アニメ『どろろ』はおもしろい?つまらない?
773・774・775に同感です。
本当に救いようのないストーリーだと思います。
縫の方と寿海の性格がブレブレなので
ラストで泣ける話に持ってかれても
「はぁ…」としか思えないかも。
百鬼丸のキャラデザがいいので
見てますが、こんな辛いアニメ
初めてです。
どれぐらい酷い目にあわせたら
鬼神化するかなー、の実験でも
してるみたいで、それが段々
エスカレートしていって、
とうとう22話で、弟君たちが
百鬼丸の取られた体を身につけて
現れた時には、背筋が凍りました。
ここまでするのかー、と。
>>778
実験というか、人間たちが鬼神に思いを託して翻弄されるさまを、上から観察している感じ。百鬼丸側と多宝丸側との対立関係も、頭でこしらえた構図が見えすぎる。
体を奪われた側の百鬼丸が、多宝丸らの体を斬って奪い、その傷跡に百鬼丸の体がはめ込まれて、と、あんまりにも整った対応関係。陸奥と兵庫がキレイにそれぞれ違う方の片腕をいっぺんに斬られるとか。
人間関係と人間の体で、簡単な数式をやっているかのよう。なので、観ていても、辛いとか、心をえぐられるとか、そういうのは感じない。数式はキッチリしてるけど、心理描写は雑だし。
イヤな話だなと感じながら観ている人はまだ、このアニメに感情移入できているんだよ。自分は完全に冷めてます。
>>780
上から観察している感じ…なるほど。コメントを拝見して『竹取物語』の 月の都の監視人が、かぐや姫たちの様子を冷ややかに見降ろしている、そんなイメージが浮かびました。私は脚本家さんが物語世界の神になりきって、登場人物たちの想いを聞き届けることよりも、自分が考えたラストへ向けて予定調和で話を作っている、そんな印象を持っていました。
自分の場合、辛いとか、嫌な感じというのは後からついてくる感情で、最初に来るのは「何これ、訳が分らない、あり得ない! お芝居みたい!!」で、似たような場面が何回も続くと気持ちが落ちてきて、「これってあんまりだよ…」となります。つまり、それが辛いとか嫌な感じということになるんですが。
制作側は、辛いとか、訳が分らず腹立たしいという感情を視聴者に抱かせて、百鬼丸の感情を疑似体験させようとしていたということかぁ。視聴者が何を思っても物語の人物たちに意見を述べられないのと、アニメの百鬼丸そのひとの様は重なりますんで。
>>780
最新話はというと、領主の息子が異形になるって、あり得なすぎると思ってまたビックリ。百鬼丸を鬼神呼ばわりしていた多宝丸一行が、その体を奪うその行為こそが鬼神。なりふり構わずといったところだけれど、武人としてあまりにもプライドが無さすぎるのでは…? 異形について行く領民っているの?と、ここでも疑問。
原作が大河ドラマテイストのある物語だったのに対して、こちらは特撮ヒーローものっぽく感じています。多宝丸一行に百鬼丸の目や腕が生えたときは、高天原 醍醐の国に攻め入るはスサノオ百鬼丸、それを迎え撃つはヤマタノオロチ多宝丸一行、といった感じで、ここまでもとのキャラクター像と違うならばいっそのことと、今では古事記のキャラクター達に当てはめ、そうすることで完全に別物として観ることにしています。
手塚先生はヒルコを人間味あふれる百鬼丸にし、こちらではその百鬼丸の設定を借りて荒ぶる神スサノオをやりたかったんだろうなと。こうやって分析するっていう行為自体が楽しめてない証拠なんですが、楽しむことの代償行為として分析しながら観るよりなくなっています。
だけど、ちょっと不安なのが琵琶丸の体を取り戻して何になる?発言。
百鬼丸は多宝丸に片目をあげたり、陸奥と兵庫に両腕あげたり、なんてラストになりそうで。EDラストのどろろの姿を、実は片目で観ていたってのだけは無しにして欲しいですね。
>>798
生贄を捧げていた国 出雲でも、高天原のどっちでもいいんだけど、ともかく醍醐の国にはスサノオ百鬼丸の敵がいるということで。
醍醐の城って(富樫の居城)七尾城の様に見えるんだけれど、、、
七尾から朝倉のいる福井県までどんだけ離れとるか知らんのんか?www
ばんもんはおそらく九頭竜川近くだから加賀南部にアニメの様な城(山城)はムリやぞw
七尾城に行った事ないやろ?
