【小説】未完成のレジスト 前編例えば君が涙零すなら
例えば君が涙溢すなら――僕は君の笑顔になろう。
僕の名前は久保田都志也。どこにでもいる、ごく普通の男子高校生だ。 ……いや、「普通」という言葉は、今のこの狂った世界には似合わないかもしれない。
今、世界は“闇”に包まれ、前代未聞の絶望的な危機に瀕している。文字通りの「闇」だ。太陽の光は遮られ、空は一日中、重く濁った暗黒に覆われている。
そして、その闇の奥底から定期的に現れるのが「使徒」と呼ばれるバケモノたちだった。使徒は圧倒的な力で世界を破壊し続けている。人類も決して黙ってやられているわけではなく、近代兵器のありとあらゆるものを投入して対抗したが、せいぜい現れた使徒の個体を破壊するに留まっているらしい。
おそらく、“闇”そのもの、あるいは本体に直接ダメージを与えないとこの戦いは終わらない。しかし、人類の持つどんな強力な兵器も、その本体には全くと言って良いほど効かず、ただただ戦力と人命が消耗していく一方だった。
仮に、このままジリ貧になって地球が終わってしまったとしても。それでも僕は良いと思っている。
大切な君が、隣で笑ってくれているのなら。
「おはよう、皐月」薄暗い蛍光灯が照らす教室で、僕はいつものように彼女に声をかけた。「あ、都志也くん。おはよう」振り返った彼女は、僕の幼馴染の西野皐月。僕の、大切な人だ。
幼い頃からずっと一緒にいて、僕にとっては誰よりも特別な存在。いつか、この世界がもう少しマシになったら、彼女と付き合いたいと密かに思っている。
教室の少し離れた場所では、数人の女子が深刻そうな顔で話していた。「ねえ長井っち〜、昨日、佐渡ヶ島が爆発したらしいね……」「誰一人として、北川さんには触れさせないわよ! 使徒だろうが何だろうが私がぶっ殺す!」「長井っちは大袈裟なんだから……」クラスメイトの長井百合子が、目を血走らせて物騒なことを叫んでいる。
彼女は少し……いや、かなり変わっている。いわゆるクレイジーでサイコな気質があり、同じクラスの北川さんという女子に対する異常なまでの執着を見せている。そのせいでクラスでは浮きまくっている。
女子たちの会話の通り、昨日、巨大な使徒が現れて佐渡ヶ島を襲撃し、壊滅的な被害が出たというニュースが朝からずっと流れていた。
「都志也くん……怖い。日本は、大丈夫なの?」皐月が、不安に押しつぶされそうな瞳で僕を見上げた。彼女は“闇”のせいで世界が終わってしまうことを酷く恐怖している。僕は、そんな彼女に何と声をかけていいか分からず、言葉に詰まった。彼女は優しいから、きっとニュースの向こう側で傷ついた人たちのことを思って、自分のことのように心を痛めているのだろう。
「トシちゃん、おはよう! 昨日、佐渡ヶ島爆発したんじゃげなのぉ」重苦しい空気をぶち壊すように、やけに明るい声が響いた。「なんでアイツらも佐渡ヶ島襲うたんじゃ? なんかのYouTuberに影響されたんか? さーどーがーしーまー、って訳?」「森木、お前……気楽すぎだろ……」呆れ果ててため息をつく僕の肩をバンバンと叩くのは、森木徳次郎。広島から引っ越してきた僕の友人で、この異常事態にあってもコッテコテの広島弁を崩さない、底抜けに気楽な男だ。
僕の素を知る唯一の存在でもある。「よう言われるわ! わっはっは!」彼が笑うと、少しだけ教室の空気が軽くなった気がした。見ての通り、“まだ”僕たちが住む東京には何も起こっていなかった。空は暗いが、こうして平和な日常を過ごすことができている。この日々がずっと続けばいいのにと、僕は心の底から願っていた。
しかし、運命は容赦なく動き出していた。その日の放課後。「久保田。ちょっと残ってくれ。とても大事な話がある。第二面談室に来てくれ」担任の顔は、今まで見たことがないほど深刻に強張っていた。
