アニメ『どろろ』はおもしろい?つまらない?
個人的にすごく気に入った作品です。この作品は百鬼丸の成長とそれに伴う感情の変化を楽しむものだと思います。いまいち面白くないと思う人は、是非百鬼丸の心情を思ってみたり、それがどのような影響をもたらし、成長したかを考えながら場面を見てみると、今まで見えなかったものも見えてくると思います。
相変わらず臭いセリフのオンパレード。
それでだらだらよもよもぐだぐだしてる。
なので30分がめちゃくちゃ長く感じる
>>918
相変わらず長文を書く割には内容が非常に薄いし
批判も抽象的だな
脳味噌を鬼神に取られたの?
>>921
別に薄い内容じゃないだろ。賛否両論あるかもしれないけどまともに書いてて問題ないじゃん。短文でも作品の評価もせずあげ足しかとれん奴より内容濃いだろうよ。どろろが好きなんだというのがよく伝わる。
>>922
そうですよね。
ムチャクチャ言ってる誰かさんよりは伝わるし言いたいこともわかりますよね。
ファンとしては今回、余り期待はしてなくて見てみたら以外と良かったので、途中までは楽しくそれなりに観てたんですが…
裏切られたと言いますか自分とスタッフの考えが合わず悲しいです。
多宝丸も長生きしてたので、やっとファンの納得する結末かと思った自分が馬鹿でした。
グッズも集めるほど入れ込んでいたので。
失礼を承知で言うのなら、醍醐夫妻のキャラクターとか寿海は脚本家さんの実体験をもとに、どろろと百鬼丸に対しては自分が好きなラブストーリーとして盛ったような印象。
男が男に惚れるという感覚が分かる、男性が脚本書いた方が百鬼丸はもっと格好良くなったと思う。話しを受けるかどうかは分からないけど、意外とあらすじについては宮崎駿が関わった方が面白くなったんじゃないかという気がしている。
>>920
分かる。
23話の村人との会話、下らない会議みたいだった。売上をあげるんだ!で、その方法は…。皆で今からやるんだ!
あぁ、この時間返して~、みたいな。
>>917
バッサリと切り捨てられたのが不要な箇所だったのかは、色んな意見があるだろうけど、マンガの神様に対して委縮せずに、大胆な新解釈を打ち出そうとしたのは、いい姿勢だと俺も思う。
百鬼丸が、コミュニケーション不可能から始まって、徐々に人間性を獲得していくスタイルも、評価してたんだよ俺も。最初のうちはね。
だけど、期待していたほど「深い成長」が感じられなかった。もっと、どろろと少しずつ言葉を交わすようになり、細やかな心のあやを理解するようになっていき、どろろ以外の他者とも、百鬼丸なりに関わりを結んでいく話になっていてほしかった。
だが実際は、どろろとさえ、会話と言えるほどの会話も成立せず、どろろ以外の人間との関わりも皆無に近いまま鬼神化へ。人間的な感情を持つ以前の、幼児のようなままダークサイドに落ちたから、彼の哀しみに心動かされない。
別に、あなたの感想にいちゃもんをつけたいわけではなく、飽く迄も俺の感想ね。
>>918
コメントを付けさせていただいておりますが、意見を押しつける気はないので面倒でしたらスルーしてください。
「オマージュ」の件なんですが、オマージュの意識があっての制作なら、百鬼丸が女(陸奥)を斬ったり、縫の方の 我が子百鬼丸を「救えませぬ!」発言は、ストーリーには盛り込めないのではないかと思います。この辺りは、原作者の手塚先生が最も大切にしていたこと、弱者へのいたわりと母の慈愛、普遍的な愛に関わる部分なんで。
今作については、どちらかというとオマージュと言うよりも、原作『どろろ』をもとにした、パラレルワールド、とかシュミレーション世界だと感じています。
>>921
お前のせいで、関西弁のオッサンが、相対的にまともな人間みたいに見えてるじゃないか。笑
お前が不倶戴天の敵として憎んでいるはずの、原作と違うの一点張りの典型であるオッサンに、塩送ってんじゃねぇよ。笑
>>929
間違えました。シュミレーション世界じゃなくて、「シミュレーション世界」でした。^^;
>>918
「関西弁ではなく日常語なんだがw」って、だからあんたの日常語が関西弁だから、ここでも関西弁で罵詈雑言を並べ立ててたんじゃないの?ちょっと、言ってることがわかんないです。
原作と違うから受け入れられないっていう、あんたの感情そのものは、否定しようとは思わんよ。だがあんた自身は、今まで口汚く関西弁でコメントする中で、「死ね」だの「あほ」だの「ボケ」だのと言って、異なる考えを否定し続けていたからね。そこについては、謝罪と反省があって然るべきだと俺は考えるんだが。
>>908
手塚治虫の『どろろ』が原作なんだから、それと比べて評価したくなる人もいたっていいだろう。俺は、ここが違うあそこが違うってだけで評価しようとは思わないけどね。個人的スタンスとして。
他人のスタンスを躍起になって否定したがるお前も狂気じみてるけど、ホントに狂気じみてる人は自分から病院に行こうとはしないから困るね。
>>907
「長文ってだけで読む気がうせるんだわ」と書いている当のコメント自体がまあまあな長文で笑える。お前、面白いな。
ホントに長いのを書いてる人と比べたら、相対的には短いが、こんな長さの文章が書けるんなら、『どろろ』が面白い理由の一つや二つ、論じられるだろ?
「長文をあえて書かない俺」って前提が、当のコメントで破壊されてるんだから、「10倍以上」の長文でもいいので、書いてみろよ。「余裕」なんだろ?
お前が言ってるのは、「オレは芥川賞レベルの小説なんて余裕で書けるけど、あえて書かないんだ。書く意味がないからな」と大口叩いてるのと変わらない。他人から見れば妄想野郎でしかないから。
>>907
900以上あるコメントを最初から最後まで読めなんて、誰も言ってないだろう。俺も読んでないし、途中から見に来るようになったから。
お前が調子こきだしたあとからも、原作原理主義ではない批判コメントはあっただろう。なのに、「つまらない」派は全員が原理主義者かのような妄想を言っている。
自分と意見が異なる人たちを、全員ひとかたまりのように言いたがるのは、ネットの荒らしによく見られる特徴だよ。頭が単純だから、異なる意見の人たちにも色んな人たちがいるんだという現実は、お前のような奴にとっては複雑すぎて、脳内で処理できないんだろうな。
>>918
手塚先生が『火の鳥』で、歴史上の人物の新解釈をしたのと、似たところもあるんじゃないの。例えば「乱世編」の義経は、俺らが一般に抱いている義経像を大胆にアレンジしている。義経ファンからしたら、「こんなの義経じゃない!」「勝手な想像ばっかり描きやがって!」と反感を呼びかねないキャラクター。けど、その新解釈を通して、義経に対し、今まで考えもしなかった角度から見るようになれた。(歴史マニアなあんたの意見は違うかもしれんが)
俺がこのアニメに感じる不満は、新解釈をしたことではなく、それが、手塚先生の義経のような深みや面白みにまで達していないことだよ。
おもしろい?つまらない?の票数がウソだとか無効だとか言うつもりは無いんですけど、放送開始したばかりのころに投票したあと、このサイトにずっとい続けて、その時々の気持ちで投票し直している人が、どれだけいるのか?が疑問なんですよね。
最初のころだと、コメントへの投票も、+-あわせた数が二桁三桁いっていたのが、今は多くて十何票でしょう。サイトに参加している人そのものが減っている。
なので、現時点で一応は76%と23%、数では優っている「おもしろい」派は、どこをどのように面白いと評価しているのか気になるところですが、あんまり具体的な批評を読む機会がない。「深く流れるような展開」とかなんとかいう、漠然とした抽象論が目立つので、困惑しています。
>>930
敵とか味方とか何と戦ってんだ?
強いて言えば関西弁のおじさんは途中途中共感するコメントあるよ。死ねとかボケーとか言わなきゃ別に気にならん。面白いの一点張りで具体例もあげられん奴のほうが敵かもしれんな。
原作では景光に連れられて、嫌々ながらに縫の方はタライに乗せられて流されて行く百鬼丸の姿を見送ったのだけれど、こちらでは百鬼丸を流したのは産婆さん。そして、その百鬼丸が助かる切っ掛けを作ったのも産婆さん。(まあ、琵琶丸がいなければ、この後、百鬼丸がどうなっていたのかは分からないけれど。)現時点では縫の方よりも産婆さんに深い母性と慈愛を感じる。縫の方よりも産婆さんが可哀想で。もし、あの産婆さんが生きていたら、百鬼丸にたくさん愛情を注ぎ込めたんだろうな。
脚本家さんが、おばあちゃん子で両親に、あまり構われていなかったのかな、なんてつい想像してしまうぐらい現代版のアニメどろろは、現代の寂しい核家族の物語を観るようで。あまり妖怪も出てこないので余計に。自分の場合、このアニメが全体的に冷えた感じがするのは現代版のコミュニケーションがすれ違っている家族像を見るようだからかな…。
>>937
そう言えば何故か、このサイトの
現代版どろろと原作版どろろはどっちが好き? には、
現時点では、現代版のアニメを指示する方のコメントが1件もないですね。
それもちょっと不思議。
原作を抜きに考えても
単純に
アニメとして上出来!!
特に4話は さすがはるろ剣の監督さん 剣術アクションの迫力 そして脚本家の方の演出力共に このアニメのポテンシャルが伺える!!
これは 期待できる
>>934
自分で俺は面白い 理由をいくらでも書けるなんていってさ。ハードルあげすぎてもう書けないんだよ。情けない人。ここまでくると笑えるわ
>>620
とあるアニメのファンラジオの投稿コーナーでの、2ch/5chスラングを誤用するカワイイ母親を思い出して吹き出した。というかあんまりお子さまをイジメないであげて、増長するから。
>>943
>原作を抜きに考えても
どろろの事も手塚作品もどうでもいいって事やな?
制作のイヌめ!消えてなくなれや
>特に4話は さすがはるろ剣の監督さん 剣術アクションの迫力 そして脚本家の方の演出力共に このアニメのポテンシャルが伺える!!
監督?そんな奴のことなんか知らんわいや、どうでもええわww(最初に田之介と百鬼丸が対決するシーンは漫画の方が面白いと思うが?あの回に関しては、妹が百鬼丸をバケモノ、ひとでなし、と。泣きながら罵しるとか、ナゼ登場人物の悲哀を丁寧に描かれへんのん?と不思議に思う)
どろろは剣客モノやあらへん、、
地べた這いずり回る様に泥臭く地道に如何なる手段を用いても目的を成就させていく作品だ(百鬼丸的には)。
見た目のカッコ良さなんてどうでもいいんだよ、、
どうせ、外注々々で適当に作ってるんだろ?w
>>713
引くコメントを書いているのは特定小数であろう。否定派の意見でなるほどなるほど、と、原作を読みたくなることを書いている人は結構おるであろう。
その少数のために、ここはやたらに荒れているようにみえるけれど、実際は多くの「つまらない派の原作ファン」の意見がわかりやすく「大人」なので、末期的なスレにはなってない。
>>751
投票システムが怪しいのはわかるけど、自分と違えばサクラにしたがるのはなんでだ。私は別にアニメ版の信者じゃなくどっちかといえばおもしろいという程度のライトなスタンスなのだけれど、ひとつだけはっきり知っておいた方がいいことは言っておくよ。こうした作品評価は、常に批判派の方が有利。アラを探せばいくらでも出るから。けれども特に「好きだ好きだ大好きだー」というほどにのめりこむ作品てのは、「自分でどこが好きなのか説明出来ないししたくない(陳腐になるから)」という思いが働くわけよ。(まぁ私はそうではないけれど、作品によってはまさにその状態に陥る。)そうした人は、いちいち「ここがステキなんですっっ」なんて言わない。言えば言うほどうそくさくなるから。
>>908
全部の論点がズレてるこたぁなかろう。投票「トーク」の日本語読めているか? トークだぞトーク。自由な発言が非難される理由などない。誹謗中傷と荒らしだけが無視され、非難されればいいのだ。
>>887
前にどっかで書いたことあるんだけど、私は票数はまったく気にしていないし、詐称出来ることすら気にしてない。自分がどっちかによらず、納得・共感出来る意見がちゃんとあがることを知っている。つまり、多くの一般人がちゃんと訪れて、常識的なことを書きにくることを知っている。そもそも google 検索でとてつもなく目立つサイトなので、本物の組織票・サクラが実在したとしても、それを上書きしてしまえるほど「ごく普通の常識的な人間」がちゃんと多数流入してくる。詐称を問題にするならそもそも匿名での自由参加形態そのものが批判されるべきであって、そうしたものを運営するなら登録制でちゃんと身バレするものでないといけない。(私は別に常識人ではないけれど、常識人の区別くらいは出来る。)
何が言いたいかというと。「コメントの多さ」は指標としてはアヤシイ。けれどもコメントの内容を参考にして自分の理解を深める、ということただ一点だけが本来の指標なのではないのかと。
>>922
そうだね。このおっさんの場合、「キチガイの関西弁おっさんを騙る」ことで発散してたことだけが非難されるべきなだけであって、原作愛も論点も間違っちゃぁいない。というか改心したのかもしらんが、少なくとも918を読んで内容が薄いと思うのはちげーだろうよ。
>>940
いやいや、それはない。ニュースで動画が取り上げられるような、店員に土下座を強要する客は、相手のささいなことに激怒して、罵声を浴びせる人だろう?
関西弁オヤジさんは、アニメの出来が気に食わないのは仕方ないが、制作者に対して死ねとかなんとか、人の頭を土足で踏みつけて土下座を強要するようなことを散々言ってきたんだから。さらには、自分と意見が違うコメントをした人のことも、同じように扱ってきた。
最近は文体も穏やかになり、罵声を浴びせることも無くなったから、951のように、改心したのかな、と思った人もいたくらいだが、今までが酷すぎたから、ほんとに関西弁オヤジさん自身が反省したのかな、と確認したくなるのも自然なことだろう。現に、早くも946で、関西弁も復活し、「制作のイヌめ!消えてなくなれや」などと罵声を浴びせている。
940と、それに賛同投票している人は、事の軽重や善悪を見る目が、ズレているんじゃないかな?
>>946
あなたの意見は尊重するし、賛同できる部分もある。だけど、ひとのことを「制作のイヌめ!消えてなくなれや」、これはないでしょ。
賛同投票している人は、意見に賛同しただけかもしれないが、単に+の数字を増やしただけだと、一緒になってひとをイヌ扱いした格好になりますよ。
>>937
その疑問は私も以前からありました。
例えばですが、あなたが感じる桜の美しさを教えて欲しいと訊ねた返答が、「普通に美しい」とか「単純に美しい」や「深く流れるように美しい」だとしたら、何かピンと来ません。
訊ねている側としては、ふくらみかけた蕾の可憐さ、満開の桜の咲き誇るような美しさ、色の濃淡の美しさ、散っていく儚さを、言葉で表現して返答して欲しいと考えます。
それだけだと抽象的で分からない、もっとちゃんと説明して欲しいと再度訊ねた返答が、
「わからないの?じゃあ、桜そのものをじっと観察してごらん、きっとあなたにもその美しさが伝わるから」と返答されても、やはりそれは返答にはなっていない。
自分も桜をみた上で質問しているのだから。
訊ねている側は自分のことを訊いているのではなくて、相手が感じたことを知りたいと思っているのです。
ここで一行コメントに首を傾げる側は、もっと中身に触れたコメントを読みたいと思っているのです。ですが、中身に触れたものが極端に少ないのならば、中身が薄い話しなのだと判断するよりなくなりますので。
>>952
まあね ただなんつーか他の人が言うならわかるけど、老害連呼野郎は自分のこと棚にあげてなんだろうと思った。言わんとすることはわかるよ。
>>952
私が書き込んだ後で早速暴言はいたのね。なんでいらん一文いれるんだか。今ここみてる人なんて10人くらいしかいなそうだけど。その中の二人が暴言はきまくるってお粗末だわ
ずっと琵琶丸のことで疑問に思っていたんだけど、唄を歌わず、琵琶を弾かない琵琶法師って…原作の方でも琵琶は弾いてなかったかな? でも要所要所で唄は歌っていたんだよね。飄々とした調子で。
こちらでは琵琶丸の琵琶を弾きつつ歌う場面は、はたしてあるのか。
ちょっとぐらいは歌ってくれないと、世間話と見物好きの座頭市に見える。
折角の琵琶法師設定を是非、生かしてくれ! 琵琶演奏と歌を披露して欲しい!
このままだと伊達眼鏡ならぬ伊達琵琶を背負った琵琶法師風のおっさん!