想像で適当に作ってるだけやんけw
大人なめとんかボケー!
>>791
百鬼丸だけを気にして、国を守る気が本当にあるのかね?
神頼みで朝倉の大軍勢に勝てると思ってるん?
リアリティのかけらもないやんけw
笑止千万wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
(笑止千万と書けば、お子ちゃまや朝鮮でも理解出来るだろ?w)
>>793
お前は、「俺にとって「どろろ」は聖書や。。」とか言っていたくせに、その聖書が描いていた、差別の愚かさや苛酷さというものを、まるで汲み取ってないんだろうな。
『どろろ』を聖書として崇めているようなことを言っている奴が、「お子ちゃまや朝鮮でも」なんて言葉を平然と吐いて、嬉しそうに草林まくってるのを、もし天国の手塚先生がご覧になったら、どう思われるだろうか?俺はそれを畏れるよ。
>>827
「意味がわからん」という意味が分からん。どこがどう引っ掛かったのか書こうよ、ちゃんと。
そういう基本的な国語力が無いから、他人の文章の意味も分からず、独りよがりな一言コメントしか出来ないんだよ。
>>829
すまん 793が意味わからんと書こうとしたら関係ない人に喧嘩うってしもうた。どこをどう間違えたか。
もう 朝鮮がどうこうとか…かまってちゃんなんだよ。ほっとこうや
>>829
793 ほんとに毎回 暴言はくし困る。何と戦ってんの?って思っちゃう。末尾にボケーとかアホーとか朝鮮がとか。その一文入れるだけで仮にまともなこと言っても入ってこない。 全体的に支離滅裂で意味不明っす
>>789
743で
>「どろろ」は「ゲゲゲ」の様に妖怪で子供を怖がらせる漫画だったはずなのにね。。
>少しも怖くないよね?根本的に間違ってるよね?w
と言っていたのは、文体からしてあんただと思ってるんだが、子供相手のアニメであるべきだと考えてるんなら、「大人なめとんかボケー!」は意味わからん。
>>789
醍醐の国って何でしょうね?
どろろってファンタジーだったけ?
シラけると言うより、腹立ってくるね
>>814
妖怪と戦うアニメは、ファンタジーじゃないの?
「ファンタジー」を、自分流に定義づけて語ってるんなら、そんなの他人には伝わらないからね。
789の人は、以前からずーっと、考証ネタで重箱の隅をつついてばかりなので、白ける。作品をちゃんと読みこんだ上で批判しようという姿勢が無さすぎて、腹が立つ。
>>830
あんた何の話をしてるんだよ!
>>814
の人はどろろ制作者への批判しているだけだよ?
あんたがやってるのは個人への誹謗中傷でしかない、誰が見てもあんたのコメントの方が腹立つと思うが?
あんたが制作者なら個人の感想は真摯に受け止めるべきだ
>>837
「あんたが制作者なら」なんていう勝手な決めつけも、個人への誹謗中傷でしょ。
ファンタジーという言葉で何が言いたいんだかわからないと指摘するのが誹謗中傷とは?こんなのは、訊かれた本人が、自分はこういう意味でファンターという言葉を使ったのだと答えればいいだけのこと。そんな簡単なことなのに、「何の話をしてるんだよ!」と激昂するのはなんなのか。
制作者に対しては何を言っても自由で、コメントへの批判は許されないと?そんな子供じみた自己中心性が通用するわけがないよ。作品の批判をするのは自由というか、俺もやってるけど、789みたいに「ボケ」とか下品な言葉を吐くのは、それこそ誹謗中傷じやないのか?789は、ひとに対してレスする中で「あほ」とか「へそかんで死ね!あほ」なんて言葉をしょっちゅう吐いていたんだが、そういう人間こそ誹謗中傷で批難されるべきだと思わないのか?
