬼神と一体化する。そういった境界線をグチャグチャにかき混ぜた世界観を表現してるんだろう。
そこんとこは、考えがあってやってるんだと分かる。ワケ分からん展開ということはない。むしろワケ分かり過ぎるのがつまらん。『どろろ』の要素をいったんバラして、これをこう組み替えたら新解釈じゃん?というのに興じてばかりで、キャラクターが、脚本の裏の理屈のままに動かされる駒に見える。物語全体の理屈は分かるが、各キャラの言動が感情レベルで納得しにくい。
百鬼丸の改悪が酷いなぁ。
原作者が死んだらやりたい放題か。
あんな怒りに任せて鬼神と仲良くバッサバッサしちゃう百鬼丸なんて見たくなかったよ。
子供のときに好きだったヒーローが悪落ちさせられて喜ぶ人なんているのかね?
>>720
その気持ちよくわかります。
自分も百鬼丸は初恋の人だったので。
はじめは一ファンとして現代ならではの解釈もいいかなと思って見てましたが何か違うなって。
こんなのアニキじゃないです。
手塚先生はキャラ各々に愛がある書き方だし。
今回のアニメは本当どろろちゃん以外イライラします。
多宝丸なんてほんと可哀想…
せっかく原作より生き延びたいい子だったのに。
純粋に楽しみたいけど???が満載。
醍醐家の面々は鬼神化真っ最中でカオスへ突入。
結局は醍醐の民にとって、醍醐家の野郎どもが鬼神であったという物語。
アニメは鬼神ネタものになっているから、『どろろ』以外の何かになった。
厨二病っぽいけど、このアニメのタイトルは「どろろ・鬼神伝」でいいんじゃないかと思う。
初回からずっと見てて今になって気がついた事があるんだけれど。。
醍醐の国ってナニ?
鬼神ってナニ?
妖怪の事を鬼神って言うのん??醍醐の国って聞いたこともないけれど、どこにあったん??
意味わからんワwwwwww
全く面白味がない、早く終われや
22話、百鬼丸が「自分の体の48か所奪った死霊憑きの」
妖馬に乗って人切り殺すなんて、話がすっかりおかしくなってる。小林靖子は「縫の方と百鬼丸の関係とをみどろ号の悲しみにダブらせてみた」なんて思ってるかもしれないが。
賽の目の三郎太、出て来て欲しかった。
>>727
本当に詰め込みすぎ。百鬼丸というより、もはやスサノオです。
タイトルを変えられないなら、百鬼丸の名前は「須佐之男丸」とでもして、どろろ以外のキャラクターの名前も変えれば良かったと思う。
荒ぶる神スサノオならキャラクターにブレがあっても不自然じゃないし、子どものような心を持っていて鬼神のようだから、その方が分かりやすくて良い。
>>729
タイトルが変わらない限り腹立つのは変わらないけれど、そうしてくれれば、最初から百鬼丸の面影を探さずに視聴出来たし、方向性が別物と言うことだけは早々に理解できたと思う。
>>727
全く同意。そのネタ もう『デビルマン』や『ベルセルク』でやってるから、そういうのを、わざわざ『どろろ』を使ってまでやって欲しくない。
それに、このアニメが『デビルマン』や『ベルセルク』を超えられるとは思えない。いろんなところからネタを拾ってきて繋ぎ合わせているようにしかみえないんで。もし『デビルマン』をマイルドにしようとしてるんだったら、結局、どこかで見たような話にしかならないから、原作のままで良かったと思う。
少なくとも百鬼丸の心情や成長を丁寧に描くべきだった。
そのことよりも鬼神の方にばかり重心を置いているので面白くない。
>>731
鬼神化にばかり重きを置くのは無差別殺傷事件起こす様なタイプの人間に共感・同調して欲しいからだよ
今の分に感動できるどろろファンの中に無差別殺傷行為予備軍が混ざってる。動機も幼心を(百鬼丸の場合はどろろと、自分を母に否定された、)存在価値もぎとられた怒りって共通点あるし
それと、大勢にウケるもの作る為に、少数ファンを切る、今期どろろのスタッフのやり方と何事も民の為だという醍醐家の考え方のシンクロ率高すぎてw
>>733