「わしゃ、小便でもして待っとるわ」と呑気に手を振る森木と別れ、僕は第二面談室のパイプ椅子に座った。「知っての通り、“闇”の影響で世界は危機に瀕している」「……そうですね」「実は……“闇”本体に直接攻撃がおそらく可能である、人型兵器が秘密裏に開発された」「良かったですね。でも、それをなんで僕なんかに?」嫌な予感がした。
担任の目は、どこか逃げるように僕の視線を避けている。「その兵器に……お前が、適合した」「そうですか」僕は即答した。「お断りします」「お前“だけ”が適合したんだ。おそらく、君以外に動かせる人間はいない」「ちなみに、どういう兵器なんですか?」僕の問いに、担任は深く俯き、ギリッと奥歯を噛み締めた。「……すまん。この話は無しだ。忘れろ。未来ある君に、こんなことをさせなければならない大人が間違っている。すまなかった」「そうですか」
面談室を出ると、トイレから戻ってきた森木が壁によりかかっていた。「終わったか? 思うたより早かったのぉ」「うん」「なんや、元気ないのぉ。留年でも決まったか?」「近しいけど、結局無しになった」「ふーん……まあ、何かあったら遠慮のう言うてくれや」その日は、いつも通り暗闇に包まれた街を歩いて帰った。
僕は幼い時に事故で両親を失っており、児童養護施設で暮らしている。施設の人たちは僕にとって親のようなものだ。
施設に帰ると、職員さんが強張った顔で出迎えてくれた。「都志也くん……先生から、話は聞いた?」「断ってきました」僕がそう言うと、職員さんの顔に心底からの安堵が満ちた。「良かった……。それで良いのよ、都志也くんは」僕は愛に飢えている自覚がある。だから、自分を心配してくれる人の存在が嬉しかった。
この時はまだ、自分の選択がどう転ぶかなんて、全く想像もしていなかった。
それから2日後。3限目の社会の授業中だった。“それ”は、あまりにも突然に日常を引き裂いた。
ウゥゥゥゥゥン……!!鼓膜を突き破るような、けたたましい不協和音。空襲警報のサイレンが鳴り響いた。校内放送のスピーカーから、パニックに陥った教師の絶叫が響き渡る。
『使徒出現! 使徒出現! 急いで地下の核シェルターに避難してください!!』教室中が悲鳴に包まれ、生徒たちがパニックになって我先にと廊下へ飛び出していく。「今思うたけど、使徒ってネーミングが某アニメじゃな」「今、そういうの良いから!」呑気に首を傾げる森木にツッコミを入れながら、僕も席を立った。相変わらずこいつは気楽すぎる。しかし、教室の出口に向かおうとしたその瞬間。
ドカーン!!!鼓膜が破れるかと思うほどの爆発音が響き、教室の窓ガラスが粉々に砕け散った。爆風で吹き飛ばされそうになりながら窓の外を見ると、暗黒の空に、真っ黒で巨大な烏のような「何か」が飛んでいた。「テレビで見たヤツより、でかいなー」森木がのんきに上を見上げる。その怪鳥の口から、眩い光が集束していくのが見えた。熱線だ。こちらを向いている。「え?」「危ない!!!」森木の太い腕が僕の頭を鷲掴みにし、強引に床へ押し倒した。
直後、すべてを焼き尽くすような閃光と、天地がひっくり返るような大爆発が起きた。
「起きろ!! われ、起きろ!!」何分経っただろうか。耳鳴りが酷い。全身を揺さぶられて、僕はゆっくりと目を開けた。顔中埃だらけの森木が僕を見下ろしていた。周りを見渡して、息を呑む。学校は、完全に原型を留めていなかった。
天井は崩落し、コンクリートの瓦礫が山のように積もっている。「元気そうじゃのぉ。見た感じ、ケガもないみたいじゃ。よし、怪我人の救助に行こうか」「……うん」僕たちは立ち上がり、生存者を探して瓦礫を押しのけ始めた。
