【小説】仮面と息継ぎ
昼休み。芹沢 郁人(せりざわ いくと)は、弁当箱を持って渡り廊下を歩いていた。向かう先は北校舎の最上階。屋上扉へ向かうためだけに存在する、わずか数段だけの階段だ。
なぜならそこは、数回のリサーチを経て、人が滅多に訪れないことを証明済み。いわゆる”穴場”なのだ。
常日頃から人目を避けて昼食をとる生徒は少なからずいるが、郁人はそのうちの一人ではない。
新しい高校に入学して、環境が変わって、人が変わって。慣れない人間関係を結んで、失敗を恐れて仮面を被ってしまう人は少なくない。
その仮面には空気穴が空いているように見えて、案外息苦しいものだ。時折外して深呼吸する必要がある。
郁人にとって、今日はそんな日であるというだけだ。
北校舎に着いて、階段に足を踏み出す。こんな時にも、郁人はクラスメイトの顔を思い浮かべていた。
この数ヶ月間、当然のように過ごしてきた友人が、突然席を外せば、どう思うだろうか?
何も思わないかもしれないが、もしわざと避けたことを知ったら? そんな不安から、つい引き返しそうになる。
「委員会、やっぱり無かったみたい」
そう言って、脱ぎかけた仮面を被りそうになるが、それでは駄目だ。とりあえず、今日は試しに一人で過ごしてみようと決めたからだ。
最後の踊り場を曲がったところで、郁人は初めて足を止めた。屋上へ続く階段の中段あたりに、一人の女子生徒が腰掛けていたのだ。
椎名 葵衣(しいな あおい)。クラスの中心人物のような存在で、先日の文化祭準備や決め事にも率先して参加していたほどだ。そんな彼女がなぜこんなところに?
「えっ」
引き返す間もなく、郁人の存在は葵衣に気づかれる。
「――あ、ごめん。俺、別のとこ――」
「ご、ごめんね。全然、使って!」
言うと、隣に置いた水筒とビニール袋を掴んで、腰を浮かせて手すり側にスライドする。
「遠慮しないで。ちょっと寂しかったし」
「あ、ありがとう……」
郁人は少し迷って、同じ段の壁際に腰を下ろした。流れで座ってしまったが、気まずいやら気を使うやらで全く快適でないことに気づくまで、さほど時間は要しなかった。
静寂の中、ビニール袋の擦れる音や、微かな咀嚼音だけが響く。
何か話そうか、そうしまいか決めあぐねているうちに、葵衣が口を開いた。
「芹沢くん、いつもここ使ってたっけ?」
「いや、今日が初めて」
「そっか」
パリパリ、とパンの袋が音を立てたのを最後に、再び静寂が訪れる。
雲に遮られたのか、窓から入る日光が弱くなり、室内が薄暗くなった。
「私も、今日が初めて」
沈黙を破ったのは葵衣。眉を寄せて郁人に微笑みかける。
「なんか、疲れちゃって。正直に言うと、無理してたんだ。率先して動いたり、明るく振る舞ったりとか」
膝の上で丸めた焼きそばパンの空き袋を、葵衣は指先で小さく弄る。普段のクラスで見せるハキハキとした声ではなく、どこか掠れた声だった。
「で、でも、別に皆のことが嫌いなわけじゃないんだ。素の私をさらけ出すのが、今になって怖くなって――ごめんね、こんな話、関係ないのに……」
「……いや、あるよ」
つい口に出た言葉に、郁人自身も驚く。葵衣も目を丸くして、郁人の方を伺った。
「俺も、そんな感じだし」
「えっ、そうなの? 芹沢くん、男子の中心みたいな感じだったから、意外だな」
「お互い様だよ。俺も――ちょっと違うかもだけど、今のキャラが素じゃないし」
葵衣は丸くした目を数回パチパチとたたかせると、ふっと力を抜くように肩を落とした。
「そっか。同じなんだね」
心の底から安堵したような、穏やかな表情が覗く。
それにつられるように、郁人の口から自然と言葉が紡がれる。
「一緒の中学の奴とか、全然いなくてさ。『なんとか万人受けするように』って頑張ってたら、元の自分と全然違う性格に行き着いた――って感じ」
「そうそう、まさにそれ。性格だけ高校デビューみたいな」
雲が途切れ、再び現れた太陽が階段におろした二人の脚を照らす。いつもは暑くて鬱陶しい日光が、今はポカポカと暖かい。
会話が途切れる。沈黙が帰ってくるが、先ほどまでの気まずさはもう無い。
友情が芽生えたわけでもないのに、無言で過ごすこの時間は、何とも言えない心地よさがあった。
どのくらい経っただろうか、二人とも既に昼食は済ませていたが、特に離席する理由もなく留まっていた。
太陽が再び雲に隠れて、今度は郁人が口を開いた。
「……でもさ、ずっと自分に嘘つくのって、やっぱりしんどいし、なんとか克服したいとは思ってる」
葵衣は膝を抱え直し、手すりに後頭部を預けた。
「いいと思う、嘘ついても。その度に休憩したらいいんだよ」
「休憩?」
「うん。何回でも、例えばここで、一人で時間を過ごすの」
葵衣は言葉を続ける。
「ほら、人間は水中で呼吸できないけど、はなから泳がなかったり、無理やり泳いで身体を壊すことはなくて。道中で、好きなタイミングで息継ぎをして進もうと努力する――みたいな?」
なるほど分かりやすい、と感心するのと同時に、葵衣が水泳部に入っていることを思い出す。
「いいね、それ」
「でしょ」
言って微笑むその表情は、普段の様子に似ているが、どこかリラックスしているようにも感じられる。
郁人と葵衣はクラスでほとんど接点がなかった。文化祭の準備で少し関わったくらいで、おおよそ友情と呼べるものはない。
そんなほぼ他人で、どこか似た境遇の郁人にだからこそ、自分の素を出せるのだろう。
そして、郁人はまたクラスメイトの姿を思い浮かべる。毎日言葉は交わすが、自分はどう思われているだろうか? 大事に思われていると言えるのか?
