死後の世界はある?ない?
>>146
「俺の世界にはあります」つまり死後の世界が個人の主観的概念にすぎないことをやっと認めたね。
>>139
そうだな君はしょぼい人間だ
人は趣味を追いかけるのが夢だろう、それだけで夢を持てないっていうのはどうかと
>>132
自分が議論で勝てないとなると「夢がない」とか、相手の人格になんくせつけるやついるな。
>>162
最近調子いいですか?
もし調子悪かったら私の呪いです♪
まだ調子良かったならもう少しで悪くなると思いますので安心してくださいね
>>163
議論に勝てないとなると人を呪いだしたよこいつwww
「ある」派のやつってこんな感じなの?
>>163
ちなみに君が信じてる呪いってやつは
やればやるほど自分に返ってくるらしいぞ
、、、どんまい
>>132
つまり死後の世界は夢なんですね?
あなたは死後の世界がないと認めてしまっていますが、
そのことに自分で気がついてないようですね。
頭悪すぎて。
>>132
仮にあったとしてもその結果は今は何も生んでませんよね
それならそういう化学とか現実味のあるやつが優先される
もし本当にあると思うならそれを証明して世界の役に立て
>>132
つまり死後の世界は夢なんだね?
ということは死後の世界が実在しないことをあなたは認めているわけだ。
>>130
このトピックにはコメントする人の性格とか人間味がある考え方はどちらかとか関係ない。死後の世界があるか、ないか。
死後の世界を否定している人は、異世界に転生する人の話などはどのように見ているの?
異世界転生ものの世界は、死後の世界と一緒だよ。
死後の世界を否定しながら、異世界転生ものを楽しむのは自由だけど、自己矛盾には陥らないの?
観測者がどこに立ち、その世界を観測しているか。
実際には確認できずとも、死後の世界はその程度の認識で十分成立するとおもうんだけどね。
あると考えてたほうが、幽霊が出てくる作品も楽しめるしね。
>>133
異世界もの幽霊ものは好きです。「ゴースト・ニューヨークの幻」とか「アザーズ」とか大好き。ファンタジーとしてね。現実世界とは区別しているので自己矛盾には陥らない。それは仮想戦記やタイムトラベルものとおないことです。
ギリシャ神話の神々が実在しないことはわかってるけど,ギリシャ神話読むのも楽しい。
>>135
それって、自分に都合のいいところは認めるけど、
都合の悪いところは認めない。
ということじゃないの?
ファンタジーって言葉は便利だね。
>>143
きみ頭悪いね。フィクションの世界と現実を区別してるだけじゃないの?ウルトラマンが実在するとはまったく思ってなくてもウルトラマンのドラマ見て楽しめるよね?
>>144
ウルトラマンの話なんてしてないよ。
>>147
だから、それが本音なんでしょ?
区別しているだけ、って便利だよね。
区別の線引き次第なんだから。
>>148
確認できてないものは、肯定も否定もできないよ。
>>134
その返しは理屈としては成立してはいるとおもうよ。
けれど、やはり都合よくおもえるよ。
自分が利を得るときはフィクションだから、を言い訳にして、
自分の立ち居地に不都合なときは、信じているわけではない。
と返しているのだから。
>>153
「>>144
ウルトラマンの話なんてしてないよ。」
「たとえ」ってしらないの?
しょうがっこうでましたか?
>>143
現実と虚構を区別しているだけで「自分に都合のいいところは認めるけど、
都合の悪いところは認めない」って言われたらたまらんな。
>>133
「ある」と投票しといて,「あると考えてたほうが,幽霊が出てくる作品も楽しめるしね」って書いてるんだから自己矛盾におちいってますよ。わかりませんか?
>>133
フィクションとして私は異世界ものを楽しむが
現実にあるとしては見てないですね、
もしかして本当にかめはめ波撃てると思ってる?
一応、補足
異世界に転生する人の話などはどのように見ているの?
↓
異世界に転生する人が登場する作品はどのように見ているの?
>>151
日本では哲学を学校で教えないから134みたいに変なこというやつがでてくるんだね。様相論理学とか可能世界とかメンタルスペースとか全然わかってない人なんだね。
>>167
死んだことないのに死後の世界があるってわかるんですか?
あるとわかるまではない。これが理性的判断でしょう。
>>167
ないですが予想をしてますね、あなたはあると予想した。
答えを見る前に予想するだろ、ここはそういうやつよ
死後の世界がない、死んだらもう何もかも終わりだって人は家族が死んだら「完全にこの人は消えて、身体はただのゴミになった。」と言って手も合わせずに(手を合わせるのは立派な宗教行為)本当なら燃やせるゴミにしてもいいけど法律上それは無理だからと言ってその遺体を火葬場までズルズルと引きずりゴミを収集車に放り込むように火葬炉の中にポイっと投げ捨てて骨は骨壷などに入れず、廃棄物として捨ててくださいねーと言ってスタスタと家に帰り、故人が大事にしていた遺品などもいそいそとゴミ袋に詰め込んで今度はゴミ処理場に行き、躊躇もせずに淡々と捨ててこれるんですね。そして自分が死んでもそうしてもらって構わないと思ってるんですね。
死後の世界などを一切否定するというのはそういうことですよ。亡くなった人をせめて綺麗にしてしっかりあの世に送ってあげたい、最後に尊厳を持たせてあげたいと思うから葬儀をします。火葬もそうです。朽ちてゆく遺体を綺麗な遺骨にしてあげるためです。無宗教の葬儀だってそうです。お別れの会といっても亡くなった人は死ん瞬間に完全に消えてしまったとすればお別れも何もありません。遺体がゴミなら散骨だってやらなくていいですよね。カルシウムを海に撒いてなんになるんですか?
遺族が故人に対して「亡くなった後も幸せな世界にいて欲しい」という温かい心を、くだらない、バカバカしいといって踏み躙り、科学的に説明がつかないからと切り捨てていかにも自分たちはまともな人間であるかのように振る舞う人間のなんと冷酷なことか。そういう人にはこれまで人間が長きにわたって死者に対して払ってきた敬意や愛情が全く理解できないのでしょう。亡くなった人はずっと幸せな世界にいて自分たちを守ってくれるというとても温かい考えでいた時代はとてもいいものでした。しかし現代ではこのように冷酷な人間が増えてきて、先人が大切にしてきたものを平気で否定する。自分たちは科学によりのみ進歩している。昔の人はバカだ。と考えている人間はむしろ人間的な優しい心を著しく欠いていて昔の人より愚かだと思います。むしろ現代人は傲慢になり退化している気がします。死をおろそかにすることは生をおろそかにする。現代の冷酷な人間はそんなことも忘れてしまったのでしょうか。このままでは人間は自ら破滅へと向かっていくでしょう。