森木が、僕の倍はあるような巨大なコンクリート片を軽々と持ち上げて放り投げる。「お前……力強すぎだろ……」「わしゃ漁師の息子じゃけぇな。これくらい朝飯前よ」「そういえば、使徒はいなくなったの?」「大分前にな。どこかへ飛んでいきよったわ」30分ほどかけ、瓦礫の下から5人の生徒を助け出した時だった。少し離れた場所から、聞き覚えのある叫び声が聞こえた。
「頑張って! 希望を捨てちゃダメ!! 誰か……誰か助けて!!」長井の声だ。普段のサイコな雰囲気は微塵もなく、悲痛な叫びだった。「長井っち! 森木と久保田が来た! これで西野を助けられる!!」 一緒にいた女子の声に、僕の心臓が早鐘のように打ち始めた。
「西野」――皐月!僕は反射的に走り出していた。森木も驚いた顔をしたが、すぐに後ろから付いてきた。声のする場所へ辿り着いた僕の目に飛び込んできたのは、目を背けたくなるような、あまりにも残酷な光景だった。
「皐月……!」皐月の下半身が、崩れ落ちた巨大な柱と瓦礫に完全に押し潰されていた。制服は赤黒く染まり、周囲に血の海ができている。辛うじて意識は残っているようだが、顔面は蒼白で、息も絶え絶えだった。「どけ!」僕は我を忘れて瓦礫に取り付き、渾身の力を込めて持ち上げようとした。しかし、びくともしない。「わしも手伝う!」森木が反対側から入り込み、二人で声を合わせて瓦礫を押し上げる。
メキメキと音を立てて瓦礫が少しだけ持ち上がった隙に、長井たちが皐月の体を引きずり出した。しかし、引き出された皐月の右足は、あらぬ方向にぐにゃりと曲がっていた。誰の目にも明らかな重傷だ。「皐月! しっかりしろ!」「都志也……くん……」霞む目で僕を見た皐月が、弱々しく微笑んだ。「助けてくれて……ありがとう……」(いや、わしは?)と背後で森木が呟いていたが、それを無視して僕は皐月の応急処置を始めた。シャツを破って止血を試みる。激痛のはずなのに、皐月は声を殺してポロポロと涙を流していた。
僕たちには関係ないと思っていた。どこか遠くの出来事だと思っていた。けど、そうではなかった。絶望は、僕のすぐ手の届くところまで来ていたんだ。その後、ようやく到着した救助隊によって僕たちは救助された。学校での死者は数十人に及び、町全体で見れば何百人もの命が理不尽に奪われていた。幸いにも、搬送された病院は地下設備が整っており、被害は免れていた。病室のベッドで横たわる皐月。
森木と長井たち女子二人が、気を使って(?)病室を出ていき、僕と皐月は二人きりになった。「……お父さんとお母さんと、連絡がつかないの」包帯だらけの皐月が、ぽつりと呟いた。「そっか。……きっと大丈夫だよ。そう信じよう」「うん……ありがとう」皐月は僕の手をぎゅっと握りしめた。その手は氷のように冷たく、震えていた。
「やっぱり、怖い……。私達のところにも、使徒が来るなんて……」堪えきれなくなったように、皐月は声を上げて泣き出した。僕は彼女の手を握り返すことしかできなかった。無力だった。彼女の涙を止めることも、恐怖を取り除いてやることもできない自分が、酷く腹立たしかった。
数日後。
僕は、ある決意を固めて、後処理に追われている担任の元を訪れた。「先生、話したいことがあります」僕の顔を見た担任は、すべてを察したように深く息を吐いた。
「……そうか」
「あの話、やっぱり引き受けます」「分かった。ありがとう。……そしてごめんな。大人が、何もできなくて」
担任は顔を歪め、深く頭を下げた。
「大丈夫ですよ。何も、乗ったら絶対死ぬって決まった訳じゃないですし」
僕が努めて明るく言うと、担任の顔がさらに強張った。そして、辛そうに首を横に振った。「実は……その『戒炎』という兵器は、搭乗者の命そのものを直に燃料とし、弾薬にする。戦えば戦うほど命を削る、特攻兵器だ。乗れば……死ぬのは、おそらく免れない」「……そうですか」
命を燃料にする。つまり、僕は死にに行くということか。「誰もお前が死ぬことを望んでいない! 考えを改めてくれても良いんだぞ!」
