【小説】Renegades 下
私が口を滑らせて日本から来たということを暴露した後、話題は“この世界に来る前”の話へと変わっていった。
どうやら二人とも同じ時期にこの世界に来たらしい。“前の世界”での趣味、出身地など自己紹介まがいのことをした後はくだらない話ばかりをしていた。
「皆で窓ガラス割ったのにさ、俺だけ怒られたんだよなー」
「あー、私も花瓶なら割ったことある」
「は、マジ?」
「マジマジ大マジ。廊下で暴れてた」
「え、お前が?」
「うん」
「何それウケる」
学校の体育教師の口癖が同じだったり。過去の失敗や黒歴史を笑い話にしたり。あの言葉流行ってたよね、何それ知らないんだけど、なんて言い合ったりして。
そこからやがて家族の話になった。___その話になると、彼も心にくるものがあるのか口数は少なくなり、感傷に浸っていく。
あれほど大切だった家族の顔は、もうぼんやりとしか思い出せない。
「今どうしてっかなァ、あいつ」
もう会えないんだな、と彼が溢した時、何も言えなかった。
ただ、時間だけがゆっくりと過ぎていく__
気がつけば、彼は頼んだものを全て食べ終わっていた。食器を下げようとする元執事二人を制し、自ら食器を片付ける。何だか今は手を動かしていたかった。
食器を洗うためにすぐそこにある魔法具を手に取る。この道具を使って水を出すことも、今となっては手慣れたものだ。
「俺さー、部活でサッカーやってたんだよね」
しんみりした空気を感じ取ったのか、勇者が幾分か明るい声で言った。努めてそんな声を出しているのは丸わかりだったが、私もそれに合わせて口角を上げる。へぇー、そうなんだ、と言えば彼の声はさらに明るくなった。
「好きな子もいてさ、フラれたけど」
「うん」
「いや今笑うとこだろ」
「あはははは」
「うわっわざとらし」
自分から言い出しといて何を言ってんだか、と心の中で悪態をついてしまった私は悪くない。空気を読まずシリアスな雰囲気をぶち壊してしまうのはむしろ一種の才能だと思う。いや、この場合はあえてなのか?
まあそんなことはどうでも良い。ともかく、笑わない、というのは本心なのだ。
「笑わないよ。だって勇気出して告白したってことじゃん。それを笑うのは違うんじゃない」
そう言えば彼はどこか納得いかないような、微妙な顔をした。
「まぁそーだけどさァ。お前よく人タラシだって言われない?」
「えー。相手を認めるのはタラシでもなんでもないじゃん」
「そーゆーとこだよ」
今度は大袈裟に呆れたような顔をする。忙しない表情だね、といえば今度は怪訝な顔をした後ちょっと怒ったような顔をした。そういうとこだよ。
「話戻すけどさ、中高とサッカーにかけてたんだよ、青春。全国大会とか出てたしさあ、こう見えて結構良い線いってたんだよ。
____その真っ最中に頭イカれた奴らからの召喚だ」
一度魔法具を操作する手を止めた。水が流れる音がぴたりと止む。
勇者の声がやけによく響いた。
「こちとら急に家族にも友達にも会えなくなったわけ。そこんとこの配慮くらいしてくれてもいいんじゃねえのって、何で俺なんだよって、何回も思った」
「うん」
「俺だってダラダラするの好きなんだよ。もっとゲームしたかったし、俺、男子校だったからさ、周りも騒がしいやつばっかで。
もっとダチと学校で、馬鹿話したかった」
「うん」
その気持ちは痛いほど分かった。
「いやー、ね。時々思うんだよな。なんで俺が全部守んなきゃなんねぇんだ、って」
今回の任務だってさ、と勇者は続ける。俯いていて表情はよく見えない。
「この地域を牛耳る魔物を倒すことよりも住民、特にお偉い領主サンを守ることが目的だったんだよ。それだけならまだいい。強者が弱者を守ることは必要なことだ。でも」
く、と勇者は歯を食いしばった。
—なんで不当にカネ集めてる奴が最優先なんだよ。なんで奴隷を虐待して、人の人生奪ってる頭イカれた奴まで俺が守んなきゃなんねーんだよ。
なんでそんな奴のために命をかけなきゃ何ねーんだよ
そう言う彼の声には怒気、という言葉では収まりきらないような、殺気に似たものが含まれていた。あげられた顔を見て思わず喉がヒュ、となる。真っ直ぐ前を向いたその目が何を見ているのかは分からない。けれどそこには、先程まであった生き生きとした輝きはなくて。仄暗く濁った目に静かな怒りを宿らせていた。
____本能的にこの人物は危険だと感じる。脳が警鐘を鳴らしている____
ふう、勇者は息を吐きながら目を瞑った。目を開ければそこには先程のような表情はなく。いつもの飄々とした勇者の顔に戻っていた。
驚くほどの切り替えの速さ。この男は今まで、一体何を見て、聞いてきたのだろうか。何度絶望の底に突き落とされてきたのだろうか。
何度自分の感情に逆らってきたのだろうか。
「……こんな話聞かせて悪かったな。勇者がこれじゃァ面目が丸潰れだ。ここらでお暇させて「私ね、臆病なの」
