アニメ『どろろ』はおもしろい?つまらない?
全体的に見ればなかなか面白かったけれども、百鬼丸の声は最後まで受け付けなかった。
下手くそすぎでしょ。あの下手な声優のせいで最終回が台無し。
>>1072
どろろも言ってたけど、ボソボソ喋るよね。
演技力云々もそうなんだけどかっこいい声というわけでもないよね。
>>1073
聞き取れなくてスピーカーに耳を近づけて聞き直したことが何回かあった。逆に叫び声は聞けたものではなかった。
マンガ版からのファンですが、原作が打ち切り的な尻切れトンボな終わりかただったのに対して、原作の趣旨を汲みながら、いいラストにまとめたと思います。
百鬼丸とどろろの声を最後まで受け容れられなかった。
最終話で鈴木梨央のあの声とイントネーションで「カネだよカネ」と言われるとすごく嫌味に聞こえてしまった。
百鬼丸が目を取り戻すシーンが全然感動的じゃないんだよな。灰色のオーラみたいなので人の形が見えていたのが、パッと、チャンネル切り替えたみたいに普通の視覚に。
そのときに眼前にいたのが、寿海と縫の方という、二人の「おっかちゃん」。琵琶法師が、百鬼丸は生まれたばかりのようなものだと言っていたが、その百鬼丸が「生まれた」瞬間の最初の光景が「おっかちゃん」という理屈は、まあ分かるんだけどね。
あとから振り返って、ああこういう意味だったんだろうなと、頭で納得するというのは、作品の鑑賞としてはあんまり嬉しいことではないな。
縫の方と多宝丸が、心中のように城と運命を共にするのは、まだ分からんこともない、ということにしてあげよう。だけど寿海も一緒というのはよく分からん。ともかく死なせておけばキレイな幕切れになるし、彼らのその後を描く面倒もないっていう、脚本家の都合で死なせたとしか思えんのだが。
折角、17話で妖怪からも生者と認められ、死者に義足や義手を作るのを止め、現世を生きることを選んだと思っていたら、あのラスト…。 えっ、寿海、死んじゃったの??? 死ぬために百鬼丸のもとへ来たの?? 死に場所を探している人だったの?ってまたビックリ。
今作は、みおにも因果応報的な死を与える物語だから、罪深い過去を持つ寿海には因果応報のラストを最初から考えていたんじゃないだろうか。無理矢理っぽいかなとも思うけれど、百鬼丸が多くの人を殺めたので、弟殺しを含めた罪を自分が引き受けるという意味合いで、寿海はあの場に残ったということではないかと自分は考えている。
アニメでは死をドラマチックに絵になるように描こうとしている意識が、田之介、ミオ、お自夜の回にもあったから、寿海はあの場で亡くなることになったんだと思う。
脚本家さんにしか分らないことで、唯の推測ですけどね…。
>>1080
みおの死は、原作通りに悲劇的なものとして描かれていて、因果応報というのではない印象を受けたけど。
寿海自身が罪を背負った人間だから、百鬼丸の罪をも背負って死んでいったとするなら、話としては分からないこともない。ただ、弟に対しては百鬼丸もとどめを刺そうとしなかったから、そこの殺しの罪はないのでは。結果的には死なせちゃったにしても。
妖怪が生者と見なして噛みついてきたことに寿海が涙していたシーンを思い返すと、寿海は「まだ死ぬ資格があったとは…」と呟いていたから、生ける屍のようにこの世をさまよっていた彼が、百鬼丸のために死のうと決心していたのかもしれない。百鬼丸に「おっかちゃん」と言われ、別れた直後に噛みつかれていたからね。
個々のシーンをあとから振り返ると、意味がつながることはあるんだけど、キャラクーの心情として自然に感じ取れるように描かれていないのが、このアニメの致命的な欠陥だと思う。
>>1096
全くの個人の意見ですが、因果応報 「的」 というのが、このアニメのミソだと思うんですよ。
お粥シーンのお自夜とイタチの対立構造とかも。(お自夜は盗賊で侍と敵対していたので…)
アニメでは、みおは悪事を働いたのではないけれど、敵陣を渡り歩いて体を売ってしまったので、それが枕仕事 → 間者と疑われたという流れでした。
悪気はなく生きるためにしたことだけど、疑われる切っ掛けを作ってしまった。
それが悪い方に転がって、あたかも因果応報みたいな流れになってしまったと感じています。
それが個人的にはきつかったですね。
みおは体を売っていたんだろうな、というのは原作の描写でもなんとなく感じ取れていたので仕事内容までは否定しないけれど、疑われるのなら、敵陣で仕事を掛け持つのではなくて、本当に枕仕事していた間者に背格好が似ていたので間違われて…とか、逃亡中のその女に上手く利用されて嫌疑が掛けられるとかだったら、それもまた酷な話だけど、個人的にはまだ受け入れられたなと思います。みお回は個人的には後味の悪い回でしたので。
みおたちの住んでいた焼けた廃寺の前に立っていた百鬼丸の体の欠損箇所が48。
いろは歌48文字に隠された思い「とがなくて死す」。
原作者がそうだと言っていたのではないですが、あのシーンを大人になって見てからは、ずっとそれが頭にあるので、疑われる火種をみおが作って孤児たちの悲劇が…というアニメの流れが自分には辛かったです。
>>1100
確かに、みおが敵陣にまで仕事に行って、そのせいで悲劇の種をまいてしまうのは、彼女自身の軽率さによる責任が生じてしまっていて、そこは嫌だった。よかれと思ってやったことが、子供たちを悲劇に巻き込む、という流れにするのはいいとして、敵対しあう陣のあいだを行き来したら、要らぬ疑いを招くことくらい、考えつきそうなものだから。みおが愚かで無責任に見えてしまう余地を生じさせたのは、脚本家の罪ですね。