まあ、そもそも、いろんな意味で妖しい人なんだけど。
つまらない派だけど、琵琶法師設定を生かしたリアルを見たいものだ。
原作通りの歌詞だと、スタイリッシュから遠ざかって馴染まないから歌はカットってことなんだろうけれどもね。
声優さんをそのまま起用は難しくとも、本業の方に演奏と歌をやってもらって、かつ格好良くって、やろうと思えば出来ると思うんですけどねぇ…。予算が足りないとか?
とつぶやいてみた。
>>943
「期待できる」とか「特に4話」とか、最終回目前のこのタイミングで言われましても。あなたがこのアニメを楽しんでいるのは構わないんだけど、今頃そんなこと言われても・・・というのが正直な印象。
原作を抜きに考えても、後半に入ってからの、人工物感が強すぎるキャラクター達に対しては、違和感が強いよ。4話くらいの頃は、キャラクター達にも血が通って見えたし、感動できる回もあったのに。
>>938
敵とか味方とかいう態度で何かと戦っているのは、老害連呼野郎と関西弁おじさんでしょ。おじさんも、「制作のイヌめ!消えてなくなれや」なんて暴言さえ吐かなきゃ、一個人のコメントとして普通に読めるのに。考えが異なるというだけで他人を目の敵にして、暴言によって自ら敵を作り出しているのは、おじさん自身だからね。
本当にもったいない 自分はつまらないに入れはしたが1話からとても引き込まれたし5・6話は今年トップ10に入るんじゃないかと言うくらい最高のできだったと思う。
しかし1期の8話からだろうか、物語が進むにつれワンパターンでグチャグチャな展開が目立ち最初の頃の繊細な表現が嘘のように浅いストーリーだと思うようになってしまった
途中で息切れするくらいなら1クールでよかったのではないかと思わずにはいられない 本当にもったいない
>>962
5と6話というと「守子唄の巻」。ごめん、自分はそこまで評価してないんだけど、あらためて振り返ると、みおの描かれ方が独特だった。
原作や旧アニメでは、百鬼丸の回想にしか登場せず、直接的には言葉を発しない。対して、このアニメでは、登場シーンも長く、侍相手に何をしていたかも描かれていた。「仕事」による体の疲労も描かれていて。その分、過去作では思い出として美化されていたのが、より生身のキャラクターになった。過去作では、菩薩のような娘だったけど、このアニメでは、菩薩のようであろうして懸命に生きた娘に見えた。
過去作では、百鬼丸に愛や温かみを与えてくれた存在だったけど、このアニメでは、それが打ち砕かれたことによって、百鬼丸の闇落ちのきっかけにもなっている。だけどそれを、原作をねじ曲げた改変だ!と叩くのは短絡的だろうね。原作の百鬼丸は、みおの死によって自分の心は死んだと言っている。このアニメは、原作のそうした部分を読み取った上で、新しく組み立てなおしたんだと思う。
どうせ組み立てなおすのなら、みおの登場は終盤に移して、百鬼丸にも、もっと人間性を取り戻させ、みおとの出会いで本当の人間になれたと思ったところで、人間社会の残酷さに直面し、闇落ちするという方が、痛切な話になったんじゃないのかな。
>>962
8話は悪くなかったと思う。ムカデ妖怪によるミノフスキー粒子の散布(←間違い)のせいで敵の位置がわからなくなった百鬼丸を助けるため、どろろが妖怪にしがみついて、声で知らせようとする。途中でどろろが気を失うと、百鬼丸が声を発して、必死にどろろを呼ぶ。すでに取り戻していた耳が、この回では、どろろとの絆を結ぶ媒介になっていた。体を取り戻すことの意味がちゃんと描かれていて、俺は泣けたよ。こういう話が見られなくなって哀しい。
手前味噌みたいですいませんが、「おもしろい」派の人から聞きたいのは、963や964のような、具体的な話なんですよ。過去回だけではなく最近のも面白いと思う人から、ぜひ聞きたい。
また、963や964に書いたように、このアニメも、制作者なりに考えた『どろろ』をやってきたと思う。だから、原作と違うというだけで、人を人とも思わぬ暴言を浴びせかけるコメントには賛成できない。
>>965
この作品については「どっちかっつーとおもしろいかなぁ」程度で思いいれも何にもないんだけれど、ただ、「かつて思い入れた作品」で自分ならどう考える(た)か、ということで言えば。
(自分的にはちょっと繰り返しになるんだけれど、)「本当に好きで好きでたまらない作品」に対して何か、特に「いい点を挙げる」のはファン心理から「おこがましい」と感じてやりにくいと感じる、ので、そもそもこんなサイトに訪れようなんてことは考えない。
だから作品を本当に愛している視聴者がこんなサイトを訪れているんだとしたら、妄信的な信者のような人たちである。以外は大抵は「どっちっかっつーと」で投票しにくる。だからまともな意見なんかそうそう出ない。対して、批判意見はそもそも「俺は怒っているんだ」という主張をしやすい場所としてここを訪れ、批判を書く。私だってそうやって作品批判をこのサイトに書き込んでる。そんなもんよ。世の中。
>>972
個人的には、段々上手くなってるなと思って見てたけど、セリフが臭いというのは毎度毎度、感じてる。センスが悪いなーと。
>>971
ちょっと書き足りてなかった。「アンチ vs 信者」の構造になっていない場合って、このサイトはほとんどは「カジュアルなおもしろい派(いわゆる「なんとなく雰囲気で」)と批判派の「闘い」になる傾向がある。当然それは「仮想の闘い」なので、否定派が一方的につけあがって増長する(「マウント「合戦」」じゃなく一方的に「マウウント取った気になってる一人相撲)。
なんであれ今のところ特定のアンチが病んでるだけで、結構マシな荒れ方だよ、ここ。信者が暴れてないもん。
>>963
制作陣営がみおというキャラクターを活かしきれなかったように感じてしまいました。
私も以前はみおの登場を終盤にすべきだと思っていました。(最近ではアニメ版にみおが登場したことも忘れてしまっていましたが…)
最近、百鬼丸に「俺にはどろろがいる」と言わせていましたが、それほど百鬼丸とどろろの関係性が深化している終盤にみおを登場させると、どろろvsみおの構図がややこしくなってしまうんですよね。どろろの存在が薄らぐというか。
だから序盤にもってきたのかなぁと考えていたのですが、そうすると今度は百鬼丸とみおの接点が薄くて、百鬼丸がみおに入れ込んだ動機や理由がよくわからず今でも消化不良です。
歌声と魂に一目惚れしたと思うようにしていますが。
原作ファンなので、ふたりの結末に興味があって見ているんですが、縫の方や多宝丸戦など全然興味なくて長々と描かれても楽しめないです。
>>976
縫の方が共感しづらいブレたキャラクターになってしまったのがイタイ。
姫様気質で、パンがなければケーキを食べれば良いじゃないとか言い出しそう・・・
>>969
やり合っているように見えるけど端から見ると友達みたいに見える。オジサンは待ってるみたいなコメしてたことがあったし。
>>973
悲しい展開の時に毎回 ひで~よ!とどろろが言うけど なんか安っぽいんだよなあ。ひどいと連呼しなくても曲調や演出で表現しないから何か 薄っぺらいかも
>>963
個人的な好みなんだけど、みおがあんまりかわいくなかったなあ。
もっと儚げな美少女なイメージだったから。あと栗色の髪がよかった。まあ 今作品は大人向けに改変されてるからキャラクターも変えたんだろうけど。
第一印象が、あれ?かわいくない‼って思った。
>>977
わかる。民衆や百鬼丸の気持ちわからないんじゃなくて、わかろうともしないというか。
結局 何もしてないよね。多宝丸 三つ目になっても放置するんだから思考回路おかしい。
>>967
930は921への皮肉でしかなく、敵味方意識で何か言っているわけではない。
「面白いの一点張りで具体例もあげられん奴」であっても、死ねとかボケーとか言わなきゃ敵だとも思わない。
>>980
ひで~よ! と言いながら心の中でアニキに「もう目ん玉でも手でも足でも鬼神にくれてやれ!
欲しけりゃおいらが、目になってやる! 手足になってやる!」という矛盾した言動をとる どろろも、なかなかに鬼畜。(←脚本家にはそういうつもりはないんだろうけど。) このアニメでは本人でもない人たちが、勝手に百鬼丸の心よりも体を軽く扱うきらいがあるので嫌。心と体どちらも本人にとっては大切なものだよ。前述のどろろのセリフは、レ○プされて苦しんでいる人に向かって「そんなことたいしたことないよ、また おそわれたってたって平気だろ! おいらが側にいるんだから」と言っているようなものなんで素直には共感しづらい。
舞台、新浄瑠璃「百鬼丸」の翻案と考えれば後半の泥沼家族劇も納得。自分が身体の欠損があるので、「そばにいるからあきらめろ」は無いよなあ、どろろってそんな奴だっけ、と思ってしまって、そこからが…
前半期待して視聴していたし、悪い部分ばかりではなかったんですが、最終回まで見届けようと思います。
最初は面白い派だったけど、今は残念派。
醍醐景光が自領の繁栄と領民の幸福を願い、我が子を生贄に差し出したという設定は物語的にはありだったけど、この物語では醍醐の上辺ばかりで内面をほとんど描かず、周囲の人間たちにその行為を正当化させようとキャラぶれさせてしまったのが大きな失敗だったと思う。
醍醐自身が段々と暴君に変貌して行くように描けば、物語として破綻なく描けたと感じている。
視聴当初は今作の醍醐自らが鬼神に祈願する際に「野望」を掲げていたのも、自領を富ませて、それを足掛かりに天下を取るという意に解釈していたから違和感なく見られたし、跡継ぎの多宝丸が父に付いていくのは仕方ないとも思えた。
だけど、縫の方と寿海、琵琶丸、どろろにまでキャラぶれさせる必要を全く感じなかった。
脚本を練っているようで荒削りだったから、不自然さばかりが目立って途中から楽しめなくなってしまった。キャラぶれや不自然さを感じさせない物語に仕上がっていたらと残念に思う。
>>982
こういっちゃあ失礼なんだけど、歯に衣着せずに言うのなら、最近は縫の方は脚本家の犠牲者に思える。縫の方って脚本家の母親像そのものなのではなかろうか…。最近では縫の方に腹立つというより、なんでちゃんとした母親の姿を描いてくれないんだろうと残念に思いながら見ている。
Youtubeで旧作アニメ どろろが 視聴できると教えてくれた方いらっしゃいましたね。あれって、手塚プロダクション公式チャンネル で観られたんですね。今、Youtubeを閲覧していてみつけたんですけど、数話限りかと思っていたら続々更新中!「無惨帳の巻」6/27迄、「妖刀似蛭の巻」6/28迄、「ばんもんの巻」7/24迄・・・これだと最終回までアップしてくれそう!
スレの目的と外れるけれど、これが切っ掛けでセリフが改訂される以前の旧版コミックスが再版されると嬉しいです。ファンとしては元の形で読み継がれて欲しいので。
>>964
それはあの話の良い面だな
俺はそれより全話中最も規格外にデカくてやばそうな相手にスーパーマンかよって身体能力で勝っちゃうからギャグにしか見えなかったよ
そんな風に勝てるなら今までの敵に苦戦せんだろと
何気にどろろも凄すぎだったしね あんなはやく空を動く敵にしがみつけるとかサトシかよと思ったわ
作中ほとんどの人間はゴミみたいにシんでくのにあの姉ちゃんは食われて1日経っても生きてるご都合主義もいまいち、せめて理由づけしてほしかった
気にならない人は大丈夫なんだろうけどこういう重いストーリーで作中キャラの強さや人がシぬ基準がフワフワなのは萎えるんだよな
もちろん954の言ってることも分かるしこの話も2クール目と比べたら全然マシかもしれないけど明らかにボロが出た回だったと思ってるよ
>>984
ほんとだ。その例え、分かりやすい。
私もどろろの、心を守るために身体なんか発言、モヤッとしてた。
なんか、イラッとするのは、命だけ、目だけ、耳だけ、足だけ、の軽い描き方だから、腹立つんだよね。この時代、戦で足ない腕ない人が多いから、それと一緒でしょ、みたいなつもりなのかもしれないけど、全然違うわ!皮膚も神経も内蔵も無いんだよ?あれ、内蔵はあるのかな。でも、ただの欠損じゃないよ。ただ死ぬよりも辛い苦しみを受けてきたんだと私は思う。軽く見すぎだ!
>>987
百鬼丸のことを片時も忘れたことはなかったようなふりして結局 救ってくれないでしょ?しかも多宝丸にはずっと寂しい思いまでさせてさ。どっちも不幸にしてるじゃん。
多宝丸に目が生えた時に [多宝丸!…その目は!?]くらいあっても良かったよね。結局縫の方も子供達より国のほうが大事なのかも。景光はそれでいいけど、縫の方はひねりを効かせず普通の母親で良かったと思うな
>>984
確かにそこはひっかかった。ひどいよね。
おいらが目になっても百鬼丸は満足しないよ。
自分がもし 失明したときに、おいらが目になってやるから気にすんな‼とか言われたらきれるかも。その言葉にきれて鬼神になってしまいそうだわ
>>986
全部のキャラクターを無理して改変する必要はなかったように思える。原作を必死で変えて新しいものを作らなくちゃ!みたいに思う。
景光は、暴君にしたほうが良かったよね。そのほうが多宝塔丸のキャラクターも生きてきたんじゃないかな。
そして 書いてるようにみんながみんな百鬼丸が体を取り戻すのに否定的過ぎ。縫の方、どろろ、寿海は完全に味方になる感じでいいなあ。
時代背景からして、戦国時代 天下統一がされてないなかで平和な国なんて不自然だしさ。自分の国が繁栄するだけが望みなの?普通に天下統一を目論むはずだよ。どろろの親は醍醐の国の人かわかんないけど不満持ってたんだよね…その割りに結構幸せな人多いじゃん。
と思うと、みおや子供達みたいなの出てくるし。ちょっとね~ ぶれすぎだわ
>>988
お金出せば当時の冒険王版の設定及び、改変なしのどろろ読めるよ。
今の文庫版と違って絵も雑誌に掲載したままのやつだし台詞もそのまま。
手塚治虫トレジャーボックスどろろで検索してみ。一万八千円くらいで高いけど価値はある。あとは国立国会図書館行くかだな。
トレジャーボックスは連載当時のままなので絵が汚かったりする。
手塚治虫は多忙だったからその場しのぎで締め切りをしのいでたんだろうなあという印象。扉絵とかもあるし買ってみれば?
あにこ便のコメント欄だと、否定的なコメントはかなり少ないですね。
まあ、確かにコメントの多くが批判的だと、肯定的なコメントはしづらいかな…。
逆に「面白い!好き!」というコメントが多ければ、否定的なコメントは書くとしても抑えた感じのものになるのかもしれませんね。
自分は結構楽しんで見てます。
確かに粗がないとは思いませんし、小林靖子さん持ち上げられ過ぎでは、と思うこともありますが。
あと、最近のアニメでは常識らしいですが、回によって脚本家が変わるのがバラツキの一因になっていて、残念だなと思います。
でも、結構想像を膨らませて楽しむ余地があるのは好きですね。
自分が鬼神を倒したかのような話を芝居でやらせ流布したのは景光の命でしょうし、安江姉弟他を助けたのもパフォーマンスかなって気がして、そう考えるとやはり計算高いなって思えます。
それに、おもしろくない派の中でも決着を見届けたいと思う方々が多くいらっしゃるようなので、その時点で成功と言えるのかもしれないですね。
>>983
ちょっと意味がよくわかんないっす。面白いの一点張りな人と関西弁のしねーボケーって言う人違うよね?皮肉なのはわかってるけど敵がどうこう言ってたのは老害連呼してた人でしょ。
私は単に関西弁のおじさんはしねーボケー言わなきゃ気にならないから敵とは思ってないと言った。しいて言えば老害連呼してて面白いの一点張りで批判しかしない人のほうが嫌と言っただけ。
>>997
死ねとかボケーとか言うのは敵対的発言だと思うんですが?老害連呼も同様。
意見が異なるというだけで相手を敵、というより人間以下のように罵倒するという点では、この二人は同類だと思う。
「面白いの一点張りで具体例もあげられん奴」というと、老害連呼野郎の他にも「おもしろい」派のコメントのほとんどが当てはまるけど、そうしたコメントに不満は感じても、敵とは思わない。老害と連呼するのはアウト。そういう意味。
>>910
俺は原作は読んだ事がない
ただ手塚先生が凄いって事は知っている
俺の時代はすでにマンガの絵が変わっていて
聖闘士星矢や北斗の拳、ドラゴンボールがあった時代なのでな
アニメは面白いね
まったく、面白いところが知りたいって?
>>894
に1度書いたじゃないか?
