アニメ『葬送のフリーレン』はおもしろい?つまらない?
今挙げた例としてのシーンもそうだが、とにかく主人公自身の能力設定までもが適当至極なので、ストーリーの都合上でバフとデバフが乱れ飛びまくっていて、あれは出来てこれは出来ないなどの線引きが、原作者の真骨頂であろうシュールギャグ目線での匙加減でなされるものだから、シーンのジャンル定義が曖昧な場面では、可か不可かへの言及に「どこまで本気で言ってんの?」という不信と不快感がつきまとう
おまけにフリーレンは千年以上も生きているのに、未だに、精神未熟な若年層が己に対する厳然たる他者からの評価から逃れる為に捏造する、幼児キャラ自演という姑息な武装じみたひらりマントが機能しているかの如く振る舞うので、見ている側としては「何でアンタが今ソレやんのよ?」としか思えない
もう散々人間がそれやってんの見て来たんだろ?
恥ずかしい奴だなぁ、って心中呟いて来たんだろ?
そんな事やっても査定は甘くはならない事、死ぬ程わかってるよね?
現実に、いい歳こいてそんな自演してる人が「人間とは…」なんて仮初にものたまったとして、それを聞いた周りの連中は「お前だよ!まずお前!省みろ!」としか思わんから
若い子向けのおべんちゃら演出なのは重々承知だが、永く生き過ぎて冷め切ってる筈のフリーレンの採る態度ではないよ
親しみやすさ、作品への入りやすさの欲しい制作の安直さを、プラスには解釈できない
かと思えば、エクスカリバー的な剣が突き刺さっていた剣の里で、ヒンメル自身が過去にそれを引き抜けなかった事、そして里人がそれを隠している事、隠しておいた方が都合がいい人もいる事、そして最後には全く違う話になってしまう、だのとフリーレンに説明させていたが、まだ人を知る旅の途上の序盤なのに、どうして急に人を見る目にブーストが掛かって、利いた風な事をちょっと自己陶酔気味に語らせて、カッコイイでしょ演出かまして軽くドヤってんの?
今から人の所業を見て気付くんでしょ?
ヒンメルゆかりの地を巡る聖地巡礼に関して醸成されてきた経済活動のマネーフローに与れなくなるとか、ヒンメルの事績を都合良く自分達への正統性付与の方便としている政治結社の面目なのか、彼らと結託して私腹を肥やしている宗教界なのか
それとも剣の里以外のあらゆる都や村落でも、組織のアイコンとして奉戴の対象となっているのか、一演目の無くなる吟遊詩人らの実害なんてのもあるのかもしれんが、その地その地で手ぐすね引いている彼らの、ポジショントークやら我田引水やら、慇懃無礼な、陰に陽に蠢く人間らしいあれやこれやを見るんでしょ?
なんでもう全部解ってる事になってんだ?
あとは想像してください、って…
それを描くのがアンタらの仕事だろ?
キャッキャウフフに大量に時間は割くくせに、面倒な仕事はパスで視聴者に「脳内補完よろw」なのか?
馬鹿にしてんのか?
このように、魔法的な技術力のインフレとデフレだけでなく、個としての存在や、徒党を組んだ「人間の業」のようなものさえも、あたかも神の視点で看破しているが如き達観ぶりを、ここら辺りで入れときゃカッコいんじゃね?くらいのノリですげ入れてくるものだから、そのクワッドターボエンジン瞬間換装の主人公アゲを見せられて、それならもう充分だろ…と、そのテキトーさに脱力する以外にない
でありながら、二時試験終了後には、ハイターの形見である粉砕したフェルンの杖に関して、捨てちゃえば?と無神経にフリーレンに言わせたりして、「このギャップ、チャーミングでしょ?」と言わんばかりのこういった媚びた演出で、フリーレンの人を見る目の達観度合の整合性の無さの「隙」というズラシの演出を重複、さらに、諸々コマゴマしてるくせに雑な設定であるというそのありよう自体をギャグめかして見せるという、レイジー具合を絶えず漂わす「隙」の飽和常態化で、見る側へ無意識的に「作品全体に整合性が無かろうが別にどうでもいいか」的な甘い判定基準を醸成させるサブリミナル効果に近しい機能が働いて、本来なされるべき作品総体のクオリティに対する良し悪し峻別の、その対象外となるように誘導する、己に都合良くミソッカス扱いをしてもらおうという、譴責回避意識に長けた末っ子の小賢しさのような、エセ大作で何が悪い?の開き直りとも採れるエクスキューズ演出が、ユルいきらら的基本線の固持と言う形であちらこちらに散りばめられている
少し前まではよく目にした、議題に即して自分に都合よく先進国と発展途上国の立場を使い分ける、外交の丁々発止の場での中国の抜け目のない立ち回り方のようで、正直、見ていていい気はしない
これがくだんの「逃げてないで勝負しろ」と言いたくなるこの作品の作風、構成の本質である
充分な余力がありながら、第一等の厳しい規制、規範意識、スタンダード遵守の責務からはなんとか逃れようとする、お目溢しを乞う狡猾さに辟易する
ギャグとシリアス
人間を看破する能力の有無
魔法使いとしての能力の有無
あと、政治的コミュ力あたりもそうか
それぞれのキャストのそれらの要素が、とりあえず自転車で走り始めてしまう原作者の、ざっくり過ぎるプロットにどうにか適合するようにと、辻褄合わせでテキトーにチマチマと捏ねくり回して、くっ付けたり押し付けたり、ちぎり取ったりまたくっ付け直したりして、なんか知らんけどとりあえず形にはなっただろ、ふぅー、みたいな、そういった連続を只々見せられ続けている気がしてならない
それで、
あ、そうだ、いけねいけね、って、どっかのフィクションで見たそれっぽいことをヒンメルに情感たっぷりに語らせて、おし、おk。なのかも、と
なので朝令暮改かも知れんが、きらら的ギャグ基本線のルーズさが、真正面からの渾身のストレートを柳に風と受け流すその様は、明鏡止水の巧まざる美なのかも知れない
ある意味天然か
とにかく、都合のいい二枚舌、ダブスタ、トリプルスタは当たり前の、マルチスタンダード上等、しかもそれが複数要素でなされるので、もう好きにやれよ…と見る側が投げやりになってしまう
冒頭に書いた「禍根をほったらかしにしての凱旋成立」の矛盾と並ぶ、作品全景に関わってくる設定上のデカい矛盾点だけど、「魔族は魔力を隠蔽しない」というそもそも論も、その説明がなされた回の中ですぐに馬脚が現れてしまうという体たらくだった
故郷を侵攻した魔族の一将軍とその配下の軍勢は倒したものの、独り生き残り、孤独となって青息吐息でその場にうずくまるフリーレンを、通りすがりで邂逅したフランメが気に入り、弟子にしようとおんぶして連れて帰る、その道中での会話内でフランメに説明させていた場面
「魔族には魔力を隠そうなんて考えは無い、その大小、優劣が彼らの社会でのヒエラルキーを形成する判断材料になっている、それはプライドや財産そのものである」みたいな事をフランメに喋らせていたけど
その時に、先遣隊の壊滅を知ったであろう追手の魔族が数人、フリーレンらを付けてきたが、彼らは魔力を隠蔽してたよね?