>>1096
>ただ、弟に対しては百鬼丸もとどめを刺そうとしなかったから、そこの殺しの罪はないのでは。
そこは現在で言うところの正当防衛だけれど、弟が死ぬ切っ掛けを自分が作ってしまったということを、兄として苦しんでいるということだと思いますね。
多宝丸が百鬼丸を兄上と呼んだように、戦いの最中で百鬼丸も多宝丸を弟と認めた。
だから苦しみ、自分は弟殺しの罪を負っていると考えているのだと思います。
どろろが、「おっかちゃんと弟が亡くなったのはアニキの所為じゃねえって言ってるんだけど…」と百鬼丸を気遣うシーンがあったので、百鬼丸は罪悪感があるんだと思う。
>個々のシーンをあとから振り返ると、意味がつながることはあるんだけど、キャラクーの心情として自然に感じ取れるように描かれていないのが、このアニメの致命的な欠陥だと思う。
百鬼丸の気持ちをどろろや琵琶丸に言わせてしまうから、百鬼丸の葛藤が生々しく伝わってこないので、百鬼丸のキャラクター無機質な感じになって、感情移入しづらくなりますね。
そこは丁寧に描かないとキャラクターの魅力が生きてこなくなると思います。
二期のオープニングの虫に喰われてる絵が、グロテスク過ぎて気分が悪くなる。制作会社ツインエンジンのオートバイの集団のダッサイ、アニメーションが、すごくイラつく。
>>1081
喰われている絵はまだいいんだけど、その直後に飛び出してくるどろろがポップ過ぎて嫌。百鬼丸の境遇の陰惨さを吹き飛ばす、元気などろろを描いたんだろうけど、絵柄に温度差がありすぎて。百鬼丸の置かれた状況は、そんなお気楽に吹っ飛ばせるもんじゃないんだぞと。
この違和感が本編にまで及んでいるからタチが悪い。例の「目ン玉でも手でも足でも鬼神にくれてやれ!」というセリフの気持ち悪さ、無神経さとか。「おいらの体を兄貴にやりたい…」とかなら分かるんだが。
>>1081
喰われている絵に重なる主題歌もよくない。ダークなギターの音に合わせてロックな絵を描いてみました、という軽薄な演出のダシに、百鬼丸が使われている気持ち悪さ。歌詞に「腹のなかで蠢いている」「ハラワタ食い破って」とあるから、その通りの絵を描きましたという感じ。
アジカンのことは好きでも嫌いでもないし、同じあの曲を使ったとしても、絵が違っていれば、そんなに嫌でもなかったもしれない。
どろろがポップ過ぎるのも、曲調の変化に合わせただけの、デリカシーに欠けた演出だと感じる。
この作品全体として、キャラクターへの愛が見えてこない。
>>1082
イデオロギーとかはよく分からないけど、ばんもん辺りから仏教国の話と言うよりも >>1087
にあるように、キリスト教っぽい思想が混じった話になって来たなぁと思ってた・・・
>>1082
イデオロギー臭は感じた。>>1087
の指摘していたキリスト教的なイメージは、「おっかちゃん」の二人が業火に消えるシーンでは感じたけど、それではなくて。
プロレタリア芸術をやっているのかなと。侍=特権階級にも、鬼神=超自然的なものにも頼らず、誰か=百鬼丸を犠牲にすることもなく、民衆自らが国を興さなければならないのだ、プロレタリアよ、立ち上がれ!っていう。
その割には、民衆の存在感がやたら希薄。最後の方で言い訳のように民衆三人衆が、知らぬ間にメインキャラのような顔をし、あれこれ言っていたけど。
ゲームの方が脚本良かった。
もっと、どろろと百鬼丸の話が見たかったし、オリジナル回は蜘蛛のおはぎさんの話以外いらなかった。
最終回も何だか納得いかない終わり方…。
主演の二人の喋り方も違和感なくならないまま。
ずっと「どろろ」を見てきたファンとしては物足りなかった。
原作のストーリーそのままを今風の絵に直して、ラストはどろろの中にいる最後の鬼神を倒して終わりっていうゲームの展開(一応、原作でも裏設定である)をくっ付けるだけで、普通に名作認定されたのにね。
もったいないとしか言いようがない
昔の無声映画ばりに説明口調で物語を進めるという形式が一番拙かった。作画で躍動感を出すだけではなく、登場人物の内なる躍動感を描けていなかったので、面白味に欠けたと思う。大筋のままぶっ込むんじゃなくてキャラクターにもっと肉付けしないと。キャラクターが生き生きしていないと、つまらない。
原作からのファンです。兎に角面白かった!
人間讃歌がどろろをどろろたらしめるテーマなのだと思います!
>>1086
人間讃歌がどろろをどろろたらしめるテーマなのには賛成。だからこそ、赤子の百鬼丸の命を救うことで一度は立ち直った寿海には、そのまま真っ当な生を貫くことで罪をあがないつつ、天寿を全うして欲しかったなと思います。
最終回、「どろろ」見ていた海外の人
のコメントで、お城炎上のシーン、縫
の方の事を「マリア?」寿海の事を
「ヨセフ?」と言ってるように聞こ
えました。
キリストの母マリアは信心深かった人
養父ヨセフは大工さんでした。
縫の方の頭に衣服をかぶってたのが
ベールみたいに見えてましたし、寿海
の仏像がマリア像に見えたのかな?
百鬼丸が醍醐の民の犠牲となった事
と西欧のキリストが人類の罪の為
犠牲になった教義と重なって見えたの
かもしれませんね。
どろろは、百鬼丸を人間に戻す導き
手の役で、人間になった百鬼丸には、
もう、その役は終わったので、別れが
来たのかも。
でも、それ以上の絆が2人にはあっ
たから、将来、又、一緒に歩いて行く
んじゃないかな?