>>849
の、ファンターってなんだろう。ファンタジーね。
ついでに、重ねて言うけど、制作者の批判をするのはいいとして、関西弁の人のように「死ね」とかいう言葉を吐くのは行き過ぎだから。この人のは批判より、感情的な悪口が多すぎるんだよ。
考証にこだわるのも一つの見方だけど、何か見つけたらからって、もう制作者のことを人間扱いする必要が無いかのように罵倒しまくるのは、人としてどうなのか。スレの空気も悪くする。そういうコメントの姿勢を批判されることがあっても当然だろう。それを誹謗中傷とは・・・。
二十二話は「縫の巻」だったが、縫の方の印象が弱い。どろろを囮にするのはむご過ぎるといって逃がすのはわかるが、兵士に見つかりそうになって着物のなかに隠したとき、どろろがうっとりした顔で「おっかちゃん・・・」っていうほどの母性を彼女に感じない。今までのふるまいからいって。病んだ民の世話したりと、「このお方は、わがアニメでの母性のシンボルですよ~」と急にアピールし出して、たぶん来週ありそうな、母性あふれる行動の伏線にしようとしてるんだろうけど、なんか表面的だな。
着物にかくまうシーンも、たとえば、縫の方がどろろを守ろうと、無意識に手をどろろに重ね、それにハッとしたどろろが、せつない表情で身をゆだねる、といった、さりげない表現にしてほしかった。「おっかちゃん」なんて台詞は説明的でウソくさいから邪魔。
縫の方も、百鬼丸が生まれたとき、その無残な姿を目にしながらも、我が子としていとおしいというその姿には、母性が見えて感動的だったのに。そのあとの振る舞いが、軸が定まってない。
今回、また急に母性キャラになろうとしているのも、女性ホルモンのバランスですか?と訊ねたくなるような唐突感。
>>794
まあ、気持ちは分かります。百鬼丸の鬼神化だって、縫の方が百鬼丸をとことん突き落とすのではなくて、旧作のように百鬼丸の方についた縫の方を切り伏せた景光に対しての怒りからだったのならば感情移入できたし、ストーリーも上手く纏まったと思います。各話通してキャラが統一されていなかったこと、これが一番拙かったですね。
こう書くと、まるで縫の方に死んで欲しかったみたいになってしまうけれど、一番やって欲しくなかったのは、筋書きに合わせて人物像をぶれさせてしまったことですよね。
ストーリーとキャラクターの統合性を意識しながら進めれば、もっと自然な流れにできたのに。
醍醐の国の母に拘るけれど、醍醐の国の母の代わりは他に幾らでもいるし、百鬼丸の母は縫の方その人しかいないのだから百鬼丸の側につきながら、今の縫の方みたいに健気に被災者の介護をしていれば、まさに「おっかちゃん」だったし、「国の母」になっていたと思います。
>>794
それと、ついでにいうと縫の方が お忍びで被災者の介護にあたっているわりに身綺麗なのが違和感。顔や服に泥をなすりつけるとか、途中で庶民の衣服を調達するとか、髪を切るとか…そういうちょっとしたリアリティが欲しい。
>>794
800の件で書き方に語弊があったので追記させてください。
百鬼丸の側につきながらというのは、多宝丸を斬り捨てるという意味で書いたことではありません。
多宝丸は最初は百鬼丸よりだったので、縫の方が本当の自分の気持ちを話し、多宝丸への思いを語れば、多宝丸はしっかりと父と母、どちらの考えについて行くか自分で考えたと思いますので。
出来るか出来ないかより、本当はどう思っているのか本当にはどうしたいのか、そういうことを縫の方はずっと語らず、百鬼丸のことについてはチクリチクリと背後から景光に皮肉のように漏らすだけでしたし、多宝丸としっかり向き合って話すこともありませんでした。
ばんもんで百鬼丸と再会したときも、自分の気持ちを一方的に語り、勝手に百鬼丸の行く末を決め、百鬼丸の心を深く傷つけてしまいました。
縫の方に決定的に欠けていたのは家族とのコミュニケーション能力です。
ご指摘の22話では、皮肉にも彼女は不思議なことに(もしくは尺の都合か脚本上の予定調和で)初見のどろろにはコミュニケーションを発揮できたんですけれどもね。
上記の件を含め、いずれにしろ、縫の方の行動は唐突に見えますね。
脚本が拙いのか、ばんもんの巻から縫の方は唐突なキャラになってしまいました。
>>796
まー・・・、このアニメでの百鬼丸と多宝丸との関係が、マダラと影王との関係みたいになっている、と言えなくもない・・・か?笑
しかし、ここまでお話が違うと、原作が、原作がという人を怒る側の気持ちも分かってくる。そもそも原作には百鬼丸には「鬼か人か」なんてキャッチフレーズはなかったもんね。
百鬼丸に「鬼か人か」設定があったこと、赤子の頃に心に鬼火を秘めていたという時点でもう別物だったんだなと今更ながらに思う。「修羅の道」とかさ。その辺りで気がつかなかったのは自分の手落ちだったと思う。
最初はモヤモヤしたり腹立ったりしたけど、改めて原作の良さが分かったこと、原作が今なお出版され、読み継がれていることに感謝したいと思う。
百鬼丸はいつか、どろろと再会するその日まで旅を続けているんだと思える原作のラストでもう充分だよ。
どろろと縫の方の接触、寿海や琵琶丸の登場…必要でした?
