空想小説「青鬼」 第62話 若年琥珀
コハク「うーん⋯ずっっと森ですね⋯」
コハクは1人雨の中、樹海を彷徨っていた。
雨に濡れた前髪を指でかき上げながら、コハクは小さく息を吐く。
周囲は変わらぬ樹海の景色。
木々は同じように立ち並び、何度歩いても前進している気がしない。
コハク「…さっきから同じ場所をぐるぐるしてる気がするんですけど…」
ぽつりと呟いた声も、雨音にすぐかき消された。
コハク「同じ景色だからそう見えちゃうだけですかねー⋯?そもそもどっちに進んだら宿に帰れるのかな⋯」
ため息をつきながら辺りを見回す。
どこを向いても木、木、木。
そりゃぐるぐる回ってるって思っても仕方ない。
コハク「⋯あれ?」
ふと、奥に人影が見えた。
自分と同じようにフードを被っていて顔は見えないが、人がいた事実にコハクは喜んだ。
コハク「あ⋯人だ…!あの、すみませーん!ここってどうやって行けば外に⋯」
けれど、その人影は何も言わなかった。
ぴくりとも動かず、ただその場に立っている。
コハク「…あ、あの?聞こえてます、か⋯?」
もう少し近づいてみる。
雨が木々を叩く音の合間に、かすかに水を踏む音が混じる。
コハク「あ、あのー⋯」
返事はやはりない。
コハク「……?…あの、怪我でもしてるんですか…?」
心配そうに声をかけながら、もう一歩近づく。
その瞬間。
人影の肩が、ゆっくりと揺れた。
何かを思い出したかのように、ぎこちなく。
そして、首だけがこちらに向いた。
コハク「…え?」
顔を見たコハクは数歩後退る。
その顔は、もう見る事が出来ないはずの顔だった。
コハク「⋯八目、君⋯?」
思わず漏れたその名に、返事はなかった。
ただ、フードの奥の瞳だけがゆっくりとこちらを向く。
コハク「な、なんで…なんで八目君がここに…!?」
八目[やめ]は、口を開く。
八目「…僕を置いていったのは、君でしょ」
その声は、懐かしさよりも寒気を覚える声だった。
コハク「っ⋯!!」
はっきりと聞こえた声は、間違いなく八目の声だった。
だが、その響きの奥には、何か別のものが混じっている。
瞬きした瞬間、八目は一瞬で目の前に移動し、コハクの首を掴んで後ろの木に叩きつける。
八目「⋯ねぇ⋯
⋯なんで、引き上げてくれなかったの」
八目はじわじわと力を強めながらそう言う。
コハク「だ⋯って⋯あの時⋯もう⋯八目君は⋯」
―――――――――
そう、ずっと昔の話。
僕にとって八目君は唯一の友達でした。
同級生の子は、昔から物集めの趣味⋯もう少し正しく言うと収集癖があった僕とは大体喋ったりはしてくれませんでした。
あったとしても、班行動とかで最低限の会話くらいでした。
そんな中、八目君は僕にも分け隔てなく接してくれました。
6月のある日、初めて聞いた話を聞きました。
八目「ねぇ、栗ちゃん!」
栗「うん?なーに、八目君?」
八目「実はね、不思議なものを見つけたんだ!」
栗「不思議なもの?」
八目「うん!僕が見たことないものだよ!」
栗「八目君が?八目君ってこの街のことは知り尽くしてるよね?そんな場所があるの?」
八目「うん、僕が知らない所があったんだ!」
栗「えぇ⋯!そんなの気になるに決まってるじゃん!」
八目「じゃあ、今日の放課後ね!半日授業だし、宿題ちゃちゃっと終わらせて公園集合ね!」
栗「うん!」
八目君がそこまで目を輝かせて言うものですから、僕はものすごく気になりました。
少し怖かったけれど、僕は八目君と一緒にその見た事ない物を見に行くことにしました。
栗「八目くーん!」
八目「あ、栗ちゃん!」
栗「ごめん、計算問題で手間取っちゃって⋯」
八目「あー、今日ちょっと複雑な問題あったからねー⋯まぁ、ここで話してても仕方ないし、行こっか!」
栗「うん!」
その道は、行ったことがない道でした。
八目「栗ちゃん、こっちだよ!」
栗「そういえば八目君、どこにその見たことないものがあるの?」
八目「えっとね、このよく来る公園あるでしょ?そこに見た事のない道があったんだ!草だらけで整備もされてなくて、山奥に続いてたんだよ!」
栗「えぇ、八目君が見たことない道!?そんなのがあったの!?」
八目「そうなんだよ!なんっで気づけなかったんだろうって思って!」
栗「八目君はもうそこに行ったの?」
八目「そりゃあね!好奇心には勝てないよ!数分ほど歩いた先にトンネルがあってね!壁を見ると穴が空いていて、指を突っ込んだら⋯」
栗「突っ込んだら⋯?」
八目「⋯ちょん切れ、ちゃって⋯」
栗「え⋯!?あ⋯!?八目君、右手の指⋯!!」
僕はその時に初めてわかりました。
八目君の右手の人差し指の第二関節の少し上がない事に。
八目「うーん⋯人差し指が半分くらい持っていかれちゃって⋯まぁ、僕は左利きだしまだマシだけどさ。」
栗「そ、そんな危険な場所に行くの⋯!?」
八目「大丈夫だよ!僕の指がこうなったのも指を突っ込んだせいだし!壁に指を入れなければ大丈夫だよ!」