「魔力を隠して自分達を追尾し、敵が魔法使いだと知るや己の魔力を誇示して戦いを挑んでくる」
そんな感じで、四面楚歌な眼前の状況を、はっきりとフランメに説明させてたよね?
「魔力を隠す事もできないし、そんな発想自体を持つ事も無い」
そんな説明させといて?
当の魔族自身が、明明白白、魔力隠蔽の有用性をよくよく理解しての追尾だったんでしょ?
誰が見てもそうとしか解釈できないはずなんだけど…
フランメの供述が同一回に二転三転してるのに、雰囲気だけは、間違ってませんけど何か?的な開き直り感
後々の回での齟齬の浮き彫りならまだしも、同一回での論理破綻に首を傾げる他無かった
この流れで言及するなら、そもそも断頭台のアウラと初めて、ヒンメルらと共にフリーレンが戦った時、作品内では止め絵でしか描かれていなかったが、フリーレンも勿論、攻撃魔法を放ったんでしょ?
だったらその時に隠蔽していた魔力は否が応にも露見した筈だよね?隕鉄鳥捕獲試験の時に、腕を動かすだけでも隠していた魔力は露わになるだのとフリーレンがラヴィーネに説明していたんだから
その設定は無いことにして、1世紀近く経った後の2度目のアウラとの戦いの、その雌雄を決するギミックが、「アウラは最期までフリーレンの魔力隠蔽に気付く事が出来なかったからでしたーチャンチャン」というのでは流石に雑に過ぎる
その矛盾を取り繕おうとする、あのシーンでの劇伴の壮大無比さも、製作への不信感に拍車をかける
とりあえず豪壮な音で誤魔化しときゃなんとかなるっしょ、というプロ意識…
作品の時間軸では現在時点でも、これほどのリーサルウェポン感をもって演出したのに、フランメがフリーレンに強いた「魔族を欺く為の魔力隠蔽」、その習得を果たした事実のプレミアム感でさえ、後の展開ではいつの間にか立ち消えになった雰囲気さえある
フェルンは生来その資質に恵まれていたとの説明は序盤からあったが、くだんの隕鉄鳥案件ではカンネやラヴィーネ辺りまでもが、自分達の捕獲した鳥を奪取しようとする他パーティの目論見から逃れるために、デンケンでさえ感知できない程の魔力隠蔽を実践できてしまっていた訳だし
あんなに走り回っていたのにね
この辺りの、エクスクルーシヴだった一能力へのバフとデバフのテキトー感…
もひとつ挙げるなら、アウラ配下のリーニエ
過去にアイゼンと遭遇しその戦い振りを観察、時を経てシュタルクと対峙するや、アイゼンスタイルを模倣、実践して戦い、驚かせていたが、そのカラクリが、相手の体内で動く魔力の動き方を認知し、自分の中の魔力をその型に準える事で、肉体的なアクションもコピーできる、などのような説明だったが、そもそも戦士、ドワーフに魔力?