もっと生きることに貪欲な作品にして欲しかった。1クール目は毎日を懸命に生きる人たちが度々登場したが、終盤は日々の生活に困らないような人たちが生きることを放棄してた。
序盤から百鬼丸とどろろのやりとりをもっと見たかった。
タイトルが「どろろ」とあるからには、ほとばしるような熱いパッションを求めてしまうんで・・・物語にもキャラクターにも熱さが欲しかったなぁ。
最後にみんなが同調圧力をかけてくる展開は、主人公を困難にさらすことでドラマを盛り上げるためだと思いますが、あまり気分の良いものではありませんでした。
そもそも百鬼丸の体は彼自身のもの、一人の赤子の犠牲の上にかりそめの繁栄を築いていたのだとしたら、そのような国は滅びて当然。
そんな状況で、あの「どろろ」なら、「ふざけんじゃねぇ、アニキの体はアニキのもんだ、てめぇら、みんなホゲタラだ!」って、威勢のいい啖呵を聞かせてくれると思うんです。
綺麗ごとや欺瞞や権力や、そんなものを小さな体で蹴飛ばしていく、
そんなトリックスターが「どろろ」だと思うんです。
うん、「どろろ」の威勢のいいホゲタラが聞きたかったな
>>1092
そうそう、これぞ、どろろで『どろろ』って感じ!! どろろって小さいながらも姉御肌でしたもんね。どろろって痛快で勇気のある子だったから、大人が押しつけてくる屁理屈とか理不尽なんかは、体当たりで吹っ飛ばす子だったんですよね。そういうどろろを、もっとちゃんと見たかったな!理不尽を目の前にして傍観なんかは出来なくて、淀みに風穴を開けようと、たった一人でも奮闘するのが「どろろ」だし、しらぬいのときのイタチ見たいに、いつの間にか人をを引きつけて、引っ張る力を持ったどろろの魅力を描いて欲しかったです。ヒョウタンツギよりも断然「ホゲタラ!」を出して欲しかったですね。
>みおが愚かで無責任に見えてしまう余地を生じさせたのは、脚本家の罪ですね。
そうそう、それなの。そういうのがあるので、アニメが途中から嫌になっちゃった。
あまり脚本家さんの悪口を言いたくないんだけど、みおも お自夜も 縫の方も、原作にあった持ち味が薄れてしまっているでしょう。
お自夜は原作ではお坊さんからお粥をもらって礼を言い、心から感謝していた。
なのに、アニメではイタチにしちゃったから、お自夜は卑屈な態度で黙礼をするよりなくなってしまった。
縫の方はあの通り「救えませぬー」でしょ…。
だから、脚本家さんは女性嫌いなのかなと疑ってしまう。
「女を馬鹿にしないでください!!」って思いながら見ていました。
原作のみおは百鬼丸の前で「私は卑しい女の子よ」って泣いていたので、戦前の敵陣まで行って体を売るなんて、そこまでしないと思うんですよね。それに思慮深い女性だという描写は随所にあったので、みおが死ぬということはみんなの死に繋がるから、みおなら決してそんな無茶はしないよと、私はそう思っています。
>>1104
アニメではいろいろ改変があったけれど、お自夜のシーンについては原作のままの方が良かったな。あそこはひねりを利かせる必要を感じなかった。原作では、お坊さんがお粥をくれるから本当の意味での「地獄に仏」という雰囲気が良く出ていて感動的だった。読み手側としてもお自夜を気遣うお坊さん、これで我が子が少しでも生き長らえることが出来ると、心から感謝するお自夜の姿が真っ直ぐ伝わって来て良かったんだけど…。アニメ版の、お寺で侍がお粥を配るのも不自然に見えたので、お粥を配るのはお坊さんのままで、イタチはお寺の警護に当たっているぐらいが丁度良かったと思う。
改変を全否定する訳ではないけど、魅力が薄れれば やはり、つまらないとなるし、改変が良い方に向かえば面白いとなります。視聴当初は、百鬼丸の身体表現や視覚情報の表現(魂とその色が見えること)が良い感じに働いて「そう来たか!」と興奮し、そこから人間らしくなって行くんだなと期待しながら観ていたんだけど成長が遅いとね…中身が幼児の期間が長かったから。原作ベースならキャラクターの魅力が増すなら嬉しいけど、魅力が薄れるとうーん…となります。作画は頑張ってたと思うけれど、キャラクター像とストーリーにあまり魅力が感じられなかったので、わりと早い内に つまらない派になりました。そりゃあ心から楽しめた方が嬉しかったけれどね…。個人的に産婆さんは好き。
手塚作品で医師であり鼻に特徴がある寿海というキャラクターが何を意味するのか脚本家の方には理解できていなかったのではないかと思います。
いや、理解した上での換骨奪胎と好意に解釈しても悪手だと思います、
ひたすら屍者の供養をしていた寿海はPTSDで生者と関われなくなり、屍者を治療(身体の欠損を補う)していたのだと解釈もできますが、
ここで、ブラックジャック医師がその場にいたら、
「そんなことは坊主にでも任せておけ、その手は何のためにあるんだ」
「私かい? 治療するためさ」
とか、言いそうだなと思ってしまったんです。
そう、この寿海は手塚キャラらしく無さすぎるんです。
寿海が自身のPTSDで死に場所を求めて城まで来たというのも、もしそうだとしたらキャラ崩壊だと思います。「百鬼丸」の成長と関わることで寿海も再生していく、医師として生きていくというのなら、まだ解るのですが、
武家の妻女である縫の方や多宝丸が死を選んだとしても、手塚作品において医師である寿海が「生きろ」と言わないのは強烈な違和感です。
城の外に出て領民の治療をしていた縫の方も、それらの経験から学び、百鬼丸と多宝丸の争いの狭間で母として成長したのかと思ったら、あにはからんや一緒に自死を選ぶ始末。
そこは多宝丸が武家の子として誇り高い死を選ぼうとしても「生きねばなりません」と言うところではないかと思うんです。
三人が死を選ぶのは逃避ですし、その死で百鬼丸が救われるのかは甚だ疑問です。
作劇を考えても、縫の方と寿海の役割がダブってしまったのは無駄なのではないかと思います。
最後、三人が炎に包まれているであろう時に「どろろ」きれいだ、とかアニキが言っているのも彼が幼児で人生経験が無いのを差っ引いても、人としてどうかと思います。
それともカメラの外では三人も脱出を試みていたけど映ってなかったのでしょうか?
あと、視覚って聴覚よりも獲得した時に大変になりそうなのですが、そこはどうなっているのでしょうか?
終わり良ければ…、と思っていましたが疑問符が増えただけでした。
>>1114
1115ですが、こちらに返信したつもりが、うっかり>>1115
にコメント投稿してしまいました。分り難くてすみません。
>>1114
>最後、三人が炎に包まれているであろう時に「どろろ」きれいだ、とかアニキが言っているのも彼が幼児で人生経験が無いのを差っ引いても、人としてどうかと思います。
