田中 小百合ちゃん児童虐待死事件
こんにちは!私は両親から小さい時から虐待を受けていたのがきっかけで、将来、児童虐待防止の中心的役割を果たす「児童福祉司」という仕事を目指している中学生です。虐待で辛い思いをする子、亡くなる子供が少しでも減るよう、このブログで少しでも児童虐待防止のお手伝いが出来たらなと思います。私の名前とプロフィール画面にあるオレンジリボンは児童虐待防止のシンボルマークです。
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今回の記事...1995年に東京都八王子市で起きた6歳の田中小百合ちゃんが虐待死した事件を取り上げました!
事件の概要
事件で亡くなった子...田中小百合(6歳女児)
事件の加害者 ...小百合ちゃんの実母の再婚相手の男性
発生地 ...東京都八王子市
虐待の種類 ...心理的、身体的
虐待理由 ...しつけと主張していた。男性も被虐待児だった。
死因 ...熱湯性ショック、外傷性ショック
通告・保護 ...小百合ちゃんと兄が一時保護されたことがある。
亡くなった日 ...1995年6月22日
事件の内容
事件の経緯↓
小百合ちゃんは両親が離婚した後、兄とともに母親と生活していました。母親は看護助手の仕事をしながら二人を育てていたが、1994年の1月ごろ、母親は彼氏ができたといいます。
中学時代の同級生だったその男こそが、のちに小百合ちゃんを虐待した男性でした。
男性は中学を出た後は進学せず、運送業など仕事を転々としたといいます。が、いずれも長続きはせず、一時は暴力団の下部組織にいたこともありました。
幼い頃から厳しく躾けられて育ったというが、その割に自分には甘い面がありました。
20歳の頃、糖尿病と診断される。そのせいもあって、自律神経や不眠の症状に悩まされることが増えました。
傷害事件を2度起こし、それらは罰金刑で済んだものの、その後覚醒剤にも手を出してしまいます。恐喝事件も起こして合計3回、懲役をくらいます。
そして出所した直後に、小百合ちゃんらの母親と再会したのでした。
一緒に暮らすようになってから、男性は小百合ちゃんの兄が通う小学校の行事には積極的に参加していたといいます。
通学路を点検して危険な箇所を自ら学校に進言したり、若い教師に対しては「子供にはもっと厳しくしなければならない」と独自の教育論を説いて聞かせたりもしていたといいます。
しかしその前、兄が小学校へ上がる直前、この兄と小百合ちゃんはある理由で八王子児童相談所が一時的に預かる事態になっていました。
近所に住む男性の親戚とのトラブルが原因とのことだが、本当の理由は、実はこの頃からすでに、二人は顔にアザを作っていることがあったと言うのです。
ただ、保育園でも小学校でも、二人は「自分で転んだ」としか言わなかったといいます。児相の保護が解かれた後も、兄妹は要注意として引き継ぎを受けました。
男性は教育熱心かつ子煩悩というふうに周囲からは見られていました。子連れでテーマパークに出かけたり、記念日には盛大なお祝いも欠かしませんでした。
一方で、子供たちを家に残したまま、妻と友人らと朝まで飲み歩くこともありました。
事実、事件が起きたその夜も、男性は妻を伴い、午後4時から外出していました。そして、小百合ちゃんに対しある「言いつけ」をしていました。
それは、「自分が帰宅するまで寝ちゃだめだよ、寝てたら怒るからね」というものでした。
実は小百合ちゃんは寝付きの悪い面があったのだという。それを、母親は悩んでいた。
それまでもなかなか寝付けずに、すでに寝ている母親や兄を起こすなどするため、男性は小百合ちゃんに対して「思い通りにならない子供」という印象を強めていた。
そして、いうことを聞かない時には殴る蹴るの暴行も働いていました。
それは小百合ちゃんだけではなく、兄に対してもおこなわれていたといいますが、どちらかといえば小百合ちゃんの方が暴行を受ける機会は多かったといいます。
6月22日の早朝4時過ぎに酔っ払って帰宅した男性は、寝ちゃだめだと言い聞かせたはずの小百合ちゃんが、畳の部屋で寝ているのを見るや否や、小百合ちゃんに罵声を浴びせ、叩き起こすと同時に殴る蹴るの暴行を働いた。
この間、母親は何をしていたかというと、「いつものこと」と思って気に留めていなかったといいます。
男性にしてみれば、自分たちが帰宅するまで小百合ちゃんが起きていれば、その後ゆっくり寝られると考えたのかもしれません。
しかし6歳の子に、いつ帰宅するともわからない状態で、帰宅するまで寝てはいけないなどという方がどうかしているし、いくら寝付きが悪かろうが、明け方の3時4時では寝てしまったとしてもおかしくないと思います。
男性は小百合ちゃんを風呂場に投げ込むと、そのまま自分も風呂場に入り、出口を塞ぐ形で小百合ちゃんを見下ろしました。
そして、お湯が出るつまみをひねると、そのまま小百合ちゃんにシャワーヘッドを向けました。
よくわからない人のために補足すれば、この時代のアパートの風呂というのは、いわゆるお湯と水のつまみが別々になっていて、それぞれをひねることでちょうど良い湯温に調整するというものが多かったです。
このお湯が出る方だけをひねると、当然熱いお湯が出ます。差はあろうが、およそ60度前後くらいのお湯が出ると思われ、実際に男性らが暮らしたアパートもそういった設定になっていました。
男性は手でその温度を確かめることもせず、ひたすらシャワーを小百合ちゃんに浴びせ続けました。1分、2分経過した頃、小百合ちゃんの様子がおかしいことでようやく我に返った男性だったが、小百合ちゃんは亡くなりました。