ラストに向けて皆登場させました感しかなかった。
百鬼丸の白馬の王子様化(闇落ち)、鋼の錬金術師みたいな多宝丸側の方々…どうしてこうなった?
主要な登場人物に何をさせたいのかどうしたいのか、もはや分からないので、百鬼丸とどろろのラストにしか興味がないが、どうも雲行きが怪しい。
どろろ梵と実写映画よりは…まあ ましなのかもな…前期のオープニングは好きだったけどね。世界観にあってた。エンディングも好きだった。アジカンは、嫌いな歌手じゃないけど、全然合ってない。あんな明るい感じの曲じゃ物語と合わず浮いてる。
音楽に関して言えば「どろろ」は当時生まれた「へヴィメタル」だね。
意味を知る者なら分かると思う。。
僕は今でもへヴィメタルの演奏を好んでやってます
漫画には漫画にしかない面白さが、旧アニメにしか出せない素晴らしさがありますよ。今作も私は素晴らしいと思います。暗闇の中を正に這いずり回る様に出ようとする所や、二人が少しづつお互いが大切な存在になっていく様など、怒ったり喜んだり、本当に心が動かされました。
受け入れられないならスルーすればいいんです。
自分の思い通りじゃないからってその作品を必死になって貶めようとしたり他人の同意を求めるのは誰にとっても無意味で、時間の無駄遣いです。
>>821
ここは 面白い派とつまらない派がいるスレだから つまらないと感じる人がいるのは当然。同意を求めるつもりはない。ただ、同じように思ってる人がいて盛り上がったり 同調するのは自然なこと。誰を中傷したわけでもないんだから問題ない。
私は面白い派の意見を見て、ふーん そっかで終わりです。つまらないと感じる人の意見を無理矢理変えさせようとして何の意味がある?それこそ時間の無駄だろう。スルーしてくれ。
いちいち反対派を締め出そうとせんでくれ
なんだろうね。面白い派の人って作品のことにコメントしないでつまらない派を否定するコメントが多いね。
763です。
まあ、なんかぼやいているヤツがいると、気に障る方がいたらスルーしてください。
多分、このアニメを嫌だと思う人は、周囲が見境なく百鬼丸を追い詰めているように見え、今や百鬼丸が見境なく暴れているように見えるから嫌なんだと思う。
ここまで百鬼丸の味方が少なすぎたし、百鬼丸の気持ちを碌に聞かなかった人たち(縫やら寿海やら琵琶丸ら)が、なんで今頃になってのこの会いに来るのか、わけわからんとか、白々しいと思っているのかな、などとみなさんのコメントを見て想像しています。
原作を知らずに見て嫌だと思った人たちは、それだけで視聴はさっさと止められると思います。でも原作の続きが見たかったという気持ちがある人は、どんな形であれ、補完する形で見たいと思うから見てしまうってことかと。
だけどはっきりいって、最新話は子どもに見せるのはショッキングなのではと思う。
もともとが少年誌で発表されたものだから、こちらの視聴を始めた人は、子どもにも受け入れられ、かつ大人の鑑賞にも堪えるものが見たいと思う傾向が強く出るのではないかと見ている。子どもの頃に原作を見た人は尚更に。
そこら当たりのバランスに拘ってしまうと、今作が引っ掛かってしまうんだと思う。
原作の百鬼丸だって、景光が差し向けた刺客に囲まれれば、バサバサ斬っていたけれど、それは自分が生き抜くためだし、その辺は分かりやすい作りだった。
こちらのアニメの百鬼丸だって、本人にしてみれば「生き抜く為に斬っている」わけなんです。見境なく見えるけれど、百鬼丸にも「生き抜く為」という理由がある。
最後の心の支えである、どろろが醍醐側にさらわれ、いなくなってしまう。
これまで自分に敵意しか見せてこなかった醍醐にさらわれるということは、百鬼丸にとって、それはどろろの死にも等しい。それは自分が死ぬことと同義でもある。
私は百鬼丸が暴れる理由は、そこにあるんだと思った。
だから、アニメの百鬼丸が暴れていることには違和感はなかった。
だけど、せめて百鬼丸の敵意の先は醍醐の兵だけに留めて欲しいと思いながら見ていた。
でも、どうもそうではなかったらしいということが、763にコメントがついたことで分かった。スルーしても良かったし、そうしたほうが良かったなと今ではそう思う。