……いや、大事に思えていないのは、自分自身の方だろうか。
自らの不安を解消するため、ひたすらに繋がりを作ることに精一杯で。人を深く知ることから目を背けていたのかもしれない。
深く知れば、嫌いな一面があるかもしれない、純粋に関われなくなるかもしれない、と思っていたのだろう。
椎名 葵衣は、誰にも言わないような悩みを、他人同然の郁人に打ち明け、こちらの悩みにも自分なりに回答を出した。彼女が友人に恵まれる所以だろう。
それに比べれば、郁人の行動に改善すべき点が存在するのは、明白だ。
行動を起こすなら、早いほうがいい。郁人は思い切って立ち上がる。
「……俺さ、もう一回やってみる。息継ぎしなくても大丈夫な方法、見つけた気がするんだ」
もし駄目でも、諦めてなんら問題はない。人間は陸を歩くこともできるのだから。
「うん。いいと思う」
踊り場を曲がり、階段を下りはじめたところで、再び葵衣の声が聞こえる。
「短い間だったけど、話せてよかった」
郁人は葵衣の方を振り返ったが、手すりに遮られて、表情を確認することはできなかった。
**
月日は流れ、郁人は息継ぎを必要としなくなっていた。少しずつ本音を交えだして、共に陸に上がったのだ。
中には、それまで話していたのに、今では疎遠になった人もいるが、それは大した問題ではない。その分他の人と関係が深まったのだから。
あれから、葵衣とはほとんど話していない。以前と変わった様子はないが、彼女もまた、悩みを克服したのだろうか。それとも、またどこかで息継ぎしているのか。
今考えると、あの出来事は夢だったのではないか、と思うこともある。
しかし、掃除の行き届いた階段、日光の差す窓を見つめて、購買のパンをかじる葵衣……その全てを鮮明に覚えている。
何しろ、あの事があったおかげで、郁人は悩みを乗り越えているわけだ。間違いなく存在した時間と言えるだろう。
教室の端から、女子たちの笑い声が聞こえてくる。ふと視線をやると、そこには笑顔を浮かべた葵衣の姿。
二人の視線がぶつかるが、次の瞬間、何事もなかったように逸れた。
言葉こそ無いが、あの階段で過ごした時間は、郁人にとって有意義な、そして大切な夏の思い出だ。
郁人は心の中でそっと感謝を告げると、友の方へ向き直った。
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いい作品だった。天気の描写と主人公の心情にリンクが見られたのは意識して書いたのか気になる。
葵衣とその後話していないのは良い展開
後半は筆が乗ったのか、スラスラとゴールまでいった。良かった
「わずか」 「だけ」 表現の重複
「なぜなら」、 だから などの言葉で回収をつける
入学して、環境が変わって・・・ これは同型反復の範疇
しかしその後、結んで、失敗を恐れて と続けると単調で読者に退屈なイメージを与える
仮面の例えは良い でも仮面が例えなら、深呼吸することも何かの例え そうしたら、吸い込むものは空気だけではないはず。
「そんな日」 説明になっていない。
「だけだ」 文中において限定、強調の意味が成立しない。 その後の葛藤の描写の矛盾がある
「当然のように過ごしてきた」 なにを当然に思っていたのか。「一緒に過ごしてきた」等の説明が必要。
「どう思うだろうか」 誰が 友人がクラスメイトかどうか説明がされていない。我々読みてに対する問いかけにも捉えることができる。
わざと避けたことを知ったら? ここは主人公の環状が大きく揺れる部分。何も思わないかもしれない。けれど、もしわざと避けたことを知ったら? 逆説をうまく使う
委員会に主人公が所属している説明をしないと、読者がおいていかれる。
「それでは駄目だ」 これの視点が一人称 郁人 と名前で記している三人称視点なのであれば、その表記ではなく「そういうわけにはいかなかった」等の表現の方が適切
初めて足を止めた 行くのを悩んでいたりする表現がありながらここで初めて足をとめるのは不自然
~にも率先して参加するほど、クラスの中心的な人物だ 人物だった。
「えっ」は誰の発言? 郁人ならば「思わず声が漏れた」などの表現があったほうが良い
言うと 誰が?何を? 一連の動作についても動作主が示されていない。
壁側がわからない 作者の頭にあるものを文章だけで伝えるのが小説の面白さ 手すりにも壁はあるはず 彼女の反対側に 等の表現が良い
咀嚼音が響く 彼女は何を食べている?音が聞こえているなら、それが何を食べているのか あるいはどういう音なのか を示して読みてが想像しやすいようにする
>>2
細かい分析、とても勉強になります。
おっしゃる通り、筆が乗るとスラスラと書けることは自覚していました。それ以外だと表現力や語彙力が低下して伝わりづらい文章になってしまうことも分かっているつもりでしたが、ご指摘を受けて、思っていたよりも深刻な問題と感じました。
改めてありがとうございます