同感です。あんなことがあった直後なのに、それはないなと思いました。
今作の特徴として、多くのキャラの気持ちの切り替わり方が早過ぎて、感情移入しづらいというのがありました。
あの事件の後日談で、百鬼丸が母親と弟を死なせてしまったと悔やんでいるという、どろろの口述が入るのも不自然。「どろろ」きれいだのシーンは何も口にせず、空を見上げたことで、母、弟、養父のこと、これまでの いろんな思いが込み上げてきて泣くのなら分るし、それならば、どろろが言う百鬼丸の後日談もストンと胸に落ちたんですけどね。
「どろろ」きれいだはもっと後に、例えば別れの間際に、再び空を見上げながら(どろろ とも空とも取れるように)言うでも良かったんじゃないかなと思う。
おそらくは、原作者が生前『どろろ』について因果応報ものと言っていたことにアニメは着目したんだと思いますが、それを通そうとするあまりキャラクターそれぞれの役割も個性も活かし切れず、薄れてしまったような印象があります。多宝丸については実のところよく分らなかったのですが、彼は致命傷を負っていて動けず、それで縫の方がその場に残ったのだと思っていたのですが…。そうは思っても随所に疑問が残っていました。ですが、仰るような展開であれば腑に落ちたと思います。
多宝丸はともかくとして、縫の方と寿海の行動には、随所で統合性が取れていないことが多かったので。目標を定めて意欲的になったかと思ったら、突然後ろ向きになったりと。
アニメでは因果応報を通して美しい死を描きたかったんだろう、そういう印象がありましたが、このラストで良かったかというと疑問は依然としてあります。
死こそが最善の責任の取り方かと言えば、違うと思えるので。
確かに、あの場にいる皆で多宝丸を運び出し救うというような努力をして良かったと思います。
生き抜こうとあがく、その方が人らしいし、その方が『どろろ』らしい。
ところで、あの場でどろろがアニキを待っているだけというのも、自分にはどろろらしく思えなかった。最終回でどろろがしたことと言えば、村の青年たちに自分が財宝を持っていると告げただけ。どろろって、もっと行動力がある子だし、じっとしれられない子だから、縫の方の後を追って、あの場にいたみんなに向かって「死ぬんじゃねえ、生きろ!」ぐらい言いそう。
個人的には、アニメ版の新設定の寿海には、生きることで罪を償いつつ百鬼丸の心の支えであり続けて欲しかったですね。
百鬼丸の新設定はいらなかったと思う。
絵に拒否反応があったものの、前半は面白くいい部分もあったが後半からは本当見てられなかった。
なかなかアニキが喋り出さず成長遅くて残念。
原作やゲームみたいに爽快な話が見たかった。
どろろを暗いばかりの話だと思って、わざと暗くしたのかなというぐらい、アニメは暗かった。希望を描こうとはしていたけれど、アニメではそんなに弾むシーンもなかったし…。コメディ回ではあるにはあったけれど、本筋の方で紅葉の美しさを語るどろろみたいなシーンとか、原作みたいに体が戻って喜ぶ百鬼丸のシーンがあっても良かったと思う。
喜ぶというのとも違うけれど、嗅覚が戻ったのなら花の香りからミオの歌、ミオたちと過ごした日々を懐かしく思い悲しみがよぎるとか、そういう人間味ある百鬼丸のシーンをもっと取り入れて欲しかったな。
最終回もなんだかな。寿海、縫の方、多宝丸のみんなが死んで良かったとは思えないし、みんな百鬼丸を苦しめたので責任取りましたとも見えなくもなく…みんな死ぬ必要はなかったと思う。
アニメはまあまあでしたが、面白そうなので原作を読みたいと思いました。
原作は打ち切りになったり掲載誌が変わったりと紆余曲折あったようですが、一番まとまって読めるのは以下のどれでしょうか。スレ違いを承知で、お詳しい方教えてください。
①サンデー・コミックス「時代COMICS」全4巻
②講談社「手塚治虫文庫全集」全2巻
③秋田書店「秋田文庫(文庫版)」全3巻
④秋田書店「AKITA TOP COMICS WIDE 再発見!手塚治虫の世界」全2巻
⑤秋田書店「手塚治虫傑作選集 5」全3巻
⑥講談社「手塚治虫漫画全集 147~150」全4巻
そこそこの値段で手に入れたいなら①をオススメします。
ただ、最終版なので改変される前の連載当時のものではないですが。
手塚治虫トレジャーボックス「どろろ」は連載された話が収録されていますが、現在手にいれにくく高価な為
>>1122
ボックス持っていますが、ファンで手塚先生、キャラが大好きなら損ではないですよ。
普通に読むにはやはり①が一番手にいれやすくて話がまとまっていて読みやすいですが。
>>1122
いい忘れました。
ボックスは家宝モノですが大変重くずっしりしてるので、置場所に結構困りますよ(苦笑)
辞書みたいです。
>>1124
少し調べてみたら、流通在庫希少でプレミアがついてしまっておりアマゾンでは¥65,000で唖然。。。アニメ化を記念して再販されれば良いのですが。
>>1125
プレミアムついているんですか…。
滅茶苦茶高くなってますね。
ボックス以外は話は変更ないので安心して最後まで読めるので大丈夫ですよ。
琵琶法師が、カネで国を作るというどろろの案に、自分は侍側だから、そこまで考えが及ばなかった、と言って、自分の過去をにおわせていたが、こういうのも、取って付けた感じがするんだよな。
彼が剣術の達人であることの理由づけにはなっているし、侍をやめた男がどろろや百鬼丸を支え、肯定することで、侍の世にあらがう二人の生きざまを、作品全体としても肯定する。そういう意図なんだとは思うんだけど。
今までこの琵琶法師が、元侍をにおわせるような台詞を吐いていた覚えがないので、そうした肉づけのないままに、最後になって急に、実は侍でしたと言われても、リアリティがない。
どろろの、武器を持たずにカネの力で、という案も、戦国という、侍が無断で人の命を奪う世の中で、現実的なんだろうか。堺も信長の軍事力に屈服した。それとも銀英伝のフェザーン自治領みたいに、大国の領土という体裁のもと、実質的な自治を目指すのか。
既に指摘している方がいらっしゃるので、番号までは記載しませんが、流れとして察していただければ。
どろろのトレジャーボックスの価格の件ですが…
ここでは長文、長文って嫌がる人もいるけど、(トレジャーボックスの件に限らずとも)結構、批判の一言コメントってキツイですよ。
「今は価格高騰していて、この値段ではなかなか買えないようですよ」
ぐらいの表現に止めておけば誰も傷つかないし、ああそうなんだで丸く収まった話だと思います。
>>1138
品薄で入手しにくくプレミアついてるからって、お礼も言わずに嘘つきって書くほうがキツいと思いますよ。
>>1139
>>1138
は「お礼も言わずに嘘つきって書いた人」に対しての発言なんですよ。