生命の根源的なものとしての「マナ」という概念ならばまだ飲み込めるが、寡聞ではあれど、今までこの手のキャラ設定に魔力保持という属性を見聞きしたことが無かったと思うし、違和感が強い
確かに北欧神話においては、エルフの対存在としてのドワーフであり、当地の言語では文字通りの「闇のエルフ」「黒いエルフ」として、あまり良い属性ではないものとして伝承されて来た存在ゆえ、彼らが魔力、魔法の類を弄ぶものとして、当地の人々の不文律に含まれていた時期もあったのかもしれないが、今時分のファンタジー観にはイマイチ収まりが悪い
ただ、神秘的な力の宿った武具や装飾品を作る職人としての属性は確かにあるので、その引用、翻案としてのスピリチュアリティ、霊性ということか
生命力にドライブが掛かった時に体内でほとばしるかのように言及されたこの場面での魔力だが、それがドワーフ故だったのか、それとも、その限りにあらず、この世界線では動植物の別なく、生きているものには遍く魔力が宿っているとの設定の示唆なのか判然としないが、どちらにせよ基本事項としては軽軽には扱えないだろうと思われるこの決め事が、常に作品の土台として機能しているのか、前科だらけなので甚だ怪しいところではある
まぁそれ以前に、あれだけリーニエにざっくりと深く抉り取るように肩口を戦斧で押し潰し切られ、腰骨辺りへも躊躇いなく斧刃を横殴りにぶち込まれたのに、何の不自由もなく立ち上がって、つかれっしたー程度のバイト上がりのノリでバトルシーンを終えてしまうシュタルクの描写に、命の軽重の話なんかをこの原作者が「やらずに死ねるか」くらいのライフワーク的テーマとして捉えていない事がよくよく伝わってくる、物理的制約皆無のシーンだった
厳然たる物理的制約、限界の無いところなんかに、人間の喜怒哀楽なんて、有り得る筈も無いんだから
こんなことファンタジーに言っても無粋だとはよくよく解ってるけどね、あまりにもなぁ、と
よくて一生寝たきりだよ、あんなの
生きてんのが変
これも監督言うところの「大事にしたい隙」ってんなら、どんなに雑に仕上げても何とでも言い訳が立ってしまう、ホント八面六臂のコンセプトだなと思う
貶してばっかもあれだから、ひとつ、このシーンで良かった点は、城郭上で戦っていたリュグナーとフェルンのバトル中、やや大きな爆裂が発生し、その衝撃波が四方に伝播、少し離れた城郭外の草原でシュタルクと相争っていたリーニエの髪が、その風圧を受けてフワッと舞い上がり靡く、そのタイムラグの見せ方
これはアニメじゃなきゃ出来ない事だと素直に得心したよ
いい表現だった
他には、フランメが、共に過ごし始めた頃の幼いフリーレンに言い聞かせていた「お前は魔族を欺くんだ」と諭す場面
猥雑な市街地の路地に面して向かい合う家並み、物干しのために路地上空に懸け渡すジグザグと走るロープ、そこにはためく洗い晒しの洗濯物の白と快晴の青のコントラスト
で、そのロープと洗濯物が作る、暑い季節の濃い影を受けて、フランメから教えを受けるフリーレン、という構図
ここは情緒があったし、喧騒が遠のくような白昼夢感があったり、都市国家的牧歌性があったりと、豊かな表現だったよ
個人的には、どんなにダイナミズム溢れる格闘シーンよりも、普遍性かくあるべしとヒンメルの言葉を思い出すシーンよりも、見る側にこれといった正解も押し付けて来ないこのシーンの豊かさが、今作の今タームでは白眉に感じられたかな
まぁフランメの説明した魔族の属性に関する矛盾には目を瞑ってね
あと、基本的にゼーリエの登場するシーンでは、制作が腐心して取り組んだからか、張り詰めた空気を画面に保持させ得ていたのて、そこも評価したいところ
基本、余計な劇伴を極力付けないよう配慮していたし、その演出も含めて扇情、阿諛追従に靡き得ない、人事圏外の天網恢恢キャラの鎮護感を表せていたと思うよ
キャラデザも、男女の別のない両性具有みたいで、大人でもなく子供でもなく、見た目も特段美しい訳でもなく醜くもなく、個性的な目元からしてブサカワ犬のような愛らしさで、うまく考え付いたなぁと思う
CVの伊瀬茉莉也もやっぱりホント適役で、男声女声どちらにも採れて、自信も微動だにせず、かといってどこか脆く儚いものも含ませていて、他作品含めた最近のキャラの完成度としては出色かなと思う
性格も、争えない好戦性がいかにも神話の神々の、出鱈目で享楽めいた残虐性を醸していて、でも基本穏やかで、ギークめいた過度な知識欲が「遊びをせんとや生まれけむ」を地で行くエピキュリアンで、ホント言う事なしかな
バーリトゥードも黒魔術呪い殺しもバッチコイな、両刀使いな感じもあるし
ホントうまくパッケージングできたと思うよ
ただ、最終話のフェルン以降の受験者との面談、合否通知の辺りからは、砕け過ぎてしまった
この世界は良くも悪くもキャッキャウフフがデフォで、しかも肝心の主人公もあの有り様なので、この世界の折り目を正す嫌われ役は、今のところゼーリエに担ってもらう以外にないから
そこを崩すと取り留めの無い弛緩が支配的になって、だらしないだけになる
最低限、甲子園目指してる感は留めておかないと、何やってもピリッとしない
理不尽な圧倒的権威は、特にこの世界には必須に思う
皆だらしなさ過ぎるので
なので、あんなに一級魔法士として合格させてしまったのはウーンだった
しかも面接を受けてる受験者もナメた口利いてるし
ひとりくらい癪に触って、容赦なく惨殺するくらいしても別によかったんじゃないかと思えたし
それで、「あーあ、やっちゃったよ…」って、フリーレンにボヤかせるとかね、やると思ったよ的な感じで
