小説紅剣の探索者第1話
人は噂する。
「彼の父は家を捨てた」と。
人は囁く。
「彼の剣は妖刀だ」と。
人は嘲笑う。
「彼に、力などない」と。
―――
テイシン村の山奥。
澄んだ空気の中で、少年は静かに剣を抜いた。
元々から、家にあった剣だ。
父の形見だと思い大切にしてきたが、不思議に鞘は見つからなかった。
孤独な少年時代に寄り添ってくれたこの刃は、布に包まれたままだ。
それでも、わずかに伝わる異様な重みが、少年の掌に残る。
彼の目の前にいるのはクマ。
異名は“人を食べすぎたクマ”。
何人もの村人を葬り、討伐隊すら退けてきた獣だ。
「なんだ。君も、孤独なんだな」
ソラは低く構えた。
少年の存在に気づいたクマは、咆哮とともに一直線に突進してくる。
「かかってこい。美しく」
地面が揺れ、土と枯葉が舞い上がる。
少年は、微かな笑みを浮かべた。
――まだだ。
一歩、踏み込む。
その瞬間、剣が応えるように、重さを失った。
布が翻り、紅を帯びた刃が空気を裂く。
そして、一撃。
音は、不思議なほど静かだった。
次の瞬間、クマの巨体は力なく崩れ落ち、地に伏した。
少年は倒れた獣を静かに覗き込む。
彼の名は、アマギ・ソラ。
この荒廃した世界で、やがて救世主と呼ばれることになる男である。
―――
テイシン村の村人たちは、少年の帰還に言葉を失った。
「ソラが……帰ってきた」
「あの野郎本当に、やりやがった……」
ソラは、布に包んだ剣と、クマの頭を手にしている。
無数の視線を浴びながらも、胸を張って家へと向かった。
「本当に行くのね。ヨーロッパ連合国に」
玄関先から、ひょいと顔を出したのは祖母だった。
「うん。必ずこの剣の鞘を見つけて、剣を元に戻してくるよ」
そう言って、ソラは少し照れたように笑う。
今年の“旅立ちの日”。
テイシン村からは、三十一名が遠く離れた国家――ヨーロッパ連合国へ向かう。
貧しい村を離れ、新天地で新たな人生を切り拓くためだ。
ソラは村の広場に到着し、旅立つ同胞たちの中へと加わる。
その中には、同じ年頃の少年の姿もあった。
ソラは、布に包まれた剣を握りしめる。
まだ鞘を持たぬ、不完全な剣。
だが、不思議と恐れはなかった。
「行ってきます」
それだけ言って、深く頭を下げる。
「……死ぬなよ」
誰かの声が飛ぶ。
「必ず戻れ」
別の声が重なる。
ソラは顔を上げ、力強く笑った。
「約束する。
この村に、ちゃんと未来を持って帰ってくる」
「では、準備はよろしいですね。出発しましょう」
そう告げたのは、一同をまとめる外交官、サイショ・ニ・ヤラレルヨン。
ヨーロッパ連合国の高官から入国許可を取り付ける役目を担う人物だ。
多くの歓声と別れの言葉を背に、
ソラは、未来へと歩き出した。
ーーーー
「――止まれ」
出発から数日後。
隊列の先頭を進んでいたサイショが、低く声を落として足を止めた。
「ヨーロッパ連合国、ダキア地区の国境検問所だ」
夜明け前の薄暗い空の下、石造りの検問所が行く手を塞いでいる。
武装した兵士たちの視線が、一斉に三十一名へと向けられた。
サイショは前に進み、兵士たちと短い言葉を交わす。
張りつめた時間が流れ――やがて、重々しい音を立てて検問所の門が開いた。
許可は下りたらしい。
検問所では簡易的な衣食住が提供され、
一同は久しぶりに腹を満たし、身体を休めることができた。
――そして夜。
宇宙の深淵が、そのまま地上に降りてきたかのような闇の中。
ソラは、背後からかけられた声に振り向いた。
「隊長がお呼びだ。ついて来い」
拒む理由はない。
兵士に導かれるまま進むと、そこには一つの幕舎があった。
中へ入ると、すでに二人の先客がいる。
どちらも、テイシン村を共に旅立った仲間だった。
その直後、幕舎の入り口が開く。
若い女が、迷いのない足取りで中へ入ってくる。
「隊長に、敬礼!」
幕舎の外にいた兵士たちが一斉に動く。
女は無言のまま椅子に腰を下ろし、三人を見据えた。
「私は、この検問所の隊長を務めている
アリナ・フォン・エリーデだ」
冷えた声だった。
「手短に話そう。私は君たちを、あの集団の中で
最も“使える人材”だと判断した」
ソラたち三人は、思わず顔を見合わせる。
エリーデは、わずかに口角を上げた。
「だから興味が湧いた。
――君たちが、なぜ村を捨てたのかにな」
彼女は指を立て、左から順に示す。
「まずは君だ。名前から答えろ」
指された男は、黒髪にコートを羽織っていた。
年はソラとそう変わらないように見える。
「俺はチュウニ・ビョウカンジャという者だが」
淡々と、しかしはっきりと言い放つ。
「もう二度と会うこともない相手に、
しかもたかが検問所の隊長の質問に
なぜ答える必要があるのか、理解できない」
空気が一段、冷えた。
エリーデは表情を変えず、次の男へ視線を移す。
「……では、君」
「俺はミノグチだ。下の名前までは答えん」
短く答え、続ける。
「村を出た理由は、技を鍛えるためだ。
連合国は技術も文化も進んでいる。
修行の場としては、悪くない」
「そっか」
エリーデは興味なさげに返すと、最後にソラを見た。
「君は?」
ソラは一歩前に出る。
「アマギ・ソラだ。
――この剣の鞘を探している」
腰の横から、布に包まれた剣を取り出す。
静かに布を払い、その姿をさらした。
刃が、幕舎の灯りを鈍く反射する。
その瞬間。
エリーデの表情が、明確に歪んだ。
「……どうして」
椅子を蹴るように立ち上がり、拳を強く握りしめる。
「どうして、お前が――
その剣を持っている!?」
怒りとも、恐怖ともつかない声が、幕舎に響いた。
ソラは、ただ静かに彼女を見返した。
――剣が、確かに何かを引き寄せ始めている。
to be continued