裁判↓
裁判では、男性が小百合ちゃんに「熱湯」を浴びせた認識があったかどうかが争われました。
当初殺人で逮捕された男性でしたが、起訴時点では傷害致死となっていました。
小百合ちゃんの遺体を鑑定した病院によると、小百合ちゃんは顔面と右側の上半身、背中を中心に体表面積の15%におよぶ第二度の湯傷が認められ、小百合ちゃんが服を着た状態だったにもかかわらずこのようなひどい熱傷となったのは、50度以上の熱湯を1〜2分間断続的にかけ続けられた結果であるとされました。
浴室の状態については、このアパートのシャワーは湯用のつまみをひねると、約30秒ほどで温度が次第に上がり始め、約40秒後には摂氏50度、1分後には55度、そして1分20秒後には59度に達することが確認されていました。
男性は事情聴取においても、公判においても、シャワーの温度がそこまで高いとは知らなかったと話しました。
確かに、ひねったのはお湯の方だったというが、それでも男性としては「自分がいつものようにシャワーを浴びるための一連の動作をしたに過ぎない」としました。
加えて、シャワーを出したときに足元にかかったといいます。その際、全く熱いと感じなかったことから、そのままシャワーをかけ続けた、と述べました。
弁護側も、本人が熱湯をかけていると思っていなかったのだから傷害致死が成立しないと主張しました。
1996年3月8日、東京地裁八王子支部の豊田健裁判長は、2ヶ月もその部屋で暮らしていてシャワーの温度変化も十分知っていたはずであり、そもそも通常のシャワーの温度にしたつもりであると言うならこのような事態が起きていないとしました。
また、従来の暴行がある以上、この日も罰として温度の高いシャワーを故意に浴びせたというのも優に認定できるとして弁護側の主張を退けました。
そして、
「その犯行態様が残虐かつ悪質であること、特に顔面及び背面などは真っ赤に変色しており、逃れるすべもないまま、一緒に生活していた養父である被告人からむごい仕打ちを受けて死亡するに至った被害者はまことにあわれであること、被害者は、被告人の暴行によって両目付近や顔面等が腫れ上がるなどしていて、保育園に行くこともできず、また、周囲の者を大変心配させていた状態にあり、現に、被害者の解剖結果によると、胸腺萎縮、副腎菲薄、ほぼ全身にわたる出血、厚層な血腫形成などが見られ、本件に至るまでのかなりの期間にわたって、被告人から、頻繁に、殴る、蹴る、叩くなどの激しい暴行を受けていたことが明白である」
として、小百合ちゃんの遺体の痛ましさ、受けた暴行の惨さを判決文に織り込みました。
男性はこのような虐待、暴行を行なったことについては、
「自分と同じように厳しく育てなければならないと思っていた」
と述べ、あくまでも教育、躾の一環だったと主張したが、それについても裁判所は一蹴しました。
「被告人は、これらの暴行を被害者に対する教育のやり過ぎであったとの趣旨を述べるが、このような暴行が、教育や躾の範疇に入るとは思えず、(中略)わずか6歳の被害者に対し寝ることを禁じ、1歳年上の兄とともに自宅に残したまま(中略)妻とともに外出して飲酒するなどして遊び回り、帰宅するや、言いつけを守らないで寝てしまったとして、被害者に対して、その頭部などを多数回殴打したばかりでなく、熱湯を浴びせかけるといった行為は、子供である被害者の人権を全く無視した暴挙であって、もはや虐待というほかなく」
「被告人の犯情は甚だ芳しくなく、その刑事責任は重いというべきである」
このうえで、男性が悩まされていた糖尿病の影響などを考えたとしても、実刑は免れないとして懲役5年6月を言い渡した。
男性は不服を申し出たようですが、その後の報道がないことを見ると、棄却されたか、取り下げた可能性が高いです。
残された兄は、さすがに虐待を放置した実母の元には残せないと判断されたのか、児童相談所が保護したといいます。
兄が通う小学校の教師は、とある取材にこう答えていました。
「お父さんが外部に向けて見せる子煩悩さ、子供に対する情熱は、虐待のカモフラージュじゃないのかなと思ったことがありました…」
男性は、法廷でまさか熱湯とは思わなかったと話したが、一部では以前から熱湯シャワーをかけていたのではないかと疑う声もありました。小百合ちゃんは実に5ヶ月間にわたって激しい暴行を受けてきたわけだが、その傷の中には「火傷」によるものがあったといいます。しかもその火傷は膿み、傷跡が褥瘡のようになっていたことから、近所の子供らが恐れをなして遊ぶのを嫌がるほど酷かったのです。
どうすれば助けられたのか
どうすれば助けられたのか↓
・一時保護した後も、家庭訪問などを続けるべきだった。
・男性の被虐待歴のケアなどをするべきだった。
・母親に「小百合ちゃんを守って」と伝えるべきだった。
田中小百合ちゃんが、来世ではもっと幸せに暮らせますように
亡くなった田中小百合ちゃんのご冥福を、心からお祈りします。こんな形でしか亡くなった田中小百合ちゃんが生きていたことを証明できませんが、こういった事件が二度と起きないよう、皆さんにお願いがあります。児童虐待の疑いがある子を見かけたら通告をお願いします!😊 通告方法は簡単です。電話で189に電話するだけです。「いちはやく」で覚えられます。通信料も要りません。匿名でも大丈夫です。秘密も守られます。あなたの通告がその子どもの希望です。
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