そんぐらいの、畏怖至極の取巻に地雷源を探り探りさせるご無体感があっても、神に準ずる立場ならば適った属性だし、緊張感を維持できていた辺りまでの演出ならば、安っぽくもならないだろうし
まぁもうきらら化させちゃったから後の祭りだけど
ここの抜け感、ゼーリエのデバフは要らなかった
豪胆柔和な微笑と裏腹のうすら寒い恐怖支配は堅持してもらいたかったところ
フェルン面接時に、いつもの逃げ腰ギャグ路線を軽く噛ませて来たから、嫌な予感は無かった訳でもなかったけど…
初放映時の27話は見逃していたので知り得なかったけど、ゼーリエはレルネンに軽く発破を掛けていたのね
いつもの気まぐれじみた唆しだけど
でも確かにそれなら、余生で一番若い今が時と、そう思い立つのも無くはないか
フランメ以降、名を成した人間の弟子を育てられなかったゼーリエが、他人との四方山話の中ででも、何かを達成できた弟子の話題を肴にでもして、無聊を慰める一助にでもなれば、と、それくらいの捉え方なのか
指導者としてのゼーリエの能力に疑問符のつく、その世論への危惧なのか
セリフの額面通りに、大成せずに死んだ弟子などすぐに忘却して、思い出と戯れる意識さえ喚起されない孤独にゼーリエが苛まれる事への、申し訳なさ、か
とりあえずゼーリエも可愛がった弟子のために、「あの人思ったより強かったんだな」と、良し悪しはどうあれ、時代ガチャで活かし切れなかった潜在力の証明を世に知らしめて、過小評価の誤解を払拭し、取るに足らない寿命の鼻向けくらいにはしてやりたかった、という親心みたいなものか
まぁ一応筋は通ってるね
魔法オタだし、弟子がいようがいまいが、幾らでも籠って探求して暇潰しに明け暮れ続けられそうだし、おもろいおもちゃ見つけた、って、既に魔力隠蔽揺らぎ看破では人間で暫定第一等のフェルンを遊び相手に指名していたしで、相変わらずの気まぐれ具合だったけど
ゼーリエと弟子との関係性の辺りは、この作品では唯一興じられる部分なので、スピンオフものでゼーリエ中心の話でもあればいいなと
セリフのやりとりも静謐、行間は豊かと、悪く無い演出だし
劇伴にも頼らないし、逃げも無いしね
まぁ、これが出来るのなら何故このレベルを基本線にして、大人もそれなりに楽しめる作りとしてくれなかったのか、とは思う
ずっと張った状態での創作は原作者にはしんどいのかもしれんが
あと、今作、今タームの次点優良キャラはリヒターか
特にデンケン、ラオフェンとのやりとりはコミックリリーフとしては秀逸
花輪さんの演技は過不足、無駄がなくて、聴いていて心地良い演技
「完全にお爺ちゃんじゃねえか」は笑えた
自営店で昔馴染みの婆ちゃんのランプを直してあげてる時の、ちょいメンド臭そうなフリしてなんかポーズ取ってる感じの演技も秀逸
この時に絡んだ婆ちゃんを演じた片貝さんも芸達者
ホント些細なシーンだったけど、リヒターの人となりが解って豊かな表現
中年の焦燥や諦めや希望のない混ぜのペーソスも示してくれていた
ユーベルが、ラントが手にして読んでいた二次試験案内の書面を大袈裟に覗き込んでくる可愛らしさも、一瞬だけど、なんとなく不器用なアプローチで悪くない表現
あとはゼンゼのキャラデザと器用な髪くらいか
いかにもな、アルストノリア的キャラで能力もそんな感じだけど
もっと詳しい人は適切なルーツキャラ指摘ができるんだろうけど、自分が思い及ぶのはそこら辺くらい
ただ、あんまり利いた風なセリフは似合わなかった
言葉が上滑りしていたし
そこまで一家言ある何かを求める造形でもなく、天然を通した方がらしさが活きた印象
4コマ漫画やアイキャッチ、おまけCパートあたりで髪ネタをやると映えそう
頭に隕鉄鳥が乗っかった時なんてまんまそんな感じだったし
メインパーティの3人のちちくり合いは、正直イマイチ
同じネタが多いし、シュタルクのセリフ内容や言い回し、会話に入るタイミングなどが、後半辺りからかなり雑になっていたのでマイナス
正直、面白味は無く、若い子にかわいー、と言わしめたい、推しキャラ化促進に特化したあざとい演出がフリーレンとフェルンには多かった印象
あくまで冷徹なビジネスマインドが如実
なので、見ていると寧ろ引いてしまう
あと、疑問点として、国を動かせる程の宮廷魔法使いになれたと自負していたデンケンの、それでも2級じゃ故郷に帰れない設定
幾らでも融通を利かせられそうだけど、最後の討ち漏らし七崩賢のご都合関連か…
それと、デンケンの妻、「政争に敗れた辺境伯の令嬢」とか言ってたけど、原作者、暗闘に負けて辺鄙なところに追いやられた伯爵家、だなんて流石に思ってないよね?辺境伯は普通の伯爵よりか寧ろ格上だよ、馬鹿にし過ぎかもしれんけど
シュタルク幼少時の、故郷で期待されていない体での、父親からの兄弟間格差待遇のお約束の忸怩シチュも、メインどころなのにざっくり過ぎだし、なろう定石で良しとするカルテスエッセン感でいいのか?と
あと、フォル爺、呆けたとはいえ現役で体張ってあの村落をまだ守ってくれてるんでしょ?
でっかい魔物倒してたし
なのに、出自とか、何でここを守ってるのかとか、誰も知らないだのと村人に言わせてたけど、んなわけ無いから
本人の動機はどうあれ、住人は感謝しかない
最低限、村の爺さん婆さん辺りはどう考えても知ってるし、口伝で伝わり続けてるに決まってる
いつもお裾分け持って行って、ありがとうって感謝して、寝物語で子や孫に話しとるわ
どんだけ薄情なのよ
現代の大学や事業所の守衛さんみたいな感覚で扱ってんじゃないよ、マジで
おまけで、フリーレン、なんとなくであっても何かヘイトが集まりがちな印象があるのは、キャラ設定が基本ヤレヤレ型だからでは?