担任が悲痛な声で叫んだ。
「良いんです」
僕は静かに答えた。
「僕の大切な人が、それで守れるなら。それに、どこにも僕の代わりはいないんでしょ?」「そうか……」
担任は眼鏡を外し、涙を拭った。
「こんなので足りるとは到底思えないが、これで少しの間でも良いから、遊んでくれ。すぐに軍の訓練が始まって、学校にも来れなくなる。……本当に、すまない。泣きたいのは、お前の方だよな」担任は震える手で、財布から金を取り出して封筒に入れて僕に差し出した。中には10万円が入っていた。「いや、貰えませんよ。先生、薄給ですし……(ボソッ)」
僕が冗談めかして断ろうとすると、先生はさらに顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。
「……ありがたく、貰っておきます」
僕は素直に封筒を受け取った。僕の命の値段というには安すぎるが、先生の気持ちは確かに受け取った。
数日後。
久しぶりの登校日。崩壊した校舎の代わりに、近くの市民ホールの地下が仮設の学校として使われることになった。皐月は松葉杖をつきながら登校してきていた。全校集会のために集まった生徒の数は、以前の半分程度にまで減っていた。
重苦しい空気が漂う中、壇上に立った校長がマイクを握る。「……皆さんに、大事な話があります」校長が重々しい口調で語り出した。「2年4組の、久保田都志也君。彼は、あの“闇”へ唯一対抗できる人型兵器の、世界で唯一の適合者であることが判明しました。そして彼は……私達人類のために戦うことを、自ら承諾してくれました」辺りが一斉にざわつく。
無数の視線が僕に突き刺さる。「しかし……」校長は言葉を区切った。「その兵器に乗れば、おそらく彼は、生きて帰ってくることはできません。これは非常に、心苦しいことです」その瞬間、少し離れた場所にいた皐月と目が合った。
彼女の顔からスッと血の気が引き、絶望に染まっていくのが分かった。あの時の彼女の顔は、一生忘れられなかった。ふと隣を見ると、森木はと言うと……小指で鼻をほじっていた。お前、状況わかってんのか。
「久保田君の崇高な決断に、精一杯の敬意を示すために、皆様拍手をしてください」校長の言葉に従い、パラパラと、なんとも言えない重く湿った拍手が響き渡った。……はー、この校長、話の内容が薄すぎる。自分の命がこんなお涙頂戴のダシに使われるのは、少し癪だった。集会が終わり、生徒たちがまばらに解散していく中、森木が僕の肩を小突いた。
「われ、死にに行くつもりなんか。まだ学生なんに。この国はバンザイアタックの時代から全く成長しとらんのかよ」「まぁ、そうだね」「なんでわざわざ死にに行くんじゃよ。まだやり残したこと、山ほどあるじゃろ。お前、FANZAの有料会員にならんでええんかよ?」こいつ……この空気で何を言い出すんだ。「……大切な人が、もう泣かなくていいように。僕は自分の手で、このふざけた世界を終わらせたいんだ」 僕が本音を漏らすと、森木は少しだけ真面目な顔になった。 「その理由でえかったわ。国のためとか、正義感やら使命感やら言い出したら、ぶん殴っちゃろうと思いよった」 森木はニヤリと笑う。
「ちなみに、誰なん? その大切な人ってのは」
「いや、それは……」
「北川か?」
「いや、長井のテリトリーだろ。ハードル高すぎだって」
「勅使河原か?」
「違う」
「西野か?」
「違う」
「西野か?」
「違うって言ってんだろ」 「どうせ死ぬるなら、親友に正直に言うてもええじゃろ。……西野か?」「……分かったよ! 皐月だよ。合ってるよ」 僕がヤケクソ気味に白状すると、森木は勝ち誇ったように笑った。
「バラして欲しゅうなかったら、口止め料7万円払え」 「お前さ……」 「冗談じゃ」