確かに、このアニメはとても危険なのかもしれない。
この物語に共感できる人は尚更に「疑問を抱きながら観た方が良いのだと思う」。
アトムは生みの親、天馬博士に捨てられたけれど、お茶の水博士と出会って救われたし、新しい家族も出来た。
原作の百鬼丸には寿海が、アトムにはお茶の水博士がいたし、寿海もお茶の水博士も本当の大人だから、アトムを大きな愛で包み育てることが出来た。
だから、百鬼丸もアトムも人間味に溢れていたし、妖刀のときも、ばんもんのときも、百鬼丸は人の命の重さを常に考えながら行動していた。
でも、このアニメにはそこを重視していない。
妖刀の回では、百鬼丸が耳を取り戻したときの凝った演出で誤魔化されがちだけれど、今作では田之介を斬った後の百鬼丸の心情は何も描かれていない。
おそらく、アニメでは、あの後 百鬼丸は無言でその場を立ち去り、お須志は
涙を飲み込み耐えただけなのだろう。
そこが、私のこのアニメが好きになれない理由の一つ。
口がきけないのは仕方ないとしても、百鬼丸には人の魂が見えるし、それ以前の話では、どろろの魂が悲しみで揺らいだとき、百鬼丸が反応してどろろを気遣うような場面があった。
だから、妖刀のときのアニメの百鬼丸には、せめて魂が悲しみで揺らぐお須志の姿を心の目でしっかり焼き付けて欲しかった。
言葉を掛けられないまでもうなだれて欲しかった。
けれど、この百鬼丸がしたことは天を仰ぐことだけだった。
アニメでは百鬼丸の心の中を描こうと思えば出来たはずなのに、それをしなかった。
だから、私は、あのシーンが大っ嫌いだ。
人の死を美しい一枚の絵のようにすり替えてしまったから。
手塚先生は、どの作品でも、例え敵キャラクターであっても人の死に様をしっかり描いていた。
だけど、アニメの妖刀にはそれがなかった。
原作では田之介は、人を斬ること死に追いやることの惨たらしさ、そして死は決して美しくはないのだということを自ら示して散っていった。
そういう大切なことを描こうとしないことが、このアニメの大きな欠陥だと思う。
>>738
再訂正。
×アトムを大きな愛で包み育てることが出来た。
○アトムや百鬼丸を大きな愛で包み育てることが出来た。
読みづらくてすみません・・・
>>733
735の続き。
>大勢にウケるもの作る為に、少数ファンを切る、今期どろろのスタッフのやり方と何事も民の為だという醍醐家の考え方のシンクロ率高すぎてw
上辺だけの正義、おかしなことをあたかも正しいことであるかのように言いのける醍醐家の人々。どうりで、薄ら寒くなるわけですね。
いるんだよな、子供の誕生日に親が自分の友達だけ連れて来て、子供の友達ボイコットして、体にいいからと子供の嫌いな料理並べて「あなたの為だから」と親だけがはしゃいで、悦に入ってる、てパターン。
この「どろろ」リメイクもそんな感じだよ。
現代のガキのおクチに合わないからって、自分の気に入ってた主人公の性格や好きなエピソード改悪されて嬉しい「どろろ」ファンなんていねーだろ?w
小林含むスタッフには、そんな事も分かんないんだな。
ガキはガキで、「新しいものが認められた」=「新しい世代の『自分が』認められた」ってカン違い起こしてるし。
往年のファンは、自分の大好きなキャラ(友達)をリメイク版と言う名の「今のパーティ」に呼んでもらえなかったことが残念で、どんなにか悲しくて悔しくて、深くうらみに思ってるだけなのにな。
>>740
深く流れるような展開の感動ポイントを、ここのみんなに伝えてください。是非知りたいのでよろしくお願いします。
ばんもん回といい妖怪を無理やり出してる気がする。出すんなら妖怪に少しは個性持たせてほしいなんか機械みたいで生き物らしくないし死霊というのとも違う。もっとぬるべちゃしたのを期待していたのに。
>>742
「どろろ」は「ゲゲゲ」の様に妖怪で子供を怖がらせる漫画だったはずなのにね。。
少しも怖くないよね?根本的に間違ってるよね?w
ところで、鬼神って何なのだろうね?