これは絶対的な判断じゃなくて、今作が世に出るまでに散々なろう界隈からこの手のチートヤレヤレキャラが百出して、原作ファンダム以外の第三者からは総スカンされる、1話切りの判断材料の指標として確立された素地が、既にガチガチに踏み固められた後だったからだと思われ
年長者に過ぎて、周りが粗の塊にしか見えない設定だろうから、キャラ考えてた時点でヘイト反応も想定内だろうけど
見返してよくよく感じたけど、やっぱりフリーレン複製体との格闘シーンはドラゴンボールそのもの
エネルギー体放出の物量感、それを放ってる時の醒め切ったフェルンの無表情、睨まれた眼力だけで体をくの字に折り曲げられて衝撃波込みで吹き飛ばされるサイコキネシス、その直線的な吹き飛ばされ方からの壁面衝突における大友克洋考案の半球体的陥没かつヒビ割れありの身体めり込み、圧倒的物量のエネ体放出の絨毯爆撃による対象攻撃後の土煙モワモワ、からの空中にいた攻撃者のゆっくり様子見着地の足元クローズアップを後方低位置カメラ視点で、からの土煙次第に晴れてきての攻撃対象ノーダメージ判明かつケンシロウ的ゆっくりこっちに接近演出
潔い、ホントにプライドも何もない潔さ
何言われようがチャラヘッチャラ
これも、笑ってください的な「隙」演出か
めり込んだフェルンが「こ、これが、魔法の高みなんですね…」に失笑
落差が大き過ぎるって
「勇者ヨシヒコ とびっきりの最強対最強」って、成立すんのか?
これじゃ限サバマダァ?(・∀・ )っ/凵⌒☆チ○チ○ だよ
このバトル路線はホントは原作者はやりたくないようだとも聞いたので、「連載続いてこそ」の提言を受け入れた不承不承の採択なのかもしれんが
劇伴は、改めて聴いたら結構多彩
よく聴いたらジャポニスムテイストもあったりして、1周目は気付けず
ここぞの盛り上げはフィドルの疾走感を活かしたアイリッシュ傾倒オーケストレイションで、今作の脆弱なストーリーの完成度をどうにかこうにか支え続けてくれている、劇伴におんぶに抱っこの至れり尽くせり感は否めなかった
取り留めのない唐突展開、思い立ったが吉日のシェフの気まぐれサラダがデフォなので、特に前半まで、おそらく原作者の本来目指していたであろう路線、現役の渦中でのドサクサでの見落としを、国破れて山河ありと近しいリタイア後の「凪の中に見出す普遍性の気付き」という滋味の反芻、言うなれば自分の足跡トレーシングによる当時の至らなさの反省、みたいな、そんなジュニア層には刺激の乏しい機微の確認作業の連続なので、週刊の大手少年誌ではちょっと毛色が違うよな、とは思う
もういっそ「50代からの私たち」かなと
リタイアで持て余した時間を、今日はここ明日あそこと、ライフステージ毎に濃密な時を過ごした思い出の地巡りを、その日の気分で繰り返している体裁なので、シニア層には「染み渡る感」にアジャストしやすいが、ジュブナイル層にはイマイチピンと来ないだろうから、やり過ぎのクドいくらいの劇伴はヤングアダルトに対するアンプリファイアみたいなもんかと思われ
後追いでもヤードバーズに興じられた世代には、折り返したキャリア後半のそのワンスタイルにも、好悪はあれど理解はできようが、ボカロ系しか興味ないわ界隈がド渋いアンプラグドクラプトンに触れたところで「なんか古いね」くらいにしか反応しないのだから
なので、ゼスチャーや豊かな表情を用いてのコミュ力ブーストが如く「ここは感動するところです」と、劇伴が手取り足取りリードしてくれている体とも採れる
それがこの作品の、無粋の極み、なんだけど
そんなプロットが一級魔法使い試験のところからガラッと変わったので、それまでのシニア向け路線の評価がマーケットでは芳しくなかった故の担当編集のテコ入れか、あるいは、アニメ化を企図する製委のアドバイス、注文、強制、いずれか判らんが、ここ数年で無視できないボリュームゾーンと化した「なろうクラスタ」へのチューニングを試みた改変へと、おそらく原作者が折れて、舵を切ったものと思われる
だいたい、もう魔王も倒しているのに、なんで今更なろうテンプレの格付け試験をここまでフィーチャーするのか、一案件として挙げるスケールとしては違和感が強かった
元々の、「木を見て森を見ず」路線にはしたくない、あくまで常識人のハッとする気付きを大事にしたい原作者の意図とは、あまりに対極な宗旨替えに映ったので
それで半ばヤケになったのか、辻褄合わせや整合性確保の放棄に等しい、雑な仕事になってしまった
寧ろ改変への抵抗の姿勢としての、あのクオリティダウンなのかと思えるほど
もともと細かい設定ありきでのスタートが得意ではない感じはあったが
あるいは、それより前、七崩賢アウラのくだりから、既に担当編集と製委の意図が押し付けられたようにも思えなくもないが、本来はあんな仰々しいバトルにはしないで、アウラとの会話劇で新たに気付きを得る、静かな構成にしたかったのが本音かもなぁ、と
だから、リュグナー、リーニエ、ドラートとも勿論争わないし、寧ろ新しい生き方を模索する彼らを見て、フリーレンが何かを思う、とか、そういう流れの方が序盤の趣きからしてスムースで違和感がない
そう思うと、大資本のマネタイズありきの策謀で、ライフワークとしようと思っていたかもしれない原作者の虎の子が、好き勝手にいじくられて、見る影もない別物にされた案件とも採れなくもない