あんなのでよければいくらでも書いてやろう
ごはんにかけてもおいしい、鮪のぶつ切りにかけてもおいしい
体によさそう
俺の事を、老害連呼野郎と言ったりしてひどい連中だな
無礼なお前達とは違い「面白い派」の俺が1000コメントを踏んだのは必然だったという事だ
とりあえず勘違いしないでほしいのは>>919
のコメントは俺ではないという事だ
面白い派も何人かいるらしいのでな
>>918
を読んだが「どろろ」ではあるが別物の「どろろ」というのが伝わってきた
なるほど、
全く何てことだ!原作を知らないがゆえに
こんなワクワクした気持ちでアニメどろろの最終回を見る事が出来るなんて!
間違った、いや>>919
も俺ではないんだけど
俺が言いたかったのは>>921
は俺じゃないって事だ
たしかにお前ら「つまらない派」のヤツらは
鬼神のごとくアニメ批判してくるけどな
>>934
まったく、まだアニメどろろの面白さが分からないのか!老害ども?
なんだ?知りたいのか?
知りたいのならばそれなりの態度があるだろう?
俺の国、日本では人に物をたずねるときは
地面に頭をこすりつけるんだ
「お願いします無知な私どもにどうぞ教えてください」ってな
そして土下座をすれば、いくらでも教えてやろう
>>991
縫の方は、自分が一番かわいいタイプで腹黒く、言われてみれば脚本の犠牲者なのかもしれない。
自分と景光を好きにしていいから百鬼丸と多宝丸をもとに戻してやってくれ…と鬼神と取引しようとするくらいの母親としての気概を見てみたかったです。
旧作の方がアニメとしての完成度が高かったですね。百鬼丸の葛藤もよく表現されていましたし、どろろと百鬼丸の絆が深まっていく様子も自然で、過酷な状況の中にも救いがありました。
今作は百鬼丸が理不尽な状況に置かれ続けており、どろろすら彼の良き理解者になっているわけでもないので救いがない。見ていてしんどいです。
悪者をつくらずに景光、多宝丸、縫の方を中途半端にいい人にしてしまったことでまとまりに欠けた感じです。
もうすぐ最終回ですが、やはり原作が一番だなと。
>>996
4話以降ほぼ残念派です。コメントとしては逸れ気味で申し訳ないです。意見を押しつけたいのとも違うので、面倒でしたらスルーしてください。
あにこ便、覗いて来ました。特に荒れるでもなくメインライターの小林靖子さんのファンが多いみたいですね。だからか肯定的な意見が多い雰囲気。そちらの23話のコメに「鬼神からしたら跡継ぎは百鬼丸なんだよなあ」とつぶやいていた方がいらっしゃいましたが、それは陸奥が鬼神に取引を持ち掛けたときに判明していたことだったと思い出しました。
第11話で醍醐の国に入ったとき芝居見物するどろろが、鬼神でしたっけ?を倒し醍醐の領民から英雄と称えられる景光のことを「まるでアニキみてえだな」なんて言ってましたね。つまり、景光は鬼神と取引などせずに、正式な跡継ぎ百鬼丸を健全に育てていれば、国も健全に栄えたということだったのか…景光は唯、鬼神に利用されただけだと思うと皮肉ですね。
まあ、アニメではそういうことを描きたかったんだろうけれど…でも、流れ的にところどころ強引さが見られたので(縫の方他、突然のキャラクター変更、守子歌の鬼神の行動の分かり難い体の変換システムとか、イタチの墓荒らし等々、引く場面が多くて いろいろ盛り過ぎ)、やはり荒削り残念さが目立つ脚本だったなと個人的には思います。
仰るとおり、今作の醍醐景光については表の顔にとらわれずに、外面が良いだけの腹黒男と確信して見ていれば、一人の男の転落劇として興味深く見られるかもです。この景光は愚か過ぎて全く好きになれませんが。
>おもしろくない派の中でも決着を見届けたいと思う方々が多くいらっしゃるようなので、その時点で成功と言えるのかもしれないですね。
おもしろい、おもしろくないは別として、話題になったので視聴率は確実に稼げたでしょうね。
それだけに、いろいろ残念。
>>1004
これは唯の予想なんだけど、菩薩に祈ったり鬼神に祈るのではなく、地獄堂の鬼神の本体を倒さないと、多分 誰も幸せにならないと思う。他力本願だと自分たちで築いた幸せじゃないので。だから鬼神の本体さえ倒せれば百鬼丸も多宝丸(←既に片眼が潰れてしまったので隻眼はもう避けられない運命だけど)も人間に戻れると思う。23話では縫の方は体を張ってでも、二人が争うのを止めるべきだったと思う。母ならば せめて、どちらも自分にとって大切な息子なんだって、告げるべきだったなって思う。
>>998
あなたの言ってることは会話の流れを見ないで一文だけ見れば正解だよ。
ただ、今いってんのは、930にお前の敵に塩送るなって言うからどっちかっつーと930のほうが私にとっては嫌と言っただけでしょ。
誰も死ねとかボケーを言っていいとか言ってないし そんなのわかってるよ。あなたが、二人は同類だって言うならそれでいいじゃない。ただ私は、関西弁の人は死ねとかボケー言わなきゃ気にならないしマシと言ったんです。
それをどうしてあなたに いやいや!二人は同罪でしょ!って押し付けられなきゃいけないわけ?なんでそこつつくかな。 同じようなもんだとは思ってるけど横やりいれる相手違わない?もう噛み合わないからこのへんにしとくわ。
色盲の人が、専用メガネをかけて、
本来の色を見られた瞬間の映像を見たけど、「おおっ!」って絶句して、むせび泣いていた。こっちも感動して涙出たよ。こんななのに脚本では『体取り戻して、うれしい、は違うと思う、って言うのかなぁ。一度、この映像見てよ、と言いたい。
百鬼丸は、箱の中に入った魂になった。こんな姿にさせてしまった景光
を『でも、景光も良い領主で…』なんて説明されてもね…障害を負ってないで産まれた子に、重度すぎる障害を負わせて捨てた親なのに。しかも、泣くでも苦しむでもなく、一話では「大笑い」してたよね。
今作は百鬼丸が身体取り戻すたびに「醍醐領に災が来る!」と追加設定したので、醍醐側から百鬼丸は「悪」として命をねらわれ、醍醐のヒーロー、
「多宝丸」が百鬼丸のライバルとして
登場するという、原作にない話になった。「多宝丸」が、これ程改変されたのは、ライバル同士のヒーロー2人の
ラストバトルをやりたかったからなんだね。穿った見方をすると、だから百鬼丸を、あまりヒーローらしくしたくなくて、リアル百鬼丸にしたのかな?
「ばんもん」の口上は百鬼丸が言えなくて、多宝丸がしてたしね。
でも、多宝丸の立場が、あんまり理解されなくて百鬼丸側の面々に語らせ
ちゃってキャラぶれになったとか。
違うかな?
>>1014
「930にお前の敵に塩送るなって言うからどっちかっつーと930のほうが私にとっては嫌」
この最初のところ、「930が」と書きたかったのか、「921に」と書きたかったのか、どっちなんでしょう???前者なら、「930のほうが」はそのままで通るけど、後者なら、これも「921のほうが」の書き間違いということになりそう。
997に「敵がどうこう言ってたのは老害連呼してた人でしょ」とあるけど、その人自身が「敵」という言葉を発したわけではなく、その態度が、相手を敵視しているわけでしょう。その論理で言えば、意見が異なる相手を敵視している、という点においては、「死ねとかボケーとか」言う人も同類、と考えても変ではない。この点を除けば、関西弁の人の方がまだ具体的な意見を言っているだけマシではあるでしょう。老害連呼していた人と関西弁の人とが全面的に同類だと言っているわけではないのなら、何も押しつけということでもないと思いますが。
>>1008
23話ラストで、寿海が菩薩像らしきものを握りしめていたので、これが縫の方の身代わり菩薩的な役割をするのだろうけれどもね。ただ祈るだけでは菩薩も助けてはくれないけれど、心から愛する者を、苦しんでいる者を救いたいと自ら行動を起こす者には力を貸してくれる。そんな展開になると見ている…。それにしても、この菩薩像、22話 縫の巻 冒頭で寿海が掘っていた物だったみたい。この期に及んで、このおっさんはまだ死者のために義足を作るんかいって、ちょっと呆れていたんだけど、寿海、ちゃんと成長して死者よりも生者、過去よりも現世に目を向けるようになったんだね。つまらない、というか残念派だけど、そういう流れなら面白いと思う。
でもさ、寿海よ百鬼丸に向かって「救えぬ!」は口にせんで良かったのに。
心の中で「ワシは、ワシはどうしたらおまえを救えるのか…」と自問自答だけしていれば良かったものを。そうすればこのアニメに不満を抱く人は大幅に減ったのでは…。
しかし、予想通りの展開だとしたら、スーパーアイテム菩薩像! が、なんかドラゴンボールみたい。
それにしても寿海は、無償であんなに義手や義足を作っていたけれどどうやって食いつないでいるんだろう。お金はなさそうなのに結構ガッチリしてるし…自給自足?
狩りが上手で山菜採りが上手とか? 琵琶丸より謎多き人、寿海!
百鬼丸と多宝丸が兄弟対決…個人的にこの二人は格が違うので互角の死闘を演じられても興醒めだな。酷薄な生き地獄を生き抜いてきたアニキと、エリートコースのボンボン。作画はよく動いて良いんだけどね。
モブ3人が色々説明しだして、いよいよ脚本と演出が破綻したか。
どろろが日本版ジャンヌ・ダルクばりにモブ達をまとめ上げるかと思いきや、しなかった。
う~ん…。
>>1020
どろろジャンヌダルク編をやろうと思ったら、もう1期ないと尺が足りない。でも多分、今の脚本のテイストだと盛り上がらない。
>>1010
1009じゃないけど、雰囲気が悪くなるので、そういう尖った言い方は良くないと思う。
>>1011
>>1012
も同じ。
主人公はいるにしても、主観を定めずに登場人物それぞれの立場で客観的に書いたような脚本で、受け取り方は視聴者次第といった印象だから少し退屈。最近の主流なのかな。
感情に富んでいる分、宝多丸の方が百鬼丸よりもよく書けちゃっているし。
原作では『どろろ』というタイトルでありながら、百鬼丸の方が主人公として目立っていたけれど、こちらでは、どろろの影が薄くなっちゃって、多宝丸が、もう一人の主人公みたいに描かれている印象がありますね。
今作は、ばんもん回以降は特に醍醐家のホームドラマみたいだなぁと思いながら観ていたけれど、言われてみると視点が様々なので、醍醐家に焦点を当てたドキュメンタリーみたいな雰囲気。
内面描写よりも、登場人物の口述説明が多いから、ナレーション付きの記録映画みたいに見える。それもあって余計に原作を先に読んでると、冷めた感じがするのかな。
醍醐景光の内面をあまり描かないのも、ミステリー小説みたいにしたかったのかもしれないですね。百鬼丸の描写についてはアクションだけでなく、今ぐらい感情があるところ、百鬼丸と多宝丸の二人が闘っている場面を物語の序盤に持って来て、場面切り替わって百鬼丸誕生編に持っていった方がメリハリがついて面白かったかも。
>>1024
追記。普通に返信しようとしたのに >>1025
に通常コメントを書いてしまいました・・・
>>1016
921と930同じ人じゃん。流れでわかるだろうよ。押し付けてるかどうかは自分が決めることじゃない。第三者がそう感じたらそうなるわけ。自分がセクハラしてるつもりなくても相手がそう思ったらセクハラになるでしょ。いい加減しつこいよ。
>>1016
もうさ 930の人かどうか聞いても答えんし、これこそ何と戦ってんのやらだわ。ここはどろろのスレであって関西弁のおじさんと老害連呼野郎どっちがマシか?ってスレじゃない。回りも迷惑だろう。最終回でもう今後そんなにコメントせんだろうからこれで失礼します。
>>1027
921と930が同一人物なら、自分のコメントに自分で皮肉を言ってるということ?意味が分からないな。
貴女がどういう「流れ」を感じて同一人物だと確信しているのかも分からない。
「第三者がそう感じたらそうなるわけ」だとは一概に言えないけど、それ以前にまず、「第三者」というのは当事者ではない人のこと。貴女が言っているのは、自分が押し付けと感じたから押し付けなんだ、という主観的な感情なんだろうけど、あなた自身は第三者じゃなくて当事者。
最終回を迎えたので感想。ちなみに原作を知らないので原作と比べてどうとかはない。点数つけるなら7/10かな。ついさっき最終回を見終わった。ちょっと駆け足気味に感じてしまった。あれを2話くらいに分けてやってほしかった。最後の百鬼丸が振り向くカットの背景がみおの時にもあった金色の稲葉?みたいな感じになってたのが感慨深い。後半は百鬼丸とどろろの絡みが少なく感じてそこが不満だった(笑)多宝丸は個人的にもう少し掘り下げてほしかったな。若干の消化不良感は否めないし分かりにくいところも多かったけど、そこそこ楽しめました
>>11
あれは百鬼丸の体が奪われてるところを表現してるんだろうね。
虫が嫌いな人とかはあのムカデみたいなの見てそう思うと思う。
景光、原作より悪で原作より救われない。正に因果応報。原作も打ち切りでなければ、因果応報で景光は正しく滅んだんだろうけれど。しかし、こいつ多宝丸のことすら本当には物扱いだった。正に外道。しかし…寿海が、まるで予想していなかった。
手塚世代ではありませんが、ブラックジャックで先生の存在を知りブッダやこのどろろや色々な作品を古本屋で探して読みました。
どの作品も素晴らしかったです。あと、昔の漫画に良くあるのでしょうか?アトムに似てる子が出て来たり、百鬼丸に似た先生がブラックジャックに出て来たりもしました。
このアニメは手塚世代の絵とか今の絵とかの議論よりもこの作品の内容を評価するのなら面白かったです。ただ最終回が…どろろがこれからどうするのかをもう少し描いて欲しかったな。続きで映画やれば良いのにね。
>>1033
突っ込みになって申し訳ないですが、書き込みの時期的に >>11
は1期のOP を言ってるんですよ・・・
>>1037
本当にね。産婆さん何も悪くないのに。(´;ω;`)
実は私は産婆さんが真のヒロインだと思う。産婆さんなくしてこの物語はなかったから…
どうも>>861
です
ここにいるクソ老害どもに洗脳されず、意見に負けず
自分の強い信念や決意を持ってどろろ最終回を見ました
とてもよい最終回でした
どうも>>859
です
しかし、ここにいる老害先輩どもは、どうして
原作とは違う、だけどアニメどろろは面白かったよね
って言えないの?普通だったらさ
原作は途中で終わっちゃ炊けど最終回を見せてくれてありがとう
って言うだろ
おいクソども、しょーがねーな
アニメどろろの良い点を1つ教えてやるよ
それは主題歌だ
女王蜂の「火炎(FIRE)」 amazarashiの「さよならごっこ」
これを見た時にアニメどろろ、おもしれーってなっただろ?
EDの絵とかすげー良かっただろ?
しかも百鬼丸が超かっこいい どろろも原作の絵で表現されていただろ?
それにくらべて2クール目のOP・EDはクソだな
アジア?カンフー?ばっかじゃねーの?あのキモメガネ
海外の評価でもOPの歌は合わない、ナルトのOPっぽいなど批判があったくらいだ
金の力で国を作る!なんて威勢のいいことを言っていたが、どろろみたいなチビッ子が民衆を統率しきれるのか。金の使い道をめぐって争いになりかねない。かつてのイタチの裏切りがいい例。そこをクリアしても、武器を持たず、財力だけある国なんて、侍どもの格好の餌食だろうな。
>>1036
キャラクターを他の作品に出す手法はステーシステムといって手塚治虫が好んで使ってました。キャラクターを俳優と見立ててたんですね。当時の漫画家はほとんど手塚治虫ファンなので真似したと思いますよ。
最終回も終わったので、どろろの良い点を語りましょうか
どろろの良い点は日本文化を発信してくれた事です
日本人は、普段から時代劇を見たりしているので武士や侍を知っています。
だけどこれって日本特有のものなんですよ
海外の人からしたら凄く新鮮なんです
過去にアメリカで忍者ブームがあった事があります
日本は今後、武士や侍の時代になる事は一生ないので
「どろろ」というアニメを通して日本の過去の文化を発信出来してくれたことが
日本人として凄く嬉しいんです
私が老害などと煽りを入れたのは、
このサイトを知ってからというもの、アニメどろろを見るのが嫌になったというか、不快な気分にさせられていたからです。
いや?十分面白いでしょうって?