書いてて予想以上に時間も労力も掛かったから。
だけど、頂いたコメントは「ホロコーストするヤツを赦せというのか!! 大量虐殺を認めるのか!」って、怒っているように思えて「それは違うよ、そんな意味で書いたんじゃないよ」と伝えたいと思ったし、コメントをくれた方は原作の百鬼丸がすごく好きな方なんだと思った。
だから、私は気持ちが汲めるように思えた。私も原作のあにきが大好きだから。
原作の百鬼丸だって、前述のように刺客に囲まれれば、バサバサ人を斬っていた。
だけど、22話の百鬼丸は女、子どもも切り伏せそうな鬼に見えた。
そのことを、コメントをくれた方は、怒っているんじゃないかと思った。
そう思うと、これは確かに原作とはまるで違うし、手塚治虫先生は悲しむんじゃないかと思った。
だから、正直な気持ちを書いた。
アニメをディスってるようにしか見えないのは確かだけど。
この話が嫌いと言うよりも、私はこの話のタイトルが『どろろ』であることが一番、非掛かっているんだと思う。
これも確かにドロドロしているし、救いの物語を書こうとしているんだと思うけれど。
でも、百鬼丸の性格や行動がこうも違うのならば、百鬼丸の名前だけでも変えて、これは全く別人なんだと、誰にでも分かるようにして欲しかったと思う。
このお話が好きな人は人の意見に左右されず心から楽しめば良いし、嫌だという人は別に無理をして見ることはないと思う。時間の無駄という意見も分かる。
でも、何かしら好きな部分が見つけられて、理解出来る部分があれば、視聴した意義があるじゃないですか。見続けるというのはそういう動機があるから。
でも、一つ分かったことがある、このアニメは「コミュニケーションの大切さ」を伝えているアニメなんだということが。
この物語ですれ違っている登場人物たちは、相手に理解しろという人か、自分の気持ちをちゃんと伝えられない人たちだから。
諦めずにちゃんと気持ちは伝えなければいけないし、自分の都合で人を追い詰めてはいけない、そういうことがテーマの一つにあるんだと思う。
それが分かっただけでも収穫はあったと思う。
やりたいことは分かる気がするけれど、脚本に妙な作り込み、無理矢理感ばかり感じるから、つまらない。
画が乱れたり、動かした方が良い場面で止め絵があったりするのは予算の都合もあると思うので、そこは許容範囲。あと、以前から感じていたけれど脚本家さんたちと監督さん、 MAPPA、手塚プロダクショ ツインエンジンの連携が取れているのかが疑問。
そう思った理由だが、中盤辺りからは特に各々のキャラクター像に統一感がなくブレまくっているのが致命的だと思う。
言葉が悪いけれど多重人格なのかと疑ってしまうぐらい。
百鬼丸が作り物の体で鬼神の魂を宿しているという設定だからこそ、周囲の人間の心情をよりリアルに、より人間らしく描かなければ視聴者は共感しにくく嘘っぽく見えるのに、言動がブレブレで、見ていて違和感ばかり感じてしまうので現実に引き戻されて、のめり込むことが出来ない。ロボットが脚本を書き、ロボットが登場しているみたいに見える。
どろろや通行人には、それほど違和感はないが、主要人物の殆どがプログラミングされたセリフを言って、プログラミング通りに行動しているような、冷めた感じがあるのでつまらない。もし自分が声優だったら、首を傾げるし感情移入しづらく演技しづらいと思うので、今作の声優陣はとてもよく頑張っていると思う。
YouTubeの手塚プロ公式chで、旧どろろの配信やってるんだな。
1,2話は20日までなので、興味ある方はお急ぎを。
モノクロは味があっていいね。黒澤や溝口の映画を思わせる。
生活力みなぎる元気などろろがいい。その裏に、一人で苛酷な世を生きてきた哀しみも見える。1話で坊さんに言い放ったようなセリフが、新どろろでは聞けなかったからなー。
新どろろは、洗練されてはいるけど、旧どろろのような生々しさや情味が薄い。
けど、Wikipediaによると、旧は旧で、途中から子供向けに路線変更しちゃったとか・・・。