原作者の度重なる休載がそれとなく聞こえてくるが、大事に始めたコンセプトがこんな形になってしまって、気持ちの面から体調不良になっているのかと、勘繰りたくもなる
「一級試験を別に受けなくても北部へは海路で行ける」だの、初めて訪れたオイサースト魔法協会支部の受付で、すったもんだしながらフリーレンに供述させていたが、金がないからダメになった選択肢だったかと思うが、見てる側からすれば「え、行けんの?」だし、意図的な穴、落ち度、詰めの甘さの敷設で、やっぱりレジスタンスなのか?と
本来のプロットは、バトルなんて一度もなくて、ヒンメル一行で過去に踏破し、今は古戦場となった思い出の地を巡り、そこでの経験とパーティの言葉を思い出し、新しく連れ立っているフェルンとシュタルクの言動やら、その地の民の言動に重ね合わせて「あぁ、ああいうことだったんだ」の繰り返しをさり気なく体験、実感させて行きたかったんでしょ
それで最後に、魂の眠る地オレオールつまりヴァルハラで、魂つまりエインヘリャルとなったヒンメルと再会する
たぶんラグナロクは割愛で、「これこれこういう事があったよ、こう思ったよ」ってヒンメルに嬉しそうにフリーレンが告げて、ヒンメルも嬉しそうに「うんうん」って頷きながら話を聞いて、そのうちハイターも、そしておそらくここに来るまでに亡くなってしまっていたアイゼン、さらにはフランメも加わって、みんなでフリーレンのゆっくりした成長にああだこうだと笑い話をしながら、宴を楽しんで時が流れて行く
そんな、ホントにざっくりしてほっこりした話が、元の構想な気がしてならない
原作者はたぶん、トールキンの中つ国世界観は商業主義、センセーショナリズムに過ぎて、自分の理想とするものとは明らかに隔たっていると思っていたろうし、さらに遡ってスノッリの纏めた神話体系すらもまだ作為的と判断、それよりもはるか以前の、北欧神話のアイコンがなんとなく当地の人々の生活のはしばしに染み付いているような、素朴この上ない、現実と験担ぎが混ざっただけの、イコール日常のファンタジー感で留めておきたかったように思える
その方が品があるし、あくまで常識人の「あっ、そうか」には、それ以上は要らないだろうから
実際この話の流れでも、たっぷりとした間を設ける今タームの贅沢な演出で作れば、それなりに見られるものにはなると思うけど、やるからには利益の可及的最大化を追求したい製委メンバーが、今の流れにしたのかなぁ、と
特に違和感のあったシュタルクとリーニエのバトル内容、具体的には、回復不能の致命傷となり得るような斬撃を容赦なくシュタルクが食らってしまうようなあり方や、とりあえず諦めないと思い続ければ負けないだとか、まぁそうなんだけど、あまりに格闘シーンとしては大味すぎて、その塩梅は不慣れ故なのかな、と思えたし
魔王が死んだ世界なのに、事ある毎に魔族、魔物が出現、とりあえず問題を起こすマッチポンプだけど、これも単にウケの良いバトル要素を沢山入れたい製委の意向かな、と
この点もずっと違和感が強い
確かに21世紀から始まるテロ戦争の常態化を反映した統治機構設定とも採れるけど、大景の、大らかな御伽噺感とは心なしか齟齬を感じる
そして、一級試験スタート後、にわかに細部へ執着し始めた、瑣末主義への傾倒に対する違和感もそう
なんでこうなった?の変節ばかりが噴出するので、外部からの要請なのかと憶測してしまう
なんだか物凄く大きな事を成し終えて1期が終わったかのように錯覚させられているけれど、何のことはない、北に行くためにとりあえず必要な資格を取っただけなんだよね
しかも、一応表向きにはそこそこ平和になっていて、人より上手く戦う事くらいしか取り柄のない人には非常に生き難くなった、武士の商法を嗤うような、そんな時代
そんなデタントにも似た状態で、命からがら免許を取っただけという
しかも海路でも行けるよ、っていう抜け道もあるのに
やや、この試験の扱いがデカ過ぎやしないかと、遠近法を疑う
なんか、バッファローマンを瀕死ながらも倒しました、みたいな空気だし
力を入れる所のアンバランス感覚が滑稽に映るんだよね
もっとどっしり構えて、大まかな設定だけでも、充分に普遍的な話は出来るのに
寧ろチマチマ設定の頻出が、大河的鷹揚感を毀損してマイナスになってるし
北欧神話的な約束の地への道程で、あっても無くても別に行こうと思えば行ける、その切符みたいなもんにここまで執着する、比重のポートフォリオに違和感が拭えない
原作者が、短編ギャグものとしてとりあえず形にしたネーム、そこから発展させ2020年に世に出す形として固めた連載当初の構想がどういうものだったのか
そして、連載開始の半年後に東宝プロデューサーからアニメ化の打診があった後に、原作者含め、関係者の間でどういう話し合いがなされたのか
東宝、日テレ、小学館、ソニー、電通、マッドハウス、そこら辺が製作委員会の主要構成員かと思うが、幹事の東宝プロデューサーがサンデーに掲載された「1話だけを読んでアニメーション化したいと思った」という言が、世に稀な潜在力があると思わせる営業トークでないならば、プロモーションと本編において、これだけの遠大な大作感を抱かせる魅せ方を選んだのは、ファーストインプレッションそのままの、素材を生かしたフォローアップに徹したまでだ、という、当初の言に偽りなし、の体現なのか