原作のどろろを知っている方々にも、いいかげん批判ばかりはやめましょうよって事
せったく50年以上前の原作がアニメ化されて
世界に発信されたんです。嬉しくてしょうがないんじゃないですか?本体ならば?
アニメの良いところは十分あります
レベルも高く、最初の主題歌も良かったと思います
正直なところ、戦後の日本の復興を見てきて
手塚先生の作品をリアルタイムで見てきた人たちがうらやましいですよ
私が生まれた時代では、すでに手塚先生のマンガの絵は古くさいという感じになっていましたからね
手塚先生の漫画の本当の良さを知っている世代
それって世界の漫画文化を知っている世代って事
多分、自分も20年はやく生まれていたら手塚先生のマンガに熱中していたと思う。
死ぬまでには原作のどろろを読破したいと思った
>>1046
だからといって老害という言葉を使っていい理由にはならない。その言葉のほうが不快。
>>1046
後から言葉をどんなに重ねても帳消しにはならないです。「いいかげん批判ばかりはやめましょうよ」という言葉は先ず自分自身に言ってください。
どろろが日本の過去の文化を発信してくれたという意見が、ここにはあるけれど、その件について自分は残念派。なぜならこのアニメの伝え方が中途半端だから。
侍は切腹するけれど、あれは自分の体を安く見積もってのことではないし、首をはねられて死ぬことを恥と考えていた。死において他者に斬られるときでさえ、体のどこを斬られるのかということを重要視していたし、自殺においても武士は首を切って死ぬことを恥(自分で首を切って死ぬことを自害という)と考え、切腹するときも介錯されることよりも、誰の手も借りず自ら切腹すること(こちらを自死という)を潔しと考えた。日本には死に方でさえ、呼称が違うという文化がある。体とは心でもあり、その人自身だという文化が基盤にあるためだ。
死において、体は自分そのもので自分そのもで通すことを誇りと侍は考えていた。
だから、第4話の田之介の自死のシーンがないのは、日本人の感覚には馴染まない。あれは田之介なりのそれまで自分が行って来た無差別殺人に対する責任の取り方で、最期に残された武人としての誇りでもあった。死の間際にもともとあった人間性を取り戻す大切なシーン。
だから、日本文化を本当の意味で、今作が発信できていたとは思えない。
雰囲気だけが伝わるのなら中途半端なので、心からは喜べない。
メインライターの方は私と同い年。だから、これらのことを知らないはずがない。
なのに何故、これらの重要シーンがカットされたのか理解に苦しむ。
原作が未完の名作なので、色々な解釈を盛り込んだリメイクが作られ輩出されていくのは別に良い。
純粋に本作だけを評価すると、ストーリーに抑揚がなく予定調和で終わってしまった印象。感動もしなかった。
>>1051
1051の続き。
日本人は亡くなった人のことでさえ体のことを大切にする。だから脳死は人の死とは受け入れられず、欧米に比べると遺族もなかなか臓器提供には踏み切れないケースが多い。海外の人気ドラマでは、シリアスな話を織り交ぜているシリーズでさえ死者を使ったコメディ回がある。(一例として 名探偵モンク) それは死者に対する冒涜なので、日本人の私には感覚的に馴染まなかった。亡くなった人であっても体は依然として体でその人のものだ。おそらくこういった感覚は日本人独特のものだと思う。
先ほどの切腹の話も含め、例え戦国の世でも、日本人は体のことを大切に思っていたと思う。でも、このアニメでは百鬼丸の体のことを他者が軽く見るでしょう。イタチの墓荒らしなんかもそう。あれは、どろろはもっと怒って良かったと思う。自分の体がぼろぼろになるぐらい、イタチを殴りつけて良かったと思う。でも、このアニメにはそういう描写が全くない。
自分はこのアニメを通して他者の体をなんとも思わない、ただのパーツと考えるのが、日本人だと思われるのは嫌だというのが正直な気持ち。アニメはラストでまとめては来ていたけれど、要所要所で他人の体であっても、それはその人にとっては自分そのもので大切なもの、かけがえのないものだという感覚を、百鬼丸以外の人たちを通して、もっとちゃんと描いて欲しかったと残念に思う。
>>1050
私は「老害」という言葉は否定する事は出来ません
「老害」という言葉の意味を、まず考えてください
年をとったから必ずしも老害というわけではありません
たとえば車で人をひき殺す老人運転手の老害
増えすぎた白髪染めた老人政治家という老害
増えすぎた老人ホーム、老人介護、ほとんどもらえない年金など 増えすぎた老害
では、あなた方は、なぜ「つまらない派」としてコメントをしているのですか?
つまらない理由は原作と違うから?
それはアニメがつまらない理由ではなくて
あなたが個人的に つまらないだけでしょ?
「老害」という言葉を人生で使用するべきかちょっと考えさせられた
ここのサイトは長文が多いというのが謎ではあったが
「どろろ」愛にあふれていた長文だったなって思う
>>1051
のような長文には俺の知らない先代の日本人の心
日本愛が含まれている気がする
「老害」って言葉はまさに「鬼神」だ
とりあえずコメントを1から全部読んで見ます
あなた方がどのような原作愛から
アニメ批判をしていたのかを確かめてみたいと思います
>>1055
ほんとそれな。
1054こそどろろサイトで何いってんだ。車で人をはねる老人とか白髪染めの老人とか意味不明。関係なくね
>>1059
確かに関係ないことも書かれていたと思いますし、私も不快に思ったことがありますが、1054の人は折角1056で反省の意を表明していたので、この件については掘り返さず、お互い触れるのは止めた方が良いのではないかと思います。
そろそろ、純粋に「どろろ」について情報提供しながら語り合うスレッドに戻った方が良いと思いますので。
>>1056
アニメだけではなく、原作に興味を持ったという気持ちからのコメントですよね。
ここのコメントを全部読むのも大変でしょうから、新版でも良いので原作を読んだほうが、アニメの方が「つまらない」と思った側の理由が幾ばくかは理解できると思います。
どうするか決めるのはあなた自身の意思で決めることなので、押しつけは考えていませんが、出
来れば差別用語だからとセリフが書き換えられる前の、原作旧版を一読することをお薦めします。新版だと、マイルドな表現に書き換えられているため、百鬼丸の苦悩や、本来の多宝丸の抱えるコンプレックスや歪んだ性格が伝わってこないので。 >>846
にはその辺りの事情が書かれています。旧作アニメは差別用語はそのままなので、原作の雰囲気は良く残しています。ですが、人によっては旧作アニメの方が古くさく感じて見づらいかもしれません。
(旧版についてですが、某大手質問サイトでは、中古で秋田書店サンデーコミックス版 値段が320円台までの刷版なら台詞が差し替えられてない筈というご意見がありましたし、このスレでも昭和40年代の版なら原型を留めているというご意見がありました。)
最後の百鬼丸が、百鬼丸じゃなさすぎて泣いた。今更だけど別作品だった。
何度作り直されてもやっぱりふたりはこの終わり方になるよね。
>>1054
増えすぎったっていっても、この世に生まれてくるのは受動的なことだろう。自分の認知能力が衰えたのを、ただの的はずれなプライドだけで認めようとせず、深刻な交通事故を起こす老人はさすがに問題ありだけど。老衰そのものは自然の摂理でしょうがない。
あなたが個人的につまらないだけでしょ?って言葉に対しては、あなたが個人的に楽しんでるだけでしょ?と言いたい。それ自体はご自由にだけど、「つまらない」という意見に対して、ただ嫌がって汚い言葉を浴びせかけるだけの人間が、他人を老害呼ばわりするってのはね。
>>1056
「つまらない」といっても、原作愛だけで批判してるんじゃないんだが…。原作と違うってだけで叩いてるんじゃなくて、原作から変えてきた中にも、評価できる部分もあれば、そうじゃない部分もあり、後半に入り始めた時期からは、評価できないところが急に目立ってきた。
コメントを読み返すのはいいんだけど、「つまらない」派は原作との違いだけで叩いてるんだという思い込みをまず捨てて、虚心に読んでほしい。
>>1042
楽曲のことはすでに指摘されている。最終回を迎えた今になって、こんな話しか挙がってこないのは、本編には語るべきものが何も無いという皮肉なのかと疑いたくなる。
>>1045
日本文化発信はありがたいけど、クールジャパン政策に貢献ということだけで「おもしろい」派になれるわけがない。このアニメを自分が楽しめたかどうかとは、全くの別問題でしょう。
>>1047
死ぬまでにっていうほど長いマンガじゃないんですが。
それより、ひょっとして、「つまらない」派の人たちが全員、戦後の日本の復興を見てきた世代で、だから原作との違いに拒絶反応を示し、このアニメを嫌っているのだと思っている?だから老害と連呼していたのか?だとしたら、恐ろしい事実誤認。さすがにそんな勘違いはしていないよね?
2クールに渡って観てきたから、ついに最終回かという感慨はあったよ、正直。それだけに、登場人物たちのセリフが前回に輪をかけて説明調だったのが残念。百鬼丸までもが、いつの間にそんなに単語数を増やしたんだ?と思うくらいに口数が多くなり、ナレーションも、やけに語る。
百鬼丸がどろろのもとを去る理由が、あまり腑に落ちない。景光のことを許せたんだから、もう自分は鬼神ではないと確認できたんじゃないのか?
今まで人をたくさん斬ってきた罪悪感から離れたのかもしれないが、その割には、妙に爽やかな、さっぱりした様子。修羅の道を渡ってきた重みを背負っているようには見えない。
過去回での、斬っていたシーンでも、百鬼丸に害をなす者を斬っていただけで、特に殺人が問題になるような描かれようではなかった。
百鬼丸自身の感情表現も単純だったから、人を斬ることへの葛藤が見えてこなかった。
最後は別れた方が切なげでいいでしょ、という安直さであのラストになった感じだった。原作でも別れてるんだから、これでいいでしょ、っていう。
すごく面白かった
調べたらアニメは色々アレンジが加わってたそうですがそれが逆によさを引き立ててた
最終回まで見た。
なんだかこぢんまりとした話になったなぁ。
出来の悪い日本昔話を見せられたような後味。
どろろの名前を使ってまで作ったものが
この程度の作品ですか……
全体的に見ればなかなか面白かったけれども、百鬼丸の声は最後まで受け付けなかった。
下手くそすぎでしょ。あの下手な声優のせいで最終回が台無し。
>>1072
どろろも言ってたけど、ボソボソ喋るよね。
演技力云々もそうなんだけどかっこいい声というわけでもないよね。
マンガ版からのファンですが、原作が打ち切り的な尻切れトンボな終わりかただったのに対して、原作の趣旨を汲みながら、いいラストにまとめたと思います。
>>1073
聞き取れなくてスピーカーに耳を近づけて聞き直したことが何回かあった。逆に叫び声は聞けたものではなかった。
百鬼丸とどろろの声を最後まで受け容れられなかった。
最終話で鈴木梨央のあの声とイントネーションで「カネだよカネ」と言われるとすごく嫌味に聞こえてしまった。
>>1071
ほんとこれ。
手塚作品だから冒険できずに無難にまとめたのか、そもそも日本のアニメがもうダメなのか。
手塚プロの公式として残り続けるが、自分の中では見なかったことにしてある。
百鬼丸が目を取り戻すシーンが全然感動的じゃないんだよな。灰色のオーラみたいなので人の形が見えていたのが、パッと、チャンネル切り替えたみたいに普通の視覚に。
そのときに眼前にいたのが、寿海と縫の方という、二人の「おっかちゃん」。琵琶法師が、百鬼丸は生まれたばかりのようなものだと言っていたが、その百鬼丸が「生まれた」瞬間の最初の光景が「おっかちゃん」という理屈は、まあ分かるんだけどね。
あとから振り返って、ああこういう意味だったんだろうなと、頭で納得するというのは、作品の鑑賞としてはあんまり嬉しいことではないな。
縫の方と多宝丸が、心中のように城と運命を共にするのは、まだ分からんこともない、ということにしてあげよう。だけど寿海も一緒というのはよく分からん。ともかく死なせておけばキレイな幕切れになるし、彼らのその後を描く面倒もないっていう、脚本家の都合で死なせたとしか思えんのだが。
折角、17話で妖怪からも生者と認められ、死者に義足や義手を作るのを止め、現世を生きることを選んだと思っていたら、あのラスト…。 えっ、寿海、死んじゃったの??? 死ぬために百鬼丸のもとへ来たの?? 死に場所を探している人だったの?ってまたビックリ。
今作は、みおにも因果応報的な死を与える物語だから、罪深い過去を持つ寿海には因果応報のラストを最初から考えていたんじゃないだろうか。無理矢理っぽいかなとも思うけれど、百鬼丸が多くの人を殺めたので、弟殺しを含めた罪を自分が引き受けるという意味合いで、寿海はあの場に残ったということではないかと自分は考えている。
アニメでは死をドラマチックに絵になるように描こうとしている意識が、田之介、ミオ、お自夜の回にもあったから、寿海はあの場で亡くなることになったんだと思う。
脚本家さんにしか分らないことで、唯の推測ですけどね…。
二期のオープニングの虫に喰われてる絵が、グロテスク過ぎて気分が悪くなる。制作会社ツインエンジンのオートバイの集団のダッサイ、アニメーションが、すごくイラつく。
ゲームの方が脚本良かった。
もっと、どろろと百鬼丸の話が見たかったし、オリジナル回は蜘蛛のおはぎさんの話以外いらなかった。
最終回も何だか納得いかない終わり方…。
主演の二人の喋り方も違和感なくならないまま。
ずっと「どろろ」を見てきたファンとしては物足りなかった。
原作のストーリーそのままを今風の絵に直して、ラストはどろろの中にいる最後の鬼神を倒して終わりっていうゲームの展開(一応、原作でも裏設定である)をくっ付けるだけで、普通に名作認定されたのにね。
もったいないとしか言いようがない
昔の無声映画ばりに説明口調で物語を進めるという形式が一番拙かった。作画で躍動感を出すだけではなく、登場人物の内なる躍動感を描けていなかったので、面白味に欠けたと思う。大筋のままぶっ込むんじゃなくてキャラクターにもっと肉付けしないと。キャラクターが生き生きしていないと、つまらない。
原作からのファンです。兎に角面白かった!
人間讃歌がどろろをどろろたらしめるテーマなのだと思います!
最終回、「どろろ」見ていた海外の人
のコメントで、お城炎上のシーン、縫
の方の事を「マリア?」寿海の事を
「ヨセフ?」と言ってるように聞こ
えました。
キリストの母マリアは信心深かった人
養父ヨセフは大工さんでした。
縫の方の頭に衣服をかぶってたのが
ベールみたいに見えてましたし、寿海
の仏像がマリア像に見えたのかな?
百鬼丸が醍醐の民の犠牲となった事
と西欧のキリストが人類の罪の為
犠牲になった教義と重なって見えたの
かもしれませんね。
どろろは、百鬼丸を人間に戻す導き
手の役で、人間になった百鬼丸には、
もう、その役は終わったので、別れが
来たのかも。
でも、それ以上の絆が2人にはあっ
たから、将来、又、一緒に歩いて行く
んじゃないかな?