「都志也くん……!」不意に、背後から震える声がした。振り返ると、松葉杖をついた皐月が立っていた。いつから聞いていたのかは分からないが、その目は真っ赤に腫れていた。
「本当に……戦いに行くの?」「まぁ、そうだね。僕しか乗れないらしいから」「……嫌だ」「大丈夫だよ。僕が君を守るか――うわっ!?」言葉の途中で、皐月が松葉杖を放り出し、僕の胸に勢いよく抱きついてきた。
柔らかい感触と、彼女の甘い香りが鼻をくすぐる。少し……いや、かなり嬉しかった。これから死にに行くっていうシリアスな場面なのに、悲しいかな、健康な男子高校生である僕のムスコは元気いっぱいに大喜びしてしまっていた。ごめん、皐月。
「いやだ! 都志也くんが死んだら、いやだぁぁっ!!」皐月は僕の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
「われ、完全に泣かしてしもうてるじゃん」森木が呆れたようにため息をつく。はいはい、そうですね。どうせ僕が悪いですよ。
「ちょっと、西野。久保田君困ってるから。これは人類のためで仕方がないことだから。……あ、久保田君、ごめんね。あなたは立派よ」 どこからともなく現れた長井が、常識的なことを言いながら、泣き喚く皐月を僕からベリベリと引き剥がした。泣きながら長井に連れて行かれる皐月の背中を見送った後、森木が静かに口を開いた。
「われが西野を守りたいって言うなら、わしゃもう止めん。……けど、一つだけ覚えといて欲しいことがある」「なに?」「われの目にゃあ、西野しか映っとらんかもしれん。けど、われの事を大事に思いよるやつは、他にもおる。これだけは覚えといてほしい」「……」僕は何も言えなかった。皐月を泣かせ、施設の人たちを悲しませ、そして森木にも心配をかけている。
「わしが広島から引っ越してきて浮いとった時、最初に普通に話しかけてきてくれんさったなは、われじゃった。わしゃ、われを人として尊敬しとるし、憧れとる。……いや」森木は少しだけ頬を掻き、自嘲気味に笑った。
「われに好きな人言わせちまったけぇ、不公平じゃからわしも言うけど……わし、実はゲイなんよね。ほいで、われの事がずっと好きじゃった」
「えっ……」「けど、西野とわれが両想いな事は傍から見てもバレバレじゃったけぇ、思いを伝える機会は無かったわ。……へへっ、今のなし。忘れてくれや」森木の突然のカミングアウトに、僕は言葉を失った。こいつ、そんな風に思ってくれていたのか。
「……そうだったんだ。教えてくれて、ありがとう。……あ、そうだ! この後カフェに行こう! 先生にもらったお金で奢るよ!」気まずさを誤魔化すように僕が明るく提案すると、森木は目を見開いて怒鳴った。
「アホか! これから死にに行くやつに奢られてたまるか! わしが払うわ!」「いや、僕が払うって!」結局、カフェで奢る奢られるの言い争いを10分ぐらい繰り広げた末、きっちり割り勘になった。
こういう変わらないやり取りが、たまらなく愛おしかった。その後、僕が軍の施設に入ることが正式に決まり、施設の職員さんたちには泣き崩れられた。それでも、僕の決意が揺らぐことはなかった。訓練が始まるまでの短い期間、僕は担任にもらった10万円と自分の貯金を使い切り、森木や施設のみんなと豪遊しまくった。ただただ、感謝しかなかった。