思わず彼の言葉を遮って引き止める。上着を着ようとしてた彼の動きがぴたりと止まる。そのまま上着を椅子にかけ直すと黙って続きを促した。
なぜこんな言葉が出たのか自分でもわからない。が、声に出して仕舞えばそこからはダムが決壊するかのように堰き止めていたものがガラガラと崩れていく。本音を止めることはもうできなかった。
「戦いに出るのが怖かった。人を守ろうとは思えなかった。だって自分の命が一番だったから。戦場では自分の命すら守れないって分かってたから」
そうだ。自分は怖かったのだ。死ぬのが怖かった。嫌だった。だから逃げた。臆病な人間だと思う。
「だけど、後悔はしていない」
男の目が僅かに見開かれる。
脱走してからの五年間。私は少なからず幸せだった。この街で夢だった料理人をやれて。少ないけれど信頼できる人もできて。
知っている人が幸せだというだけで良かった。見ず知らずの人のために戦うなんてごめんだった。それゆえに、勇者や彼の仲間の思想は理解できない考えだ。
でも、と思う。
「貴方は今、戦ってる。それだけで偉いよ。あなたのおかげで、何千人、何万人の命が救われている。私が言えたことじゃないけどね。それ以上何を求めるの。それだけでもう十分だよ」
___だから、全部守ろうとしなくても良いんだよ。例え、守りきれないものがあったって、手のひらから溢れていく命があったって、それはあなたの責任じゃない。善人悪人関係なく全部を守りたいだなんて、そんなの物語の中のヒーローだけでいい。
「守りたいものだけ守ったらいいんじゃないの」
「守りたいものだけ」
「あんたもいるでしょ。命をかけてでも守りたい友人や恩人の一人や二人」
「まあ」
「その人たち最優先にすればいいんだよ」
「……」
「守って“あげてる”んだから、対象を選ぶ権利くらいはあるでしょ」
男は空になったコップをじっと見つめた。
やがて口を開く。そこにはいつもの飄然とした雰囲気はない。
「何それ自己中心的すぎじゃね?」
「そう?」
それっきり彼は黙ってしまった。居心地が悪くなる。眉を顰める彼に、考えを押し付けるつもりはないけど、と言えば押し付けられるつもりはねーよ、と返ってきた。
カァ、と黒い鳥が鳴いた。ざわ、と木の葉が揺れる。
勇者相手に余計なことを言ってしまったような気がした。なんだかこの沈黙が気まずくなって、思いついたことを口にする。
「なんか私達正反対だね。同じ故郷なのに」
「そうか?」
世界を救おうと今日も戦い続ける彼と、逃げた私。何千年に一人の逸材の彼と、無能な私。賞賛される彼と、蔑まれる私。私が持っていないものを当然のように持っていて、それでいて気高くて、優しい。うん、やっぱり正反対だ。あーでも。
「この国の『貴族サマ』にキレてるのは同じかもね」
「ハッ、違いねえ」
ゴーン、と時刻を示す鐘が鳴った。もうこんな時間か、そろそろ帰るわ。と上着を着直している彼に声をかける。
「そーいえば、名前は」
「あ?知ってんだろ」
「いいや?」
数秒間。日本人特有の“間”。
「ハヤセだ。まァ好きに呼んでくれたらい「じゃあね、アキモト君」
「…知ってんじゃねえか」
◆◆◆
ギルドに戻ると、抜け出したことは既にバレていたらしい。パーティーメンバーの一人、後衛役の少女がすぐに声をかけてきた。
「随分嬉しそうじゃない。なにかいいことあったの?」
「さては女か?」
「…そんなんじゃねーって」
彼女の言葉に反応したのはアタッカーの男。タッパが大きいため目の前が影のせいで暗くなる。
「ふーん?」
「何だよその目」
隙あらばすぐ揶揄おうとしてくる愉快な仲間たちに半分呆れつつ、いつも通りの光景に安堵する自分がいる。何だか普段より弱気になっている気がした。
これもあの女のせいだと、先程までいた店の店主を思い浮かべる。
__守りたいものだけ守ったらいいんじゃないの
彼女の言葉はやけに耳に残っていた。
その言葉は不思議なくらいにすんなりと心の中に落ちてくる。今まで誰にも言われることがなく、だけど心の奥底で一番に望んでいたもの言葉。
5年もの間、積み重なって心の中に巣食っていたわだかまりがあった。どんなに信頼関係を築いた仲間にだって払拭することはできなかったのに、初対面の彼女の言葉は一瞬で消し去ってしまったのだと気づく。
「ハハッ」
「急にどうしたの」
それがおかしいの何のって。思わず笑いがこぼれる。誰だよ、『信頼のできるトモダチに相談しよう』なんて言っていたのは。
「ただ、」
言葉を切って宙を仰ぐ。
そうか。そうだよな。全部守る必要なんてないんだ。
______「ちょっとだけ、心が軽くなった気がしたんだ」
ーーーーーーーーー
よく見る異世界召喚モノ。いくら最強な主人公でも疲れちゃうよね、ってだけの話。
ここで完結となります。読んでいただきありがとうございました!
このトピックは、名前 @IDを設定してる人のみコメントできます → 設定する(かんたんです)