>>743
確かに妖怪が全然怖くないね。
鬼神=幼心をむしり取られて自我を否定された心だと思う。
百鬼丸から奪われた幼心の代わりがさらわれた状態のどろろなんだろうな。+自分の誠実な心や生き様を否定された人の荒ぶる感情の塊=鬼神化の源、なんじゃないかな。
>>744
ごめんなさい、説明の意味がさっぱり分かりません。
百鬼丸に心がないとしたら、なぜ寿海に育てる事が可能だったの?
無理でしょ?
親の介護疲れみたいに殺すか心中するでしょ?
>>746
そうか、「おさなごころ」って心理の専門用語だった。
その話は置いとこう。
百鬼丸に心はあるんじゃないの?ただ、未熟なだけで。
心無かったら、どろろ奪われて怒ったり、みおの寺焼かれて叫んだりしないと思うよ。
寿海の元でも、未熟ながら心はあったんだと思う。
「初めの醍醐の契約によって、心が未熟なまま」なのか、これから育つのかは分からないけども。
寿海は育ててる間、たとえば、未熟なままの心を持った百鬼丸が、体は育っても心は未熟なままだなんて思いもしなかったんじゃないのかな。
>>752
心が未熟なら寿海もどろろも斬り殺してるだろ?ものの分別がつかないなら自然の成行きだ。
説明になってないよ?
原作漫画では百鬼丸はテレパシーで寿海に意思を伝えていた、その方が自然だろ?
>>755
おいおい、あんた一体いくつだよ。「どろろ」悪用して他人に肉縛して理論武装してゴネたいだけならよそでやってくれよ。からむなよ。
>>759
つい熱くなってしまいました。
ごねるつもりも、しつこく絡むつもりもありませんでした。
どろろ狂信者なもんで、ごめんね、、、
>>743
子供を怖がらせるアニメであろ必要なんか無いよ。『どろろ』という素材をうまく料理してくれたら、それでいい。
人の願いをかなえる鬼神(ただの異形のものである妖怪とは、その点で区別されているのかも)を通して、社会全体のために一人を犠牲にするのは許されるのか?を描いているんだろう。
それが大人の鑑賞にたえるものになっていないから、つまらないんだが。
あんたは、制作者や、面白がって観てる人らを、幼稚とか子供とかさんざ言っていたくせに、なんで今になって「子供を怖がらせる漫画だったはずなのにね。。」なんて嘆いてみせるんだよ。このアニメはあんたにとって、子供向けであるべきなのか、大人向けであるべきなのか、どっちなんだよ?いつものことながら、支離滅裂すぎる。
百鬼丸あと何体 鬼神を倒せば完全になるんだろう。ここまできたからきっと多宝丸死なないよね。
なんか主要人物は死なせない流れだね。雑魚キャラはガンガン殺すけど。賽の目の三郎太は殺さないで欲しかったなあ。
あんなきりきざまれて…複雑
アニメの内容はつまんないけど、エンディングのどろろが今週はどのくらいハッキリ見えるかな?と楽しみにしてる
このサイトやり方次第では、いち端末で何回でも投票出来るやんけーーー!!