嘘つきって言った人は正しく「一言コメント」なのだから、1138では、そのことを言ってるんです。(1138でいう「一言コメント」とは、具体的に言うなら、「アホ」とか「○ね!」とか「何が?」とか「どこが?」みたいな一言コメントのことを言ってるんです。)
情報提供していた方もフォローしていた方も、一言コメントではなかったし、嘘つき発言した人に対してキツイことは何も書いていなかったのだから、>>1138
は「嘘つき」っていった人や言葉の足りない人に向かっていった発言なんですよ。
でも、こうやって批判コメントがついたのだから、1138 は少なくとも さんには言葉の足りないコメントだったということになりますけどね。
でも「嘘つき」発言した人はもうたしなめられているから、直接そちらにコメントを送るには流石にくどいかなと思って、折角情報提供してくれた人に向かって嘘つきといわずに「今は価格高騰していて、この値段ではなかなか買えないようですよ」って言えば何も問題にならなかったと言いたかった。それが、>>1138
の主旨なんです。
>>1151
>>1138
& >>1140
です。こちらこそ話をややこしくしてすみません。私はトレジャーボックスの件では、嘘つき発言した人以外は、何も不快には思わなかったです。お詫びの言葉ありがとうございました。
>>1140
まあ 理由はどうあれ相手を傷つけるコメントはよくないですよね。言われたからって言い返したら同じことですし。自分に言われたつもりで反面教師で気を付けます!ありがとうございます。
>>1152
>>1140
です。こちらこそ、ありがとうございます。>>1153
もあわせて読んでいただければと思います。
>>1139
1140で一箇所 脱字があったので再投稿です。
×でも、こうやって批判コメントがついたのだから、1138 は少なくとも さんには言葉の足りないコメントだったということになりますけどね。
○でも、こうやって批判コメントがついたのだから、1138 は少なくとも1139さんには言葉の足りないコメントだったということになりますけどね。
誰に敵意があってという投稿ではないので、面倒ならスルーしてください。
>>1138
自分ではきついことをいってるつもりはないけど気をつけますね。
気になって調べてみたらアマゾン以外でもっと安いとこも結構あるんですよね。
ちょっと思ったのは、人に聞くのがいけないとかじゃなくて、必死で調べれば結構欲しいものって見つかるんじゃないかと。
それこそ私が子供の頃はネットなんてないし、今みたいにどろろブームでもなくグッズなどありませんでした。
子供ながらに情報を集めて 店をはしごしたものです。 ビデオを借りてカセットに録音もしました。定価が難しくてもずっと探してれば手頃に買える日は来ると思うんです。苦労して買ったものって思い入れも違いますし。
それでも今すぐ欲しければ高額でも買えばいいのでは?と思います。長くてすいません。
>>1142
個人的にはきつい言い方だとはおもいませんし、嘘つき呼ばわりされたら不快に思うのは当然ですよね。
まず、自分で調べてから聞いてほしいですよね。
ありがとうくらい言ってくれてもいいのに。
教えた相手が悪かったですね。
>>1142
1138、1140ですが、どちらもあなたを批判しようという気持ちから書いたものではないのです。
だから気にしないでください。言葉が足りなくて嫌な思いをさせて申し訳ないです。
私もネットで得た情報は参考意見に留めて、実情については自分で調べるのは当然だと思います。時と共に情報は変化するものなので、自分で調べるというのは大切だし、諦めずに店舗巡りしたりオークションとか探せば希望価格で買えることもあると思うし、コツコツお金を貯めて買うでも良いと思います。寧ろ定価と存在を知った、これだけでも大きな情報なんだから、何も知って損はなかったはずなんで、「うそつき」はないですよね。
大切なのは、本当に商品が実在するのかどうか、自分は幾らまでなら納得して購入できるのか、そちらの方が問題だし、あとは情報をキャッチした側の問題だと思います。
>>1144
私も同意見です。
聞くのは構いませんが自分で調べて、情報くれた人にも感謝を忘れず。
こうやって議論になっている事を「嘘つき」発言した人が反省して気を付けるようになればいいのですが…
>>1142
分かります。
ほんと昔はネットなんて主流じゃなくて好きなキャラのグッズ、はたまた漫画や映画関係の情報なんて今みたいに調べれないから苦労しました。
思い付く店をたずねたりしてねぇ。
>>1156
今はどろろって有名になったし、人気もあるけど当時はグッズも少なかったですしね。そういう面でいうとアニメ化されて特集が組まれるのはありがたいことです。昔はテレビで手塚治虫特集やってもどろろは出てこなかったですから。
>>1177
そうなんですよね。
リメイクしてくれて世間の注目を浴びるようになったのは嬉しいですが、今作が良かったかと問われると個人的には否と言わざるえません。
昔のアニメもオリジナル回もあったし、正直余り面白くない回もありました。
ですが、やはり昔の方が全体に良かったと思います。
何よりどろろと百鬼丸が話の中心でしたしキャラクターのブレもなかったです。
今作は後半になればなるほど訳が解らなくなり楽しめず残念でした。
昔からのファンとしては残念でなりません。(ファン歴は若いですが)
後、原作支持派を老害とか暴言し勝手に決め付けてる一部の人も大嫌いです。
寒気がします。
>>1181
公式の『どろろ』ティザーPVやアニメ1クール目のOPとEDを観て、まさか百鬼丸の中身が幼子だなんて誰も思わないですよ。ここまで違うんだったら最初からPVにも公式発表にも「今度の百鬼丸は鬼神化します。中身は幼児です。周囲の大人たちも未熟です。この物語の登場人物は現代人の感覚では理解し難い矛盾を抱えた人たちです」とでも明言しておいてくれないと、原作ファンが怒るのは仕方ないと思う。原作に寄せているように見せておいて別物だし、おもしろいかと言えばおもしろくない。それを発言すると老害と決めつけるなんて、本当におかしな話しですよね。
>>1182
おもしろい派の暴言コメントした人は何が良かったのかそれすらも説明せずただ差別的暴言発言を繰り返すだけ。
とても不快でした。
原作読んだことあるのかと言いたいし、皆おもしろい派はそんな人しかいないのかと思ってしまう。あと作ったスタッフ(脚本家?)も
>>1184
おもしろい派さんの心揺るがすような熱いお話をここで聞いてみたいけど、全部読み切れていないからか、私はまだ見たことがないです。お話のムードが好きなんでしょうかね…?