はたまた、その言とは裏腹に、隠然と外堀を埋めてからの周到な脚色変更へともっていった、君子は豹変す、の具現だったのか
その部分が最もブラックボックスで関心が向くところではある
序盤の静謐な演出とそこから予想される世界観と、中盤以降の実展開とのあまりのギャップに触れて、大衆受けを狙った製作委員会が、バズって指数関数的に旨味の増す版権ビジネスをフルドライブさせようと画策し、あまり乗り気でない原作者を宥めすかして、当初に構想していた様式美とは乖離した作風へと誘導したんじゃないかと、どうしても思えてしまう
経験も浅く、名も知られていない原作者が、しかも連載から半年しか経っていない原作ストックの状態で、マネタイズに血眼になって今のアニメバブルの好機を使い倒そうとしている魑魅魍魎たちを相手に、対等の立場で意見が言えるのか疑問しかない
静かな立ち上がりと打って変わって、取ってつけたようなバトルシーンを展開、そこに付与する過剰に荘厳な劇伴、既視感しかないなろう王道ルートへの唐突なポイント切り替え、磊落な持ち味からのトリビアリズムへの不自然な傾倒、そして世界的に知れ渡ったドラゴンボールと寸分違わぬ格闘演出
まさにアテンションエコノミーの申し子のような変節ぶり
その後の、フリーレン、ゼーリエ、レルネンの、三者の思惑を錯綜させる、行間を存分に活かした静かな演出が、ローンチ段階の過剰な惹句に違わぬ豊かさとして広く世に示され事だけが、唯一の救いか
最近の業界の動きの中で大きかった、ソニーによるクランチロールの実質的な買収だけど、Netflixに比べてユーザー数で半分ほど、課金ユーザーに限定すれば20分の1ほどの会員数とは言え、広く世界に繋がるストリーミングプラットフォームを持ち得たことにより、少なからず業界内でのパワーバランスの変動はあったと思う
実質的な海外チャネル、ここで飯を食っている人にはライフラインに等しいものだろうけど、そこを押さえたソニー自身が、製委にしばしば名を連ねる現状で、今回のような案件に関わった場合に、海外ウケを意識した派手なアクションやドンパチを、出来うるならば作品に組み入れて欲しいと考えるのは自然な事かと思う
実際、ドラゴンボールの成功体験が、今も事ある毎に比較対象として採り上げられるこの業界で、さして先の話がまだ確定していないのならば、と、あからさまにではないにせよ、投資家の覚えめでたい結果となる方向性に作品の流れを矯めることは、ビジネスならば当然かと思う
今回は音楽面の一翼も担ったソニーが、この先も見越した、全面的バックアップの見返りを欲しても不思議はない
現実に、ソニーが関わると作品の音楽要素は充実する
クレジット上、劇伴への関与は見受けられない作品でも、この企業グループの経歴に裏打ちされた、痒い所に手の届く適切な助力は惜しんでいないと思われる
ただし、見る側の思考停止ともなるステレオタイプ扇情や、場面解釈のオルタナティヴ排除の独善性は、充実した分だけ強まるという、部外者から見たジレンマが、作品の演出方針によっては増してしまうが
将来のゲーム化の構想もあるのなら、疾うに魔王が死んだのに、今更また激しい格闘が繰り返され、代替ルートもあるのにわざわざ大きなリスクを冒してまで、ダンジョンに潜り込む面倒事に首を突っ込むプロットも、アクションRPGの文脈で考えればとても合点のいく話ではある
御大ソニーは勿論のこと、クランチロールもゲーム配信はしているのだから
作品総体にわたる、ジャンル要素の違和感ある共存が、この見立てならば得心が行く
ただ、時の流れの風化によって陳腐化する旬の言葉や、それに合わせた所作や反応の多用を躊躇わない姿勢は、メインラインとしての北欧神話準拠による、過剰な潔癖性に傾くことへの緩衝材として、作者自ら必要と判断したプロトコルかとは思う
どれほどの程度、頻度でなすべきかは、やはり製委の意向も影響したとは思われるが
既に2期の製作が発表されたが、ぼざろを化けさせた監督のお点前拝見と思っていたけど監督交代で、フォローアップに回った様子
今のところプロデューサー関連の情報は無いみたいだけど、あれだけ大見得を切ったプロモーションを弄した当の本人達は、勝ち逃げよろしく関わらないつもりなのかしら?
確かに後半辺りから、敢えてこの作品で準える必要があるのか疑問な、なろうプロットと化しているし、景気のいいブラフの真偽の定まらない今のうちに、保身の詭弁方便で舞台袖に捌けて行くが吉という、勘どころを押さえた処世の垂範といったところか
クオリティよりもバズらせることがファーストプライオリティの狐狸妖怪、マキャベリストの面目躍如で、もはや10%を切った新規ジャパニメーション企画の、その低成功率を覆したこと自体が、当プロジェクトの汚れそうな晩節から早々に身を引くに値する殊勲だった、という事かと思われ
新体制が、夢よもう一度で、再びの金ロー枠獲得からの大本営発表による煽動で、三本歯高下駄を履かせての外八文字を優雅に描かせるのか、それとも、夜半零時の子の正刻、九つ鐘の号砲の、横一線からのよーいドンを受け入れて、極薄ソールで勝負する潔さと、揺るがぬ自信を示してくれるのか、楽しみではある
1001コメ、キモいというより病気だなオマエ。自覚症状はあるのか?ちゃんと通院しているか?