もっと生きることに貪欲な作品にして欲しかった。1クール目は毎日を懸命に生きる人たちが度々登場したが、終盤は日々の生活に困らないような人たちが生きることを放棄してた。
序盤から百鬼丸とどろろのやりとりをもっと見たかった。
タイトルが「どろろ」とあるからには、ほとばしるような熱いパッションを求めてしまうんで・・・物語にもキャラクターにも熱さが欲しかったなぁ。
>>1082
イデオロギーとかはよく分からないけど、ばんもん辺りから仏教国の話と言うよりも >>1087
にあるように、キリスト教っぽい思想が混じった話になって来たなぁと思ってた・・・
最後にみんなが同調圧力をかけてくる展開は、主人公を困難にさらすことでドラマを盛り上げるためだと思いますが、あまり気分の良いものではありませんでした。
そもそも百鬼丸の体は彼自身のもの、一人の赤子の犠牲の上にかりそめの繁栄を築いていたのだとしたら、そのような国は滅びて当然。
そんな状況で、あの「どろろ」なら、「ふざけんじゃねぇ、アニキの体はアニキのもんだ、てめぇら、みんなホゲタラだ!」って、威勢のいい啖呵を聞かせてくれると思うんです。
綺麗ごとや欺瞞や権力や、そんなものを小さな体で蹴飛ばしていく、
そんなトリックスターが「どろろ」だと思うんです。
うん、「どろろ」の威勢のいいホゲタラが聞きたかったな
>>1092
そうそう、これぞ、どろろで『どろろ』って感じ!! どろろって小さいながらも姉御肌でしたもんね。どろろって痛快で勇気のある子だったから、大人が押しつけてくる屁理屈とか理不尽なんかは、体当たりで吹っ飛ばす子だったんですよね。そういうどろろを、もっとちゃんと見たかったな!理不尽を目の前にして傍観なんかは出来なくて、淀みに風穴を開けようと、たった一人でも奮闘するのが「どろろ」だし、しらぬいのときのイタチ見たいに、いつの間にか人をを引きつけて、引っ張る力を持ったどろろの魅力を描いて欲しかったです。ヒョウタンツギよりも断然「ホゲタラ!」を出して欲しかったですね。
>>1080
みおの死は、原作通りに悲劇的なものとして描かれていて、因果応報というのではない印象を受けたけど。
寿海自身が罪を背負った人間だから、百鬼丸の罪をも背負って死んでいったとするなら、話としては分からないこともない。ただ、弟に対しては百鬼丸もとどめを刺そうとしなかったから、そこの殺しの罪はないのでは。結果的には死なせちゃったにしても。
妖怪が生者と見なして噛みついてきたことに寿海が涙していたシーンを思い返すと、寿海は「まだ死ぬ資格があったとは…」と呟いていたから、生ける屍のようにこの世をさまよっていた彼が、百鬼丸のために死のうと決心していたのかもしれない。百鬼丸に「おっかちゃん」と言われ、別れた直後に噛みつかれていたからね。
個々のシーンをあとから振り返ると、意味がつながることはあるんだけど、キャラクーの心情として自然に感じ取れるように描かれていないのが、このアニメの致命的な欠陥だと思う。
>>1081
喰われている絵はまだいいんだけど、その直後に飛び出してくるどろろがポップ過ぎて嫌。百鬼丸の境遇の陰惨さを吹き飛ばす、元気などろろを描いたんだろうけど、絵柄に温度差がありすぎて。百鬼丸の置かれた状況は、そんなお気楽に吹っ飛ばせるもんじゃないんだぞと。
この違和感が本編にまで及んでいるからタチが悪い。例の「目ン玉でも手でも足でも鬼神にくれてやれ!」というセリフの気持ち悪さ、無神経さとか。「おいらの体を兄貴にやりたい…」とかなら分かるんだが。
>>1081
喰われている絵に重なる主題歌もよくない。ダークなギターの音に合わせてロックな絵を描いてみました、という軽薄な演出のダシに、百鬼丸が使われている気持ち悪さ。歌詞に「腹のなかで蠢いている」「ハラワタ食い破って」とあるから、その通りの絵を描きましたという感じ。
アジカンのことは好きでも嫌いでもないし、同じあの曲を使ったとしても、絵が違っていれば、そんなに嫌でもなかったもしれない。
どろろがポップ過ぎるのも、曲調の変化に合わせただけの、デリカシーに欠けた演出だと感じる。
この作品全体として、キャラクターへの愛が見えてこない。
>>1082
イデオロギー臭は感じた。>>1087
の指摘していたキリスト教的なイメージは、「おっかちゃん」の二人が業火に消えるシーンでは感じたけど、それではなくて。
プロレタリア芸術をやっているのかなと。侍=特権階級にも、鬼神=超自然的なものにも頼らず、誰か=百鬼丸を犠牲にすることもなく、民衆自らが国を興さなければならないのだ、プロレタリアよ、立ち上がれ!っていう。
その割には、民衆の存在感がやたら希薄。最後の方で言い訳のように民衆三人衆が、知らぬ間にメインキャラのような顔をし、あれこれ言っていたけど。
>>1096
全くの個人の意見ですが、因果応報 「的」 というのが、このアニメのミソだと思うんですよ。
お粥シーンのお自夜とイタチの対立構造とかも。(お自夜は盗賊で侍と敵対していたので…)
アニメでは、みおは悪事を働いたのではないけれど、敵陣を渡り歩いて体を売ってしまったので、それが枕仕事 → 間者と疑われたという流れでした。
悪気はなく生きるためにしたことだけど、疑われる切っ掛けを作ってしまった。
それが悪い方に転がって、あたかも因果応報みたいな流れになってしまったと感じています。
それが個人的にはきつかったですね。
みおは体を売っていたんだろうな、というのは原作の描写でもなんとなく感じ取れていたので仕事内容までは否定しないけれど、疑われるのなら、敵陣で仕事を掛け持つのではなくて、本当に枕仕事していた間者に背格好が似ていたので間違われて…とか、逃亡中のその女に上手く利用されて嫌疑が掛けられるとかだったら、それもまた酷な話だけど、個人的にはまだ受け入れられたなと思います。みお回は個人的には後味の悪い回でしたので。
みおたちの住んでいた焼けた廃寺の前に立っていた百鬼丸の体の欠損箇所が48。
いろは歌48文字に隠された思い「とがなくて死す」。
原作者がそうだと言っていたのではないですが、あのシーンを大人になって見てからは、ずっとそれが頭にあるので、疑われる火種をみおが作って孤児たちの悲劇が…というアニメの流れが自分には辛かったです。
>>1096
>ただ、弟に対しては百鬼丸もとどめを刺そうとしなかったから、そこの殺しの罪はないのでは。
そこは現在で言うところの正当防衛だけれど、弟が死ぬ切っ掛けを自分が作ってしまったということを、兄として苦しんでいるということだと思いますね。
多宝丸が百鬼丸を兄上と呼んだように、戦いの最中で百鬼丸も多宝丸を弟と認めた。
だから苦しみ、自分は弟殺しの罪を負っていると考えているのだと思います。
どろろが、「おっかちゃんと弟が亡くなったのはアニキの所為じゃねえって言ってるんだけど…」と百鬼丸を気遣うシーンがあったので、百鬼丸は罪悪感があるんだと思う。
>個々のシーンをあとから振り返ると、意味がつながることはあるんだけど、キャラクーの心情として自然に感じ取れるように描かれていないのが、このアニメの致命的な欠陥だと思う。
百鬼丸の気持ちをどろろや琵琶丸に言わせてしまうから、百鬼丸の葛藤が生々しく伝わってこないので、百鬼丸のキャラクター無機質な感じになって、感情移入しづらくなりますね。
そこは丁寧に描かないとキャラクターの魅力が生きてこなくなると思います。
>>1100
確かに、みおが敵陣にまで仕事に行って、そのせいで悲劇の種をまいてしまうのは、彼女自身の軽率さによる責任が生じてしまっていて、そこは嫌だった。よかれと思ってやったことが、子供たちを悲劇に巻き込む、という流れにするのはいいとして、敵対しあう陣のあいだを行き来したら、要らぬ疑いを招くことくらい、考えつきそうなものだから。みおが愚かで無責任に見えてしまう余地を生じさせたのは、脚本家の罪ですね。
>みおが愚かで無責任に見えてしまう余地を生じさせたのは、脚本家の罪ですね。
そうそう、それなの。そういうのがあるので、アニメが途中から嫌になっちゃった。
あまり脚本家さんの悪口を言いたくないんだけど、みおも お自夜も 縫の方も、原作にあった持ち味が薄れてしまっているでしょう。
お自夜は原作ではお坊さんからお粥をもらって礼を言い、心から感謝していた。
なのに、アニメではイタチにしちゃったから、お自夜は卑屈な態度で黙礼をするよりなくなってしまった。
縫の方はあの通り「救えませぬー」でしょ…。
だから、脚本家さんは女性嫌いなのかなと疑ってしまう。
「女を馬鹿にしないでください!!」って思いながら見ていました。
原作のみおは百鬼丸の前で「私は卑しい女の子よ」って泣いていたので、戦前の敵陣まで行って体を売るなんて、そこまでしないと思うんですよね。それに思慮深い女性だという描写は随所にあったので、みおが死ぬということはみんなの死に繋がるから、みおなら決してそんな無茶はしないよと、私はそう思っています。
改変を全否定する訳ではないけど、魅力が薄れれば やはり、つまらないとなるし、改変が良い方に向かえば面白いとなります。視聴当初は、百鬼丸の身体表現や視覚情報の表現(魂とその色が見えること)が良い感じに働いて「そう来たか!」と興奮し、そこから人間らしくなって行くんだなと期待しながら観ていたんだけど成長が遅いとね…中身が幼児の期間が長かったから。原作ベースならキャラクターの魅力が増すなら嬉しいけど、魅力が薄れるとうーん…となります。作画は頑張ってたと思うけれど、キャラクター像とストーリーにあまり魅力が感じられなかったので、わりと早い内に つまらない派になりました。そりゃあ心から楽しめた方が嬉しかったけれどね…。個人的に産婆さんは好き。
>>1068
やっぱり百鬼丸には多くを語らせずに映像や脚本の中で語って欲しかった。
前半が良かっただけに話のたたみ方が残念でならない。
>>1104
アニメではいろいろ改変があったけれど、お自夜のシーンについては原作のままの方が良かったな。あそこはひねりを利かせる必要を感じなかった。原作では、お坊さんがお粥をくれるから本当の意味での「地獄に仏」という雰囲気が良く出ていて感動的だった。読み手側としてもお自夜を気遣うお坊さん、これで我が子が少しでも生き長らえることが出来ると、心から感謝するお自夜の姿が真っ直ぐ伝わって来て良かったんだけど…。アニメ版の、お寺で侍がお粥を配るのも不自然に見えたので、お粥を配るのはお坊さんのままで、イタチはお寺の警護に当たっているぐらいが丁度良かったと思う。
手塚作品で医師であり鼻に特徴がある寿海というキャラクターが何を意味するのか脚本家の方には理解できていなかったのではないかと思います。
いや、理解した上での換骨奪胎と好意に解釈しても悪手だと思います、
ひたすら屍者の供養をしていた寿海はPTSDで生者と関われなくなり、屍者を治療(身体の欠損を補う)していたのだと解釈もできますが、
ここで、ブラックジャック医師がその場にいたら、
「そんなことは坊主にでも任せておけ、その手は何のためにあるんだ」
「私かい? 治療するためさ」
とか、言いそうだなと思ってしまったんです。
そう、この寿海は手塚キャラらしく無さすぎるんです。
寿海が自身のPTSDで死に場所を求めて城まで来たというのも、もしそうだとしたらキャラ崩壊だと思います。「百鬼丸」の成長と関わることで寿海も再生していく、医師として生きていくというのなら、まだ解るのですが、
武家の妻女である縫の方や多宝丸が死を選んだとしても、手塚作品において医師である寿海が「生きろ」と言わないのは強烈な違和感です。
城の外に出て領民の治療をしていた縫の方も、それらの経験から学び、百鬼丸と多宝丸の争いの狭間で母として成長したのかと思ったら、あにはからんや一緒に自死を選ぶ始末。
そこは多宝丸が武家の子として誇り高い死を選ぼうとしても「生きねばなりません」と言うところではないかと思うんです。
三人が死を選ぶのは逃避ですし、その死で百鬼丸が救われるのかは甚だ疑問です。
作劇を考えても、縫の方と寿海の役割がダブってしまったのは無駄なのではないかと思います。
最後、三人が炎に包まれているであろう時に「どろろ」きれいだ、とかアニキが言っているのも彼が幼児で人生経験が無いのを差っ引いても、人としてどうかと思います。
それともカメラの外では三人も脱出を試みていたけど映ってなかったのでしょうか?
あと、視覚って聴覚よりも獲得した時に大変になりそうなのですが、そこはどうなっているのでしょうか?
終わり良ければ…、と思っていましたが疑問符が増えただけでした。
おそらくは、原作者が生前『どろろ』について因果応報ものと言っていたことにアニメは着目したんだと思いますが、それを通そうとするあまりキャラクターそれぞれの役割も個性も活かし切れず、薄れてしまったような印象があります。多宝丸については実のところよく分らなかったのですが、彼は致命傷を負っていて動けず、それで縫の方がその場に残ったのだと思っていたのですが…。そうは思っても随所に疑問が残っていました。ですが、仰るような展開であれば腑に落ちたと思います。
多宝丸はともかくとして、縫の方と寿海の行動には、随所で統合性が取れていないことが多かったので。目標を定めて意欲的になったかと思ったら、突然後ろ向きになったりと。
アニメでは因果応報を通して美しい死を描きたかったんだろう、そういう印象がありましたが、このラストで良かったかというと疑問は依然としてあります。
死こそが最善の責任の取り方かと言えば、違うと思えるので。
確かに、あの場にいる皆で多宝丸を運び出し救うというような努力をして良かったと思います。
生き抜こうとあがく、その方が人らしいし、その方が『どろろ』らしい。
ところで、あの場でどろろがアニキを待っているだけというのも、自分にはどろろらしく思えなかった。最終回でどろろがしたことと言えば、村の青年たちに自分が財宝を持っていると告げただけ。どろろって、もっと行動力がある子だし、じっとしれられない子だから、縫の方の後を追って、あの場にいたみんなに向かって「死ぬんじゃねえ、生きろ!」ぐらい言いそう。
個人的には、アニメ版の新設定の寿海には、生きることで罪を償いつつ百鬼丸の心の支えであり続けて欲しかったですね。
>>1114
1115ですが、こちらに返信したつもりが、うっかり>>1115
にコメント投稿してしまいました。分り難くてすみません。
>>1114
>最後、三人が炎に包まれているであろう時に「どろろ」きれいだ、とかアニキが言っているのも彼が幼児で人生経験が無いのを差っ引いても、人としてどうかと思います。
同感です。あんなことがあった直後なのに、それはないなと思いました。
今作の特徴として、多くのキャラの気持ちの切り替わり方が早過ぎて、感情移入しづらいというのがありました。
あの事件の後日談で、百鬼丸が母親と弟を死なせてしまったと悔やんでいるという、どろろの口述が入るのも不自然。「どろろ」きれいだのシーンは何も口にせず、空を見上げたことで、母、弟、養父のこと、これまでの いろんな思いが込み上げてきて泣くのなら分るし、それならば、どろろが言う百鬼丸の後日談もストンと胸に落ちたんですけどね。
「どろろ」きれいだはもっと後に、例えば別れの間際に、再び空を見上げながら(どろろ とも空とも取れるように)言うでも良かったんじゃないかなと思う。
百鬼丸の新設定はいらなかったと思う。
絵に拒否反応があったものの、前半は面白くいい部分もあったが後半からは本当見てられなかった。
なかなかアニキが喋り出さず成長遅くて残念。
原作やゲームみたいに爽快な話が見たかった。
どろろを暗いばかりの話だと思って、わざと暗くしたのかなというぐらい、アニメは暗かった。希望を描こうとはしていたけれど、アニメではそんなに弾むシーンもなかったし…。コメディ回ではあるにはあったけれど、本筋の方で紅葉の美しさを語るどろろみたいなシーンとか、原作みたいに体が戻って喜ぶ百鬼丸のシーンがあっても良かったと思う。
喜ぶというのとも違うけれど、嗅覚が戻ったのなら花の香りからミオの歌、ミオたちと過ごした日々を懐かしく思い悲しみがよぎるとか、そういう人間味ある百鬼丸のシーンをもっと取り入れて欲しかったな。
最終回もなんだかな。寿海、縫の方、多宝丸のみんなが死んで良かったとは思えないし、みんな百鬼丸を苦しめたので責任取りましたとも見えなくもなく…みんな死ぬ必要はなかったと思う。
アニメはまあまあでしたが、面白そうなので原作を読みたいと思いました。
原作は打ち切りになったり掲載誌が変わったりと紆余曲折あったようですが、一番まとまって読めるのは以下のどれでしょうか。スレ違いを承知で、お詳しい方教えてください。
①サンデー・コミックス「時代COMICS」全4巻
②講談社「手塚治虫文庫全集」全2巻
③秋田書店「秋田文庫(文庫版)」全3巻
④秋田書店「AKITA TOP COMICS WIDE 再発見!手塚治虫の世界」全2巻
⑤秋田書店「手塚治虫傑作選集 5」全3巻
⑥講談社「手塚治虫漫画全集 147~150」全4巻
そこそこの値段で手に入れたいなら①をオススメします。
ただ、最終版なので改変される前の連載当時のものではないですが。
手塚治虫トレジャーボックス「どろろ」は連載された話が収録されていますが、現在手にいれにくく高価な為
>>1122
ボックス持っていますが、ファンで手塚先生、キャラが大好きなら損ではないですよ。
普通に読むにはやはり①が一番手にいれやすくて話がまとまっていて読みやすいですが。
>>1122
いい忘れました。
ボックスは家宝モノですが大変重くずっしりしてるので、置場所に結構困りますよ(苦笑)
辞書みたいです。
>>1124
少し調べてみたら、流通在庫希少でプレミアがついてしまっておりアマゾンでは¥65,000で唖然。。。アニメ化を記念して再販されれば良いのですが。
>>1125
プレミアムついているんですか…。
滅茶苦茶高くなってますね。
ボックス以外は話は変更ないので安心して最後まで読めるので大丈夫ですよ。
>>1107
先週 池袋のジュンク堂にあったよ。今は知らないけど。嘘つきはないんじゃないの。
後のほうのコメントでプレミアで高くなってるとあったけど、そこまでは把握してないし。
お金がないなら国会図書館、あるなら買えばいい。私なら買うけどね
>>991
琵琶丸に説明されただけで納得ってことなんだろうけど・・・やっぱり、そんな母親おらへん。脚本がおかし過ぎる!