書くとキャラクターに宛てたラブレターみたいになるから書けないと言うのなら、分からないでもないですが。
今作は、最初の頃は良かったけれど、段々キャラがおかしくなって行って、置いてきぼりになりました。寧ろ、理解できなくて良いのかも。実際にいたら付き合えないような不可解なキャラばかりだから。
>おもしろい派の暴言コメントした人は何が良かったのかそれすらも説明せずただ差別的暴言発言を繰り返すだけ。
どう思っているのかは分かりません。なぜなら私はおもしろくない派だから…。
>とても不快でした。
私も不快でした。某サイトのレビューでも○害発言するレビュアーさんがいて参考票が入っているので不思議です。
>あと作ったスタッフ(脚本家?)も
少なくとも脚本家さんは原作ファンではないと思います。
みお、お自夜、縫の方、死霊の女、みんな原作よりも救われない描き方になっているのも謎です。こちらのみおにも慈愛があったけれど、女性に優しくない脚本なのは母の愛とか慈愛に疑問を持った脚本家さんなんんだろうかと、個人的には思っています。
>>1184
関連がありそうな記事として、「電撃オンライン」というサイトに “『どろろ』古橋一浩監督にメールインタビュー。最終回終了後の心境や名作リメイクについての印象を質問” という特集記事が載っています。抜粋になりますが、そちらでは監督の言葉として以下のような記述があります
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・今回まで原作漫画は読んでいなくて、1969年版アニメの印象ですが、百鬼丸が大人、両腕が刀の異形が怖いなどです。
・内容はLDを観返すまで忘れていましたが、どろろが肩車しているOPの百姓一揆イメージは歌とともに記憶に焼き付いてました。
・初期段階では現状以上にアレンジを構想していて、手塚先生の自伝や『ブッダ』を通読したり、『火の鳥』を読み返したりしました。違和感なく再構築するには手塚作品の通低テーマ、モチーフを他から補填するのが最善だと考え、1、2話のシナリオの準備稿を自作しました。
ただエンタメとして考えると、中々うまくはまらないところもあり、世界観設定を一部残した形で、構成は小林靖子さんのお力をお借りし、以降は監督として監修的な立ち位置にいました。
・高名な原作のさらにリメイクという、高いハードルがいくつも立ち塞がる今回のアニメ化に対して、さまざまな意見があると思います。至らぬ点が多いのも自覚しており、初期で降板するべきだったと思うこと幾多で……。
お祓いはしたのですが、私が初期段階で迷子になったことをはじめ、“鬼神の祟り”かと思う程に大変だった今作ですが、何とかここまで形になり放送できました。
>>1184
1212で 一度に送信できなかったので、続きです。
インタビューでは、古橋一浩監督が原作を手にしたのがそれほど前ではないことが明かされています。監督自身の言及はありませんが、この分だとセリフが書き換えられる前の旧版を直に読んだことはないかもしれません。また旧作アニメの内容を忘れていたとあるので、原作ファンから入って制作していたとは言い難い気がします。抜粋した箇所以外には監督のエゴが入らないようフラットな立場でいたと取れる記述があり、迷いながら制作した様子が記載されています。(←※これは記事を読んだ私の主観が多少なりとも混じっていることは否定できませんので、もしご関心があれば検索してみてください。) 長文失礼しました。
正直原作知らないのでそこまでひどいのか?とは思いますが…随所に引っ掛かるところはあってもアニメだからですんじゃってましたね。最後がよくわからなかったです。再会したんでしょうか。友人は再会だろうと言います。
>>1159
百鬼丸と どろろは、ともに成長して再会したと思います。旅立つときに百鬼丸はミオの種籾を持っていたけれど、成長したラストシーンではバックに稲穂が一面に揺れているように描かれていたので、ミオの願いも百鬼丸を通して成就したんだと思います。メインキャラのキャラぶれさせずに、尺を確保して駆け足でラストへ持っていかなければ、もう少し面白くなったと思いますよ。
>>1160
最後無理矢理引き離して終わったように思いました。…再会したにせよその辺は丁寧に演出してほしいです。
唯のつぶやきですが、つまらないよりの残念派。5段階だとぎりぎり星2つ。
醍醐景光も百鬼丸と同じく鬼神の魂を宿していたのに、その設定はどうなったんでしょうか?
百鬼丸と互角に戦えるのは景光しかいなさそうだったのに、彼は朝倉勢との戦に出陣しました。
時勢として当然といえば当然ですが、そうまでしてアニメでは百鬼丸と景光の直接バトルが描かれなかったのは、まんま少年ジャンプになってしまうからでしょうか?
最終回で百鬼丸と対話する景光は、鬼神というよりも唯の鬼畜にしか見えなかった。景光とは一体、なんだったんでしょう?景光は最期には体中が鬼神の呪いで蝕まれ亡くなったように見えました。あの人自身が知らず知らずのうちに、百鬼丸のように鬼神たちの生贄になっていたということでしょうか?
オリジナル回があんなにあるのなら、視聴者に丸投げしないで景光の内面についてもう少し掘り下げて描いても良かったのでは…。鬼神というテーマを掲げてみたは良いけれど、ラスボスの鬼神は策略家でもイマイチ凄みに欠けていて本体はあっけなく百鬼丸に倒されてしまったし、制作側も鬼神の扱いは持てあましていたんじゃないかと景光を見ていて思った。景光は鬼神と言うよりもサイコパスにしか見えませんでした。
ちょっと気になったシーンがあります。
陸奥と兵庫が亡くなったとき村の青年は傍らでお経を唱え二人を弔っていました。
その頃、琵琶丸は母馬みどろの死を悲しむ子馬の姿を見て、
「畜生とはいえ、親子の情とは厚いもんだね」と言い、その言葉に縫の方は涙していました。
ところで、琵琶丸って琵琶「法師」ですよね。何故、経を唱えないのでしょう?
ここぞというときに経を唱えず青年たちに任せ、普段も琵琶を弾くことも歌を歌うこともない。
琵琶丸の琵琶法師姿は、唯のコスプレだったのでしょうか?
いやいや、坊さん、琵琶「法師」ならちゃんと亡くなった人を弔いなさいよ。
確かに子馬もみどろも可哀想だよ。陸奥と兵庫は百鬼丸と敵対してたよ。
だけど、先ずは死者に経をあげて弔わなければ・・・おかしいと思うんですが。
琵琶丸が、みどろたちを哀れむのがおかしいとは決して思いませんが、ワンシーンで全てを収めるのなら、子馬を哀れむのは普段から みどろたち親子と接していた村の青年の誰か、お経を上げるのは琵琶丸、その方が流れとして自然だったと思います。
琵琶丸が縫の方を諭すという方向に持っていくとドラマチックになる、琵琶丸は迷える人を諭す側の人物であると考えての配役、尺の都合、諸々考えられますが、「法師」という設定上 不自然なので、これは配役ミスだなと感じます。
自然な流れを重視した方が物語にも言葉にも深みが出たと思うので、そこら辺りが残念です。
今回の新アニメは舞台劇・新浄瑠璃「百鬼丸」の翻案かと思いました。
① 母、縫の方が生まれた百鬼丸を見て「愛しいと思いました」というセリフ
② 百鬼丸が成長していない状態(赤子)で旅に出る。
③ どろろがお世話(養育)係
④ みおが遊女
⑤ 物語の終盤、劇の最後で目を取り戻す。
⑥ 百鬼丸、成長とともに親に怒りを表出、馬で醍醐城に駆けつける。
⑦ 弟が妖怪、あるいは妖怪化(ゲーム版もそうでした)
⑧ 新浄瑠璃では最後旅立つときに「人として生まれたばかり」と言うセリフがあるが
新アニメでも最終回で言う。
たまたまかもしれませんが、列挙してみると似ている点が多かったので、
今回のアニメは詰め込み過ぎて焦点をどこに絞れば良いのか、散漫な印象が拭えなかったのが惜しいと感じました。
浄瑠璃の方は換骨奪胎しながらも二時間の枠にきれいに収めていました。
百鬼丸が赤子のままというのも浄瑠璃では本当に赤子で、アニメでは赤子のような、という設定なのですが、物語を構成する要素としては似ていますね。ほかの点もそんな感じです。
本作は何度もリメイク・翻案されている作品なので、ネタかぶりは仕方がないと思いますが……