新シリーズが始まって、ここにフリーレン板が出来ても1001コメが常駐したら、その板は死ぬな。
電通アウトソーシングの特高さんたちには悪いけど、遺漏補筆
一級魔法使いニ次試験、ダンジョンの主であるシュピーゲルは侵入者の完璧な複製体を作る、のくだり
フリーレン複製体攻略についての会議の中、フリーレンはフェルンに「相手はフェルンの魔法発動の早さを知らないから…」と、戦況はこちらに有利になるだろうとの意図でセリフを設けていたけど、シュピーゲルは「侵入して来た者の記憶を読み取りコピーする」という体なんだから、フェルンがビリーザキッドやのび太であるという事実は、コピーされた時点でのフリーレンが理解していた以上、複製体自身も当然解ってなきゃおかしいよね
その日の全能力のイコールコンディションなんだから
それが最終的な決戦の鍵とはならなかったけど、佳境に整えた舞台の整合性としては少しおざなりだったかと
あとは、製作委員会に名を連ねる小学館とそこに包摂されるサンデー編集部、それぞれが原作者にどういう寄り添い方をしたのか、の辺り
小学館単体で、少なくとも億単位で出資しているであろう中で、原作者にどれだけの裁量を許容していたのか、敬意をもって接していたのか
板挟みのサンデー編集部が実質どちらを向いていたのか、仮に原作者の意向の反映を上申し得たとして、それを受けた小学館自身が製委の会議で、その意をどれだけ汲んでプロジェクトの方向性に意見して来たのか
黙殺だったのかもしれないし
このトピで知ったが、ベイブレードとのコラボやら、他にも随分と大量に物販を手広く展開していたから、その節操の無さを見るに、ブランドバリュー毀損回避に心を砕いた戦略があったとは思えないので、わかりやすさ重視でのイケイケどんどん、だったのかなと
一番近くにいて信頼していたパートナーがあるフェーズから籠絡する下心を見せ始めたら、それが僅かなものであろうとも、敏感に察するであろう原作者には辛かろうな、とは思う
それでは、特高さん、お返ししまーす
最近はなろう系しかない。なろう系ばっかりアニメ会社が使ってたら日本のアニメ文化の衰退に繋がり、日本が欧米に勝ててる部分がほとんどなくなってしまう。フリーレンはなろう系じゃなかっただけマシ。そこまで面白いとは思わないがそこらの虫ケラが書いた底辺なろう系よりは全然いいので、日本のアニメ復興の第一歩となって欲しい作品である
日本を舞台にしていない西洋ファンタジーの世界観で見やすく
キャラデザもブサイク顔で欧米のフェミニストもにっこり
あざといまでの人間讃歌アニメだけど、それでいい。これを見て気持ちよくなった者の勝ち。
つーか、このアニメ観て感じた感想。
特定のPが推しただけで、明確に愚作。でも、Pが強硬に推すと、ただタイトルが良いだけの作品に一流のスタッフがつき、いい画の作品が作成され、いい作品に持ち上げられる。
この作品がいいとしたら、ネタ元はどうなのよってことになる。
私お金持ちでーすwwwトートって貧乏人しかいないよね1きもいキモいw雑菌ん繁殖しまくってんじゃん
作者はまだ復帰してないのか?
一大叙事詩みたいなデカ過ぎるテーマを背負わされて
負担が作者本来のキャパを超えたのかも知んないね…
コレ、いまだにどういうノリで見るべきモノなのか全然わからんのだが。高級なろう系ってことでいいのかなあ?
時間軸思考の極端な長さにまずついて行けない。後、個人的にこういったジャンルは根本的に受け付けない。~自分には向かないアニメ。
>>1719
ただでさえ作家の「体調不良」やら「読者に高品質な作品を提供するため」とかの休載は信じてないし2度目だからね…
性学館がアニメ2期が始まるような漫画を打ち切りにするワケないから原因はおそらく原作者
続きの展開や終わらせ方が思いつかなくなってゆるやかな放置状態に突入してきてしまったかな…悪いけど自分は体が大切だからお大事にいつまでも待ちますなんて物わかり(都合)の良い事は言えない…
>>160
自分はどっちが票操作してるか知らんし、
このサイトの投票結果は気にしない方がいい
いきなり意表を突かれるアニメだった
いくら年とって骨密度が落ちまくったって頭ふたつ分(もしくはそれ以上)も身長が低くなるとか漫画(フィクション)でもありえなさすぎで気分すげー萎えた…
そりゃ体がそんな事になったら死んでしまうよ…
>>1727
いつも思うけど自分と違う意見を気に入らなく思うのは自由だけどいちいち口汚く罵ったり食ってかかったりするのは醜悪がすぎるのでは?
一時期クラス内で流行ったけど今はフリーレンの話題は一切出なくて代わりに鬼滅の刃の話題になってる
>>1730
だからって無視しておけばいいだけなのにわざわざ
「感性死んでんな」
とまでコメントするのはどうなのかって話。
まあこっちも見てて不快になったからつい余計なツッコミしてしまったから今後は黙って傍観するけどさ。
自分は好き。
適度にテキトーな感じが自分には合ってる。感動もあるし。色々考える事も多い。
>>1725
漫画にリアリティを求めるのもどうかと思うけど、あのありえなさすぎる縮みっぷりがフリーレンが預けっぱなしにしてた暗黒龍の角が発し続けていた邪悪なオーラが原因だったりしたら救いがなさ過ぎるストーリーになってしまうなw
まあさすがにそれはないとしても今おそらく原作者が原因(終わり方が考えられなくてプチ逃亡状態?)で何度目かの休載中だしコナンの二の舞にならなけりゃいいけど
少年サンデーの漫画アニメで
コナンだけじゃつまらないから
このフリーレンで無理矢理盛り上げ様として居る...
>>711
何が言いたい?
カニアレルギーなのになんでカニを出した?
コメントの意図がわからない
>>759
剣の錆なのにパンチw
あと厨二w
絵文字と喋り方がガキすぎw
僕も喋り方ガキだって?わかってるよ
https://truyenfullaudio.net/ のオーディオストーリーは非常に魅力的で、このトピックで議論されている作品の世界観をより深く楽しむのにぴったりです。素晴らしい議論の場を提供してくれてありがとうございます。