>>1131
>>1132
尺の都合にしろ何にしろ、どう考えても息子が三つ目になって放置する母って変としか言えない。それをスルーさせたまま通そうとする脚本もまた…。ストーリーを組み立てる上で、スタッフに言動や展開が不自然にならないようにチェックする人っていないのかなぁ?そういうところこそ拘った方が、自然で感情移入しやすいストーリーに仕上がると思うんだけれど…。縫の方が不可思議な人で都合の悪いことは見ない人だという設定で、そうしたのなら成功といえるかな。縫の方だけじゃないけど、後半からは特に不思議な言動をとる人が多かったから…アニメ後半は観ていて楽しめなかった。
>>1107
まあまあ、せっかく情報頂いたのだから感謝したら?
トレジャーボックスは現在売り切れてるようなので、再販してくれるサイトがあるので、そこで署名して頼んでみては。
再販まで定価購入するには待つしかないですが。
>>1134
返信間違いました。
ファンとしてお互い仲良くしましょうね。
情報あげたのに嘘つき呼ばわりはないですよね。
琵琶法師が、カネで国を作るというどろろの案に、自分は侍側だから、そこまで考えが及ばなかった、と言って、自分の過去をにおわせていたが、こういうのも、取って付けた感じがするんだよな。
彼が剣術の達人であることの理由づけにはなっているし、侍をやめた男がどろろや百鬼丸を支え、肯定することで、侍の世にあらがう二人の生きざまを、作品全体としても肯定する。そういう意図なんだとは思うんだけど。
今までこの琵琶法師が、元侍をにおわせるような台詞を吐いていた覚えがないので、そうした肉づけのないままに、最後になって急に、実は侍でしたと言われても、リアリティがない。
どろろの、武器を持たずにカネの力で、という案も、戦国という、侍が無断で人の命を奪う世の中で、現実的なんだろうか。堺も信長の軍事力に屈服した。それとも銀英伝のフェザーン自治領みたいに、大国の領土という体裁のもと、実質的な自治を目指すのか。
>>1135
フォローありがとうございます。正直よかれと思って情報伝えてこの返事来ると思いませんでした。プレミアついてるの知らなかったし、紀伊国屋とかジュンク堂で見かけたこともあったので普通に買えるものかと…
勿論 悪意あって教えたわけではないです。プレミアついて高いからって人のせいにするのはね…廃盤じゃないからきっと探せばいつか手に入るとは思うんですよね。前述の図書館なら確実に置いてますし。気にしないようにします!
既に指摘している方がいらっしゃるので、番号までは記載しませんが、流れとして察していただければ。
どろろのトレジャーボックスの価格の件ですが…
ここでは長文、長文って嫌がる人もいるけど、(トレジャーボックスの件に限らずとも)結構、批判の一言コメントってキツイですよ。
「今は価格高騰していて、この値段ではなかなか買えないようですよ」
ぐらいの表現に止めておけば誰も傷つかないし、ああそうなんだで丸く収まった話だと思います。
>>1138
品薄で入手しにくくプレミアついてるからって、お礼も言わずに嘘つきって書くほうがキツいと思いますよ。
>>1139
>>1138
は「お礼も言わずに嘘つきって書いた人」に対しての発言なんですよ。
嘘つきって言った人は正しく「一言コメント」なのだから、1138では、そのことを言ってるんです。(1138でいう「一言コメント」とは、具体的に言うなら、「アホ」とか「○ね!」とか「何が?」とか「どこが?」みたいな一言コメントのことを言ってるんです。)
情報提供していた方もフォローしていた方も、一言コメントではなかったし、嘘つき発言した人に対してキツイことは何も書いていなかったのだから、>>1138
は「嘘つき」っていった人や言葉の足りない人に向かっていった発言なんですよ。
でも、こうやって批判コメントがついたのだから、1138 は少なくとも さんには言葉の足りないコメントだったということになりますけどね。
でも「嘘つき」発言した人はもうたしなめられているから、直接そちらにコメントを送るには流石にくどいかなと思って、折角情報提供してくれた人に向かって嘘つきといわずに「今は価格高騰していて、この値段ではなかなか買えないようですよ」って言えば何も問題にならなかったと言いたかった。それが、>>1138
の主旨なんです。
>>1139
1140で一箇所 脱字があったので再投稿です。
×でも、こうやって批判コメントがついたのだから、1138 は少なくとも さんには言葉の足りないコメントだったということになりますけどね。
○でも、こうやって批判コメントがついたのだから、1138 は少なくとも1139さんには言葉の足りないコメントだったということになりますけどね。
誰に敵意があってという投稿ではないので、面倒ならスルーしてください。
>>1138
自分ではきついことをいってるつもりはないけど気をつけますね。
気になって調べてみたらアマゾン以外でもっと安いとこも結構あるんですよね。
ちょっと思ったのは、人に聞くのがいけないとかじゃなくて、必死で調べれば結構欲しいものって見つかるんじゃないかと。
それこそ私が子供の頃はネットなんてないし、今みたいにどろろブームでもなくグッズなどありませんでした。
子供ながらに情報を集めて 店をはしごしたものです。 ビデオを借りてカセットに録音もしました。定価が難しくてもずっと探してれば手頃に買える日は来ると思うんです。苦労して買ったものって思い入れも違いますし。
それでも今すぐ欲しければ高額でも買えばいいのでは?と思います。長くてすいません。
>>1142
個人的にはきつい言い方だとはおもいませんし、嘘つき呼ばわりされたら不快に思うのは当然ですよね。
まず、自分で調べてから聞いてほしいですよね。
ありがとうくらい言ってくれてもいいのに。
教えた相手が悪かったですね。
>>1142
1138、1140ですが、どちらもあなたを批判しようという気持ちから書いたものではないのです。
だから気にしないでください。言葉が足りなくて嫌な思いをさせて申し訳ないです。
私もネットで得た情報は参考意見に留めて、実情については自分で調べるのは当然だと思います。時と共に情報は変化するものなので、自分で調べるというのは大切だし、諦めずに店舗巡りしたりオークションとか探せば希望価格で買えることもあると思うし、コツコツお金を貯めて買うでも良いと思います。寧ろ定価と存在を知った、これだけでも大きな情報なんだから、何も知って損はなかったはずなんで、「うそつき」はないですよね。
大切なのは、本当に商品が実在するのかどうか、自分は幾らまでなら納得して購入できるのか、そちらの方が問題だし、あとは情報をキャッチした側の問題だと思います。
>>1144
私も同意見です。
聞くのは構いませんが自分で調べて、情報くれた人にも感謝を忘れず。
こうやって議論になっている事を「嘘つき」発言した人が反省して気を付けるようになればいいのですが…
>>1029
客観的に見ると何言いたくて誰に怒ってるのかよくわからないな。この人は何が言いたかったのだろうか…
>>1147
頭の古い人って言いたかったんだろうけどね。新作アニメどろろが受け入れられないと一律頭が古いというのは・・・ねぇ。正直、言い過ぎだとは思ったよ。
>>1140
まあ 理由はどうあれ相手を傷つけるコメントはよくないですよね。言われたからって言い返したら同じことですし。自分に言われたつもりで反面教師で気を付けます!ありがとうございます。
>>1151
>>1138
& >>1140
です。こちらこそ話をややこしくしてすみません。私はトレジャーボックスの件では、嘘つき発言した人以外は、何も不快には思わなかったです。お詫びの言葉ありがとうございました。
>>1152
>>1140
です。こちらこそ、ありがとうございます。>>1153
もあわせて読んでいただければと思います。
>>1142
分かります。
ほんと昔はネットなんて主流じゃなくて好きなキャラのグッズ、はたまた漫画や映画関係の情報なんて今みたいに調べれないから苦労しました。
思い付く店をたずねたりしてねぇ。
正直原作知らないのでそこまでひどいのか?とは思いますが…随所に引っ掛かるところはあってもアニメだからですんじゃってましたね。最後がよくわからなかったです。再会したんでしょうか。友人は再会だろうと言います。
>>1159
百鬼丸と どろろは、ともに成長して再会したと思います。旅立つときに百鬼丸はミオの種籾を持っていたけれど、成長したラストシーンではバックに稲穂が一面に揺れているように描かれていたので、ミオの願いも百鬼丸を通して成就したんだと思います。メインキャラのキャラぶれさせずに、尺を確保して駆け足でラストへ持っていかなければ、もう少し面白くなったと思いますよ。
唯のつぶやきですが、つまらないよりの残念派。5段階だとぎりぎり星2つ。
醍醐景光も百鬼丸と同じく鬼神の魂を宿していたのに、その設定はどうなったんでしょうか?
百鬼丸と互角に戦えるのは景光しかいなさそうだったのに、彼は朝倉勢との戦に出陣しました。
時勢として当然といえば当然ですが、そうまでしてアニメでは百鬼丸と景光の直接バトルが描かれなかったのは、まんま少年ジャンプになってしまうからでしょうか?
最終回で百鬼丸と対話する景光は、鬼神というよりも唯の鬼畜にしか見えなかった。景光とは一体、なんだったんでしょう?景光は最期には体中が鬼神の呪いで蝕まれ亡くなったように見えました。あの人自身が知らず知らずのうちに、百鬼丸のように鬼神たちの生贄になっていたということでしょうか?
オリジナル回があんなにあるのなら、視聴者に丸投げしないで景光の内面についてもう少し掘り下げて描いても良かったのでは…。鬼神というテーマを掲げてみたは良いけれど、ラスボスの鬼神は策略家でもイマイチ凄みに欠けていて本体はあっけなく百鬼丸に倒されてしまったし、制作側も鬼神の扱いは持てあましていたんじゃないかと景光を見ていて思った。景光は鬼神と言うよりもサイコパスにしか見えませんでした。
>>1163
ガールズちゃんねるに行くとアニメ版のファンが多くて逆に つまらないと言いにくい雰囲気ですよ・・・。あにこ便だと小林靖子さんのファンが多くて肯定派が多いみたいですよ。
>>1163
最初はそうでもなかったみたいだけど、ここの書き込みは、つまらない派の方が多いかな・・・現に私は「どろろ つまらない」で検索したら、このサイトがトップで表示されたので、ここに辿り着いたんで。
>>1164
そうですか。見てます。ありがとうございます。
このサイト覗いたら丁度バトルというか議論というかしてたので熱いなと思いました。自分もつい過去の解決したコメントに返信してしまい反省です。
>>1166
ここは原作について詳しい方が多いのが特徴の様に感じています。
雰囲気が合うサイトを使い分けるので良いと思いますよ。男性に向かって言うのも変ですが、ガールズちゃんねるは私には向かないので、ここの方利用しやすいかな。過去コメの件は当事者ではないので絶対とは言えませんが、第三者側から見ても中立的な意見でバッシングしているように見えなかったので、おそらく大丈夫だと思いますよ。
>>1160
最後無理矢理引き離して終わったように思いました。…再会したにせよその辺は丁寧に演出してほしいです。
ちょっと気になったシーンがあります。
陸奥と兵庫が亡くなったとき村の青年は傍らでお経を唱え二人を弔っていました。
その頃、琵琶丸は母馬みどろの死を悲しむ子馬の姿を見て、
「畜生とはいえ、親子の情とは厚いもんだね」と言い、その言葉に縫の方は涙していました。
ところで、琵琶丸って琵琶「法師」ですよね。何故、経を唱えないのでしょう?
ここぞというときに経を唱えず青年たちに任せ、普段も琵琶を弾くことも歌を歌うこともない。
琵琶丸の琵琶法師姿は、唯のコスプレだったのでしょうか?