このサイトも詐欺やなwwwwwwwwwwwwwww
面白い派は殆ど一言コメントでサクラぽいし、、
ニセモノ評価にもってこいの胡散臭いサイトやなw
ウソ制作会社(ツインエンジン?ての??)に相応しいウソサイトやwwwwww
>>751
な~るほど、それで鬼太郎6期の投票率なんかはつまらない票が上がっても、すぐに面白い票が差を埋めてたワケか~
>>751
投票システムが怪しいのはわかるけど、自分と違えばサクラにしたがるのはなんでだ。私は別にアニメ版の信者じゃなくどっちかといえばおもしろいという程度のライトなスタンスなのだけれど、ひとつだけはっきり知っておいた方がいいことは言っておくよ。こうした作品評価は、常に批判派の方が有利。アラを探せばいくらでも出るから。けれども特に「好きだ好きだ大好きだー」というほどにのめりこむ作品てのは、「自分でどこが好きなのか説明出来ないししたくない(陳腐になるから)」という思いが働くわけよ。(まぁ私はそうではないけれど、作品によってはまさにその状態に陥る。)そうした人は、いちいち「ここがステキなんですっっ」なんて言わない。言えば言うほどうそくさくなるから。
アニメは普通に面白いんだけど
原作読んだことある人は、「つまらない」の一点張り
面白いのを認めない
つまらないと言っている自分が正しいと主張する
「おもしろい」を批判してる人とか
正直気持ち悪いよね
>>762
面白い派の人が思う、「ここが面白い」 「ここが見どころだ」とか、「こういう風に観ると面白いんだ」というのを知りたいと思いますので、そこを書いていただければと思います。よろしくお願いします。
>>762
つまらないと感じてるんだから面白いのを認めるも何もなくないか。 つまらない派だけど、回によっては面白いと思うけど。気持ち悪いならコメント見なきゃいいじゃん。
>>762
スレッドの雰囲気が偏るのは良くないので、「おもしろい派」の意見は必要だと思います。
「普通におもしろい」だけじゃ どう面白いか伝わらないし、「気持ち悪いよね」じゃ敵意しか伝わりません。
面白いということを伝えたいのなら、やはり物語の内容に触れたコメントが必要ですよ。
>>762
色んな意見があっていいとおもいますが、一方を幼稚だとか気持ち悪いとかやめて下さい。
他のレビューサイトでも見られる現象ですが、そういうコメントは不快ですよ。
作品に対して議論すべきだと思います。
>>762
ホントにつまんねぇんだよ。
でもどろろがすきなんだよ。
こんなウソどろろじゃなくて。
説明調で すみませんが、ふと思ったことを。
このアニメでは「罪を憎んで人を憎まず」をやりたいみたいですね。
どうして海外の方が評価が高いんだろうと思っていたのですが、「罪を憎んで人を憎まず」という考えは、キリスト教の「汝の敵を愛せよ」というキリスト教の“赦し(ゆるし)”に通じるものがあるので、キリスト教圏の人たちには特に受け入れられているんだと思いました。
アニメでは「ゆるし」は「ゆるし」でも“許し”の方ではなく“赦し”の物語をやりたい、そういう意図が感じられます。
(補足として…
“許し”としたときには、「許可すること。承知すること。認可」という意味で、許容範囲の中においてのみ許されること。行為や行動の前段階でのこと。
対して“赦し”としたときには、罪や過失などをゆるすこと。大目にみてとがめないこと。容赦。という意味になります。)
“赦し”という感覚が馴染んでいるキリスト教圏の人たちは、百鬼丸の周囲の人たちが、これまで取ってきた行動や言動に対して“赦す”ことが出来るから、抵抗感なく観ることが出来るので、高評価に結びついたのかと。
これは、百鬼丸が様々な苦難を通して“赦し”という心を持つことで、荒ぶる心を鎮めて鬼神から人間へと肉体も精神も取り戻していく物語ということで、最終的には、百鬼丸は「慈悲」という心を、縫の方は「慈愛」という心を獲得するんだと思います。
どうして観ているとこんなに忍耐を強いられるんだろうと思ったけれど、それは自分に「赦し」の精神が足りなかったからなんだろうけれども…。
でも、そこはこのスレッドでも度々あがっているように、この物語に「お米」を出して欲しかったなと思います。
この無慈悲な展開に耐えるには、原作ファンの自分にも「お米」が必要なんです!
「お米」との出会いなくして百鬼丸が、あと二話で「慈悲」の心を獲得する流れを作るのだとしたら、あまりにも急で不自然になってしまうと思うので。
慈愛の心を持っていたミオはもういないので、「お米」を本当に出して欲しかったです。(鬼神は12体目以外にあと一体いるみたいですので、そう考えると、お米の出演チャンスはなくもないけど…流れ的に無理かなと。)
>>812
すみません、「赦す」の意味ですが、これはそういう意味で書いたんじゃないんです。
「憎んでない人をガンガン切ってない??邪魔するな!!とか言って」
というのは第22話の百鬼丸の行動のことですよね?