数日後、僕は軍の極秘施設へと移送され、すぐに訓練が開始された。「君が久保田少年か。私が『戒炎』の開発責任者のT-岡田だ。よろしく頼む」 白衣を着た、無精髭の目立つ男がT-岡田さんだった。彼と軍の担当教官から、僕が乗る兵器についての説明を受けた。 僕が乗るのは、黒く無骨な装甲に覆われた巨大な人型ロボット「戒炎」。 前にも聞いた通り、搭乗者の生命力、つまり「命」そのものを抽出して動力源とし、さらには武装の弾薬として射出するという、文字通りの悪魔の機体だ。生命力が強く純粋な若い人間の方が適性が高く、だからこそ僕が適合したらしい。「少年、別に今なら逃げても誰も怒らないぞ。大人の尻拭いを子供にさせるなんて、本来あってはならないことだからな」T-岡田さんが、申し訳なさそうに言う。「良いですよ、別に。事もなんか大きくなってきちゃってるし、今更逃げられませんよ」僕が苦笑して答えると、岡田さんも困ったように苦笑いしていた。訓練初日は、シミュレーターを使った基本的な操作方法、ボタンの種類、そしてどうすれば“闇”の本体を倒すことができるかという理論的なことを教わった。そして訓練2日目。「おう、トシちゃん! 頑張っとるか!」「……は?」なんと、シミュレータールームに森木がやってきた。「いやいや、普通にここ軍の最高機密だから! なんで民間人の一般生徒が入れるんだよ!」「『わしゃ救世主の唯一無二の心の支えじゃ! われの友達だってゴリ押したら、すんなり来れたで」森木は得意げに胸を張る。軍のセキュリティはどうなっているんだ。「それより、お前学校の勉強は良いのかよ」「勉強なんて、わしならいつでも追いつけるわ。どうせ大して進んどらんじゃろ」すごい自信だな……と呆れつつも、親友の顔を見られてホッとしている自分がいた。しかし、肝心の操縦の方だが……僕は絶望的なまでに才能が無いみたいだった。シミュレーターの中で、戒炎は何度もつまずき、仮想の使徒にボコボコにされていた。「やーい! ヘタクソー! トシちゃん、どんくさ!」ガラス越しの見学席から、森木が腹を抱えて笑っている。あとで絶対ぶん殴る。ただ、施設内の軍人や研究員たちは、僕が「これから死ぬ予定の子供」であるためか、全員が極端なほど僕を腫れ物扱いしてくる。そんな中で、いつも通りに遠慮なく接してくれる森木がいる空間は、僕にとって唯一息抜きができる快適な時間だった
一週間ほど過酷な訓練を重ね、ようやく僕はある程度、戒炎(シミュレーター)を思い通りに動かせるようになってきた。
ただ、T-岡田さんによると、本番では実際に魂や命が機体に吸い取られるため、身体にどのような激痛や影響が出るか未知数らしい。
「できる限りシミュレーターで操作を体に叩き込め」と忠告された。そんなある日、面会室に皐月がやってきた。
今日は森木はおらず、彼女1人だった。「都志也くん……この前は、取り乱してごめんね」少し俯き加減で、皐月が消え入るような声で謝った。「全然気にして無いから、大丈夫だよ」「良かった……」皐月は胸を撫で下ろし、そして、意を決したように僕の目を真っ直ぐに見つめた。
「都志也くん。……ずっと前から、好きでした! せめて、戦いに行っちゃうまでの短い間でもいいから……私と、付き合ってください!!」「えっ」突然の告白に、頭が真っ白になった。「あ、うん……分かった。僕で良ければ、喜んで」僕が頷いた瞬間、面会室のドアがバンッ!と勢いよく開き、隠れていた森木と長井が雪崩れ込んできた。
「おめでとー!! 西野、やったじゃん!」 「ヒューヒュー! トシちゃん、男じゃのぉ!」 長井が皐月に抱きつき、森木が僕の背中をバンバン叩く。 森木……お前、なんやかんや言って本当に良いやつだな。自分への気持ちを知っている僕は、彼が素直に祝福できる訳がないと分かっているのに。
その後も、出撃に向けた僕の訓練は続いた。皐月と森木は、交代で、あるいは一緒に毎日施設へ面会に来てくれた。付き合い始めたとはいえ、訓練の合間に面会室で話すだけ。それでも、皐月と過ごす時間は僕にとってかけがえのない宝物になった。しかし、その穏やかな終わりは、突然やってきた。
僕の訓練中、警報が鳴り響いた。これまでとは比較にならないほど大量の使徒が、東京を含む関東一円を急襲したのだ。モニターに映し出されたテレビの中継映像では、かつてない規模で無差別の破壊が行われていた。僕らの町も、瓦礫を片付けてようやく少し復興の兆しが見えたところだったのに、炎に包まれている。