いやいや、坊さん、琵琶「法師」ならちゃんと亡くなった人を弔いなさいよ。
確かに子馬もみどろも可哀想だよ。陸奥と兵庫は百鬼丸と敵対してたよ。
だけど、先ずは死者に経をあげて弔わなければ・・・おかしいと思うんですが。
琵琶丸が、みどろたちを哀れむのがおかしいとは決して思いませんが、ワンシーンで全てを収めるのなら、子馬を哀れむのは普段から みどろたち親子と接していた村の青年の誰か、お経を上げるのは琵琶丸、その方が流れとして自然だったと思います。
琵琶丸が縫の方を諭すという方向に持っていくとドラマチックになる、琵琶丸は迷える人を諭す側の人物であると考えての配役、尺の都合、諸々考えられますが、「法師」という設定上 不自然なので、これは配役ミスだなと感じます。
自然な流れを重視した方が物語にも言葉にも深みが出たと思うので、そこら辺りが残念です。
>>1086
人間讃歌がどろろをどろろたらしめるテーマなのには賛成。だからこそ、赤子の百鬼丸の命を救うことで一度は立ち直った寿海には、そのまま真っ当な生を貫くことで罪をあがないつつ、天寿を全うして欲しかったなと思います。
今回の新アニメは舞台劇・新浄瑠璃「百鬼丸」の翻案かと思いました。
① 母、縫の方が生まれた百鬼丸を見て「愛しいと思いました」というセリフ
② 百鬼丸が成長していない状態(赤子)で旅に出る。
③ どろろがお世話(養育)係
④ みおが遊女
⑤ 物語の終盤、劇の最後で目を取り戻す。
⑥ 百鬼丸、成長とともに親に怒りを表出、馬で醍醐城に駆けつける。
⑦ 弟が妖怪、あるいは妖怪化(ゲーム版もそうでした)
⑧ 新浄瑠璃では最後旅立つときに「人として生まれたばかり」と言うセリフがあるが
新アニメでも最終回で言う。
たまたまかもしれませんが、列挙してみると似ている点が多かったので、
今回のアニメは詰め込み過ぎて焦点をどこに絞れば良いのか、散漫な印象が拭えなかったのが惜しいと感じました。
浄瑠璃の方は換骨奪胎しながらも二時間の枠にきれいに収めていました。
百鬼丸が赤子のままというのも浄瑠璃では本当に赤子で、アニメでは赤子のような、という設定なのですが、物語を構成する要素としては似ていますね。ほかの点もそんな感じです。
本作は何度もリメイク・翻案されている作品なので、ネタかぶりは仕方がないと思いますが……
>>1172
「新浄瑠璃 百鬼丸」、ネットで検索して調べただけですけど、そちらでは、どろろが泥棒のおじさんなんですね。驚いたけれどおもしろそうですね。口コミサイトに感想が載っていて、そのどろろが「身体を持たぬ百鬼丸に、血の滾り、人間とは、と語るシーンが後から効いてくる。」とあったんですけど、気になります。
舞台も脚本も見ていないので、それが どんなシーンか分かりませんが、私が どろろに求めていたものは、まさに「血の滾り」。血の「シタタリ」じゃなくて、「タ・ギ・リ」。
ずばり、パッション、情感、情動なんです。魂が突き動かされる感じ。
アニメでは血の滴りとか血飛沫はあったけど、「血の滾り」があまり感じられなかったから、途中から自分には合わないなと思ってしまった。
人が生き抜こうと、もがき、あらがい、苦しむ。
だけど人は辛い、苦しい、醜いだけじゃない、何か貴いものを、互いをいたわる気持ちや、知恵や勇気、可能性と未来を人間は持っている。そういうのをアニメでも観たかった。
アニメでもみおやお萩の話では描いていたけど、ばんもん以降は急速に希薄になってしまった。
ラストで再びやろうとしていたけど、最終回の尺不足の中でパタパタとやられても、正直物足りなかったな。
ばんもんからは鬱展開がてんこ盛りになったり、段々メインキャラクターが情緒不安定というか、支離滅裂な言動を取るようになって来て、うーーーん…となってしまいました。
私は原作の『どろろ』から切なさや寂寥感を感じても、陰鬱な展開ばかりが続いて人の業にばかり焦点を当てた物語と感じてはいなかったので、アニメでも、信頼や絆、希望が広がっていく様を百鬼丸とどろろだけではなく、群衆レベルで丁寧に描いてもらえたら良かったなと思います。
新浄瑠璃 百鬼丸…どなたかのブログで少しネタバレ読んでしまったけど泣けた。
どろろと百鬼丸の結びつきが深い。そして、なにやら哲学的な雰囲気。
新浄瑠璃の方は大胆にアレンジしてあるようだけど、観てみたいなと思った。
「心に迫ってくるあの言い表し難い感じ」、それがあれば、自分の場合はタイトルが違っていても、原作「どろろ」としても、おそらく違和感はないと思う。
アニメは全部嫌って訳ではないし、初めは良かったんだけど、途中から「心に迫ってくるあの言い表し難い感じ」がなくなっちゃったから、自分の場合は微妙になってしまった。
>>981
個人的に みおは1クール目のOPのキャラデザの方が好み。儚げで健気で、洗練されたイメージで良く合ってたと思う。
最終回24話 百鬼丸と多宝丸の戦闘シーン 04:11辺りの映像。まだ目が戻っていない百鬼丸は多宝丸を魂の色で捉えられているんだけど、多宝丸の心臓の辺りがポッカリ穴が開いているみたいに黒く描かれていた。
それは、多宝丸がまだ幼い頃、縫の方に花をあげようとしたら、縫の方が遠い目をして捨てた我が子百鬼丸を思って「坊や…」とつぶやいていたのを思い出した直後の映像なんだけど、あれは魂が黒くなっているんじゃなくて本当に心に穴が開いてしまっていたんだろうな。こういう映像表現は良いと思う。こういう、兄弟・姉妹間のコンプレックスや母子のすれ違いをみていると、萩尾望都さんの『イグアナの娘』を思い出す。
>>1156
今はどろろって有名になったし、人気もあるけど当時はグッズも少なかったですしね。そういう面でいうとアニメ化されて特集が組まれるのはありがたいことです。昔はテレビで手塚治虫特集やってもどろろは出てこなかったですから。
>>1173
何度か再演されているので、興味があれば観ても損は無いと思います。
「どろろ」がおじさんという設定ですから、人を選ぶとは思いますが…
寿海が出てこないので、この「どろろ」が「百鬼丸」の養い親になります。
彼はぶれないで最後まで「百鬼丸」を支え続けるんです。
最初、「化け物だ」と怖がるし、忌避するんですが、少しずつ心を通わせるようになり、
その過程を含めて、バディものとしても秀逸だと思います。
原作のように村人に「気味が悪い」「化け物だ」「とっとと出て行ってくれ」
と百鬼丸がののしられる場面では全身で怒りを表し、
竹林では「若様にも御子ができたら作ってやって下され」と百鬼丸と竹とんぼを作る。
丹念に描かれる場面で二人の関係性が変わっていくのが感じられます。
無垢な赤子だった百鬼丸には、旅の途中で多くの辛く苦しい体験があり、
その結果、「私は本当に体を取り戻して良いのだろうか、生きていて良いのだろうか」
と疑問を感じるようになるのですが、
どろろは「生きてくだされ」と言い続けるんです。
彼を全肯定してくれる存在なんです。
親に呪われた子供が再生していく物語において、
再生していく過程には、その子供に惜しみなく愛情を注いで、その存在を肯定してくれる大人(仮親)が必要で、
この劇中では「どろろ」がその役割を担います。
妻と子を戦火で失い泥棒で生計を立てて、世を拗ねていた「どろろ」が「百鬼丸」と関わることで再生していく物語でもあり、無垢な赤子であった「百鬼丸」が良くも悪くも「成長」し、自身の自由な感情を取り戻していく(親の呪いを解いていく)物語でもあります。
百鬼丸が「私には、まだ足りぬところ…」と、どろろに問いかけ、
どろろが「若様、足りぬところのない人間なんていません」
と返答するシーンは胸を突かれます。
パッションを感じたいなら是非。
>>1178
詳細を教えて下さりありがとうございます。>>1173
です。あの後、かなり詳しいあらすじが書かれたブログを探して読んで、そこでまた泣けてしまったのですが、1178さんのコメントを拝見して更に涙が…。今も泣きながら書いています。竹とんぼのシーン、詳しく知りたかったので、ありがとうございます。
そうですよね。心が傷ついた人間が再生するには、本当の愛を知る必要があります。本当に辛く、苦しいときに救ってくれるのは無償の愛です。
>親に呪われた子供が再生していく物語において、
>再生していく過程には、その子供に惜しみなく愛情を注いで、その存在を肯定してくれる大人>(仮親)が必要で、
>この劇中では「どろろ」がその役割を担います。
こちらのどろろの魂には、原作で描かれていた寿海とどろろに通じる力強い響きが感じられますね。教えて頂いたラストシーンでは父性という点に着目すると、原作の寿海をも越える存在といえると思いました。
>妻と子を戦火で失い泥棒で生計を立てて、世を拗ねていた「どろろ」が「百鬼丸」と関わることで再生していく物語でもあり、無垢な赤子であった「百鬼丸」が良くも悪くも「成長」し、自身の自由な感情を取り戻していく(親の呪いを解いていく)物語でもあります。
『どろろ』とは体を取り戻す物語だと思われがちですが、失った「愛と心を取り戻す」物語でもあったと思います。そうだ、そうだと頷きながら読みました。
>どろろが「若様、足りぬところのない人間なんていません」
>と返答するシーンは胸を突かれます。
>パッションを感じたいなら是非。
このどろろのメッセージは、愛が溢れていて心に真っ直ぐ届きますね。演目を直に観たのなら、ここで今、文字を読りも、もっと深く魂が揺さぶられるのでしょうね。
検索して知ったのですが、つい先日までアニメ化、舞台化と併せて新浄瑠璃も再演されていたんですね。見逃してしまったことが非常に惜しまれますが、心から新浄瑠璃 百鬼丸を観たいと思いました。次の再演のときは見逃さないようにします。貴重な情報をありがとうございました。
>>1177
そうなんですよね。
リメイクしてくれて世間の注目を浴びるようになったのは嬉しいですが、今作が良かったかと問われると個人的には否と言わざるえません。
昔のアニメもオリジナル回もあったし、正直余り面白くない回もありました。
ですが、やはり昔の方が全体に良かったと思います。
何よりどろろと百鬼丸が話の中心でしたしキャラクターのブレもなかったです。
今作は後半になればなるほど訳が解らなくなり楽しめず残念でした。
昔からのファンとしては残念でなりません。(ファン歴は若いですが)
後、原作支持派を老害とか暴言し勝手に決め付けてる一部の人も大嫌いです。
寒気がします。
>>1181
公式の『どろろ』ティザーPVやアニメ1クール目のOPとEDを観て、まさか百鬼丸の中身が幼子だなんて誰も思わないですよ。ここまで違うんだったら最初からPVにも公式発表にも「今度の百鬼丸は鬼神化します。中身は幼児です。周囲の大人たちも未熟です。この物語の登場人物は現代人の感覚では理解し難い矛盾を抱えた人たちです」とでも明言しておいてくれないと、原作ファンが怒るのは仕方ないと思う。原作に寄せているように見せておいて別物だし、おもしろいかと言えばおもしろくない。それを発言すると老害と決めつけるなんて、本当におかしな話しですよね。
原作がどうこう抜きにして、今作は話の流れに無理があったりいちいち引っ掛かるところが多い。
縫の方の母親としての在り方や寿海の行動等々。
毎話 違和感がある設定や流れがある。普通に作れないのかなあ?と思って見ていた。寿海の死にかたとか全然共感出来ず唐突で無意味だったと思う。
>>1182
おもしろい派の暴言コメントした人は何が良かったのかそれすらも説明せずただ差別的暴言発言を繰り返すだけ。
とても不快でした。
原作読んだことあるのかと言いたいし、皆おもしろい派はそんな人しかいないのかと思ってしまう。あと作ったスタッフ(脚本家?)も
>>1183
白面不動の回の時、何故、死霊の女を仏師にしてしまったんだろうって、ずっと思っていました。あの死霊は偽りの母の姿をとりながら、どろろとの日々で本当の母の心を知り、どろろを慈しみ感謝しつつ、どろろの幸せを心から願い再び世を去った。・・・なのに、アニメでは仏師。時代的に性別だって男性とも思える・・・「はあ?」って思いました。何、このアイデンティティーの歪みは?って。どこをどう直す必要があったのでしょうか。
どろろが再び母の愛で傷ついた心を癒し、死霊の女は、どろろによって再び人の心を取り戻す。
それが、アニメでは仏師・・・、仏師が仏師としてのアイデンティティーを取り戻すお話。
ああ、そうですか、良かったですね。でも、これってそんなに薄ーーーーい話でしたっけ?
原作では母の慈愛が、無償の愛がテーマだったのに、仏師ですか。・・・と呆れてしまいました。
この物語に何が足りないかというと、無償の愛、母の慈愛ですよ。
脚本では、原作にあったような慈愛がしっかり描けていない。
描けないから逃げたとしか思えない。
>寿海の死にかたとか全然共感出来ず唐突で無意味だったと思う。
私もそう思います。
縫の方の件も相俟って、愛する者のために死ぬことが無償の愛とでも言いたげな今作が私は好きにはなれません。本当に愛しているなら、陰日向となり天命が尽きるまで愛を注ぐのが本当の愛だと思います。
>>1184
おもしろい派さんの心揺るがすような熱いお話をここで聞いてみたいけど、全部読み切れていないからか、私はまだ見たことがないです。お話のムードが好きなんでしょうかね…?
書くとキャラクターに宛てたラブレターみたいになるから書けないと言うのなら、分からないでもないですが。
今作は、最初の頃は良かったけれど、段々キャラがおかしくなって行って、置いてきぼりになりました。寧ろ、理解できなくて良いのかも。実際にいたら付き合えないような不可解なキャラばかりだから。
>おもしろい派の暴言コメントした人は何が良かったのかそれすらも説明せずただ差別的暴言発言を繰り返すだけ。
どう思っているのかは分かりません。なぜなら私はおもしろくない派だから…。
>とても不快でした。
私も不快でした。某サイトのレビューでも○害発言するレビュアーさんがいて参考票が入っているので不思議です。
>あと作ったスタッフ(脚本家?)も
少なくとも脚本家さんは原作ファンではないと思います。
みお、お自夜、縫の方、死霊の女、みんな原作よりも救われない描き方になっているのも謎です。こちらのみおにも慈愛があったけれど、女性に優しくない脚本なのは母の愛とか慈愛に疑問を持った脚本家さんなんんだろうかと、個人的には思っています。
>>1185
縫の方も寿海、多宝丸も不自然だし、多宝丸は原作と違い性格いい子ちゃんだったのに突然性格ガラリと変わるし兄貴(百鬼丸)なんてミドロ号に跨がって敵味方関係なくバッサバッサ切り出すし。
唐突すぎてついていけない。
原作知ってる身としてこれ「どろろ」だよね?って青ざめました。
1187なんですけど、ミドロ号の話でも無情岬その他の話でも、そうじゃない親子愛とか不知火とサメの絆とかじんわりする原作の話が見たかったわけで。
もやもやします。
流行りなんですかね。
じめじめ、ナヨナヨする話。
観ていて画面の向こうに扇子持ってカツ入れ行きたくなりました。
しっかりしろと。
原作ありの話をこんなに変える必要ありました?
話は違いますが、「十二記」は鬱展開ありますが主人公が成長していくので大好きです。
流行りの主人公チート異世界モノは全然面白いと思わないです。
主人公最強何でもできるー。
へぇ、凄いねぇ~だから何って。
原作に出てくるお米さんだって今で言う知的障がい者が引っかかるのなら幾らでも変えようあったし面白い原作エピソード沢山あったのに。
>>1189
>>1190
私も「十二国記」大好きです!!
ここで私も「十二国記」を比較に出してコメント書こうかと昨日あたりは思っていたんで、おお!!と思いました。個人的に、アニメ「十二国記」のスタッフが「どろろ」を作ってくれたなら、きっともっと面白くなったと思っていたので。「十二国記」は原作と違う部分があっても、ブレがなくて本当に面白かった。世界観がしっかりしていて、キャラクターも芯がしっかりしている人たちが多く、武将は武将らしく描かれていたし、保身的で泣いてばかりいた陽子が成長していく様も感動した。陽子と一緒に船旅をしていた男の子の話もとても良かった。あの子が死んでしまう話は本当に泣けた…。
心に深く届く名言、名シーンが、あちらには一杯あった。
「どろろ」にも名言、名シーンが一杯あったのに、どうして臭いセリフ、ブレブレのセリフばかりになってしまったのか…。正直な気持ちを包み隠さず言うのなら脚本家の人選を間違ったとしか思えないです…。
>>1189
お米が出てこなかったのは、ミオのヒロイン力が薄れてしまうからなのか…。それとも、縫の方のラストシーンが盛り上がらなくなるからでしょうかね。お米はコミュニケーション力にやや問題がある風変わりな子(悪い子ではないけれど言葉のチョイスに問題がある子とか、人見知りな子)として、登場させることは出来たと思います。魅力的なキャラだったのに、もったいなかったですよね…。
あと四化入道、あれも良かった。お米のときも思ったけれど、ラストの寂寥感、無常感。そういう世界感がアニメではいまひとつ上手く描けていなかったと思う。
最近は男性がじめじめ、ナヨナヨする話、多いですよね…。
でも遡ると、石ノ森正太郎先生 描く男性主人公はそんな感じの人物が多かったと思う。個人的に今作は石ノ森テイストが入っている様な気がします。仮面ライダーもも009も悪の組織から誕生して正義側へ、キカイダーは正義と悪の狭間で揺れるという感じなので、そこも今作のテーマ「鬼か人か」に通じるものがある気がします。
寿海も手塚治虫のキャラとしては(おっかちゃんと呼ばれただけあって)、ちょっと乙女っぽいし。
今作では百鬼丸の鬼気迫る感じを出したくて鬼神にしたのかとも思うけど、原作で百鬼丸に鬼気迫る感じがあるのは、真に生を欲しているからであって、本当の鬼とは違うんですけれどね。鬼神になるにしても、誰の目から見てもしっかりとした動機がある、自分を捨てた醍醐夫妻の前だけで良かったのかもしれないです。正式に許可を取った以上は、スタッフが好きに描いて良い訳ですけれども…。
>>1192
石ノ森先生の作品は好きですよ。
サイボーグ009とか一時期はまって読んでました。島村ジョーくん? 009かっこよくて大好きでした。
十二国記の陽子しかりキャラクターが皆魅力的というか人間味溢れてて誰かしら自分と似ている所が共感できたのですが、今作の「どろろ」は誰も…
共感出来ないというかもう好きにすればって。
原作の「どろろ」(手塚作品)は色々感じる・勉強になる教訓的要素があったので残念です。
小学生の時に図書館で好きで読んでたなぁ…懐かしい。
あれ?手とか目とか最初の方で取り返してなかったっけ?とか思いながら最終話まで観たけど、綺麗に終わらせてくれたと思いました。個人的に。
絵柄は最初違和感スゴかったんだけど、慣れたらこれはこれで好きです。
アニメ観て面白いなと思った方は、ぜひ原作も読んでいただきたいですね。
>>1193