大量殺戮する鬼神の百鬼丸の行動に対して「赦せ」という意味で書いたんじゃないんで
す。あれは「ホロコースト」そのものだから、論外です。
「殺戮は赦されることでは決してありません」
22話の海外の評価については確認していませんが、22話については流石に海外の
方も引いたのではないかと思います。
今更、言っても信じてもらえないかもしれませんが、「赦す」についてですが、私は、
この物語に出てき来る主要人物、特に縫の方、寿海が百鬼丸に向かってしたことにつ
いて述べていたんです。どうか、最後まで読んでください。
763のコメント中に書いていた
“どうして観ているとこんなに忍耐を強いられるんだろうと思ったけれど、それは自
分に「赦し」の精神が足りなかったからなんだろうけれども…。”
と言うのは、私が彼らを赦すことが出来なかったから、ずっと苦痛に思えたんだとい
うことだったんです。
私は彼らの言動のブレ、行動のタイミングが理解できず、何故こんな惨いことをする
のだろう、寿海は何故、義足が欲しいという百鬼丸に義足を作ってやらないんだろう
目の前で壊したり、縫の方に至っては我が子の前で狂言自殺めいたことをする。しか
も双方共に「救えぬ」という酷い言葉を投げつけてまで。
話を観る度、モヤモヤしたり落ち込んで、でも海外の人気は国内よりも高い…「何故?
」と思いました。もしかすると私には赦せない行為に見えることが彼らは赦せるという
ことなのだろうかと。つまり、海外のキリスト教圏の人たちは、縫の方や寿海を赦す
ことが出来るので、評価が高いのだろうかとそう思いました。
>>812
22話で百鬼丸がしたことは本当に酷いことでした。
その直前の回では醍醐へ向かおうとする百鬼丸を止めた男性に「邪魔するな!」と刀を突きつけていました。未遂に終わったもののどろろがいなければ斬り捨てていた、そんな形相でした。22話に至っては荒れ狂っていました。
断言しますが、このアニメの百鬼丸の行為自体は赦されることじゃありません。ですが、先ず「このアニメ版の百鬼丸は赦すという心を得ない限り荒れ狂ったままだ」と思いました。
ですので、“これは、百鬼丸が様々な苦難を通して“赦し”という心を持つことで、荒ぶる心を鎮めて鬼神から人間へと肉体も精神も取り戻していく物語ということで、最終的には、百鬼丸は「慈悲」という心を、縫の方は「慈愛」という心を獲得するんだと思います。”と書きました。
私はアニメ版の百鬼丸その人については、赦すも赦さないも無く、頭の中が真っ白というか…。でもこうやってコメントいただいたので、問題の回の問題シーンを再視聴しました。
>>812
22話の百鬼丸の殺戮シーン前半では、兵士たちの 戦国のぼり旗の家紋が醍醐のものに見えました。「醍醐の者は皆憎い。醍醐景光の兵は皆殺しだ」と、憎しみの炎に燃えて荒れ狂っているように見えました。ですがラスト3分ほどでは場面が切り替わり、少なくとも醍醐以外の、のぼり旗が2種類はあり、醍醐以外の兵も倒れていました。
邪魔する者は皆憎い、そんな鬼の形相でした。
「憎んでない人をガンガン切ってない??邪魔するな!!とか言って」の件ですが、この百鬼丸の憎しみの対象は分からない。邪魔する者は憎い、目の前に立ちはだかる者は皆憎い、兵士は皆憎い、なのか。
ですが、この勢いのままだと通り魔のごとく、庶民や女子どもも斬り殺す勢いに見えました。最初に観たとき、つまり最初にコメントを書いたときですが、展開に驚くばかりで兵士たちの旗の識別すら碌に出来ていませんでした。
もうあの『どろろ』じゃないから、呆然とした状態で観ていました。
しかし改めて観ると、最初に観たときより惨たらしく、より救いのない物語に見えました。こんな物語は、子どもには絶対に見せてはいけないし、手塚先生が、ご覧になったらきっと深くお嘆きになると思います。
先生は百鬼丸に惚れ込んで描いていらっしゃったので、我が子を無惨に壊されたと深くお嘆きになると思います。
