【小説】「好き」を何度でも 第十一章③
前回のお話[第十一章②]
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それから、僕は何度もそのカフェを訪れるようになった。渚実について…確信を得るために。
「いらっしゃいませ〜。あ、また来てくれたんですね。」
「まぁ…はい。」
渚実は、僕が彼女と高校生活を共におくった相手だとは思っていないようだった。「カフェの常連さん」と思うようになっただけ。僕は未だに分からないままだった。彼女が僕のことを認識していない理由。あの日彼女が消えてしまった理由。カフェの明るい店員である「三村」は、僕がずっと好きだった三村渚実に違いないのに。
そして…ある日のことだった。
「お待たせしました。コーヒーです。」
「ありがとう。」
彼女は僕の前にコーヒーを置き、そしてその横にメモを置いてすぐに去って行った。なんだ…このメモは。そのメモの内容はこういうものだった。
『今日のシフト四時までなんですけど、それまで待っていてくれませんか?』
このメモを読んだ時、色々な気持ちでいっぱいになった。これはどういう意味…?僕のことを、ちゃんと認識している?それともただの店員と常連の関係で何か話があるのか?気になって彼女の方を見ても、もう仕事に戻っていた。
僕はずっと時計を見た。あと十分…あと五分…あと三分…あと二分。人生に中で一番長く感じた時間だった。また渚実と話せる…?そう思うと、嬉しかった。だけど…何よりも怖かった。真実を知るのが怖かった。
「待たせて…すいません。お時間…ありますか?」
四時五分。彼女は私服に着替えて出てきた。やっぱり…何かがおかしい。もう彼女の仕事は終わっている。だったら「店員」の顔を装う必要もない。なのに…彼女は僕に敬語のまま話していた。やっぱり僕のことを覚えていない…?
「…はい。」
僕は会計を済ませて、彼女について行った。
しばらく、僕たち二人は無言のままだった。先に口を開いたのは彼女の方だった。
「この公園思い出の場所なんです。よければなんですけど…あのベンチで話を聞いてくれたら嬉しいです。」
「分かりました…。」
あの…僕たちの思い出の公園。幼い子供の頃の渚実と僕が初めて会った場所。あの木の下で初めて会って。高校生になって同じクラスになって。あのブランコで渚実が飛び降りて。あのベンチで木葉についての相談に乗ってもらって。あのベンチで僕と塁と桂木は未だにあっていて。そして今…渚実とまた同じ場所に。僕は…決心した。何があっても受け止めるしかない。嫌な予感しかないけど…渚実の話を聞くしかない、と。
「あの日、あなたは私のこと…たしかに渚実って呼んでくれましたよね?」
やっぱり敬語のまま。
「はい…。なんかすいません…。」
だから僕も敬語のままで話す。
「いえ…謝らないといけないのは私の方だと思うので。」
謝らないといけない…?彼女は…渚実は一体…?
「姉から聞いた話なんですけど…」
渚実の姉。海香さん…だっただろうか?僕が彼氏のフリをしたこともあったよなぁ…。あれももう十年前のことだなんて。僕ははっきりと覚えているのに。
「私…事故に遭ったらしいです。」
「え…?」
事故に…遭った?今…事故に遭ったって言った??
「高校二年生の時に。」
「それって…。」
花火大会に行く途中とかでした?そう聞こうと思った声がどこかへ消えた。
「それで一部の記憶?無くしてるらしいんですよね…自分じゃよく分からないけど。それで急遽高校も辞めて、引っ越して。勉強もなんとか頑張って違う高校に編入したんだけど、大学は上手くいかなくて。だったら、またここに戻って来たいって思って。自分の意思で戻ってきて、今はあのカフェで働いてます。」
記憶を…無くしてる。事故に遭って記憶を無くしてる。だから…だから渚実は花火大会に来れなくて。だから僕のことを覚えていなくて。だから高校にも戻って来なくて
。今までバラバラだったパズルのピースが、繋がったような気がした。だから…。
「最近分かってきたんですけど、どうやら中高生の時の記憶がないらしくて。だからもし…あなたとその期間に会っているなら…覚えていないんだと思います。」
だったら…だったら…。中学生の頃に仲良くなった親友、桂木のことも…覚えていない。そんなこと…桂木に言える訳なかった。
「本当ごめんなさい。」
「いや…別に…。」
