紅剣物語第35話「ソクシボー」
暗闇がほどけ、朝が来た。
ソラとヒロトは一睡もせず、夜通し歩き続けていた。
だがそれでも、2人は新たなる発見や未知の開拓を楽しみ、退屈に困ることはなかった。
森を抜け、丘陵地へ出る。
朝日が草を照らし、静かな風が吹いていた。
ソラはアン・ナイーニンから渡された水筒を取り、喉を潤す。
だが数口飲んだところで、力が抜け、地面に倒れ込んだ。
「……もう無理。ちょっと休憩しよう」
「早ぇな。体力なさすぎだろ」
ヒロトはそう言いながら、ソラの隣に腰を下ろす。
「魔物、全然出なかったな」
「ゴブリンくらい出てくれたら、カードも稼げたのにな」
ヒロトは水筒を傾け、空を仰いだ。
「でもさ……俺はこの大会、参加してよかったと思ってる。
こういう極限じゃなきゃ、面白くねぇ」
そのとき、足音がした。
ソラは立ち上がり、紅剣に手をかける。
ヒロトも自然に槍を引き寄せる。
丘を越えて現れたのは、疲れ切った男だった。
泥にまみれ、息も荒い。
「……良かった。
やっと、人に会えた……」
男はそのまま膝をつき、倒れ込んだ。
「大丈夫か?」
ソラが声をかけると、男は弱々しく頷いた。
「助かった……。食い物、少しだけ……」
ソラとヒロトは顔を見合わせ、無言で携帯食を差し出す。
「……ありがとう」
男はゆっくりと食べ、落ち着きを取り戻す。
「俺はエル・ソクシボー。
傭兵をやってた。あんたらと同じ参加者だ」
ソラは頷いた。
「俺はソラ。こっちはヒロト」
「よろしくな」
ソクシボーはそう言って、素直に手を差し出した。
だがヒロトがソラの手首を掴み、制した。
「仲良しごっこは後だ。
タダで助けたわけじゃない」
ヒロトの視線は、終始ソクシボーから外れない。
「今まで、お前が何をしてきたのか。
特に――エンフェルムについてだ。
知ってることを全部話せ」
ソクシボーは一瞬、言葉に詰まったあと、軽く頭を掻いた。
「嫌だなぁ……そんな疑いの目で見ないでくださいよ」
だが、ヒロトの目は微塵も緩まなかった。
金髪が風に揺れ、空気が静かに張り詰める。
ソクシボーは少し考えるように空を見上げた。
「いい街だよ。
魔法カードも売ってるし、回復施設もある。
初心者が集まるのも分かる」
「危険じゃないのか?」ソラが聞く。
「街の中は大丈夫だ。
問題は外だな」
「外?」
「ダンジョンと街道。
人が集まる分、トラブルも起きやすい」
それは、当たり前の話だった。
「でも、情報は集まる。
北に向かうなら、エンフェルムを経由するのは正解だと思う」
ヒロトが頷く。
「やっぱそうか」
ソクシボーは苦笑した。
「俺はそこで、少し無理をしてな。
仲間を失って……一人になった」
ソラは何も言わず、ただ聞いていた。
「だから忠告だ。決して欲張るなよ。無理だと思ったら、引け」
それは、善意の忠告としか聞こえなかった。
ヒロトは肩をすくめる。
「ありがとな。参考になる」
ソラも頷いた。
「一緒に北へ行くか?」
ソクシボーは、少し驚いた顔をしたあと、笑った。
「……助かる。
正直、一人じゃ不安だった」
三人の間に、妙な一体感が生まれる。
朝の風が、丘をなぞるように吹き抜けた。
ーーーー
「そういやおっさんはアークスクリプトを何枚持ってるの?」
ソラは歩いている途中、ソクシボーに尋ねた。
「あぁ俺か」
ソクシボーは胸のバッジを押す。彼の前面にルールブックが現れる。
「《瞬動》が4枚と、《聴覚広域化》が1枚だ」
《聴覚広域化》を使えば、数百メートル先の音を拾える。
「へぇすごいな。俺は1枚もアークスクリプトを持っていないよ」
ソラは感心したように言う。
ソクシボーは鼻の下を指で擦り、照れたように笑う。
「いやいや、大したもんじゃねぇよ。
逃げ足だけは昔から自信があってな」
ヒロトが少しだけ首を傾げる。
「……瞬動を四枚も?
随分、偏った構成だな」
「生き残るには逃げが一番ってことさ」
ソクシボーは軽く肩をすくめた。
「戦うのは得意な奴に任せりゃいい」
ソラはその言葉に、どこか納得したように頷いた。
日が傾き、三人は森の端で野営を決めた。
「火はここ。風下な」
「見張り用の位置は、この岩陰がいい」
ソクシボーは手際よく指示を出す。
枯れ枝の選び方、火起こしの角度、寝床の向き――
どれも無駄がなく、妙に慣れていた。
「……慣れてんな」
ヒロトが感心する。
「傭兵なもんでよ。野営は命に直結するからな」
ソラは薪を置きながら笑う。
「頼りになるな。旅に慣れてる人がいると安心する」
その言葉を聞いて、ソクシボーは一瞬だけ口角を上げた。
誰にも気づかれない、薄い笑みだった。
夜が更け、焚き火が小さくなる。
ヒロトは槍を手の届く位置に置き、
ソラは剣を抱えるようにして横になった。
「……交代で見張りしよう」
ヒロトが言う。
「いや、いい」
ソクシボーが即答した。
「俺、聴覚広域化のアイテムがあるしな。何かあったら起こす」
「助かる」
ヒロトはそれ以上疑わなかった。
ソラも安心したように目を閉じる。
ほどなく、二人の呼吸が寝息に変わった。
ーーーーー
焚き火の前。
ソクシボーは、二人の寝顔を見下ろしていた。
「……へへ」
小さく、乾いた笑い。
「ほんと、チョロいな。馬鹿どもが」
彼は胸のバッジに指をかける。
「強い奴らはな、こうやって利用するんだよ」
周囲を一瞥し、声を落とす。
「俺は生き残る。それだけだ」
光が指先に集まる。
《魔力反応拡散(ビーコン)》
――発動。
目に見えない波が、森の奥へと広がっていく。
“ここに価値のあるプレイヤーがいる”
そう告げる信号が、夜の草原を走った。
ソクシボーは、音も立てず距離を取る。
「……後は、狩る奴らに任せりゃいい」
ーーーーー
――ザッ。
草を踏む音。
ソラが眉をひそめ、目を開く。
「……?」
次の瞬間、
四方の闇から気配が膨れ上がった。
「ッ、ヒロト! 起きろ!」
同時に、焚き火の光が遮られる。
人影。
複数。
装備の擦れる音。
ヒロトが跳ね起き、槍を掴む。
「……囲まれてる」
低い声が、闇の中から落ちてきた。
「運がいいな。
“餌”が二つも揃ってるとは」
ソラは歯を食いしばり、剣を抜く。
(くそ……誰が位置を……)
そのとき、ソラは気づいた。
焚き火の向こう――
ソクシボーの姿が、ない。
風が吹き、火の粉が舞う。
闇の中で、誰かが笑った。
「さぁ、狩りの時間だ」
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