おそらくこのままだと、完全に更地になってしまう。迎撃に出た自衛隊の航空機もすでに消耗しきっており、次々と撃ち落とされていく。「岡田さん! 僕を行かせてください!」僕はシミュレーターから飛び出し、岡田さんに直訴した。
「ま、待った! そんな死に急ぐ必要はない。まだ訓練も途中だ、万全な状態じゃない!」「そんな悠長なこと言ってる場合ですか! もしこのまま基地が攻撃されて、出撃前に戒炎が破壊されたら、もう人類の希望は完全に無くなってしまうんですよ!」僕の剣幕に岡田さんが言葉を失う中、横からポンと肩を叩かれた。
森木だった。「行ってこい、トシちゃん。……もう、思い残すような悔いはないのぉ?」「無いよ」(……本当は、死ぬ前に皐月とえっちしたかったけど、流石にこの状況じゃ言えないな)僕は心の中で毒づきながら、力強く頷いた。「都志也くん!」駆けつけてきた皐月が、僕の手を握った。「頑張って! 私は、大丈夫だから。ずっと応援してるよ!」気丈に振る舞い、無理に笑顔を作っているが、その大きな瞳には今にも零れ落ちそうな涙が浮かんでいて、声も震えていた。
いざ本当の死が目前に迫ると、僕自身も急に足の震えが止まらなくなり、恐ろしくなってきた。でも。泣きそうな皐月の顔を見て、腹が決まった。――皐月。君が泣くのは、これで最後だ。僕に任せろ。「行ってくる」僕は皐月の手を離し、ハンガーに鎮座する黒き巨人、戒炎のコクピットへと乗り込んだ。
ハッチが閉まる直前、皐月が糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちるのが見えた。
……ごめんね、皐月。
戒炎のコクピットが完全に密閉され、網膜投影のモニターが起動する。機体と僕の神経が接続される感覚。
冷たい金属が、僕の体温を吸い上げていくような嫌な予感がした。
カタパルトから射出され、暗黒の空へ飛び出す。出撃してしばらくすると、通信が入った。『こちら第一航空部隊です。戒炎、聞こえますか? 我々が微力ながら目標まで援護をさせてもらいます』ありがたい。まだ未熟な僕が、目的の“闇”の核に辿り着く前に群がる使徒に撃墜なんてされたら、全く洒落にならない。
空を埋め尽くすほどの使徒の群れが、こちらに気づいて一斉に向かってくる。 「させるかよっ!」 僕は戒炎の標準武装であるライフルを構え、引き金を引いた。 僕の生命力をわずかに変換した光弾が放たれ、先頭の使徒を一撃で粉砕する。
すごい威力だ。通常兵器が全く通じなかったバケモノが、紙切れのように吹き飛ぶ。脳内にドーパミンが溢れ出し、万能感に包まれる。しかし、最初は数体だった使徒が、倒しても倒しても、雲霞の如く湧いてくる。流石にこの数を、戒炎一機と護衛の戦闘機十数機だけで捌き切るのはキツい。まだ“闇”本体(核)の場所が特定できていない以上、あまり命は削りたくなかったが……出力を上げるしかないか。その時、岡田さんから通信が入った。『久保田少年! まだ“アレ”――特殊戦モードは使うな! このまま座標アルファへ真っ直ぐ進めば、間もなく“闇”の核が見えてくるはずだ。その時までは、できる限り命を使うな! 節約しろ!』なるほど。どうやらここからが、僕の腕の見せ所らしい。
2週間のシミュレーター訓練の成果を出す時だ。僕はビームの出力を抑え、実体剣を引き抜いて近接戦闘に切り替えた。機体の推力を活かして敵の群れをすり抜け、斬り捨てる。
しかし、僕をかばうように前に出た護衛の戦闘機たちは、使徒の放つ熱線や体当たりを浴び、一機、また一機と火を噴いて撃墜されていく。
『うわぁぁっ!』『隊長、左から――!』通信機越しに聞こえる断末魔の悲鳴。申し訳なさと、自分の無力さで胸が張り裂けそうになる。ごめんなさい、ごめんなさい……!