>>1172
「新浄瑠璃 百鬼丸」、ネットで検索して調べただけですけど、そちらでは、どろろが泥棒のおじさんなんですね。驚いたけれどおもしろそうですね。口コミサイトに感想が載っていて、そのどろろが「身体を持たぬ百鬼丸に、血の滾り、人間とは、と語るシーンが後から効いてくる。」とあったんですけど、気になります。
舞台も脚本も見ていないので、それが どんなシーンか分かりませんが、私が どろろに求めていたものは、まさに「血の滾り」。血の「シタタリ」じゃなくて、「タ・ギ・リ」。
ずばり、パッション、情感、情動なんです。魂が突き動かされる感じ。
アニメでは血の滴りとか血飛沫はあったけど、「血の滾り」があまり感じられなかったから、途中から自分には合わないなと思ってしまった。
人が生き抜こうと、もがき、あらがい、苦しむ。
だけど人は辛い、苦しい、醜いだけじゃない、何か貴いものを、互いをいたわる気持ちや、知恵や勇気、可能性と未来を人間は持っている。そういうのをアニメでも観たかった。
アニメでもみおやお萩の話では描いていたけど、ばんもん以降は急速に希薄になってしまった。
ラストで再びやろうとしていたけど、最終回の尺不足の中でパタパタとやられても、正直物足りなかったな。
ばんもんからは鬱展開がてんこ盛りになったり、段々メインキャラクターが情緒不安定というか、支離滅裂な言動を取るようになって来て、うーーーん…となってしまいました。
私は原作の『どろろ』から切なさや寂寥感を感じても、陰鬱な展開ばかりが続いて人の業にばかり焦点を当てた物語と感じてはいなかったので、アニメでも、信頼や絆、希望が広がっていく様を百鬼丸とどろろだけではなく、群衆レベルで丁寧に描いてもらえたら良かったなと思います。
>>1173
何度か再演されているので、興味があれば観ても損は無いと思います。
「どろろ」がおじさんという設定ですから、人を選ぶとは思いますが…
寿海が出てこないので、この「どろろ」が「百鬼丸」の養い親になります。
彼はぶれないで最後まで「百鬼丸」を支え続けるんです。
最初、「化け物だ」と怖がるし、忌避するんですが、少しずつ心を通わせるようになり、
その過程を含めて、バディものとしても秀逸だと思います。
原作のように村人に「気味が悪い」「化け物だ」「とっとと出て行ってくれ」
と百鬼丸がののしられる場面では全身で怒りを表し、
竹林では「若様にも御子ができたら作ってやって下され」と百鬼丸と竹とんぼを作る。
丹念に描かれる場面で二人の関係性が変わっていくのが感じられます。
無垢な赤子だった百鬼丸には、旅の途中で多くの辛く苦しい体験があり、
その結果、「私は本当に体を取り戻して良いのだろうか、生きていて良いのだろうか」
と疑問を感じるようになるのですが、
どろろは「生きてくだされ」と言い続けるんです。
彼を全肯定してくれる存在なんです。
親に呪われた子供が再生していく物語において、
再生していく過程には、その子供に惜しみなく愛情を注いで、その存在を肯定してくれる大人(仮親)が必要で、
この劇中では「どろろ」がその役割を担います。
妻と子を戦火で失い泥棒で生計を立てて、世を拗ねていた「どろろ」が「百鬼丸」と関わることで再生していく物語でもあり、無垢な赤子であった「百鬼丸」が良くも悪くも「成長」し、自身の自由な感情を取り戻していく(親の呪いを解いていく)物語でもあります。
百鬼丸が「私には、まだ足りぬところ…」と、どろろに問いかけ、
どろろが「若様、足りぬところのない人間なんていません」
と返答するシーンは胸を突かれます。
パッションを感じたいなら是非。
>>1178
詳細を教えて下さりありがとうございます。>>1173
です。あの後、かなり詳しいあらすじが書かれたブログを探して読んで、そこでまた泣けてしまったのですが、1178さんのコメントを拝見して更に涙が…。今も泣きながら書いています。竹とんぼのシーン、詳しく知りたかったので、ありがとうございます。
そうですよね。心が傷ついた人間が再生するには、本当の愛を知る必要があります。本当に辛く、苦しいときに救ってくれるのは無償の愛です。
>親に呪われた子供が再生していく物語において、
>再生していく過程には、その子供に惜しみなく愛情を注いで、その存在を肯定してくれる大人>(仮親)が必要で、
>この劇中では「どろろ」がその役割を担います。
こちらのどろろの魂には、原作で描かれていた寿海とどろろに通じる力強い響きが感じられますね。教えて頂いたラストシーンでは父性という点に着目すると、原作の寿海をも越える存在といえると思いました。
>妻と子を戦火で失い泥棒で生計を立てて、世を拗ねていた「どろろ」が「百鬼丸」と関わることで再生していく物語でもあり、無垢な赤子であった「百鬼丸」が良くも悪くも「成長」し、自身の自由な感情を取り戻していく(親の呪いを解いていく)物語でもあります。
『どろろ』とは体を取り戻す物語だと思われがちですが、失った「愛と心を取り戻す」物語でもあったと思います。そうだ、そうだと頷きながら読みました。
>どろろが「若様、足りぬところのない人間なんていません」
>と返答するシーンは胸を突かれます。
>パッションを感じたいなら是非。
このどろろのメッセージは、愛が溢れていて心に真っ直ぐ届きますね。演目を直に観たのなら、ここで今、文字を読りも、もっと深く魂が揺さぶられるのでしょうね。
検索して知ったのですが、つい先日までアニメ化、舞台化と併せて新浄瑠璃も再演されていたんですね。見逃してしまったことが非常に惜しまれますが、心から新浄瑠璃 百鬼丸を観たいと思いました。次の再演のときは見逃さないようにします。貴重な情報をありがとうございました。
新浄瑠璃 百鬼丸…どなたかのブログで少しネタバレ読んでしまったけど泣けた。
どろろと百鬼丸の結びつきが深い。そして、なにやら哲学的な雰囲気。
新浄瑠璃の方は大胆にアレンジしてあるようだけど、観てみたいなと思った。
「心に迫ってくるあの言い表し難い感じ」、それがあれば、自分の場合はタイトルが違っていても、原作「どろろ」としても、おそらく違和感はないと思う。
アニメは全部嫌って訳ではないし、初めは良かったんだけど、途中から「心に迫ってくるあの言い表し難い感じ」がなくなっちゃったから、自分の場合は微妙になってしまった。
最終回24話 百鬼丸と多宝丸の戦闘シーン 04:11辺りの映像。まだ目が戻っていない百鬼丸は多宝丸を魂の色で捉えられているんだけど、多宝丸の心臓の辺りがポッカリ穴が開いているみたいに黒く描かれていた。
それは、多宝丸がまだ幼い頃、縫の方に花をあげようとしたら、縫の方が遠い目をして捨てた我が子百鬼丸を思って「坊や…」とつぶやいていたのを思い出した直後の映像なんだけど、あれは魂が黒くなっているんじゃなくて本当に心に穴が開いてしまっていたんだろうな。こういう映像表現は良いと思う。こういう、兄弟・姉妹間のコンプレックスや母子のすれ違いをみていると、萩尾望都さんの『イグアナの娘』を思い出す。
原作がどうこう抜きにして、今作は話の流れに無理があったりいちいち引っ掛かるところが多い。
縫の方の母親としての在り方や寿海の行動等々。
毎話 違和感がある設定や流れがある。普通に作れないのかなあ?と思って見ていた。寿海の死にかたとか全然共感出来ず唐突で無意味だったと思う。
>>1183
白面不動の回の時、何故、死霊の女を仏師にしてしまったんだろうって、ずっと思っていました。あの死霊は偽りの母の姿をとりながら、どろろとの日々で本当の母の心を知り、どろろを慈しみ感謝しつつ、どろろの幸せを心から願い再び世を去った。・・・なのに、アニメでは仏師。時代的に性別だって男性とも思える・・・「はあ?」って思いました。何、このアイデンティティーの歪みは?って。どこをどう直す必要があったのでしょうか。
どろろが再び母の愛で傷ついた心を癒し、死霊の女は、どろろによって再び人の心を取り戻す。
それが、アニメでは仏師・・・、仏師が仏師としてのアイデンティティーを取り戻すお話。
ああ、そうですか、良かったですね。でも、これってそんなに薄ーーーーい話でしたっけ?