すごくショックだった。だけど…事故は簡単に止められるものじゃなくて。渚実は全く悪くなくて。でもやっぱりショックだった。高校で初めて会話をした9月6日のことも。一緒に嫌々水族館に行ったことも。僕が渚実の彼氏のフリをして、お互いに下の名前で呼ぶようになったことも。塁と桂木と四人で勉強会をしたことも。花火大会に行こうと約束したことも。全部全部…覚えていないんだ。
「ごめん…なさい。」
もう一度、渚実が謝った。やっぱり渚実だった。
「いいんだ、別に。」
「でも私は…」
「そんなの気にするなって。今、新しい思い出を作っていけばいいよ。」
渚実は事故のせいで忘れるのが一瞬だっただけで。人間は次第に色々と忘れていく。何気ないことは特に簡単に忘れてしまう。僕たちはただ、渚実のことをずっと大事に思っていたから。探していたから。自分たちにとって偉大な存在だったから。ずっと十年経っても覚えているだけで。僕もクラスメイト全員がはっきりと思い出せるかと言われたら絶対に無理だ。そんな風に人間は忘れていくから。渚実はそれが事故のせいで早まっただけだった。ただそれだけ。
「なんか不思議。」
「え?」
「何も覚えてないはずなのに、話したことがある気がする。初めて話した気がしない。」
「そう?」
高校の時の渚実もそう言っていた。そう…幼い頃の僕を覚えていたから。自分では分からないけど、面影があったらしい。
「うん。どこかで話したことある気が…あ、ごめんなさい。急にタメ口で。」
「全然いいよ。いや、そっちの方がいいかな。」
「そ…っか。だったらそうしようかな?」
そう言って渚実は笑った。あ…そうだ。中高生の頃の記憶がない。それだけなら…昔に僕を覚えている可能性は…?あの頃の渚実も僕を覚えていてくれた。それが僕だとは言えなかった…けど。
「ここ、思い出の場所って言ってたけど…?」
「ああ、それ。ちょっともうめっちゃ前の話だからその子は覚えてないかもなぁ。」
覚えてる…?あの時の僕のことなら覚えてる…?
「ここで幼い頃に会った名前も知らない男の子がいて。ちょっと私は酷いこと言っちゃったんだよね。悪気はなかったんだけど、傷つけちゃったみたいで。私は急に引っ越すことになってもうそれから会えてないけど。だから謝りたいってずっと思ってて。またここで会えるんじゃないかってたまにここに来るの。」
渚実は覚えていた。何年も前の僕を、覚えていた。
「ここ、僕の思い出の場所でもあるんだ。」
「え…?」
今なら…今なら言える気がして。あの時は言えなかったけど…今なら。
「ある女の子に幼い頃に会ったんだ、ここで。明るくてかわいい子だったよ。ある日突然会えなくなって、何もお別れも言えなかったことが悔しかった。」
「え…?」
「その時は名前も知らなかった。だけど…高校に入って不思議な女子にあった。僕にやけに構う子でね。そして気づいたら何故か仲良くなっていた。なんかもう自由で明るくて。放っておけないやつだった。そしてそいつが言ったんだ、ある日。僕と初めて話した気がしないって。昔会ったある男の子に似てる。公園であった子にって。でも僕は何故だか言えなかった。それが僕なんだ、とは。」
一気に言い切った。一度止まったら言えなくなってしまいそうで。とにかく言い切った。これは三度目のキセキだから。逃すわけにはいかない。もう離れたくない。離したくない。一度、幼い頃に彼女と会えたキセキ。高校で再会できたキセキ。そして今…また会えたキセキ。
「それって…私だったり…いやそんなこと…。」
渚実は戸惑った顔でそう呟いた。
「そう。その子は、三村渚実っていう子だった。」
僕はそう言って微笑んだ。もう二度とこんなキセキなんてないから。だったら…大事にしないと。もう臆病なまま、逃すのは嫌だから。ちゃんと掴みたいから。
「え…すごい。すごすぎる。なにそれ…。変…すごく変。」
そう言って彼女は笑った。確かに変すぎる。こんなこと普通はない。だけど…キセキが起こった。嘘みたいなことが。
「えっと、名前ってなんて言うだったけ?」
「永島勇都。」
「永島くん…永島勇都くん…勇都くん…。」
そうしばらく僕の名前を呟いた後、渚実は明るい顔に変わった。
「分からない…分からないけど、なんか覚えてる。勇都くんって言ったことがある気がする!」
「なんだよそれ。」
「さぁ?よく分からないけど。」
なんの根拠もなく色々言い出すところも、全く変わっていなかった。目の前にいるのはやっぱり渚実だった。
「えっと、勇都くん!」
「え?」
「ん?永島くん?」
「え、いやどっちでもいいけど。」
急に名前を呼ばれて驚いただけで、呼び方変えろって意味じゃなかったんだけど。なんかちょっとズレてるところも紛れもなく渚実だ。
「お願いが、あります!」
「はい…?」