もし、私が書いたコメントが不適切だと思うのでしたら、通報してください。
言いたかったことが伝わったかどうか分かりませんが、私にはもう、これ以上説明は出来ませんので、どうか返答はここまでとさせてください。
>>812
763です。
すみません、一回だけ追記させてください。
命を奪うことを赦せと言いたかったのではなく「過失を赦すこと」、それが出来ないと相手も自分も苦しいから赦しは必要な感情なんだと、それが一番言いたかったことなんです。
誰も赦せないんだったら、それこそ、その思いは殺戮に向かってしまうでしょう。それが最初のコメントで一番言いたかったことだったんです。
不快にさせて申し訳ございませんでした。
>>812
良く読もう。大量殺人を赦せとはどこにも書いていないよ。そのコメントだとクリスチャンは大量殺戮を認めているように、あなたが差別しているように見える。
肝心なのは頑ななまでに人を責め無い心だと書いてある。
>>812
遣り取りを見て、もとのコメントのどこをどう読んだらそうなるのか不思議でならない。
元々のコメントのこの部分、
「“赦し”という感覚が馴染んでいるキリスト教圏の人たちは、百鬼丸の周囲の人たちが、これまで取ってきた行動や言動に対して“赦す”ことが出来るから、抵抗感なく観ることが出来るので、高評価に結びついたのかと。」
ここんとこちゃんと読んでいれば、誤解はなかったはず。
間に救いを挟めてくれないと、殺伐としていて見るのが辛いと、そいいう主旨で書かれている。それだけでしょ。
そもそも、あなたの文章には主語がない。
人に意を酌んで欲しいのなら、もっとちゃんとした文章を書かないと。
コメントされた側も困ってしまうよ。
あなたの百鬼丸像が壊れ不満だと思うのは仕方ないことだけれど、八つ当たりは良くない。そんな風に、突然突っ込まれた側の気持ちも少しは考えて欲しいと思う。
>>833
ああ、やっと分かった。コメントを書いた763の人は、
「“赦し”という感覚が馴染んでいるキリスト教圏の人たちは、百鬼丸の周囲の人たちが、【百鬼丸に対して】これまで取ってきた行動や言動に対して“赦す”ことが出来るから、抵抗感なく観ることが出来るので、高評価に結びついたのかと。」
と書いたつもりだったのに、812 さんは
「“赦し”という感覚が馴染んでいるキリスト教圏の人たちは、【百鬼丸を含めた周囲の人たちが】、これまで取ってきた行動や言動に対して“赦す”ことが出来るから、抵抗感なく観ることが出来るので、高評価に結びついたのかと。」
という意味に取ったってことだね。
別にどちらにも悪意はなく、どちらも原作百鬼丸ファンなんだら、ここはもう和解という方向で。
設定改編と、キャラクターの追加の結果、それが生かされておらず、キャラクターの行動に致命的な矛盾がでてしまっている。行動に説得力が皆無
手塚治虫の戦争は絶対に嫌。やってはいけない。という主題が原作、旧アニメよりも、よりはっきりとわかりやすく描かれている。手塚治虫ファンとしてはうれしい作品です。弱い立場、虐げられた人にもやさしい。
普通に鑑賞していると、私は「面白くない派」。どうしてかというと、縫の方と寿海の百鬼丸に対しての「救えない」発言が、ぐっさり胸に刺さったから。なんて酷い人たちなんだろうと思う。例え原作を知らなくてもね。
親父の景光も百鬼丸に向かって鬼子扱い、縫の方がしたことはといえば、はっきり言って最悪。なんで、両親ともに子どもを追い詰めるんだろう、酷すぎるじゃないかと思った。
父親に否定された後に、母親からのあまりにも残酷な仕打ち。
我が子の前で自害を図るだなんて、縫の方はそれで楽になるかもしれないけれど、それって子どもにしてみれば死ねと言われているのと同じだし、百鬼丸にすれば再び捨てられたことにしかならない。
こんなの観ていて楽しいわけはなく…。原作を読んでいれば尚更。
原作では、あの景光でさえ百鬼丸と再会したときには狼狽し、心を痛め百鬼丸の行く末を案じる、そういう場面があったのに、アニメ版の百鬼丸の両親は冷酷にしか見えなかった。