原作では母の慈愛が、無償の愛がテーマだったのに、仏師ですか。・・・と呆れてしまいました。
この物語に何が足りないかというと、無償の愛、母の慈愛ですよ。
脚本では、原作にあったような慈愛がしっかり描けていない。
描けないから逃げたとしか思えない。
>寿海の死にかたとか全然共感出来ず唐突で無意味だったと思う。
私もそう思います。
縫の方の件も相俟って、愛する者のために死ぬことが無償の愛とでも言いたげな今作が私は好きにはなれません。本当に愛しているなら、陰日向となり天命が尽きるまで愛を注ぐのが本当の愛だと思います。
>>1185
縫の方も寿海、多宝丸も不自然だし、多宝丸は原作と違い性格いい子ちゃんだったのに突然性格ガラリと変わるし兄貴(百鬼丸)なんてミドロ号に跨がって敵味方関係なくバッサバッサ切り出すし。
唐突すぎてついていけない。
原作知ってる身としてこれ「どろろ」だよね?って青ざめました。
>>1185
>>1212
“『どろろ』古橋一浩監督にメールインタビュー。最終回終了後の心境や名作リメイクについての印象を質問” の中に、監督が『火の鳥 鳳凰編』が一番好きだとメインライターの小林靖子さんに伝えたという記述があるので、死霊の女は仏師 茜丸に見立てられたってところかな。
個人的に、今作が原作よりも因果応報色が強く出ている感じがするのは、この辺りに要因がある気がした。
今作では醍醐の城が燃えさかる中、縫の方、多宝丸、寿海が命を落とすのも、炎に包まれて茜丸が落命するシーンとイメージを重ねたのかもしれない。茜丸の場合は仏師としての出世欲と我王に対しての嫉妬心と強い復讐心があったので、落命シーンは正に因果応報だった。でも、個人的には『火の鳥』“鳳凰編”の茜丸に最も近い立場にいたのは醍醐景光だと思えるので、景光こそが炎に包まれて落命するのがピッタリだと思った。といっても結局のところは、正式に制作の許可を取っているスタッフが好きにして良いということになるけれども。
1187なんですけど、ミドロ号の話でも無情岬その他の話でも、そうじゃない親子愛とか不知火とサメの絆とかじんわりする原作の話が見たかったわけで。
もやもやします。
流行りなんですかね。
じめじめ、ナヨナヨする話。
観ていて画面の向こうに扇子持ってカツ入れ行きたくなりました。
しっかりしろと。
原作ありの話をこんなに変える必要ありました?
話は違いますが、「十二記」は鬱展開ありますが主人公が成長していくので大好きです。
流行りの主人公チート異世界モノは全然面白いと思わないです。
主人公最強何でもできるー。
へぇ、凄いねぇ~だから何って。
原作に出てくるお米さんだって今で言う知的障がい者が引っかかるのなら幾らでも変えようあったし面白い原作エピソード沢山あったのに。
>>1189
>>1190
私も「十二国記」大好きです!!
ここで私も「十二国記」を比較に出してコメント書こうかと昨日あたりは思っていたんで、おお!!と思いました。個人的に、アニメ「十二国記」のスタッフが「どろろ」を作ってくれたなら、きっともっと面白くなったと思っていたので。「十二国記」は原作と違う部分があっても、ブレがなくて本当に面白かった。世界観がしっかりしていて、キャラクターも芯がしっかりしている人たちが多く、武将は武将らしく描かれていたし、保身的で泣いてばかりいた陽子が成長していく様も感動した。陽子と一緒に船旅をしていた男の子の話もとても良かった。あの子が死んでしまう話は本当に泣けた…。
心に深く届く名言、名シーンが、あちらには一杯あった。
「どろろ」にも名言、名シーンが一杯あったのに、どうして臭いセリフ、ブレブレのセリフばかりになってしまったのか…。正直な気持ちを包み隠さず言うのなら脚本家の人選を間違ったとしか思えないです…。
>>1194
どろろは「おいらはアニキに鬼神になって欲しくねえんだ」だけじゃなくて、命の重さを教えたり、思いやりとはどういうことかを教えたり、善悪の判断(ここまでは許されるけれど、ここからは絶対超えてはいけない)を教える描写を取り入れるべきだったと思う。どろろの口から説明するにも、やはり限度があるから、ここは、お米の話や四化入道のような話を通して百鬼丸に学ばせた方が良かったと個人的に思う。
そもそも、どろろが目ん玉でも手足でも鬼神にくれてやれ、だなんて百鬼丸に対して思いやりのない発想がある時点で、もうこの子は「どろろ」じゃないなと思ってしまった。どろろは幼くても母性にも通じる慈しみの心を持っているから、そんな発想絶対にないですよ…。そんな発言させる時点で、脚本家さん?監督さん?のセンスを疑います。
>>1191
監督さんとメインライターさんが今や大家と言われる立場なので、恐れ多くて変だと思っても誰も指摘できなかったのでは…。2クール目から作画も話も質が落ちたと巷でよく指摘されているけれど、そういうことを指摘したり修正できる立場の人が途中から現場から外れてしまったか、意欲をなくしてしまったんじゃないだろうか…。