ただ、彼らの尊い犠牲を無駄にしないためにも、そして皐月のために、僕は絶対に“闇”を倒す。遂に、護衛機が全滅した。孤独な飛行を続ける僕のモニターの奥、分厚い暗雲を抜けた先に――それはあった。巨大な肉塊と機械が融合したような、グロテスクで禍々しい巨大な球体。“闇”の核だ。
ただ、その周囲には、これまでの個体とは比較にならないほど巨大な使徒が何十体も円陣を組み、核を守るように浮遊している。
幸い、まだこちらには気づいていないのか、襲ってくる気配はない。僕は一息つき、岡田さんに最後の通信を入れた。
「岡田さん。核が見えてきました。……これより、アレを発動します」『……そうか。分かった。国のために……人類のために、ありがとう』岡田さんの声は、酷く震えていた。続いて、回線が切り替わる。『都志也くん』皐月の声だった。『ありがとう。私、絶対に都志也くんの事は忘れないから。ずっと、ずっと愛してる』「へっ。泣かないでくれよ、皐月。君は、最後まで笑顔でいてくれ。君は……僕の光だったんだ。親がいなかった僕の人生を照らしてくれて、本当にありがとう。じゃあな」最後に、森木。『トシちゃん。悔いのない死にしろよ』「分かってるよ。お前も、達者でな」通信を切る。
深呼吸をして、僕は操縦桿の奥にある、強固なカバーでガードされた赤いボタン――「特殊戦モード」のスイッチを押し込んだ。
ガコンッ!その瞬間、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。「がああああっ!!?」気を失いそうになる。体温が急激に奪われ、手足の先からどんどん氷のように冷えていくのが分かる。機体が、僕の「命」を貪り食っている。早く……早く決着をつけなければ、僕が干からびて死んでしまう!「おおおおおおっ!!」 限界突破した戒炎の全身から、赫いオーラのような光が噴き出す。
僕は機体を突撃させ、全身の武装を一斉に解放した。
一瞬の閃光。核を守備していた巨大な使徒数十体が、あっという間に光に飲まれて消滅する。しかし、倒しても倒しても、核の表面から新たな使徒が産み落とされ、数は全然減らない。
むしろ増えている気がする。それでも僕は、命の炎を燃やし、ビームを乱射しまくりながら、決死の覚悟で核へ肉薄していった。
視界がぼやけてきた。息が上手く吸えない。もう、僕の命の残量は殆ど無い。「あと、少し……!」僕は戒炎のメインカメラを核の中心に照準を合わせた。最大出力のエネルギーをチャージする。その時だった。
ドゴォォォォンッ!!!横から強烈な衝撃。死角から現れた使徒の熱線を、機体の左半身にモロに喰らったのだ。「がはっ……!」アラートが鳴り響き、機体が錐揉み状態になる。意識が飛びそうになる。もう限界だ。指先一つ動かす力も残っていない。
暗闇に沈みゆく意識の中で、不意に、皐月の泣き顔を思い出した。
幼い時に親を亡くした僕にとって、皐月は唯一の希望であり、光だった。彼女の笑顔を守りたい。彼女が安心して暮らせる世界を取り戻したい。そのために僕は、全てを投げ打って戦ったんじゃないのか?
「……こんな所で……死ねるかよ!!」薄れゆく意識を無理やり繋ぎ止め、震える手で操縦桿を握り直す。どうやら、僕は自分が思っていた以上に、死ぬのが怖いらしい。傷ついた腹が酷く痛い。
起きていられないほど眠い。暗闇が怖い。でも、やらなきゃ。核が、目前に迫っていた。僕は残された最後の命を振り絞り、渾身の力を込めて引き金を引いた。
光の奔流が、戒炎の銃口から放たれ、核の中心を正確に貫いた。ピキッ……パリンッ!暗闇の世界が、一瞬、ガラスのように割れた気がした。しかし、核はまだ崩壊しない。効果が薄いのか。「もう一発……!」チャージしようとした瞬間、周囲の使徒たちから一斉攻撃を受けた。何発もの熱線を浴び、戒炎の装甲が次々と剥がれ落ちる。遂にコクピットのハッチまで吹き飛び、僕は生身で上空の暴風に晒された。「ははっ……」どっちにしろ、もう僕の命は尽きる。死ぬんだ。だったら、もう何も怖くねぇよ!「うぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!」これが、僕の命の最後の咆哮だ。残されたわずかな精神力、いや、魂そのものを機体に流し込み、無理やりもう一発、光弾を生成する。放たれた最後の一撃が、核の傷口に深々と突き刺さった。
ドズゥゥゥゥンッ……!!今度こそ、世界を覆っていた分厚い“闇”が完全に割れた。
雲の隙間から、何ヶ月ぶりか分からない、眩しい太陽の光が差し込んでくる。その神々しい光に焼かれるように、周囲に群がっていた使徒たちが、悲鳴を上げて次々と塵になって消滅していった。終わった……。力が抜け、僕は操縦席に深く沈み込んだ。
視界の端で、完全に機能を停止した戒炎が、赫く燃え上がりながら、引力に引かれて真っ逆さまに落ちていくのが見えた。
空を見上げると、美しい青空が広がっていた。皐月。 この赫灼の箒星は、君に捧げよう。 どうか、もう泣かないでくれ。僕の意識は、そこで完全に途切れた。