アニメではストーリー展開上、百鬼丸を鬼神になるようにし向けるために、こんな展開を考えたんだと思うけれど、手塚先生の愛もメッセージも、ばんもんの巻からは感じられなくなってしまった。それが悲しいし、面白くないと思った理由の一つ。
手塚先生は、「愛」とは「希望」とは、どういうことなのかを作中で丁寧に伝えようとしていた。だけど、この物語にはそういう立場にいる人物が、与えてくれたと思ったのに突き放したり、与えるはずだった立場の人が突然奪ったりする。
『どろろ』は情念渦巻く人の業を描いた物語だと言われているけれど、手塚先生が本当に書きたかったことは、寧ろ「普遍的な愛、ヒューマニズム」についてだったんだと思う。
でも、それを描くためには対比するものとして人間の中にある憎しみや業、エゴを描く必要があったので、作中でもそういった描写を取り入れた。そういうことじゃないかと私は感じている。真っ白な紙に光を描こうと思ったら、影を描かなければ光が表現できないように、手塚先生は人間の中の影の部分を描かざる得なかったんだと。
ところが、アニメは無慈悲な場面ばかりが延々と続いていた。制作側はサディストなんじゃないかと思えてしまうほどに、百鬼丸の心を壊すことばかりやっていた。
韓流ドラマだって、ここまで突き落とすことばかりしないのに。
どろろだけは百鬼丸の側を離れなかったし、優しくしていたけれど、どろろは原作ほどには逞しくはないから、百鬼丸をやっと支えている状態だった。
アニメは百鬼丸を徹底的に突き落として置いて、鬼神化させて、最後は縫の方、寿海、どろろが救うんだろうと思って観ているけれども。
でも、自分には脚本に「原作に登場人していたキャラクターたちに対する愛が感じられなかった」ので観ていて、辛くなったし、ガッカリした。
自分からすると縫の方も寿海も、正直言動がおかしすぎた。
我が子の安否を一心に願っていた母が狂言自殺めいたことをしたり、死の淵から救った養父が「救えぬ」って、絶対おかしいよと。
そんな人いるわけないじゃない、キャラがぶれ過ぎって思ったわけです。
もうね、ストーリーを完結に導くための荒技としか思えない。
だから、「面白くない」と思ったんです。
ですが、このアニメは心理学的に観れば面白いのかもしれないとは思った。
機能不全家族とか、アダルトチルドレンとか、愛着障害とか。
「慈愛」とか「慈悲」とか、仏教やらキリスト教とか、ワンクッション挟んで観れば、やりたいことは分かる気がした。
だけど、はっきり言って、「やり過ぎだった」と思います。
最高のハッピーエンドを用意しているのかもしれないけれども。
このアニメを心を痛めないで観ることができる人って、強靱な精神力を持つ人か、これは娯楽で虚構の世界だと割り切って観ることが出来る人、もしくは迫害されて荒ぶる百鬼丸に共感できる人ってことなのかなと思って観ていました。
あと二話で完結なので最後まで観ようと思いますが、第22話を終えた今、娯楽として観るにはあまりにも暗すぎたという印象です。原作は未完ですが、よほど希望が描かれていたので、暗い場面があっても、楽しめたし感動できたんです。
私は面白くない派だけど、もととすっかり同じ作品を望んでいたというわけではないんです。このアニメの中でも序盤を含め4話ほど楽しめた回があったので。
だから、余計思うんですよ。これだけのものが作れたのなら、キャラクターの人格を壊さずに、それぞれのアイデンティティを保ちながら、作品作りをしていただきたかったなと。キャラクターの身代わりが早過ぎて、キャラクターを魅力的に描くことを放棄しているようにしか見えないので、「面白くない」と思っています。
縫の方は、あまりにも身勝手だったし、あの人が母親だったら自分は自殺したなと思うぐらいにショックでしたが、縫の方が成長しないと百鬼丸が救われないので応援はしています。自分にとって言動のおかしな人たちがどうやって赦されることになるのか、観てみようと思います。