栗「うーん⋯大丈夫かなぁ⋯」
八目「大丈夫だよ!さぁ、行こう!」
栗「う、うん⋯」
八目「⋯あれ?」
栗「どうしたの?」
八目「三角コーンがある⋯」
栗「三角コーン⋯?この先立入禁止、ってこと⋯?」
八目「そうだなぁ⋯でも、あのトンネル見てもらいたいしなぁ⋯!よし、行こう!」
栗「ええぇ⋯!?行くの⋯!?本当に⋯!?」
八目「大丈夫だよ!なんて言ったって僕が1回下見してるんだから!」
栗「⋯う、うん⋯分かったよ⋯」
僕達は通行止めを無視してトンネルへ向かいました。
八目「着いた着いた!ここがそのトンネルだよ!」
栗「うわぁ⋯なんかすごいなぁ⋯本当にここに行くの⋯?」
八目「勿論だよ!早く行くよー!」
栗「あっ、ちょっと!⋯ほんとに大丈夫なのかなぁ⋯なんか危ないよっていうビックリマークの標識あるし⋯」
八目「栗ちゃーん!はーやーくー!」
栗「あっ、う、うん⋯!」
トンネルに入ると、妙な感覚がやってきました。
八目「ん⋯?なんかあったかいね⋯」
栗「変な匂いもするよ⋯?」
八目「前に来た時はこんなのなかったんだけどなぁ⋯」
栗「⋯ね、ねぇ⋯そろそろ引き返さない⋯?ここ、危ない気がする⋯」
八目「うーん⋯もう少し先まで行ってみない?」
栗「えええぇぇ⋯?良くないよ⋯帰ろう⋯?」
八目「⋯もうちょっとだけ、もうちょっとだけ、ね?」
栗「⋯分かったよ⋯」
八目「ふんふん⋯不思議なトンネルだなぁ⋯」
栗「⋯⋯⋯」
八目「⋯わっ!?」
僕が立ち止まっていると、八目君が床の大きな穴に気づかず落ちてしまいました。
栗「八目君!?あ、穴に落ちちゃったの⋯!?す、すぐに助け」
僕は八目君を床の穴から助けようとして、穴を覗き込みました。
「――えっ」
そこにいたのは⋯溶けた八目君でした。
栗「⋯や⋯八目、君⋯!?と、溶け、て⋯!?う、あ⋯穴が広がって⋯!!うわあぁぁぁぁ!!」
僕は怖くなって逃げ出しました。溶けた八目君を置いて⋯
栗「はっ⋯はっ⋯!!急いで⋯逃げなきゃ⋯!!カエルが鳴いてる⋯日も暮れてる⋯急がなきゃっ⋯わっ!!」
もうカエルが鳴くくらい日も暮れていて、急ぎました。
それで急ぎすぎたのか、転んでしまいました。
栗「いたた⋯転けちゃった⋯うぅ⋯急いで⋯逃げなきゃ⋯カエルも鳴いてる⋯日も暮れてる⋯急がな⋯わっ!!」
それで、また僕は走りました。
カエルが鳴くくらい日も暮れていたので、また急ぎました。
それで急ぎすぎたのか、また転んでしまいました。
栗「うぅぅ⋯また転けた⋯急がなきゃ⋯逃げなきゃ⋯カエルが⋯鳴いてる⋯日も⋯暮れてる⋯走らなきゃ⋯わぁっ⋯!!」
⋯また転けて、また僕は走りました。
カエルが鳴くくらい日が暮れていたので、また急ぎました⋯
それでまた急ぎすぎたのか⋯また転んだんです。
栗「また⋯また⋯逃げ、なきゃ⋯走らな、きゃ⋯カエルが、鳴いて⋯日も、暮れ、て⋯わ、ぁっ⋯!」
⋯もう何度も転けて服は土でドロドロになってしまいましたが、それでもまた僕は走りました。
蛙が鳴くくらい日が暮れていたので急ぎました。⋯そして、また転けました。
栗「⋯うぅ⋯なんで⋯繰り返してる⋯帰れない⋯なんで⋯ううん、走らなきゃ⋯頑張らないと⋯」
そう思って僕は走り続けました。でも、繰り返してるんです。
転けては走ってを、ずっと⋯
それを繰り返して、9周目のことです。
栗「ぅ⋯ぅぅ⋯帰れない⋯帰れない⋯なんで⋯なんで⋯八目君⋯八目君⋯」
ガザッ
栗「⋯え?」
僕が樹の下で泣いていると、どこからか音が聞こえました。
音の方を見ると、そこにいたのは2mほどの人形のどろどろ溶けた化物でした。
栗「え⋯!?な、な⋯!?ば、化け⋯わ、うわぁぁぁぁ!!!」
当然ながら、僕は逃げました。
それを繰り返して13周目のことです。
13周もしてたら体力も限界です。
あのどろどろの化物はまだ追ってきていました。
栗「⋯僕⋯もしかしたら⋯トンネルに入った時点で、八目君と一緒に溶ける運命だったのかなぁ⋯僕だけ逃げたから⋯逃さないって⋯貴方は追ってきたのかなぁ⋯」
―――――――――
コハク『⋯走馬灯って、こういうものなのかな⋯』
八目に首を絞められているコハクはぼんやりしてきた思考で思う。
目の前の八目の瞳は、幼い友達の優しい瞳にも、冷たく感情のない空洞の瞳にも見える。
その目の前の顔もぼやけてきた。
首にかかる圧力が強まり、息が詰まる。
声を出そうとしても、喉が潰れて音にならない。
ただ口の形だけが震え、涙が頬を伝った。
コハク『このまんま、僕も消えるのかなぁ⋯』
視界の端が黒く滲んでいく。
「オラァッ!!」
鋭い声とともに、八目の腕が斬られた。
首への圧迫が消える。
コハク「⋯けほっ⋯げほっ⋯!はぁっ⋯はぁ⋯」
八目の腕を斬った存在は片手に刀を携え、着地した。
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