1192です。私も石ノ森先生好きですよ。長編物だと風呂敷を広げすぎて畳めなくなってしまったなと思える話もあるけれど好きな話は一杯あるし、短編や中編も好きな話が多いです。
009のジョーもキカイダーのジローもセンチメンタルなところがあってよく泣くし、男性でありながら少女っぽいところがあったけど、自分が大切にしている正義を貫こう、どんな姿であろうとも自分は人でありたいという意志がありました。アンバランスさを持ちつつもブレまいとするところが人間味があって、それが人物像にも物語にも魅力を与えていた。石ノ森先生は葛藤の見せ方が上手かった。だから登場人物に共感できるし、読み手のこちらも共感できた。
でも今作の方はというと葛藤の見せ方が上手くない。百鬼丸の葛藤(体を取り戻したい気持ち、母と弟を亡くした喪失感)は当事者ではない琵琶丸やどろろが説明してしまっているし、百鬼丸が体を取り戻したいと思う気持ちは、終盤に差し掛かるまでは本能的なものとしてしか描かれていない。そこも私の場合は共感しづらくさせ、物語の幅を狭めてしまう要因になった。
キカイダーに話を戻しますけど、私は今作ではどろろがキカイダー ジローの良心回路ジェミニの役割を担いつつ、百鬼丸が成長していくことになるのかなと思っていたら、そうでもなかった。どろろはジェミニというよりも、どちらかというと暴走を抑える制御装置みたいだった。
登場人物に共感できるか出来ないかというのは、物語の魅力を測る重要な物差しで、基準ですよね。
>今作の「どろろ」は誰も…
私もです…。最初は好意的に見ていたキャラクターたちが段々、壊れていったので。
>>1194
どろろは「おいらはアニキに鬼神になって欲しくねえんだ」だけじゃなくて、命の重さを教えたり、思いやりとはどういうことかを教えたり、善悪の判断(ここまでは許されるけれど、ここからは絶対超えてはいけない)を教える描写を取り入れるべきだったと思う。どろろの口から説明するにも、やはり限度があるから、ここは、お米の話や四化入道のような話を通して百鬼丸に学ばせた方が良かったと個人的に思う。
そもそも、どろろが目ん玉でも手足でも鬼神にくれてやれ、だなんて百鬼丸に対して思いやりのない発想がある時点で、もうこの子は「どろろ」じゃないなと思ってしまった。どろろは幼くても母性にも通じる慈しみの心を持っているから、そんな発想絶対にないですよ…。そんな発言させる時点で、脚本家さん?監督さん?のセンスを疑います。
>>1191
監督さんとメインライターさんが今や大家と言われる立場なので、恐れ多くて変だと思っても誰も指摘できなかったのでは…。2クール目から作画も話も質が落ちたと巷でよく指摘されているけれど、そういうことを指摘したり修正できる立場の人が途中から現場から外れてしまったか、意欲をなくしてしまったんじゃないだろうか…。
>>1194
再度失礼します。1197ですけど、最後の方で >>1191
と再び返信番号を間違って振ってしまいましたがそこは無視してください。本当は としたかったんですが…別に再度番号を振る必要はなかったですね。分かりにくくなってすみません。
>>1198
1197・1198ですけど何故か脱字しましたので再度補足コメです。
○ 本当は >>1194
としたかったんですが別に再度番号をる必要はなかったですね。
…読みづらくなってしまい申し訳ないです。
>>1197
私も途中からどろろちゃんであって違う子だなぁと感じていました。
原作のどろろは逆に皆に喝入れてたんか切る子だと思うんです。
そんな場合いか皆クヨクヨすんな!生きろ!!って。
大物になるのも考えものですね。周りが誰も止められないし、意見を言えない・聞かない。
絵柄は現代的でも初めは期待してたんですよね。
>>1197
アドバイス、諭してくれるキャラが欲しかった。
原作はどろろだったり寿海、琵琶法師だった。
例えば原作のどろろちゃんとか十二国記の楽俊とか。
楽俊はアドバイスや諭すのが的確で一家に一人は欲しい(笑)
ショウケイに出会って諭す場面はいつ見ても(読んでも)考えさせられるし、まるで自分の事を言われているようで心に刺さるしキツいけど大好きなキャラです。
>>1189
>じめじめ、ナヨナヨする話。主人公チート、主人公最強何でもできるー。
私の場合、どろろを見ていたつもりが途中から東京喰種やエヴァンゲリオンを観ているような気分だった。世界観も人物像も統合性、整合性に欠けていたと思う。最初は妖怪物をベースにした時代物に見えたのに、途中からゴジラ乱入したのかと思えるほど、よく分からない話になった。室町時代を現代の家族問題に絡めて描いたのかな?とも思えたけれど、主人公は旅に出て無罪放免だし、どろろが言うほど悩んでいるようにも見えない。
目を取り戻すということは涙も取り戻すことなのに、涙を一滴も流さない百鬼丸。産声を上げたとき以来、涙を忘れてしまったのか。星飛雄馬ばりに泣けとは言わないけれど、肉親と育ての親を失ったのなら、涙が滲むとか目頭を押さえるとか何か反応があった方が自然で良かったし、旅立つ前に菩提を弔うシーンは絶対あった方が良かったと思う。
今作では百鬼丸をクールに描こうとするあまり、人間性を取り戻す描写が疎かになってしまったことが惜しまれる。…というか、そういうところこそちゃんと描こうよ!と思った。クールというよりこれじゃ唯の幼児だよ。いや、幼児だって肉親を失えば泣くのに。これじゃ都合の悪いことはさっさと忘れたことにする人かズレた人に見えるから、セリフはなくても良いので演出で、映像でそこらは丁寧に描写して欲しかったなぁ。
体を取り戻すということは世界を知り、世の中と関わること、社交性を身につけることでもあるので、旅立ちの前に、もう少し成長した百鬼丸を描いて欲しかったですね…。(ラストではちゃんとした大人になったように描かれていたけど、あのワンシーンがなければ、このまま野放しにしたら何か問題を起こしそうなヤツに見えたんで。)
>>1046
登録制でない投票サイトに特徴的なのは「批判のハケ口」になりがちなこと。これが皆が不満を持つ作品では皆が競って批判を書き、信者が躍起になる構造になるし、この作品のように原作ファンを傷つけるようなものであれば、原作ファンが怒りをぶつける場になる。そもそも作品が好きであれば「好きな人集まれ!」なサイトに行って語り合えばいいのであって、お互いに気分を害しあいがちなこんなサイトに来なければいい。探せば自分に合う場所は見つかる、と思う。
この投票トークの価値は、私にとっては「原作を読む価値があるか」を知れることだったりする。アニメから好きになって原作を楽しむ、というのが好きなので。だから批判派の意見はとても大事だし参考になる。
気分を害する、というけれど、批判派全部が気分を害するようなことを言っていたのか、ちゃんと日本語読み直したほうがいい。それは「自分の意見と違う」のと混同してやしないか? 別に老害の存在は否定しないけどさ、言うべき場所と相手を間違えれば自分に跳ね返ってくるだけだぞ。
>>1201
長文になりますが、失礼します。
個人的には、こちらの琵琶丸と寿海のアドバイスは、アドバイスしている側に迷いがある感じがしたし、百鬼丸本人が自分でよく考えて答を出せるように導こうとしているようには感じられず「こうするしかない」と言ってしまっているように聞こえたので、モヤモヤしていました。
原作のどろろと十二国記の楽俊の言葉には、百鬼丸と陽子、それぞれに対して我が事のように親身に思う温かさがあるので、鼻の奥が思わずツーンと痛くなるような感動がありました。
今作の彼らの場合はアドバイスというには、まだ距離があって突き放している感じがしたので、冷たさを感じてしまいました。(それは今作が百鬼丸が鬼神になる物語だから、進行上そうしたのだろうけれど、進行ありきじゃなくて人ありきで描かないと、どうしてもキャラクターたちの人間味が薄れてしまい、物語の魅力も薄れてしまうと思う。この辺りが私には合わなかった。)
ショウケイ、あの元姫は楽俊たちに諭されてからは目覚めて、お飾りで世の中に無関心な人形から自分で考え行動を起こす大人に変わって行く姿が感動的でした。
ショウケイは私にとっても反面教師的存在で、「まるで自分の事を言われているようで」という感覚、良く分かります。世の中の現状を知らないから許されるのではなくて、「知ろうとしないことが罪」、あれは的を射ていたと思います。
>>1201
1204の続きです。
今作が、いまひとつ好きになれない理由は、悟る前のショウケイみたいな人が多いから。
終盤で登場した村の青年の一人が、百鬼丸の身の上を知り「その百決丸って奴をまた生贄に差し出せば、この わざわいも治まるんだろう」みたいなことを言うので正直ゾーっとしました。
今作に出てくる人たちってモブも含めて、昔のショウケイみたいに迫害される側を見捨てる人、問題を人に丸投げしている人が多かったので。やっぱりこの辺の感覚が、自分がこれを『どろろ』と思えない大きな理由なんだよなと思います。他には幾らダークファンタジーだからって、これまで様々な戦災や自然災害を乗り越えて来た日本が舞台の物語とは思えない、という気持ちもあります。
原作に出ていた村人たちって唯のモブではなくて、お米を含めてみんなで知恵を出し合って、百鬼丸とどろろに協力して妖怪を退治していました。最後に百鬼丸の体の秘密を知ってしまうと迫害す人たちは多かったけれど、何も知らない間は協力的な人たちは多かった。敵対していたあの鯖目でさえも最後には改心し百鬼丸の理解者になっていたし、村人の中にはお米みたいな子もいたので、何れは百鬼丸の理解者は増えていくのではないかという希望も、物語の中では描かれていた。そしてラストは村人たちが起こす実質一揆。
でも、こちらにはそれらがあまり感じられない。人々が協力し合う姿が描かれず百鬼丸が一強で、ほとんど全てを解決してしまう。原作ではモブの人たちでさえ生き生きしていたし活躍していたけれど、本当にこちらでは唯のモブ。この人たちはもう制止画でも良いんじゃないかというほどモブ。この辺が物足りなくて…もっと登場人物たちが生き生きした、生身の人間のようば物語を欲していた私には、今作は物足りなかったですね。『どろろ』に拘らなくても今作は全体的に冷えている感じがした。それが率直な感想であり、つまらない派のままになってしまった大きな要因ですね。
ここ最近では見れる方だった。
どろろの声はミスキャストに分類する。
「普通」と呼べる人物が少ないこの作品において、どろろの演技は感動できるかに直結するキーだったように思う。
内容の濃く深い今作、14歳で感動を生む心の機敏表す演技を求めるのは無茶ではなく無謀に思う(これを否定する俳優、声優がいてほしいが)。
最初のOPも酷かった。
音楽プロデューサー、カッコつけてるだけで中身のない人に歌わせるのはマーケティング上でも逆効果だと分からない人が努めるべき役職ではないと思う。
>>1205
話は逸れますが、感銘を受けた十二国記の言葉。
今作のキャラ達に聞かせたい台詞ばかりです。
ショウケイに安宿に泊まりたくないと聞いて楽俊が諭す場面
「…絹の着物を着てい宿に入るのが、そんなに恥ずかしいもんかなぁ」
「自分ががんばってもてに入らないものを、なんのがんばりもなしに手に入れてる連中が持ってりゃ恨めしい。ーそんなの当たり前のことだ。」
「なんの努力もなしに与えられたものは、実はその値打ち分のことをあんたに要求してるもんだ。」
「責任を果たさずに手に入るものなんか、ねえんだよ。あったとしたら、それは何か間違ってる。間違ったことを、盾にとっても、誰も認めちゃくれねえんだ」
陽子 ー「仮にも一国の主が国民の辛苦も顧みず、そんな愚かなことのために犯してはならない罪を犯したのか」
人は愚かだ。苦しければ、なお、愚かになる。
延王・尚隆「ひっきょう、王は民を搾取し、殺すものだ。だから、できるだけ穏便に、最小限を搾取し、殺す。その数が少なければ少ないだけ、賢帝と呼ばれる。だが、決してなくなりはせぬ」
「若、呼ばれるたびに、一緒に託されたものがある。一声ごとに託されて降り積もったものを、俺は連中に返してやれなかった。…もう返す術がない」
「俺は欲張りだからな。百万の民と百万と一の民なら、後者を選ぶ」
是非とも醍醐一族に見習って欲しかった名言です。
長文失礼しました。
原作以外の他作品と今作を比較するなら、主人公と兄貴分の絆の強さなら「モブサイコ100」の方が断然深くて面白いし、父親が魔物と取引したことで能力が欠損して生まれた少年の成長物語としてならば「王様ランキング」の方が断然面白い。歴史物風のファンタジーということなら、ここでもう既に上がっている「十二国記」の方が断然面白い。
原作と比較しなくても、このアニメは人が人としてあるべき大切なことが上辺でしか描けていないので、私には手放しに面白いとは言えない。面白い試みはあったけど、主人公の成長物語としてみると描写不足でイマイチだった。
>>1184
関連がありそうな記事として、「電撃オンライン」というサイトに “『どろろ』古橋一浩監督にメールインタビュー。最終回終了後の心境や名作リメイクについての印象を質問” という特集記事が載っています。抜粋になりますが、そちらでは監督の言葉として以下のような記述があります
------------------------------------------
・今回まで原作漫画は読んでいなくて、1969年版アニメの印象ですが、百鬼丸が大人、両腕が刀の異形が怖いなどです。
・内容はLDを観返すまで忘れていましたが、どろろが肩車しているOPの百姓一揆イメージは歌とともに記憶に焼き付いてました。
・初期段階では現状以上にアレンジを構想していて、手塚先生の自伝や『ブッダ』を通読したり、『火の鳥』を読み返したりしました。違和感なく再構築するには手塚作品の通低テーマ、モチーフを他から補填するのが最善だと考え、1、2話のシナリオの準備稿を自作しました。
ただエンタメとして考えると、中々うまくはまらないところもあり、世界観設定を一部残した形で、構成は小林靖子さんのお力をお借りし、以降は監督として監修的な立ち位置にいました。
・高名な原作のさらにリメイクという、高いハードルがいくつも立ち塞がる今回のアニメ化に対して、さまざまな意見があると思います。至らぬ点が多いのも自覚しており、初期で降板するべきだったと思うこと幾多で……。
お祓いはしたのですが、私が初期段階で迷子になったことをはじめ、“鬼神の祟り”かと思う程に大変だった今作ですが、何とかここまで形になり放送できました。
>>1184
1212で 一度に送信できなかったので、続きです。
インタビューでは、古橋一浩監督が原作を手にしたのがそれほど前ではないことが明かされています。監督自身の言及はありませんが、この分だとセリフが書き換えられる前の旧版を直に読んだことはないかもしれません。また旧作アニメの内容を忘れていたとあるので、原作ファンから入って制作していたとは言い難い気がします。抜粋した箇所以外には監督のエゴが入らないようフラットな立場でいたと取れる記述があり、迷いながら制作した様子が記載されています。(←※これは記事を読んだ私の主観が多少なりとも混じっていることは否定できませんので、もしご関心があれば検索してみてください。) 長文失礼しました。
>>1185
>>1212
“『どろろ』古橋一浩監督にメールインタビュー。最終回終了後の心境や名作リメイクについての印象を質問” の中に、監督が『火の鳥 鳳凰編』が一番好きだとメインライターの小林靖子さんに伝えたという記述があるので、死霊の女は仏師 茜丸に見立てられたってところかな。
個人的に、今作が原作よりも因果応報色が強く出ている感じがするのは、この辺りに要因がある気がした。
今作では醍醐の城が燃えさかる中、縫の方、多宝丸、寿海が命を落とすのも、炎に包まれて茜丸が落命するシーンとイメージを重ねたのかもしれない。茜丸の場合は仏師としての出世欲と我王に対しての嫉妬心と強い復讐心があったので、落命シーンは正に因果応報だった。でも、個人的には『火の鳥』“鳳凰編”の茜丸に最も近い立場にいたのは醍醐景光だと思えるので、景光こそが炎に包まれて落命するのがピッタリだと思った。といっても結局のところは、正式に制作の許可を取っているスタッフが好きにして良いということになるけれども。
『どろろ』は勇気を与えてくれるお話だと思っていたんだけれど、こちらは弱々しく薄情な人、支離滅裂な人が多かったんで、おもしろかったのは序盤だけ・・・
つまんない。例えて言うなら父に疎まれ、ろくな教育も受けず育った男が無知ゆえに騙されてブラック企業に就職し、コミュニケーション下手ゆえ一人で仕事を押しつけられ精神を蝕まれ暴走し、会社に火を掛けて丸焼きにし、母と弟と養父が責任を取って亡くなった。そんなお話。
制作の都合か知らないが意図的に一揆は外しているため、くどいくらいの手塚漫画の社会テーマが薄味。一期OPがただ素晴らしいだけに、個人的に残念。手塚ファンとしては新規に手塚漫画読む人増えたらなあと思います。
>>1217
制作側が一揆のシーンを外したことで原作の持ち味が薄れたことは私も残念に思った。モブシーンを描くと手間が掛かることから尺や予算を考えて敢えて外したのか、一揆を暴力と捉えて外したのか…。何れにしろ物語の中で どろろがしきりと非暴力を訴えていたことからも、一揆はストーリーに盛り込まないことにしたんだと思う。
そこで、どろろと村人たちによる無血革命に持っていこうという流れにしたと思えるが、かといって村人たちも どろろも景光側に交渉するでもなく、実質嵐が去るのを待っていただけのように見えて物足りなかった。その一方で、鬼神化した百鬼丸が醍醐の国を破壊することで鬼神ごと国に根付いていた穢れを祓い、景光たちをも退けた後、人間に戻ったという流れで英雄として描かれているように見えた。手を汚す役目は百鬼丸が一身に引き受け、どろろたちは手を汚さないという図式を感じた。今作の狙いとして、人の上に立つどろろは真に清い存在であらねばならないということなのだろうと。
今作では非武装主義のどろろは村人たちのオーナーになったわけだが、そうすることで特に行動を起こさなかった青年たちを含む村人は、どろろのお宝をお手軽に得るというだけの棚ぼた人間に見えてしまった。原作では、どろろのお宝は心から信用できる人を介して使うようにと、両親からの切実かつ現実的な遺言があったわけだが、果たして、この青年たちは両親が必死で守り抜こうとしていた大切な秘密を明かしてしまうほど信用に足る人物に成り得るのか。
一揆のシーンをなくした分、そこのところは充分な尺を取って絆を深める場面を描いた方が良かったと思う。尺が取れないならば、せめて村の青年には「百鬼丸を再び生贄に」なんてことは言わせない方が良かった。あそこは「なんて惨い。こんなことがあって良いはずはない。これからは俺たちが世直しをするんだ。おまえたちも協力してくれ!」と言ってくれれば良かったと残念に思った。長文失礼しました。